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「帝国学園って……」
拓人のかすかに震えた声が、静まり返ったミーティングルームに落ちた。
「そんな……」
「マジかよ……」
霧野は目を見開き、倉間が苦々しく吐き捨てる。予想だにしなかった対戦カードの変更に、部屋のあちこちから戸惑いのざわめきが広がっていく。
「おかしいド! 準決勝の相手は青葉学園のはずだド!?」
天城が思わず立ち上がり、納得のいかない思いをぶつけるように声を張り上げた。
春奈は困惑を隠せないまま、小さく息をついた。
「今朝になって『ブロック分けを改正する』って通達が来たの」
試合を目前にして対戦カードを書き換えるなど、前代未聞だった。だが、その理不尽さこそがフィフスセクターのやり方なのだと、誰もが薄々理解していた。
「ちゅーか、強引に青葉と帝国を入れ替えたってことじゃね?」
浜野が眉をひそめながら言う。その言葉を受け、三国は静かに口を開いた。
「わざわざブロック替えまでして、帝国学園をぶつけて来たと言うことか」
重く落ちたその一言が、嫌でも現実を突きつける。部屋を包む空気は、さらに重苦しさを増していった。
「連勝も……ここでストップだな」
倉間がぽつりとこぼした弱音に、誰一人として言葉を返せない。怒りや悔しさはあっても、この決定を覆す術はない。
そんな沈黙を切り裂くように、一人の少年が勢いよく立ち上がる。
「そんな! 戦ってみなきゃ分からないじゃないですか!」
天馬だった。真っ直ぐな瞳。曇りのない声。その言葉だけは、この重苦しい空気に飲み込まれなかった。だが、車田は静かに首を振る。
「今や帝国学園は、フィフスセクターの手の中にある……化身を使える選手が何人もいるらしいぞ」
「何人も……?」
奏音は思わず息を呑んだ。化身使いが一人いるだけでも戦況は大きく変わる。それが複数人となれば──。
「あうぅ……もうダメですね……」
速水は青ざめた顔で頭を抱え、肩を落とす。
「フィフスセクターが本気になったんです、おしまいです……」
今にも泣き出しそうなその声に、誰も反論できなかった。
「でも!」
再び天馬の明るい声が響いた。
「帝国学園と戦えるなんて、すごいじゃないですか! 雷門対帝国! ワクワクします!」
その無邪気な笑顔に、仲間たちの視線が一斉に集まる。しかし、その場の空気を引き戻すように、倉間が静かに口を開いた。
「その帝国に、俺たちは控え無しの十一人で立ち向かわなくちゃならないんだがな」
「……え?」
天馬の笑顔が固まる。
「南沢さんが抜けて、剣城も練習に顔を出していない」
倉間は淡々と続けた。
「まあ普通に考えて勝ち目はないだろうな」
その言葉は、誰も否定できない現実だった。天馬も言葉を失い、唇を噛み締める。速水はおずおずと手を挙げる。
「あ、あの……新しい部員を補充するとか……そういう方法は……」
その提案を聞いた拓人は、静かに首を横へ振った。そして全員を見渡し、穏やかでありながら揺るぎない声で告げる。
「いや、このままでいい」
部屋の空気が張り詰める。
「今ここにいる、この十一人で戦う」
一人ひとりの顔を確かめるように視線を巡らせながら、拓人は続けた。
「誰一人欠けることなく――全員で帝国学園を倒そう」
その言葉には、不思議な力があった。
沈みかけていた仲間たちの心を、ゆっくりと前へ向かせていく。
「キャプテン……!」
天馬の瞳に再び光が宿る。
円堂は大きく笑い、勢いよく立ち上がった。
「よく言った、神童!」
力強く拳を握り締める。
「このメンバーで勝利に向かって突っ走るぞ!」
「「はいっ!!」」
雷門イレブンの返事が、ミーティング室いっぱいに響き渡る。不安は消えていない。帝国学園という巨大な壁も、控え選手のいない現実も何ひとつ変わらない。それでも今、十一人の視線だけは同じ方向を向いていた。
***
打倒・帝国学園。そのただ一つの目標を胸に、雷門イレブンはサッカー棟の屋内グラウンドへと集まっていた。
