1926
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「英国国教会の手の者がわざわざ、はるばるこんなところまで探しに来る女とは、どれほどの存在だ?」
観光客には見えない英国人が入り込んでると知らせを受け、路地裏に追い込ませてみれば、勘が当たった。情報統制はされていたはずだが、どこからか嗅ぎつけてきたらしい。
「わ、我々は、崇高な使命を帯びている!貴様に教えることなど何も無い!」
「……そうか、なら、お前は死ね」
耳障り喚くだけなら邪魔でしかない。二人居るのならば残った一人に話を聞けばいいだけのことだ。
「ひ、ひいっ!」
「さて、お仲間は崇高な使命とやらのために殉教したが、貴様はどうする」
腰を抜かした男は後ずさるが、その先には壁があるのみで逃げ場などどこにもない。その事に気がつくと、崇高な使命よりも己の命を優先するほうを選んだようだった。
「い、異端の魔女の力を、我が英国のものとするためにその女が必要なのだ!」
「異端の魔女、だと?」
耳慣れぬ言葉に眉を顰める。鍵の乙女、というのは最近聞いたが、それとはまた異なるものなのだろう。
「世界に災厄を振りまく魔女だ!数百年毎に顕現が確認されている!今この時代に蘇ったということは、我ら大英帝国にその力を利用せよとの主のお達しに違いない……。その封印を解くために我々は探し出さなければならないのだ。かつて命惜しさに殉教の誉から逃げ出したレイラ・ブラックウェルを!」
「…………殉教の誉、ときたか」
『レイラ・ブラックウェルは、もう、どこにもいないのよ。国を出たあと、どこぞで野垂れ死んだことでしょう』
淡々と言ったあの女。妹とはいえ他人のために命を賭ける奇特な女。未だにイタリアに来る前の話をしようともしない。随分待ってやっているというのに、いつまでだし惜しむつもりなのか。おかげで他人からその断片を聞かされることになった。
「かつて殺そうとした存在を今更になって欲する、か。身勝手なものだな」
「い、生き延びたのも主のご意志。全てはこの時のためのことだ!そうに違いない!」
「くだらん。神の意志で生死が決まるものか。……ああ、だとしたら、お前の死も神の意思によるものなのかもしれんな?」
男の目に恐怖の色が混じる。あの女は、死を前にしても自らの意志を押し通そうとしていた。国教会に存在が気づかれたと察すれば、あの女は何を選ぶのか。
「は、話が違う……!」
「誰も生かすとは言っていない。さあ、教えに殉じろ。命など惜しくないのだろう?誉の死を与えてやる」
「国教会の者が、お前を探しにブルローネに入り込んでいる」
部屋に帰ってきた楊にそう言われ、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。国教会が、この街に来ている。今度は私を探しに。
『魔女を目覚めさせる者よ、どうして大人しく神の御許へ向かわなかった』
かつて投げかけられた言葉を思い出す。叔父を殺した、あの男。故郷を離れ、どこへ行けば生き残れるのか分からないまま逃げ続けた日々。その道中、私を連れ出してくれた叔父は私を逃がすために殺された。そうして一人彷徨い、この街に辿り着いた。言葉もろくに分からない、保護者のいない子供一人、死ぬのは簡単すぎた。けれど私は生き残った。
「いつから」
「……先月からだ」
「どうして、今まで黙っていたの」
私が動揺しているのを見て面白がるかと思ったが、予想に反して楊は眉をひそめる。そして何を言うでもなく浅く息をついた。
「……お前は、すぐ死に急ぐだろう」
「そんなことは、ないと思うけど」
「言いきれるか?」
それは状況によるかもしれない、と、口にはしなかったが、沈黙が答えになった。機嫌を損ねたのか楊は眉を寄せる。
