賢者の石
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「アイちゃん元気でね!」
「アメリカに行っても私達のこと忘れないでね」
「手紙書いてね!日本語でね!」
小さな教室で別れを惜しむ声がこだまする。日本特有の折り紙で作られた輪飾りに、紙で作られた色とりどりの花飾りが貼り付けられ、黒板には”アイちゃんのお別れ会”と書かれていた。アイはもうすぐこの学校から別の学校へ転校することが決まっていた。いや、向こうは9月が始まりなのだから、入学という方が正しい。先ほど彼女の友人はアメリカと言っていたが、正しくはイギリスに行くのだ。とはいえ、彼女たちにとって海の向こうの遥か遠くの国であることに変わりなかった。
今日でこの学校での生活が終わり、見知らぬところへ1人で行くのだと思うと、不安と寂しさが募る。しかし、アイは期待もしていた。次の学校への入学は誇り高きことであったし、彼女の夢でもあった。彼女がそこへ入学することを夢に見るようになったのは、父親の影響だった。
アイ・ブラウンはイギリス人の父と日本人の母の間に産まれたハーフの女の子だった。母の血が濃ゆかったのか、日本の遺伝子が強いのか、アイは一見日本人に見えた。黒に近い茶色の髪をしており、芯の通ったまっすぐの髪をお気に入りのヘア飾りでアレンジをするのが、毎朝の日課だった。彼女の肌は白人にしては黄みがかっており、どちらかというと日本人に近かった。体格も日本人寄りで、特段背が高いわけでも手や足が大きいということもない。そこまでなら、誰しもが日本人だと疑いもしない風貌をしている。しかし、彼女と関わった人は彼女の顔を見た瞬間不思議な違和感にかられるのだ。日本人とはかけ離れたスーッと通った鼻筋に高い鼻。瞬きをするごとに周囲にバサバサと音が聞こえるのではないかと思わせるほどの、太く長く綺麗に上を向いた睫毛。吸い込まれそうな茶色に緑を混ぜたようなヘーゼル色の瞳。彼女の顔には明らかに日本人離れをした美しさがあった。(純日本人にもまれにそういう人はいるのだが)
日本ではなかなか目にかかることのない、不思議な顔立ちの少女に心無いことをいう人や好機の目を向ける人も少なくはなかった。この小学校に入学した時もアイは目の色が違うことで、気持ち悪がられ仲間外れにされたり、嫌がらせを受けたりしたものだ。5年生となった今は彼女がハーフであることや人種による違いも理解されており、こうやって別れを惜しんでくれる友達もたくさんいた。
アイは産まれた時から日本で育った。東京産まれ東京育ちだ。父も母も国立東京第一学校という学校で教師をしている。しかし、それは表向きの学校名で、本来の名は国立魔術学校。世間一般には知られてはいけないのだが、アイの父は魔法使いで母は魔女なのだった。そうして、その2人の子であるアイも、もれなく魔女に産まれたというわけだ。母は魔法生物学の担当で、父は魔法薬学の教師だった。アイが入学するイギリスの魔法学校は全寮制なのだが、国立魔術学校は自宅からも通うことが可能だった。とはいえ、日本で魔法を学ぶことができる学校はこの一校のみで、日本中の魔法使いや魔女が集まるのだから、もちろん寮も用意されている。住み込みで働く教師も多いが、2人はいつか寮に入ってしまうアイとの限られた時間を共に過ごせるように、毎日自宅から通っていたのだ。もちろん、マグルの乗り物を使って。
マグルとは魔法を使うことのできない人たちのことだ。日本では非魔法族というが、マグルという方が言いやすい。