人工芝の匂いが漂う静かな空間に、スパイクが床を踏む音だけが響く。誰もが口数少なく、それぞれの胸に帝国学園という巨大な壁を思い描いていた。円堂はグラウンドを見渡しながら腕を組む。
「確かに帝国学園は並の相手じゃない」
その表情から笑みが消える。
「対抗するための策が必要だな」
すると、一歩前へ進み出た人物がいた。
「監督」
拓人だった。
「考えがあるんですが」
円堂は視線を向ける。
「なんだ、神童?」
拓人は一度深く息を吸い、迷いのない声で告げた。
「――アルティメットサンダーを使ってみたらどうかと思うんです」
その名前が発せられた瞬間、何人かの表情が変わる。
「アルティメットサンダー……!」
「必殺タクティクスか!」
車田が目を見開き、三国も驚きを隠せない。
「必殺タクティクス?」
一方で天馬と信助は顔を見合わせた。
「以前、久遠監督と一緒に考え出したんです。あれを使えば、帝国学園の鉄壁の守備を突破出来るはずです」
静かな口調の中にも、自信が宿っている。だが、その説明を聞いた速水は不安そうに肩をすくめた。
「でも、あれって何回トライしても成功したことがなかったじゃないですか……」
「ちゅーか、強力なストライカーがいないと難しいタクティクスだからな」
浜野の何気ない一言に、倉間の表情が曇る。小さく舌打ちをし、視線を逸らした。浜野に悪気はない。だが、その言葉は「自分では力不足だ」と突きつけられたようで、FWとしての誇りを静かに傷つけていた。
そんな空気を察しながらも、拓人は静かに言葉を続ける。
「確かに俺たちは一度も決めたことがない」
その事実を否定することはしない。
「でも、それでも試したいんだ」
拓人の瞳が、仲間一人ひとりを見つめる。決意に満ちたその声に、誰も口を挟まなかった。やがて車田が両手をどんと腰に当てると、不安を吹き飛ばすように大きな声を張り上げる。
「帝国に一泡ふかせるには、それしかねぇか!」
「よし、やってみよう!」
三国も大きくうなずく。
「そーっすね!」
「よーっし、燃えて来たド!」
浜野や天城も声を上げ、重苦しかった空気が少しずつ熱を帯びていく。
相手は帝国学園。勝算は決して高くない。だからこそ、今できることは何でも試すしかない。仲間たちの意思が一つになったことを確認すると、三国は拓人へ問いかけた。
「フォーメーションはどうする?」
「前に試した布陣でいきます」
拓人はフィールド全体を見渡しながら、落ち着いた声で指示を出し始める。
「ファーストキッカーは浜野。頼む」
「オウッ!」
浜野は元気よく拳を突き上げる。
「二番は速水」
「うん!」
緊張した面持ちながらも、速水はしっかりとうなずいた。拓人は続いて霧野へ視線を向ける。
「……霧野」
「ん?」
「足のほうは大丈夫か?」
先日の負傷が頭をよぎったのだろう。拓人の問いかけには、仲間を気遣う優しさが滲んでいた。霧野は軽く笑うと、その場で足を二、三度踏み鳴らし、つま先で芝を蹴ってみせる。
「ああ!」
自信ありげに拓人を見返した。その言葉を聞き、拓人は小さく安堵の息をつく。
「……よし。三番だ」
「任せろ」
短い返事には、頼もしさが込められていた。
「四番目は天城さん」
「わかったド!」
天城は大きくうなずき、胸をどんと叩く。
それぞれが配置へ向かい始める。静かだったグラウンドに、いよいよアルティメットサンダーが動き出す緊張感が満ちていった。
完成したことのない幻の必殺タクティクス。フィールドの外では、天馬と信助、そして奏音が肩を並べて練習を見守っていた。
「どんな必殺タクティクスなんだろう!」
天馬は目を輝かせながら、配置につく拓人たちへ視線を向ける。
「僕、ドキドキしてきたよ!」
信助も胸を高鳴らせ、期待に満ちた表情を浮かべていた。その隣では、奏音もまた興味津々といった様子でフィールドを見つめている。
「拓にぃが久遠監督と考えた必殺タクティクス……」