「……お前を殺すには、まだ早すぎると思ったまでだ」
「…………逃げ出すと思ったのね」
以前、勝手に消えたら殺すと言われたことを思い出す。
「逃げ出さないと確信したから、言ったのね」
楊は黙ったままだが、それだけで私の心は随分落ち着いた。
「……ふふ」
「……お前の機嫌はよく分からん。何故笑う」
「なんとなくよ。そう、国教会が……」
かつて教国は国教会に圧力をかけて私の捜索を断念させたという。当時は欧州対戦が終結した後だったが、紛争が起きるなど国内は混乱が続いているという。そんな中で私を探す意味なんて、ろくな事はならないだろう。考えを巡らせていると、楊は私の髪を軽く引っ張り、注意を向けさせた。薄く笑みを浮かべているが、機嫌はよくないらしい。
「ところで、お前はまだ俺に話していないことがあるな。待てども待てども一向に話をしない。いつになれば俺の所有物だという自覚が持てる?」
「……隠していた訳じゃないわ。言う必要がないと思っただけで」
「それを決めるのはお前ではない、と、何度言わせるつもりだ」
激怒という訳では無いが、どうにも気に入らない様子だ。だけど、これだけは、話さないままでいたかった。それはもう、私からは切り離された遠い国の出来事なのだから。私に出来ることは、二度とあの国に戻らないことだけだ。けれど、国教会の手が実際に私の近くまで迫っている以上はもう話すしかないだろう。深く息を吐いて、意を決した。
「私の生まれは、英国イングランド。教国からとある使命を託された一族に生まれついた」
「……それで教国が出てくるわけか」
「そう。一族はかつてはローマ帝国にいたのだけど、長い歴史の中で何度か移動を繰り返し、今ではイングランドの南西部に居を構えているわ。その使命の性質上、国教会の承認を得て教国と深く繋がりがあるの」
遠い、遠い昔から、一族は使命を果たすために存在している。 いつか、彼女の魂が救われるまで、私たちの役割は終われない。
「そして私は6才の時に、神託を受けた教国からの指示によりその使命の内の一つを成し遂げ、そして、国教会からの求めに従い殉教するはずだった」
あの日、私は死ぬはずだった。それを父が叔父に託して逃がしてくれたのだ。けれど国教会がそれを許すはずもなく、追っ手がかかった。叔父は私を庇って殺され、私は何とか生き延びてストラノに住み着いた。
「英国から命からがら逃げ出してこのブルローネへ来た、か」
「だから、前に国教会が私の暗殺ではなく捜索を依頼したのには裏があるのよ。きっとろくな理由じゃないわ」
楊はつまらなそうに息をついた。
「そもそも6歳の餓鬼に殉教を求めるなど正気の沙汰ではないな。相変わらず英国の連中は紳士面してやることがえげつない。さて、連中は『異端の魔女』と言ってたな」
楊からその名が出てくるとは思わずに顔を顰める。まさか末端の人間にまでその名が知れ渡っているとは、国教会内部も随分と様変わりしたらしい。上層部が変わったとは聞いていたが、まさかそこまでとは思わなかった。
「……そう、魔女よ。ブラックウェルは、彼女の魂を封印し、鎮めることを役割とした一族なの」
「世界に災厄を振りまく、などと大層なことも言っていた」
「彼女が目覚めたら多くの人が犠牲になる、と言われているわ。私は彼女を封印する役目を負った。封印した者はすなわち、封印を解く者になりうる。つまりはそういうことよ」
「死んでしまえば、封印が解かれることは決してない、か。理には適っている。だというのに、国教会はお前を探しだして一体何をさせようというのだろうな?」
監視、というだけなのなら、ここに留め置けばいいだけだ。後は妹と私を引き合わせなければそれだけで済む。なんなら教国に打診して私を見張らせればよかった。それをしないということは、どうにも嫌な予感しかしない。
