1925
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逃げてきた道を、今度は老鼠の首領の後に続き重い足取りで歩く。拘束はされていないが、名前と職場が知られている以上逃げても無駄だろう。
「何故、あの女を助けた?」
「ただの成り行きよ、巻き込まれたに過ぎない」
「他人事のように言うが、顔がよく似ていた。血縁でないのか」
「他人の空似でしょう。私は孤児で、両親がどこの誰かさえ知らないわ」
「そうか。それにしては、よく似ていた」
含みを持たせた言い方に何か引っかかる。
「……そうね。私も、驚いたわ。だから、助けたのかもしれない」
「だが、それでお前は窮地に立たされ続けている」
「窮地、ね。今回は、もう見逃して貰えるはずだったけれど」
男はそれには答えず、ただ小さく笑ったようだった。どうにも嫌な予感しかしないので逃げ出したくはあるが、方向転換した瞬間に殺されてしまいそうでならない。かといってこのまま着いて行った所でどうなるのかも分からない。生き残りの方法を模索するが、どうにも袋小路に入りかけている気がしている。明日の朝日を拝めるかも怪しいところだ。
「実は、招くはずだった客が来れなくなってな。その代わりに俺の話し相手にでもなってもらおうかと思ったわけだ」
「話し相手、ね。私に務まるものかは分からないけれど、こうなったら気が済むまで付き合うしかないのでしょうね」
確認すると、男は何も言わずに薄く笑みを浮かべた。
「話し相手と言ってもそう長居はできないわ。明日も仕事があるから、睡眠時間は確保しておきたいところなの」
「それはそれは、貴重な時間を割いていただいて有難い限りだ。なんなら、部屋を用意させても構わんぞ」
「商売女と勘違いされても困るから、遠慮させていただくわ。……面倒だから単刀直入に言わせてもらうけど。私はどうしたら無事に帰してもらえるのかしら」
心臓のざわつきを悟られないように真っ直ぐに見据えると、男は愉快そうに口の端を吊り上げる。
「今夜はもうすることがなくなってな、退屈していた所にお前が現れた」
「つまり、あなたの暇を潰せばいいと」
「話が簡単で助かる。俺を愉しませてくれるのなら、今度こそ家に帰してやろう。だが、もしも俺の時間をただ浪費し、退屈させるだけならば。別の方法で愉しませてもらう他ないな」
別の方法が何なのか考えなくてもいくつか候補が上がるが、そのどれもが私にとっては最悪な道だ。だとすればこの男を愉しませる他道はないが、裏社会の人間が面白がる話なんて持ち合わせていただろうか。考える私を楊はにやにやと眺めている。いちいち悪趣味な男だ。
「では、お前がカジノで働くことになった経緯でも聞かせてもらおう」
まさか脅している本人から助け舟が出されるとは思わず、警戒しながら口を開く。
「……老鼠の首領であれば、とっくにご存知なはずでは?」
教会育ちの孤児、ということになっている私がカジノでディーラーなんてやっているのには訳がある。数年前、私はこのブルローネで、マフィアを相手にしたトラブルに巻き込まれた。その相手には、この男がここに来る前にヴェレーノで中国人達を束ねていた男もいた。
「何せ俺がここに来る前の話だからな。当事者に出会ったからには、詳細を聞きたいものだろう」
何かしらの報告は受けているだろうに、それでも尚私に話させたい理由は分からないが、拒否権など与えられるわけもない。
発端は、私が働いていた店の主人が、ギャンブルに狂いだしたことだった。負けが続いた店主は、けれどカジノ通いを止められず、マフィアに借金するまでになった。それも一つの組織だけでなく、ブルローネに存在する全ての犯罪組織からの金だった。やがて店の金を使い込むようになったため、これ以上を付き合いきれないと従業員達は次第に辞めていき、昔からの知り合いだからと最後まで残っていた私もやがて店を去った。それでもカジノでは負け続け、返済期日が迫っても金を用意出来ず、組織から命を狙われることを恐れて、一つの嘘を付いた。元店員が、支払いに用いるはずだった店の金を持ち逃げした、と。店主がそう弁明している間、私は何者かに襲われてどこかに閉じ込められていた。何とか目を盗んで逃げ出すことに成功したが、店主が私を犠牲にしようとしてる以上それで終わりではない。だから私はまず、店の帳簿を盗みに入った。それから貯めてたお金を持って、知人のコネを使い、カジノへ行った。ちょうどそこで店主がマフィアのボス相手に必死の弁明をしていることも分かっていたからだ。そこで賭けに勝ち続き、荒稼ぎをして店主の借金分のチップを手に入れた私は、カジノ荒らしとして放り出されないように支配人と取引をすることになった。そうして換金した多額の金を持って、店主が必死の弁明をしている会合場所へ乗り込んだのだった。店主は監禁していたはずの私が現れたことに泡を食ったが、それには構わずその場にいたマフィア相手に訪問の非礼を詫び、話をする機会を得た。