思わずその声には期待がにじむ。音楽留学で日本を離れていた奏音にとって、この必殺タクティクスを見るのは初めてだった。兄が自信を持って提案する戦術。その全貌を目にできることに、胸が高鳴る。
「いくぞ!」
浜野の力強い声を合図に、拓人が一気に駆け出した。
「えっ!?」
思わず声を上げたのは天馬だった。
「キャプテン、何で後ろに!?」
「ゴールと反対に走ってる……!」
奏音も目を丸くする。普通ならゴールへ向かうはずの拓人が敵陣へ背を向け、自陣へ向かって一直線に走り始めたのだ。
しかし、その間もボールは止まらない。浜野から速水へ。速水から霧野へ。霧野から天城へ。仲間たちは拓人の動きに合わせるように、ボールを少しずつ自陣へと下げていく。
「どういうこと……?」
奏音が戸惑いを漏らす。だが、パスがつながるたびにボールの様子が変わり始めた。
淡い光が表面を走り、唸るような風圧がグラウンドを震わせる。
一人、また一人と力が重なるたび、その輝きは激しさを増し、人工芝を巻き上げながら稲妻のような軌跡を描いていく。
「すごい……!」
奏音は思わず息を呑んだ。仲間たち全員の力が、一つのボールへと集約されていく。その光景は、まるで雷門イレブンの想いそのものが形になったようだった。
そして、ゴール目前まで下がった拓人へ、天城が最後のパスを送り出す。
「神童!」
轟音を響かせるボールが一直線に拓人の足元へ飛び込んだ。拓人は深く踏み込み、全身の力を右足へ集中させる。
「アルティメットサンダーッ!」
渾身の一撃。振り下ろされた右足が、四人分の力を宿したボールを真正面から捉える。
――ギシッ。
鈍い音が響いた。拓人の足とボールが拮抗し、その場で激しく火花を散らす。
「くっ……!」
拓人の表情が苦悶に歪む。想像をはるかに超える衝撃が全身を駆け巡り、踏み込んだ足がわずかに押し返される。
「うわあああっ!」
必死に耐えようとしたその瞬間、蓄積されたエネルギーが制御を失い、轟音とともに爆発した。
激しい衝撃波がグラウンドを駆け抜け、拓人の身体は軽々と宙へ弾き飛ばされる。数メートル先まで吹き飛んだ拓人は、人工芝の上を転がり、そのまま力なく倒れ込んだ。
眩い光はゆっくりと消え、暴走したボールだけが虚しく転がっていく。アルティメットサンダーは、完成しなかった。部員たちが拓人の元に駆け寄っていく。
「「キャプテン!」」
天馬と信助が真っ先に駆け出す。
「神童!」
霧野も拓人のもとへ走る。奏音もその背中を追いかけた。
「拓にぃ、大丈夫?」
奏音が駆け寄り、そっと拓人の腕を支える。拓人は体勢を立て直しながら、小さく息を吐いた。
「ああ……少し衝撃が強かっただけだ」
そう答えはしたものの、その表情には悔しさが色濃く滲んでいる。転がるボールを見つめ、拓人は静かにつぶやいた。
「……ダメだ。ボールの力に負けてしまう」
仲間たちがつないだエネルギーは、想像をはるかに超えていた。最後の一撃を受け止め切れなければ、アルティメットサンダーは完成しない。
「やっぱりな……」
車田は拳を強く手のひらへ打ちつけ、悔しさをにじませる。拓人は顔を上げ、もう一度挑戦しようと前を向いた。
「もう一度――」
そう言いかけた、その時だった。
「次は俺がやる」
拓人の言葉を引き継ぐように、倉間が一歩前へ歩み出る。その瞳には、ストライカーとしての強い意地が宿っていた。拓人は一瞬だけ倉間を見つめると、小さくうなずく。
「……分かった。頼む」
そして仲間たちへ向き直り、声を張る。
「よし、位置につけ!」
「がってんだド!」
天城の威勢のいい返事を合図に、雷門イレブンは再びそれぞれの持ち場へ散っていく。
「いくぞ!」
浜野の掛け声と同時に、アルティメットサンダーが再び動き出した。仲間たちのパスが重なるたび、ボールは眩い光をまとい、その輝きは次第に激しさを増していく。
「倉間!」
天城の力強いラストパスが放たれる。
四人分のエネルギーを宿したボールは、轟音を響かせながら倉間の足元へ滑り込んだ。
「うおおおおっ!」
倉間は雄叫びとともに右足を振り抜く。
その瞬間――
バチィッ!!