そもそも何故妹は、この街に来れたのだろう。彼女には国教会の監視の目がついているはずだ。それから逃れ、国の外に出るだなんて、誰かの手引きがなければ不可能だ。その時、国教会は私の所在を知らなかった。つまり、別の何者かが私とあの子を引き合わせようとしたと見て間違いないだろう。国教会と、別の存在の思惑が絡み合っている。全てはもう終わったと思っていたのに、どうして今更こんなことになるのだろうか。
むかしむかし、とても信心深い女の子がおりました。その子は毎日祈りを捧げ、幸せに暮らしていました。
だけどある日、女の子にとても悲しい出来事が降りかかります。女の子は泣いて、助けを求めました。けれど、誰も女の子を助けてはくれませんでした。女の子は苦しんで、苦しんで、やがて、どうして自分だけがこんな目に会わないといけないのか、疑問に思いました。疑問が怒りに変わるのに、そう時間はかかりませんでした。かつての信仰はいとも容易く呪いへと代わり、そして彼女は、災いをもたらす魔女となったのです。
双子の妹たちが生まれた日、教国の使徒から神託を告げられた。片割れが異端の魔女である。4年後に覚醒するだろう、と。片割れが鎮魂の役割を担い、私が封印の役割を担う。それが私達の、終わりの始まりだった。
出産の予後が良くなかったのと、心労のせいもあってか、母は儀式の前日に亡くなった。最期まで、私たち娘のことを気遣い、心配していた。少しでも安心させるようと、役目はちゃんと果たすと約束すると、母はごめんねと言った。そうして翌日、葬式に取り掛かるまもなく儀式を執り行うことになった。
「……ステラ。このままだと、ルーナはたくさんの人を傷つけてしまうわ」
「ルーナが?どうして?」
「ルーナの中にね、傷ついている子がいるの。その子が、みんなも同じように傷つけばいいって、泣いているの」
「……かなしいね」
「……ええ」
「じゃあ、わたしがその子のこと、いい子いい子してあげる。そうしたら、ルーナ、みんなに嫌われないですむよね」
「…………その子が、ずっとそのままだったら?」
「いい子になるまでやるもん。だって、その子もルーナなんでしょ?わたし、お姉ちゃんだから。ルーナのことは、わたしが守るよ」
「……ステラは、いい子ね」
「だって、レイラがステラのこと、ずっと守ってくれてたもん。だからステラ、ママがルーナの事しか見てなくても寂しくなかったよ。だから、こんどはわたしがルーナを守るね」
「……」
「それにね、分かったの。わたしがルーナのお姉ちゃんに生まれたのは、このためなの。また1つに戻るだけ。だから、お姉ちゃん、泣かないで」
そう言って笑った妹の笑顔は、何よりも尊く、愛おしく、悲しかった。ずっと守ると言ったのに、その約束を守れなかった。あなたが嫌なら、世界にどんな厄災が振りかかろうと、私はあなたを選んだ。けれど、あの子は、優しい子だから、自分を犠牲にすることを選んだ。
まだ幼かった妹たち。ステラの肉体から魂を取り出して、それをルーナの中に眠る魔女の魂と結合させることで、封印とした。ステラの魂は魔女の魂を慰め、浄化していく。浄化しきることができれば、魂を肉体に戻すことができるが、長い歴史の中で幾度どなく繰り返されてきたがその兆しは見られない。ルーナの肉体が死を迎えれば魔女の魂は眠りにつき、またブラックウェルの血筋に目覚め、そしてまた封印される。そんなことをずっと、ずっと、千年以上も繰り返している。何のため、誰のため。一族の使命、世界の命運。妹を一人犠牲にして得られる平和。
そうして私は、妹の魂を封じ込めて、叔父に連れられて英国から逃げ出した。教国に保護を求めていたが、途中で追っ手がかかった。待ち伏せもされていて、順調に思われた旅路はすぐに息もつかぬ潜伏の日々となった。教国もまた、当時は私が死んだ方が安全であると考え直したのだ。そしてあの日、追いついた国教会の男は、私に言った。