「帳簿と、カジノでの負けの金額を鑑みても、店には持ち逃げするほどの金もありませんでした。私なら、この額の金を一晩で集めることができる。やっていないという証明をするには、私には時間も証拠も足りない。だけど、金を用意出来なかったその男と、現に今、ここに用意してきた私と、どちらを信用されますか」
金を実際に用意してきたことが功をなし、私はマフィアの顔に泥を塗らずに済み、そのために身の安全の保証を確約してもらうことがきたのだ。その後店主がどうなったかは知らないが、少なくともこの数年顔をみていない。そうして私は支配人との取引により、荒稼ぎした分の金をカジノには納めるまでディーラーとして働くことになったのだ。もう既に返済は終えているが、金払いが悪くないためまだ続けている。
「その店主と組んでお前を捕らえたのは、一体どこの誰だったのだろうな」
「……」
質問の意図が掴めず、黙り込む。楊は目を細めて私を見た。
「俺に遠慮するな。お前は分かっているはずだ」
「……私を閉じ込めていた男たちは、中国人のようだった。恐らく店主は、彼らと取引していたんだわ」
逃亡しているとされていた私を見つけたことにして、先に金を渡す算段をつけていたのだと思う。金を持ち逃げした筈の女が金を持っていない。なら、女を売り飛ばすか娼館で客を取らせるかして得た金で補填しようとするのは自明の理だ。店主自身のその後の保護も求めていたかもしれない。でも、彼らにそのつもりはなかっただろう。実際私はあの時、船にいた。ブルローネマフィアの前に引きずり出される前にさっさと売り払われていただろう。女が見つからない、結局金が用意できないととなれば、どちらにせよ店主は殺されるだけだった。
推測を交えながら話し終えると、楊は目を瞑り微かに笑った。
「一つ、お前は思い違いをしている」
「……なんですって?」
「売られる相手だ。老鼠は金を独占したかったのではなく、お前自身を手に入れたがっていたというわけだ」
「……私を?…………どうして」
「さあ、どうしてだと思う?」
男は薄笑いを浮かべたまま頬杖をついた。明らかに試されている。少ない情報から真実を得ないことには活路はない。この男は何故わざわざ数年前の話をさせた。その上当時の思惑を今更教える理由は何だ。数日前、恐らく老鼠の構成員に見張られていたが最近はそれがなくなった。そうしたら何故か、私とよく似た顔をした妹に襲いかかった。それは、私と間違えたからではないだろう。
「……六鳳会、老鼠の上部組織は、数年前、私に何らかの利用価値を見出していた。だから老鼠に命じて私を連れて来させようとした。けれど、失敗したからか、他に理由があるからなのか、私に今、その価値は失われている。だからこそ私は今まで放って置かれていた。けれど、何故かここ最近、誰かに見張られるようになった。だけどそれもいつの間にかなくなっていた」
頭を整理しながら話していると、ふとある答えにたどり着き、私は顔を歪めた。それを見て楊は笑う。私が気がついたことに気づいたのだ。
「どうした、続きを話せ」
「…………前回と今回は、完全に別件なのね。今回老鼠は初めから、彼女が狙いだった。それなのに、わざわざ私を見張らせていたのは。彼女が、私に会いに来ると予想していたから。つまり、あなたの、六鳳会の依頼人は英国国教会。その目的は、許しなく国を出たルーナ・ブラックウェルを発見し引き渡すこと。そして貴方は、私を知っている。かつて、英国国教会は六鳳会にレイラ・ブラックウェルの捜索を依頼したんだわ」
この名をこの場で口にすることになるとは思わなかった。答えを言い当てた私に、楊は口端を釣り上げる。
「かつて国教会はお前を欲し、各地に情報網を持つ六鳳会へ依頼した。それは教国にとっては都合が悪く、国教会に圧力をかけるとともに六鳳会へ依頼を受けないよう金を積んだ訳だ。どちらをとるか結論を下す前に、とりあえずお前を確保しようと動き、それは失敗に終わった。その後、金やら利権やらが絡み、お前の所在は国教会には不明のままだ」
「…………彼女がレイラを探していると、何故分かったの」