耳をつんざくような衝撃音がグラウンドに響き渡る。暴れ狂うエネルギーが一気に弾け、凄まじい反動となって倉間の体を吹き飛ばした。
「ぐあっ!」
倉間は数メートル後方まで弾き飛ばされ、人工芝の上を転がる。
「倉間!」
拓人たちが慌てて駆け寄る。倉間は歯を食いしばりながら上半身を起こすと、悔しさを隠せない表情で転がるボールを睨みつけた。
「ちくしょう……蹴り返せねぇ」
ボールはゴールへ向かうことなく、力を失って虚しく地面を転がっていた。
拓人はその様子を見つめ、小さく息を吐く。
「……倉間でもダメか」
誰も言葉を返せなかった。
「そんな……キャプテンや倉間さんでもできないなんて……」
天馬は目を見開き、拓人と倉間を交互に見つめる。隣では信助も不思議そうに首をかしげていた。
「どんなボールなんだろ……」
その疑問に答えたのは三国だった。
「アルティメットサンダーは、強力なエネルギーを注ぎ込んだボールを敵陣に蹴り込む、ディフェンス突破に力を発揮する必殺タクティクスだ」
浜野が続ける。
「パスを重ねるごとに、ボールにはエネルギーが蓄積されていく」
「そのボールを敵ディフェンスのど真ん中に蹴り込む」
車田が力強くうなずく。
「相手ディフェンスを蹴散らすド!」
天城も拳を握り締める。
「後は、その隙にシュートを決めるだけだ」
車田が言葉を締めくくる。だが、速水は浮かない表情のまま肩を落とした。
「……でも、エネルギーの溜まった最後のボールを蹴るのが大変なんです」
最後のキッカーには、ポジションを問わず、これまで何人もの部員が挑戦してきた。しかし、誰一人として暴れ回るエネルギーを受け止め、狙いどおりに蹴り出すことはできなかった。だからこそ、アルティメットサンダーは今なお未完成の必殺タクティクスなのだ。
「最後の選手には……並外れたキック力が必要ということだ」
三国が静かに結論づける。
拓人は悔しさを押し殺すように、ぎゅっと拳を握り締めた。
「俺に……もっと力があれば」
その隣では、倉間も唇を噛み締める。
「……俺もだ」
ストライカーとして、あの一撃を決められなかった悔しさが胸を締めつける。
そんな二人を見つめ、三国は静かに口を開いた。
「倉間も神童も、パワーよりもテクニックでシュートを決めるタイプだからな」
三国の言葉に、拓人も倉間も何も返さなかった。それでも、その慰めには責めるような響きはなく、二人の実力を認めたうえでの言葉だということだけは、しっかりと伝わっていた。
グラウンドには重い空気が流れる。拓人は腕を組み、仲間たちを見渡した。
「……一人だけ、まだ試していない選手がいる」
その視線が向けられた先で、奏音がきょとんと目を丸くした。
「え、私?」
「ああ」
拓人は真っ直ぐ妹を見つめる。
「奏音は屈指のパワー型フォワードだ。シュートの威力は誰にも引けを取らない。それに、体幹も強い。あの反動に耐えられる可能性があるとすれば……奏音、お前だ」
突然の指名に、部員たちの視線が一斉に奏音へ集まる。
「確かに……」
霧野が納得したようにうなずく。
「奏音のシュート力なら、神童や倉間以上かもしれない」
「今まで誰が蹴ってもダメだった。だったら試してみる価値はある」
三国も腕を組みながら頷く。
奏音はボールへ視線を落とした。アルティメットサンダー。誰一人として完成させられなかった、雷門最後の切り札。その最後の一撃を、自分が任されようとしている。
奏音は静かに深呼吸すると、顔を上げて仲間たちを見渡した。
「……分かった」
その瞳には、不安よりも挑戦への決意が宿っていた。
「私、やってみる!」
その一言に、雷門イレブンの表情が少しだけ明るくなる。拓人は小さく微笑んだ。
「頼んだぞ、奏音」
奏音は力強くうなずき、ゆっくりとキッカーの位置へ歩き出した。
全員が再び配置につく。四人の想いが重なり、光を帯びたボールは轟音を響かせながら奏音の足元へ飛び込んできた。
「アルティメットサンダーッ!」
奏音は迷いなく右足を振り抜く。
――バァンッ!