「魔女を目覚めさせるものよ。どうして大人しく神の御許へ行かなかった」
魔女の存在を知る者達は、家族以外、私の死を求めていた。それが彼らが唯一安心出来る道だった。かつて現実に起きたの災いを、悲劇を、二度と起こさせないための安全策。
どうして、妹を犠牲にしたくせに私は生き延びているのか。父が逃がしてくれたから、叔父が助けてくれるから。私は、その時、何も答えることが出来なかった。
「そんなこと決まっている!彼女には、生きて幸せになる権利があるからだ!生きろ!レイラ!君は生きていていいんだ!」
叔父はそう叫ぶと私の背中を強く押した。思わず転びかけてしまうくらい、強く。
「行け!君はこんな所で死なない!死なせない!生きろ、レイラ!行くんだ!!」
振り向きそうになるのを堪えて、そこから走り出した。後ろからは銃声と金属音が聞こえてきた。さっきまで手を繋いでいてくれた人とは、もう共に行けないのだと分かってしまった。きっと、もう二度と会えない。そんな予感がしていた。
そうして逃げた先で辿り着いたのはブルローネという、見知らぬ土地だった。教国が駄目ならルーマニアへ行こうと叔父は話していたが、子供ひとりでいくつもの国境を越えるのは不可能だった。体力も、精神的疲労もすでに限界を超えていた。だから私はとりあえずこの街にしばらくいることにした。人目につかぬ路を選び、廃墟となった建物に隠れすみついた。そこが所謂スラム街、ストラノという場所だと知ったのは、親も金もいない孤児達と出会ってからのことだった。彼らは余所者の私を排斥しようと何度か衝突したが、リーダー格の少年は私を仲間に引き入れてくれた。やがて生きるためとはいえ犯罪行為を繰り返し、日々が過ぎ、そして、あの冬がやってきた。劣悪な環境では体調の維持は難しく、熱病にかかるのは容易なことだった。体を暖かくすることも、栄養のある食事をとることも、ましてや薬を手に入れることもできない。おそらく冬を超える前に私を含め、仲間の多くが死ぬのだろうと、悟った。その前に何とかして金を、食料を、せめて他の健康な子達に行き渡るようにと考えていたのに、結局、私は生き残り、皆死んでしまった。また、私だけが生き延びてしまった。
『どうして大人しく神の御許へ行かなかった』
あの男の声が、たまに頭の中に聞こえてくる。どうして。その答えを私は未だ持っておらず、それなのに未だ生きている。
教会での穏やかな暮らしは、生家にいた頃を思い起こさせた。家を出てからまだ2年程しか経っていないのに、それはとても遠く懐かしい記憶だった。教会には、年下の女の子達がいて、ルーナとステラのことを思った。せめてルーナだけでも、何も知らずに笑っていて欲しい。二度と会うことの無い家族。遠い祖国。私にはもう、無縁な世界。気づけば遠くを見る私のことを、リリィとエレナはよく手を引いて遊びに誘ってくれた。無邪気な2人に振り回される日々は忙しなかったが、優しい時間があまりに居心地がよく、私には過ぎた幸せだと、そう思った。
やがて成人して、働きに出ることを決めた。家を出てもう10年は経っていた。その間、追っ手の影は見えなくなっていた。もう、忘れてもいいだろう。誰も私をレイラとは呼ばない。そうして、アリア・フォンターナとして真っ当に生きていくのだと思っていたのに。いつの間にか、ギャンブルの世界に入り込むことになっていた。そうして日々を過ごし、このままこの街で生きて、その内引退して穏やかな余生を送ろうと思っていたのに。妹と再会したと思ったら犯罪組織の首領の暇潰しに付き合わされ、心奪われた。そしてまた、何かが起きようとしている。