「さあな。明日には迎えが着く頃だろう。お前も共に行って聞いてみればいいだろう」
「レイラ・ブラックウェルは、もう、どこにもいないのよ。国を出たあと、どこぞで野垂れ死んだことでしょう。私はアリア・フォンターナ。教会で育てられた、血縁はただの一人もいない。ただのアリア」
そう言って真っ直ぐに楊を見据えると、彼もまた視線を返す。しばらくの間そうしていると、やがて楊は薄く笑みを浮かべた。それを見て、どうにか命拾いしたのだと分かった。
「……思いの外、退屈を紛らわせることができたな」
「……」
「そうだな。明日、いや、もう今日か。今夜、またここに来るといい。面白い話を期待しているぞ。レイラ」
アリアだと言っているのに、敢えてその名を呼ぶのだろう。嫌な男だ。
「アリアよ」
「迎えは必要か、レイラ?」
愉し気に名を呼ばれ、不愉快さからこれみよがしにため息をつくが気にする素振りなどするわけもない。
「…………私ではあなたを満足させられそうにないから遠慮したい所だわ」
「そうつれない事を言うな。俺はお前に興味を持った。だから招く。俺を満足させるのであれば、国教会には黙っておいてやってもいい」
私がこの街にいられるのは、国教会が教国の圧力に屈して六鳳会への依頼を取り下げたからだという。だというのにそんなことをすれば親組織の面目を潰すことになりかねないが、そんなことを気にするような男でないのは少し関わればよく分かった。この男には常識など通用しない。つまり私はもう、袋の鼠なのだ。
妹のいるホテルを見張っていた老鼠の人間を見張り、朝を待った。早朝の内に国教会の人間らしい男がホテルに入り、彼女を連れ出してブルローネを離れていくのを確認してから帰路につく。朝焼けが眩しくて、目を瞑る。瞼の裏には懐かしい子供のころの景色が焼き付いている。父と母、双子の妹たち。小さかったあの子が、あんなに大きくなった。ルーナが生きているということは、ステラもその中で生きているのと同じこと。いつか彼の魔女の魂が救われ、私たちの使命が果たされるその日まで、私たちが再び会うことは二度と無い。
家に戻り眠りにつき、午後からの仕事に備える。仕事が終われば、いつもは家に向けていた足をヴェレーノへと向ける。立ち止まって大きく吐いたため息は夜闇に呑まれて意味を無くす。覚悟を決めるしかないと息を吸い込み、再び歩き出した。今夜も私は、無事に生き延びることが出来るだろうか。
「何故、あの女を助けた?」
「ただの成り行きよ、巻き込まれたに過ぎない」
「他人事のように言うが、顔がよく似ていた。血縁でないのか」
「他人の空似でしょう。私は孤児で、両親がどこの誰かさえ知らないわ」
「そうか。それにしては、よく似ていた」
含みを持たせた言い方に何か引っかかる。
「……そうね。私も、驚いたわ。だから、助けたのかもしれない」
「だが、それでお前は窮地に立たされ続けている」
「窮地、ね。今回は、もう見逃して貰えるはずだったけれど」
男はそれには答えず、ただ小さく笑ったようだった。どうにも嫌な予感しかしないので逃げ出したくはあるが、方向転換した瞬間に殺されてしまいそうでならない。かといってこのまま着いて行った所でどうなるのかも分からない。生き残りの方法を模索するが、どうにも袋小路に入りかけている気がしている。明日の朝日を拝めるかも怪しいところだ。
「実は、招くはずだった客が来れなくなってな。その代わりに俺の話し相手にでもなってもらおうかと思ったわけだ」
「話し相手、ね。私に務まるものかは分からないけれど、こうなったら気が済むまで付き合うしかないのでしょうね」
確認すると、男は何も言わずに薄く笑みを浮かべた。
「話し相手と言ってもそう長居はできないわ。明日も仕事があるから、睡眠時間は確保しておきたいところなの」
「それはそれは、貴重な時間を割いていただいて有難い限りだ。なんなら、部屋を用意させても構わんぞ」
「商売女と勘違いされても困るから、遠慮させていただくわ。……面倒だから単刀直入に言わせてもらうけど。私はどうしたら無事に帰してもらえるのかしら」
心臓のざわつきを悟られないように真っ直ぐに見据えると、男は愉快そうに口の端を吊り上げる。
「今夜はもうすることがなくなってな、退屈していた所にお前が現れた」
「つまり、あなたの暇を潰せばいいと」
「話が簡単で助かる。俺を愉しませてくれるのなら、今度こそ家に帰してやろう。だが、もしも俺の時間をただ浪費し、退屈させるだけならば。別の方法で愉しませてもらう他ないな」