拓人や倉間を弾き飛ばした光の球は、今度は勢いよく前方へ撃ち出された。
「やった!」
天馬が思わず声を上げる。
奏音は最後までしっかりとボールを蹴り抜いていた。圧倒的なキック力で暴れるエネルギーを押し切り、アルティメットサンダーは初めて前へ飛んだのだ。
しかし――
「……あっ」
奏音の表情が変わる。一直線に飛んでいたはずの光球が、徐々に軌道を右へ逸れ始めた。
「曲がってる!?」
信助が叫ぶ。奏音は必死に行方を見つめる。だが、勢いだけを乗せたシュートは狙いを定めきれず、大きくゴールから外れていく。眩い光はそのままピッチの外へ飛び出し、衝撃とともに光が四散し、黄金色に輝いていた球体は、力を使い果たしたようにただのサッカーボールへ戻って転がった。
グラウンドは静まり返る。奏音はゆっくりと足元を見つめ、悔しそうに唇を噛んだ。
「……ごめん」
拓人は首を横に振る。
「いや、お前は十分蹴り切った」
その視線は、転がるボールへ向けられている。
「キック力は足りている」
拓人は静かに続けた。
「だが、あれだけのエネルギーを受け止めながら、狙った一点へ正確に蹴り込むには、まだコントロールが足りない」
奏音にはボールを蹴り返すだけの力はあった。しかし膨大なエネルギーを制御しきれず、アルティメットサンダーは完成には至らなかった。その時、不意に拓人の脳裏へ、一人の少年の姿が浮かんだ。
「……剣城」
気づけば、その名が口をついて出ていた。
「剣城なら……あのボールを蹴ることができるかもしれない」
誰も、その言葉を否定しなかった。沈黙こそが答えだった。やがて倉間が悔しそうに拳を握り締める。
「……悔しいが、あいつのパワーは俺たちより上だからな」
フィフスセクターのシードにして、圧倒的な破壊力を誇るストライカー。彼なら、暴れ回るエネルギーすらねじ伏せ、アルティメットサンダーを完成へ導けるかもしれない。そんな期待が、誰の胸にも浮かんでいた。
「……剣城」
天馬もぽつりとその名を繰り返す。しかし、倉間は静かに首を横へ振る。
「でも、あいつは来ない」
その短い一言が、現実を突きつける。浜野も複雑そうな表情を浮かべた。
「シードなのにフィフスセクターに楯突いちゃったから、まずいことになってるのかもな」
剣城はもう何日も練習に姿を見せていない。雷門のユニフォームを着ていても、その心はまだフィフスセクターという見えない鎖に縛られたままだった。
拓人たちは互いに視線を交わす。何か言葉を探そうとしても、誰一人見つけることができない。
その沈黙の中、奏音はそっと目を伏せた。
(……京ちゃん)
幼馴染の名前を、そっと胸の内で呼ぶ。
すると、先ほどのアルティメットサンダーの光景が、静かに別の景色へと変わっていった。
最後のキッカーに立っているのは、自分ではない。雷門の背番号十番を背負った剣城。仲間たちの想いを乗せた光のボールを受け止めると、迷いなく足を振り抜く。
放たれた一撃は敵ディフェンスを力強く突き破り、その光景が、まるで目の前で本当に繰り広げられているかのように鮮やかに脳裏へ浮かんだ。
もし彼が雷門へ戻ってきてくれたら。そんな希望が胸をよぎる。けれど同時に、その願いがどれほど難しいものなのかも、奏音は誰よりよく分かっていた。
ふと脳裏に浮かんだのは、稲妻総合病院での出来事だった。車椅子で穏やかに微笑む優一。そして、その傍らで苦しげに表情を曇らせていた剣城の姿。その横顔が、今も鮮明に焼き付いて離れない。
きっと剣城は、誰にも見せられないほど重いものを一人で背負っている。だからこそ、「雷門へ戻ってきて」という一言だけで解決できるほど軽いものではない。奏音はぎゅっと拳を握り、静かに息を吐いた。
「……そんなに簡単な話じゃ、ないよね」
そのか細い呟きは誰の耳にも届くことなく、静まり返ったグラウンドへそっと溶けていった。