楊から国教会の人間がブルローネに入り込んでいると聞いた、その暫く後、事態は思っていた以上に深刻であることが分かった。妹、ルーナ・ブラックウェルが国教会の人間を伴い、老鼠の拠点まで私を訪ねに来たのだった。
観光客には見えない英国人が入り込んでると知らせを受け、路地裏に追い込ませてみれば、勘が当たった。情報統制はされていたはずだが、どこからか嗅ぎつけてきたらしい。
「わ、我々は、崇高な使命を帯びている!貴様に教えることなど何も無い!」
「……そうか、なら、お前は死ね」
耳障り喚くだけなら邪魔でしかない。二人居るのならば残った一人に話を聞けばいいだけのことだ。
「ひ、ひいっ!」
「さて、お仲間は崇高な使命とやらのために殉教したが、貴様はどうする」
腰を抜かした男は後ずさるが、その先には壁があるのみで逃げ場などどこにもない。その事に気がつくと、崇高な使命よりも己の命を優先するほうを選んだようだった。
「い、異端の魔女の力を、我が英国のものとするためにその女が必要なのだ!」
「異端の魔女、だと?」
耳慣れぬ言葉に眉を顰める。鍵の乙女、というのは最近聞いたが、それとはまた異なるものなのだろう。
「世界に災厄を振りまく魔女だ!数百年毎に顕現が確認されている!今この時代に蘇ったということは、我ら大英帝国にその力を利用せよとの主のお達しに違いない……。その封印を解くために我々は探し出さなければならないのだ。かつて命惜しさに殉教の誉から逃げ出したレイラ・ブラックウェルを!」
「…………殉教の誉、ときたか」
『レイラ・ブラックウェルは、もう、どこにもいないのよ。国を出たあと、どこぞで野垂れ死んだことでしょう』
淡々と言ったあの女。妹とはいえ他人のために命を賭ける奇特な女。未だにイタリアに来る前の話をしようともしない。随分待ってやっているというのに、いつまでだし惜しむつもりなのか。おかげで他人からその断片を聞かされることになった。
「かつて殺そうとした存在を今更になって欲する、か。身勝手なものだな」
「い、生き延びたのも主のご意志。全てはこの時のためのことだ!そうに違いない!」
「くだらん。神の意志で生死が決まるものか。……ああ、だとしたら、お前の死も神の意思によるものなのかもしれんな?」
男の目に恐怖の色が混じる。あの女は、死を前にしても自らの意志を押し通そうとしていた。国教会に存在が気づかれたと察すれば、あの女は何を選ぶのか。
「は、話が違う……!」
「誰も生かすとは言っていない。さあ、教えに殉じろ。命など惜しくないのだろう?誉の死を与えてやる」
「国教会の者が、お前を探しにブルローネに入り込んでいる」
部屋に帰ってきた楊にそう言われ、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。国教会が、この街に来ている。今度は私を探しに。
『魔女を目覚めさせる者よ、どうして大人しく神の御許へ向かわなかった』
かつて投げかけられた言葉を思い出す。叔父を殺した、あの男。故郷を離れ、どこへ行けば生き残れるのか分からないまま逃げ続けた日々。その道中、私を連れ出してくれた叔父は私を逃がすために殺された。そうして一人彷徨い、この街に辿り着いた。言葉もろくに分からない、保護者のいない子供一人、死ぬのは簡単すぎた。けれど私は生き残った。
「いつから」
「……先月からだ」
「どうして、今まで黙っていたの」
私が動揺しているのを見て面白がるかと思ったが、予想に反して楊は眉をひそめる。そして何を言うでもなく浅く息をついた。
「……お前は、すぐ死に急ぐだろう」
「そんなことは、ないと思うけど」
「言いきれるか?」
それは状況によるかもしれない、と、口にはしなかったが、沈黙が答えになった。機嫌を損ねたのか楊は眉を寄せる。
「……お前を殺すには、まだ早すぎると思ったまでだ」
「…………逃げ出すと思ったのね」