別の方法が何なのか考えなくてもいくつか候補が上がるが、そのどれもが私にとっては最悪な道だ。だとすればこの男を愉しませる他道はないが、裏社会の人間が面白がる話なんて持ち合わせていただろうか。考える私を楊はにやにやと眺めている。いちいち悪趣味な男だ。
「では、お前がカジノで働くことになった経緯でも聞かせてもらおう」
まさか脅している本人から助け舟が出されるとは思わず、警戒しながら口を開く。
「……老鼠の首領であれば、とっくにご存知なはずでは?」
教会育ちの孤児、ということになっている私がカジノでディーラーなんてやっているのには訳がある。数年前、私はこのブルローネで、マフィアを相手にしたトラブルに巻き込まれた。その相手には、この男がここに来る前にヴェレーノで中国人達を束ねていた男もいた。
「何せ俺がここに来る前の話だからな。当事者に出会ったからには、詳細を聞きたいものだろう」
何かしらの報告は受けているだろうに、それでも尚私に話させたい理由は分からないが、拒否権など与えられるわけもない。
発端は、私が働いていた店の主人が、ギャンブルに狂いだしたことだった。負けが続いた店主は、けれどカジノ通いを止められず、マフィアに借金するまでになった。それも一つの組織だけでなく、ブルローネに存在する全ての犯罪組織からの金だった。やがて店の金を使い込むようになったため、これ以上を付き合いきれないと従業員達は次第に辞めていき、昔からの知り合いだからと最後まで残っていた私もやがて店を去った。それでもカジノでは負け続け、返済期日が迫っても金を用意出来ず、組織から命を狙われることを恐れて、一つの嘘を付いた。元店員が、支払いに用いるはずだった店の金を持ち逃げした、と。店主がそう弁明している間、私は何者かに襲われてどこかに閉じ込められていた。何とか目を盗んで逃げ出すことに成功したが、店主が私を犠牲にしようとしてる以上それで終わりではない。だから私はまず、店の帳簿を盗みに入った。それから貯めてたお金を持って、知人のコネを使い、カジノへ行った。ちょうどそこで店主がマフィアのボス相手に必死の弁明をしていることも分かっていたからだ。そこで賭けに勝ち続き、荒稼ぎをして店主の借金分のチップを手に入れた私は、カジノ荒らしとして放り出されないように支配人と取引をすることになった。そうして換金した多額の金を持って、店主が必死の弁明をしている会合場所へ乗り込んだのだった。店主は監禁していたはずの私が現れたことに泡を食ったが、それには構わずその場にいたマフィア相手に訪問の非礼を詫び、話をする機会を得た。
「帳簿と、カジノでの負けの金額を鑑みても、店には持ち逃げするほどの金もありませんでした。私なら、この額の金を一晩で集めることができる。やっていないという証明をするには、私には時間も証拠も足りない。だけど、金を用意出来なかったその男と、現に今、ここに用意してきた私と、どちらを信用されますか」
金を実際に用意してきたことが功をなし、私はマフィアの顔に泥を塗らずに済み、そのために身の安全の保証を確約してもらうことがきたのだ。その後店主がどうなったかは知らないが、少なくともこの数年顔をみていない。そうして私は支配人との取引により、荒稼ぎした分の金をカジノには納めるまでディーラーとして働くことになったのだ。もう既に返済は終えているが、金払いが悪くないためまだ続けている。
「その店主と組んでお前を捕らえたのは、一体どこの誰だったのだろうな」
「……」
質問の意図が掴めず、黙り込む。楊は目を細めて私を見た。
「俺に遠慮するな。お前は分かっているはずだ」
「……私を閉じ込めていた男たちは、中国人のようだった。恐らく店主は、彼らと取引していたんだわ」
逃亡しているとされていた私を見つけたことにして、先に金を渡す算段をつけていたのだと思う。金を持ち逃げした筈の女が金を持っていない。なら、女を売り飛ばすか娼館で客を取らせるかして得た金で補填しようとするのは自明の理だ。店主自身のその後の保護も求めていたかもしれない。でも、彼らにそのつもりはなかっただろう。実際私はあの時、船にいた。ブルローネマフィアの前に引きずり出される前にさっさと売り払われていただろう。女が見つからない、結局金が用意できないととなれば、どちらにせよ店主は殺されるだけだった。
推測を交えながら話し終えると、楊は目を瞑り微かに笑った。
「一つ、お前は思い違いをしている」
「……なんですって?」
「売られる相手だ。老鼠は金を独占したかったのではなく、お前自身を手に入れたがっていたというわけだ」