今、自分にできることは無理に引き戻すことではない。いつか剣城自身が前を向けるその時まで、信じて待つことだけなのだと、奏音は改めて心に言い聞かせた。
拓人のかすかに震えた声が、静まり返ったミーティングルームに落ちた。
「そんな……」
「マジかよ……」
霧野は目を見開き、倉間が苦々しく吐き捨てる。予想だにしなかった対戦カードの変更に、部屋のあちこちから戸惑いのざわめきが広がっていく。
「おかしいド! 準決勝の相手は青葉学園のはずだド!?」
天城が思わず立ち上がり、納得のいかない思いをぶつけるように声を張り上げた。
春奈は困惑を隠せないまま、小さく息をついた。
「今朝になって『ブロック分けを改正する』って通達が来たの」
試合を目前にして対戦カードを書き換えるなど、前代未聞だった。だが、その理不尽さこそがフィフスセクターのやり方なのだと、誰もが薄々理解していた。
「ちゅーか、強引に青葉と帝国を入れ替えたってことじゃね?」
浜野が眉をひそめながら言う。その言葉を受け、三国は静かに口を開いた。
「わざわざブロック替えまでして、帝国学園をぶつけて来たと言うことか」
重く落ちたその一言が、嫌でも現実を突きつける。部屋を包む空気は、さらに重苦しさを増していった。
「連勝も……ここでストップだな」
倉間がぽつりとこぼした弱音に、誰一人として言葉を返せない。怒りや悔しさはあっても、この決定を覆す術はない。
そんな沈黙を切り裂くように、一人の少年が勢いよく立ち上がる。
「そんな! 戦ってみなきゃ分からないじゃないですか!」
天馬だった。真っ直ぐな瞳。曇りのない声。その言葉だけは、この重苦しい空気に飲み込まれなかった。だが、車田は静かに首を振る。
「今や帝国学園は、フィフスセクターの手の中にある……化身を使える選手が何人もいるらしいぞ」
「何人も……?」
奏音は思わず息を呑んだ。化身使いが一人いるだけでも戦況は大きく変わる。それが複数人となれば──。
「あうぅ……もうダメですね……」
速水は青ざめた顔で頭を抱え、肩を落とす。
「フィフスセクターが本気になったんです、おしまいです……」
今にも泣き出しそうなその声に、誰も反論できなかった。
「でも!」
再び天馬の明るい声が響いた。
「帝国学園と戦えるなんて、すごいじゃないですか! 雷門対帝国! ワクワクします!」
その無邪気な笑顔に、仲間たちの視線が一斉に集まる。しかし、その場の空気を引き戻すように、倉間が静かに口を開いた。
「その帝国に、俺たちは控え無しの十一人で立ち向かわなくちゃならないんだがな」
「……え?」
天馬の笑顔が固まる。
「南沢さんが抜けて、剣城も練習に顔を出していない」
倉間は淡々と続けた。
「まあ普通に考えて勝ち目はないだろうな」
その言葉は、誰も否定できない現実だった。天馬も言葉を失い、唇を噛み締める。速水はおずおずと手を挙げる。
「あ、あの……新しい部員を補充するとか……そういう方法は……」
その提案を聞いた拓人は、静かに首を横へ振った。そして全員を見渡し、穏やかでありながら揺るぎない声で告げる。
「いや、このままでいい」
部屋の空気が張り詰める。
「今ここにいる、この十一人で戦う」
一人ひとりの顔を確かめるように視線を巡らせながら、拓人は続けた。
「誰一人欠けることなく――全員で帝国学園を倒そう」
その言葉には、不思議な力があった。
沈みかけていた仲間たちの心を、ゆっくりと前へ向かせていく。
「キャプテン……!」
天馬の瞳に再び光が宿る。
円堂は大きく笑い、勢いよく立ち上がった。
「よく言った、神童!」
力強く拳を握り締める。
「このメンバーで勝利に向かって突っ走るぞ!」
「「はいっ!!」」
雷門イレブンの返事が、ミーティング室いっぱいに響き渡る。不安は消えていない。帝国学園という巨大な壁も、控え選手のいない現実も何ひとつ変わらない。それでも今、十一人の視線だけは同じ方向を向いていた。