以前、勝手に消えたら殺すと言われたことを思い出す。
「逃げ出さないと確信したから、言ったのね」
楊は黙ったままだが、それだけで私の心は随分落ち着いた。
「……ふふ」
「……お前の機嫌はよく分からん。何故笑う」
「なんとなくよ。そう、国教会が……」
かつて教国は国教会に圧力をかけて私の捜索を断念させたという。当時は欧州対戦が終結した後だったが、紛争が起きるなど国内は混乱が続いているという。そんな中で私を探す意味なんて、ろくな事はならないだろう。考えを巡らせていると、楊は私の髪を軽く引っ張り、注意を向けさせた。薄く笑みを浮かべているが、機嫌はよくないらしい。
「ところで、お前はまだ俺に話していないことがあるな。待てども待てども一向に話をしない。いつになれば俺の所有物だという自覚が持てる?」
「……隠していた訳じゃないわ。言う必要がないと思っただけで」
「それを決めるのはお前ではない、と、何度言わせるつもりだ」
激怒という訳では無いが、どうにも気に入らない様子だ。だけど、これだけは、話さないままでいたかった。それはもう、私からは切り離された遠い国の出来事なのだから。私に出来ることは、二度とあの国に戻らないことだけだ。けれど、国教会の手が実際に私の近くまで迫っている以上はもう話すしかないだろう。深く息を吐いて、意を決した。
「私の生まれは、英国イングランド。教国からとある使命を託された一族に生まれついた」
「……それで教国が出てくるわけか」
「そう。一族はかつてはローマ帝国にいたのだけど、長い歴史の中で何度か移動を繰り返し、今ではイングランドの南西部に居を構えているわ。その使命の性質上、国教会の承認を得て教国と深く繋がりがあるの」
遠い、遠い昔から、一族は使命を果たすために存在している。 いつか、彼女の魂が救われるまで、私たちの役割は終われない。
「そして私は6才の時に、神託を受けた教国からの指示によりその使命の内の一つを成し遂げ、そして、国教会からの求めに従い殉教するはずだった」
あの日、私は死ぬはずだった。それを父が叔父に託して逃がしてくれたのだ。けれど国教会がそれを許すはずもなく、追っ手がかかった。叔父は私を庇って殺され、私は何とか生き延びてストラノに住み着いた。
「英国から命からがら逃げ出してこのブルローネへ来た、か」
「だから、前に国教会が私の暗殺ではなく捜索を依頼したのには裏があるのよ。きっとろくな理由じゃないわ」
楊はつまらなそうに息をついた。
「そもそも6歳の餓鬼に殉教を求めるなど正気の沙汰ではないな。相変わらず英国の連中は紳士面してやることがえげつない。さて、連中は『異端の魔女』と言ってたな」
楊からその名が出てくるとは思わずに顔を顰める。まさか末端の人間にまでその名が知れ渡っているとは、国教会内部も随分と様変わりしたらしい。上層部が変わったとは聞いていたが、まさかそこまでとは思わなかった。
「……そう、魔女よ。ブラックウェルは、彼女の魂を封印し、鎮めることを役割とした一族なの」
「世界に災厄を振りまく、などと大層なことも言っていた」
「彼女が目覚めたら多くの人が犠牲になる、と言われているわ。私は彼女を封印する役目を負った。封印した者はすなわち、封印を解く者になりうる。つまりはそういうことよ」
「死んでしまえば、封印が解かれることは決してない、か。理には適っている。だというのに、国教会はお前を探しだして一体何をさせようというのだろうな?」
監視、というだけなのなら、ここに留め置けばいいだけだ。後は妹と私を引き合わせなければそれだけで済む。なんなら教国に打診して私を見張らせればよかった。それをしないということは、どうにも嫌な予感しかしない。
