Crush on the darkness
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「アレックス……君のお父上もやんちゃな男だが、君もなかなかだな」
父さんが呆れながらも微笑ましく僕たちを見守っている。
絵を描く時間に2人でふざけて、お互いの顔に落書きしたからだ。
「君もなかなかだって」
けらけらと笑っているアレックスは嬉しそうだった。きっと、君も君の父さんが大好きなんだな。
アレックスは不思議な子だった。
すごく綺麗で儚く思えるのに、ふざけたり悪戯をしたり僕をからかってきたりして全然大人しくなんかない。
それでも静かに窓辺に座っていたりして風景に溶け込むと、まるでそこだけ一枚の名画のように切り取られ、吸い込まれるかのように僕は彼を見つめてしまうんだ。
「そろそろ起きてよ。ねぇアレックス。起きて」
その日は珍しく僕の方が早く起きたので、意気揚々と彼の部屋を訪ねた。
寝顔はどんなに可愛いだろうかとわくわくしていたし、寝起きのアレックスがどんな風なのか知りたくてたまらなかった。
「……あっ」
朝日に照らされる陶器のような肌を見て僕は気付いた。長いまつ毛が縁取る目尻から頬にかけて、筋が付いて光っている。
(まさか……泣いていたのか…?)
何かいけないものを見た気がして少し身を引いた。だって、アレックスが泣いたなんて思ったらどうすればいいかわからない。勢い余って、抱きしめてよしよしってして離せなくなっちゃうよ…きっと。
「…ん………ジョナサン……?」
ゆっくりとその大きな瞳が開いていくのを、花が開く瞬間を見るようにじっと見つめた。黒曜石みたいな瞳は僕がしっかりと映るぐらいぴかぴか。
ごくりと緊張して唾を飲んだら、アレックスはまた目を閉じて布団を引き寄せるようにした。
「おはよ……」
「お、おはようっ」
「……ダニーの散歩行くの…?」
「う、うん……君も一緒にどうかなと思って…起こしに……来たんだけど」
横に寝返りを打って、その動きの中でアレックスが頬をぬぐった。違和感があったのだろうか。本当に泣いていたのかどうか僕にははっきりわからなかった。
「あのさ…昨日、ちょっと眠れなくて……なんか怖くて。だから、そう…寝不足なんだ。今朝はもう少しこのままでいるよ」
「…そっかぁ。……昼食のときには会えるかな」
「ああ。ダニーによろしく」
それっきりアレックスが目を閉じて動かなくなってしまったものだから、僕は後ろ髪をひかれながらもすごすご部屋を出て行くしかなかった。一体どうすれば良かったのだろうか。
最初に泣いたのか確認するべきだった?
どうして元気がないのか問いただすべきだった?
それともおどけて無理やり起こしてやって、外に連れ出すべきだった?
僕にはわからなかった。
触れればたちまち壊れてしまいそうな初めての友達を、どうやって元気付ければ良かったのかが。
「わんわん!わぉん!!」
「ああ、ダニー。心配だよな。僕はこんなにアレックスのことばかり考えてるのに、彼は僕に悩みひとつ相談してくれない!」
ぐるぐると考えていたらいつもより森の深くまで来ていた。
投げたボールを追いかけて、ダニーが木々の隙間の木漏れ日に飛び込む。跳ね回ってとても楽しそうだ。僕はここにアレックスがいたら、どれだけ楽しくなるだろうかと想像した。きっと、アレックスとダニーがじゃれ合う様を木漏れ日がスポットライトのように照らして、とても眩しく映るだろう。
「はぁ……どうしたらいいのかな…」
ボールを持ってきたダニーの頭を撫でながら問いかけた。
僕は良く、父さんに叱られたときやいない母さんを思って泣いてしまうんだけど、ひょっとしたらアレックスもそうなのかもしれない。いいや、きっとそうだ。だって僕なら、父さんと離れていきなり知らない土地で知らない人と暮らすなんてすごく心細いもの。
「わぉん!」
首を傾げて僕を見ていたダニーが、突然ひとなきして駆けて行った。