母は魔術学校の卒業生だった。母は実のところを言うと今でも自分の母校にアイを通わせたいと思っていた。しかし、十数年前、イギリスで結婚生活を送りたかった父と日本で暮らしたかった母の間である取り決めが行われ、アイを自分の母校の卒業生にすることは叶わぬ夢となったのだ。その取り決めとは、母の望み通り日本で暮らしていく代わりに、子どもが生まれその子が魔法使いの血を受け継いだならば、自身のイギリスの母校で魔法を学ばせるということだった。父は母校を世界一の学校と自負していたのだ。母もまた、母校を誇りに思いつつも、世界中から生徒の集まるその学校を良い学校であると認識していた。自身の愛した男性の通っていた学校なのだから、頭から否定するつもりもない。その条件をのみ、母は母校で教鞭をとるという夢も続けていくことができた。そして、父は大好きな母校の教師という座を退くことにはなったが、まだ見ぬ自身の子を母校へ入れるという新たな夢に期待を膨らませた。
数年後、2人にはアイという娘が生まれた。2人の期待を裏切ることなく、アイには魔法使いの血が通っていた。父は夢の実現へのスタートがきれたことに歓喜した。父はアイの教育に全力を注いだ。熱心な指導のかいあって、アイは物心がついた時から、自身が魔女であると理解していたし、それを誇りに思っていた。そのせいで、小さい頃は周りのマグルの友達に自分が魔女であると話してしまい(両親からは口止めされていたが幼かったアイは自慢せずにはいられなかったのだ)、気味悪がられたり嘘つき呼ばわりされたり、ひどい目にあった。
彼らの家にひとりでに動く箒も雑巾も、ましてや動く写真さえないことを知る頃には、自分が魔女であることはひた隠しにするようになった。自分を隠しながら生きてきたアイは、自分でありながらもどこかで本当の自分ではない、人とは違うという孤独を感じながら日々マグルに囲まれて生活していた。魔術学校に入ることができるのは中学生頃なのだから、もしかしたらマグルだと信じていた同級生にも魔法使いの子どもが紛れていたのかもしれないが。魔法学校に入学すれば、周りは魔法使いや魔女ばかりなのだから自分を隠して暮らす必要がない。アイはまだ見ぬ仲間との生活に心を躍らせていた。
父は幼いころから自身の母校がどれほど優秀で、どれほど皆の憧れる学校であるかを説明してみせた。そこにアイを通わせるということが父の夢だと毎日のように聞かされていたからか、いつしかそこへの入学はアイの夢にもなっていた。
先日の誕生日の日にはフクロウが1通の手紙を届けに来た。誕生日もあと5分で終わるという時間だった。この1週間この時を心待ちにしていた。誕生日を迎えてからフクロウがドアをツンツンと叩くまでの時間、父も母もアイも落ち着かず何度も時計を見た。もうじき誕生日が終わるという時にはこの世の終わりかのような顔でアイは泣き出してしまった。
「まだ今日は終わってないさ!」
「もしだめでも日本の学校に通えば大丈夫よ」
父と母はそれぞれの言葉でアイを慰めようとする。(母の言葉は願望のように聞こえなくもない)本格的にアイが泣き始めた時に1羽の黒いフクロウがやってきたのだ。母は急いで窓を開け、そのフクロウを家に招き入れた。アイは黒い羽根に身を纏ったそのくちばしに、羽根とは対照的に白く輝く硬い封筒が咥えられているのを見て、今度は先程とは異なった涙を流す。父とアイが夢に見た”ホグワーツ魔法魔術学校”の入学許可書が、誕生日が終わるというギリギリに滑りこみで届いたのだ。父は歓喜の声を上げ、母とアイを勢いよく抱きしめた。両親が日本の国立魔術学校に勤めていることもあり、アイが憧れるホグワーツに通える可能性は五分五分だった。しかし、こうして確かにアイのもとに手紙は届いたのだ。
今年のアイの11歳の誕生日はブラウン家にとって特別な日となった。
アイは時間も忘れて物思いにふけっていたため、一緒に登下校をする友達が自分を呼んでいることに気付かなかった。今日は1学期最後の日で、明日からは皆が待ちに待った夏休みだ。この夏休みは日本の友達たちと遊ぶ約束も欠かさなかったし、父母と日本国内の旅行も行く予定にしていた。もちろん入学準備のために、何度かイギリスへ足を運ぶことも決まっていた。
今までで一番忙しい休暇になりそうだとアイは笑みをこぼした。