そもそも何故妹は、この街に来れたのだろう。彼女には国教会の監視の目がついているはずだ。それから逃れ、国の外に出るだなんて、誰かの手引きがなければ不可能だ。その時、国教会は私の所在を知らなかった。つまり、別の何者かが私とあの子を引き合わせようとしたと見て間違いないだろう。国教会と、別の存在の思惑が絡み合っている。全てはもう終わったと思っていたのに、どうして今更こんなことになるのだろうか。
むかしむかし、とても信心深い女の子がおりました。その子は毎日祈りを捧げ、幸せに暮らしていました。
だけどある日、女の子にとても悲しい出来事が降りかかります。女の子は泣いて、助けを求めました。けれど、誰も女の子を助けてはくれませんでした。女の子は苦しんで、苦しんで、やがて、どうして自分だけがこんな目に会わないといけないのか、疑問に思いました。疑問が怒りに変わるのに、そう時間はかかりませんでした。かつての信仰はいとも容易く呪いへと代わり、そして彼女は、災いをもたらす魔女となったのです。
双子の妹たちが生まれた日、教国の使徒から神託を告げられた。片割れが異端の魔女である。4年後に覚醒するだろう、と。片割れが鎮魂の役割を担い、私が封印の役割を担う。それが私達の、終わりの始まりだった。
出産の予後が良くなかったのと、心労のせいもあってか、母は儀式の前日に亡くなった。最期まで、私たち娘のことを気遣い、心配していた。少しでも安心させるようと、役目はちゃんと果たすと約束すると、母はごめんねと言った。そうして翌日、葬式に取り掛かるまもなく儀式を執り行うことになった。
「……ステラ。このままだと、ルーナはたくさんの人を傷つけてしまうわ」
「ルーナが?どうして?」
「ルーナの中にね、傷ついている子がいるの。その子が、みんなも同じように傷つけばいいって、泣いているの」
「……かなしいね」
「……ええ」
「じゃあ、わたしがその子のこと、いい子いい子してあげる。そうしたら、ルーナ、みんなに嫌われないですむよね」
「…………その子が、ずっとそのままだったら?」
「いい子になるまでやるもん。だって、その子もルーナなんでしょ?わたし、お姉ちゃんだから。ルーナのことは、わたしが守るよ」
「……ステラは、いい子ね」
「だって、レイラがステラのこと、ずっと守ってくれてたもん。だからステラ、ママがルーナの事しか見てなくても寂しくなかったよ。だから、こんどはわたしがルーナを守るね」
「……」
「それにね、分かったの。わたしがルーナのお姉ちゃんに生まれたのは、このためなの。また1つに戻るだけ。だから、お姉ちゃん、泣かないで」
そう言って笑った妹の笑顔は、何よりも尊く、愛おしく、悲しかった。ずっと守ると言ったのに、その約束を守れなかった。あなたが嫌なら、世界にどんな厄災が振りかかろうと、私はあなたを選んだ。けれど、あの子は、優しい子だから、自分を犠牲にすることを選んだ。
まだ幼かった妹たち。ステラの肉体から魂を取り出して、それをルーナの中に眠る魔女の魂と結合させることで、封印とした。ステラの魂は魔女の魂を慰め、浄化していく。浄化しきることができれば、魂を肉体に戻すことができるが、長い歴史の中で幾度どなく繰り返されてきたがその兆しは見られない。ルーナの肉体が死を迎えれば魔女の魂は眠りにつき、またブラックウェルの血筋に目覚め、そしてまた封印される。そんなことをずっと、ずっと、千年以上も繰り返している。何のため、誰のため。一族の使命、世界の命運。妹を一人犠牲にして得られる平和。
そうして私は、妹の魂を封じ込めて、叔父に連れられて英国から逃げ出した。教国に保護を求めていたが、途中で追っ手がかかった。待ち伏せもされていて、順調に思われた旅路はすぐに息もつかぬ潜伏の日々となった。教国もまた、当時は私が死んだ方が安全であると考え直したのだ。そしてあの日、追いついた国教会の男は、私に言った。