これ以上森の深くに入ると危険だし、帰り道がわからなくなるかもしれない。すぐにダニーを呼びながら走って追いかけた。
茂みが開けると、突然甘い香りに包まれて僕は立ち止まった。目の前にたくさんのバラが咲いていて、その真ん中でダニーが待っている。
「すごいや…こんなところがあったなんて」
昔誰かが作ったのか、野生のものなのか。わからないけどとても綺麗で、自然とアレックスのことを思い出していた。彼がここにいたら、この薔薇たちは彼のために咲いているんだってみんなが思うに違いない。
「ダニー……触っちゃ駄目だぞ。棘が刺さったら大変だ」
そう言いながらダニーを後ろに下げさせた。その瞬間、名探偵みたいに僕の頭の中に何かが降りてきた。
「そうだ!いいことを思いついたぞっ」
それから僕は背を高くしている薔薇に近付いて、その茎を掴んだ。棘は避けても少し刺さるけど、そんなことはちっとも気にならなかった。逆にどんどん力が湧いてくる。今度はダニーが僕をとがめるように小さく鳴いた。
屋敷に帰ったら事情を話して、メイドたちにも手伝ってもらった。アレックスは書斎のひとつにいるらしい。
そっとドアを開けて、僕は顔だけ中を覗き込んだ。
扉が開いたことに気付いたアレックスが、読んでいた本から顔を上げてちらりと僕を見る。だけどすぐにまた文字の羅列を追いかけ始めた。艶々の真っ黒な頭しか見えなくて、少し不安になる。だけど僕は勇気を出して足を踏み出したんだ。
君が今どんな気分でいたって、泣いていた理由を話してくれなくたって、僕が元気付けてあげたいから。
「…どこまで行ってたんだ?昼に会うって言ったのに。…ジョナサンは午前中の授業の分、全部宿題だって」
「はいっ!!」
ずんずんと部屋の中に入って、アレックスが顔を上げると同時に背中に隠していた大きな花束を突き出した。
僕の目の前に見えるのはたくさんの薔薇だけ。きっとアレックスもそうだろう。
「え……なんだこれ…いい匂い」
「何って…薔薇だよ!」
「それは見たらわかるけど…どうしたんだ、こんなに」
「これは……あの、この辺りに咲いてたから、ダニーの散歩のついでに!」
「………くれるの?」
思いの外静かな反応に焦ってしまう。薔薇を拝借したのは僕だけど、包んでくれたのはメイドなので悪いようにはなっていないはずだけど…。
沈黙が降りて生唾を飲み込んだ。
やがてアレックスは本を置いて椅子から立ち上がると、僕と正面で向き合ってから少しだけ花束を手で避けるようにした。
「咲いてたからって…こんなに摘んでくるの、大変だっただろ」
僕の様子を伺うように見上げてくる白い顔は、少しだけ赤く染まっていた。それがちょうど、白に花弁の先を少しだけ赤くしたこの薔薇と同じに見えて、僕は本当に、アレックスが薔薇から生まれたんじゃないかと錯覚した。
「……ありがとう」
そっと腕が軽くなった。アレックスが花束を受け取ってくれたんだ。確かに目を細めて笑ってくれている。僕の心にも温かい花が咲いたようにとても嬉しく感じた。
「ねぇアレックス。これを部屋に飾っておくれよ。香りで寝付きが良くなるかもしれないし、眠れなくても眺めていたら飽きないだろう?」
「ああ……そういうことか」
「君の好きな花じゃあないかもしれないけど…」
アレックスが片手で花束を抱えようとしていたので、僕も咄嗟に一緒に支えた。僕が手を置いたところにアレックスも手を重ねたので、触れ合って、そこからどんどん全身まで熱くなってしまった。
僕の手を撫でながらアレックスは少しばかり顔をしかめている。きっと薔薇の棘で引っ掻き傷が出来てるのを気にしてるんだろう。やっぱり君は優しいな。
「好きだよ」
「えっ」
「薔薇が1番好きだ。…今、1番になった」
ぎゅっと僕の手を握って笑うアレックス。僕は自分が彼を笑顔にしたんだって、すごく誇りに思った。1番をもらえて泣きそうになった。
(ああ……やっぱり)
君が笑ってくれるなら僕はなんだってやるよ。
「1番大きいのね」
「うぅ……はい……」
運んでくれと頼まれた花瓶はとても重たかったけど。