「……私を?…………どうして」
「さあ、どうしてだと思う?」
男は薄笑いを浮かべたまま頬杖をついた。明らかに試されている。少ない情報から真実を得ないことには活路はない。この男は何故わざわざ数年前の話をさせた。その上当時の思惑を今更教える理由は何だ。数日前、恐らく老鼠の構成員に見張られていたが最近はそれがなくなった。そうしたら何故か、私とよく似た顔をした妹に襲いかかった。それは、私と間違えたからではないだろう。
「……六鳳会、老鼠の上部組織は、数年前、私に何らかの利用価値を見出していた。だから老鼠に命じて私を連れて来させようとした。けれど、失敗したからか、他に理由があるからなのか、私に今、その価値は失われている。だからこそ私は今まで放って置かれていた。けれど、何故かここ最近、誰かに見張られるようになった。だけどそれもいつの間にかなくなっていた」
頭を整理しながら話していると、ふとある答えにたどり着き、私は顔を歪めた。それを見て楊は笑う。私が気がついたことに気づいたのだ。
「どうした、続きを話せ」
「…………前回と今回は、完全に別件なのね。今回老鼠は初めから、彼女が狙いだった。それなのに、わざわざ私を見張らせていたのは。彼女が、私に会いに来ると予想していたから。つまり、あなたの、六鳳会の依頼人は英国国教会。その目的は、許しなく国を出たルーナ・ブラックウェルを発見し引き渡すこと。そして貴方は、私を知っている。かつて、英国国教会は六鳳会にレイラ・ブラックウェルの捜索を依頼したんだわ」
この名をこの場で口にすることになるとは思わなかった。答えを言い当てた私に、楊は口端を釣り上げる。
「かつて国教会はお前を欲し、各地に情報網を持つ六鳳会へ依頼した。それは教国にとっては都合が悪く、国教会に圧力をかけるとともに六鳳会へ依頼を受けないよう金を積んだ訳だ。どちらをとるか結論を下す前に、とりあえずお前を確保しようと動き、それは失敗に終わった。その後、金やら利権やらが絡み、お前の所在は国教会には不明のままだ」
「…………彼女がレイラを探していると、何故分かったの」
「さあな。明日には迎えが着く頃だろう。お前も共に行って聞いてみればいいだろう」
「レイラ・ブラックウェルは、もう、どこにもいないのよ。国を出たあと、どこぞで野垂れ死んだことでしょう。私はアリア・フォンターナ。教会で育てられた、血縁はただの一人もいない。ただのアリア」
そう言って真っ直ぐに楊を見据えると、彼もまた視線を返す。しばらくの間そうしていると、やがて楊は薄く笑みを浮かべた。それを見て、どうにか命拾いしたのだと分かった。
「……思いの外、退屈を紛らわせることができたな」
「……」
「そうだな。明日、いや、もう今日か。今夜、またここに来るといい。面白い話を期待しているぞ。レイラ」
アリアだと言っているのに、敢えてその名を呼ぶのだろう。嫌な男だ。
「アリアよ」
「迎えは必要か、レイラ?」
愉し気に名を呼ばれ、不愉快さからこれみよがしにため息をつくが気にする素振りなどするわけもない。
「…………私ではあなたを満足させられそうにないから遠慮したい所だわ」
「そうつれない事を言うな。俺はお前に興味を持った。だから招く。俺を満足させるのであれば、国教会には黙っておいてやってもいい」
私がこの街にいられるのは、国教会が教国の圧力に屈して六鳳会への依頼を取り下げたからだという。だというのにそんなことをすれば親組織の面目を潰すことになりかねないが、そんなことを気にするような男でないのは少し関わればよく分かった。この男には常識など通用しない。つまり私はもう、袋の鼠なのだ。
妹のいるホテルを見張っていた老鼠の人間を見張り、朝を待った。早朝の内に国教会の人間らしい男がホテルに入り、彼女を連れ出してブルローネを離れていくのを確認してから帰路につく。朝焼けが眩しくて、目を瞑る。瞼の裏には懐かしい子供のころの景色が焼き付いている。父と母、双子の妹たち。小さかったあの子が、あんなに大きくなった。ルーナが生きているということは、ステラもその中で生きているのと同じこと。いつか彼の魔女の魂が救われ、私たちの使命が果たされるその日まで、私たちが再び会うことは二度と無い。
家に戻り眠りにつき、午後からの仕事に備える。仕事が終われば、いつもは家に向けていた足をヴェレーノへと向ける。立ち止まって大きく吐いたため息は夜闇に呑まれて意味を無くす。覚悟を決めるしかないと息を吸い込み、再び歩き出した。今夜も私は、無事に生き延びることが出来るだろうか。