「魔女を目覚めさせるものよ。どうして大人しく神の御許へ行かなかった」
魔女の存在を知る者達は、家族以外、私の死を求めていた。それが彼らが唯一安心出来る道だった。かつて現実に起きたの災いを、悲劇を、二度と起こさせないための安全策。
どうして、妹を犠牲にしたくせに私は生き延びているのか。父が逃がしてくれたから、叔父が助けてくれるから。私は、その時、何も答えることが出来なかった。
「そんなこと決まっている!彼女には、生きて幸せになる権利があるからだ!生きろ!レイラ!君は生きていていいんだ!」
叔父はそう叫ぶと私の背中を強く押した。思わず転びかけてしまうくらい、強く。
「行け!君はこんな所で死なない!死なせない!生きろ、レイラ!行くんだ!!」
振り向きそうになるのを堪えて、そこから走り出した。後ろからは銃声と金属音が聞こえてきた。さっきまで手を繋いでいてくれた人とは、もう共に行けないのだと分かってしまった。きっと、もう二度と会えない。そんな予感がしていた。
そうして逃げた先で辿り着いたのはブルローネという、見知らぬ土地だった。教国が駄目ならルーマニアへ行こうと叔父は話していたが、子供ひとりでいくつもの国境を越えるのは不可能だった。体力も、精神的疲労もすでに限界を超えていた。だから私はとりあえずこの街にしばらくいることにした。人目につかぬ路を選び、廃墟となった建物に隠れすみついた。そこが所謂スラム街、ストラノという場所だと知ったのは、親も金もいない孤児達と出会ってからのことだった。彼らは余所者の私を排斥しようと何度か衝突したが、リーダー格の少年は私を仲間に引き入れてくれた。やがて生きるためとはいえ犯罪行為を繰り返し、日々が過ぎ、そして、あの冬がやってきた。劣悪な環境では体調の維持は難しく、熱病にかかるのは容易なことだった。体を暖かくすることも、栄養のある食事をとることも、ましてや薬を手に入れることもできない。おそらく冬を超える前に私を含め、仲間の多くが死ぬのだろうと、悟った。その前に何とかして金を、食料を、せめて他の健康な子達に行き渡るようにと考えていたのに、結局、私は生き残り、皆死んでしまった。また、私だけが生き延びてしまった。
『どうして大人しく神の御許へ行かなかった』
あの男の声が、たまに頭の中に聞こえてくる。どうして。その答えを私は未だ持っておらず、それなのに未だ生きている。
教会での穏やかな暮らしは、生家にいた頃を思い起こさせた。家を出てからまだ2年程しか経っていないのに、それはとても遠く懐かしい記憶だった。教会には、年下の女の子達がいて、ルーナとステラのことを思った。せめてルーナだけでも、何も知らずに笑っていて欲しい。二度と会うことの無い家族。遠い祖国。私にはもう、無縁な世界。気づけば遠くを見る私のことを、リリィとエレナはよく手を引いて遊びに誘ってくれた。無邪気な2人に振り回される日々は忙しなかったが、優しい時間があまりに居心地がよく、私には過ぎた幸せだと、そう思った。
やがて成人して、働きに出ることを決めた。家を出てもう10年は経っていた。その間、追っ手の影は見えなくなっていた。もう、忘れてもいいだろう。誰も私をレイラとは呼ばない。そうして、アリア・フォンターナとして真っ当に生きていくのだと思っていたのに。いつの間にか、ギャンブルの世界に入り込むことになっていた。そうして日々を過ごし、このままこの街で生きて、その内引退して穏やかな余生を送ろうと思っていたのに。妹と再会したと思ったら犯罪組織の首領の暇潰しに付き合わされ、心奪われた。そしてまた、何かが起きようとしている。
楊から国教会の人間がブルローネに入り込んでいると聞いた、その暫く後、事態は思っていた以上に深刻であることが分かった。妹、ルーナ・ブラックウェルが国教会の人間を伴い、老鼠の拠点まで私を訪ねに来たのだった。