***
打倒・帝国学園。そのただ一つの目標を胸に、雷門イレブンはサッカー棟の屋内グラウンドへと集まっていた。
人工芝の匂いが漂う静かな空間に、スパイクが床を踏む音だけが響く。誰もが口数少なく、それぞれの胸に帝国学園という巨大な壁を思い描いていた。円堂はグラウンドを見渡しながら腕を組む。
「確かに帝国学園は並の相手じゃない」
その表情から笑みが消える。
「対抗するための策が必要だな」
すると、一歩前へ進み出た人物がいた。
「監督」
拓人だった。
「考えがあるんですが」
円堂は視線を向ける。
「なんだ、神童?」
拓人は一度深く息を吸い、迷いのない声で告げた。
「――アルティメットサンダーを使ってみたらどうかと思うんです」
その名前が発せられた瞬間、何人かの表情が変わる。
「アルティメットサンダー……!」
「必殺タクティクスか!」
車田が目を見開き、三国も驚きを隠せない。
「必殺タクティクス?」
一方で天馬と信助は顔を見合わせた。
「以前、久遠監督と一緒に考え出したんです。あれを使えば、帝国学園の鉄壁の守備を突破出来るはずです」
静かな口調の中にも、自信が宿っている。だが、その説明を聞いた速水は不安そうに肩をすくめた。
「でも、あれって何回トライしても成功したことがなかったじゃないですか……」
「ちゅーか、強力なストライカーがいないと難しいタクティクスだからな」
浜野の何気ない一言に、倉間の表情が曇る。小さく舌打ちをし、視線を逸らした。浜野に悪気はない。だが、その言葉は「自分では力不足だ」と突きつけられたようで、FWとしての誇りを静かに傷つけていた。
そんな空気を察しながらも、拓人は静かに言葉を続ける。
「確かに俺たちは一度も決めたことがない」
その事実を否定することはしない。
「でも、それでも試したいんだ」
拓人の瞳が、仲間一人ひとりを見つめる。決意に満ちたその声に、誰も口を挟まなかった。やがて車田が両手をどんと腰に当てると、不安を吹き飛ばすように大きな声を張り上げる。
「帝国に一泡ふかせるには、それしかねぇか!」
「よし、やってみよう!」
三国も大きくうなずく。
「そーっすね!」
「よーっし、燃えて来たド!」
浜野や天城も声を上げ、重苦しかった空気が少しずつ熱を帯びていく。
相手は帝国学園。勝算は決して高くない。だからこそ、今できることは何でも試すしかない。仲間たちの意思が一つになったことを確認すると、三国は拓人へ問いかけた。
「フォーメーションはどうする?」
「前に試した布陣でいきます」
拓人はフィールド全体を見渡しながら、落ち着いた声で指示を出し始める。
「ファーストキッカーは浜野。頼む」
「オウッ!」
浜野は元気よく拳を突き上げる。
「二番は速水」
「うん!」
緊張した面持ちながらも、速水はしっかりとうなずいた。拓人は続いて霧野へ視線を向ける。
「……霧野」
「ん?」
「足のほうは大丈夫か?」
先日の負傷が頭をよぎったのだろう。拓人の問いかけには、仲間を気遣う優しさが滲んでいた。霧野は軽く笑うと、その場で足を二、三度踏み鳴らし、つま先で芝を蹴ってみせる。
「ああ!」
自信ありげに拓人を見返した。その言葉を聞き、拓人は小さく安堵の息をつく。
「……よし。三番だ」
「任せろ」
短い返事には、頼もしさが込められていた。
「四番目は天城さん」
「わかったド!」
天城は大きくうなずき、胸をどんと叩く。
それぞれが配置へ向かい始める。静かだったグラウンドに、いよいよアルティメットサンダーが動き出す緊張感が満ちていった。
完成したことのない幻の必殺タクティクス。フィールドの外では、天馬と信助、そして奏音が肩を並べて練習を見守っていた。
「どんな必殺タクティクスなんだろう!」
天馬は目を輝かせながら、配置につく拓人たちへ視線を向ける。
「僕、ドキドキしてきたよ!」
信助も胸を高鳴らせ、期待に満ちた表情を浮かべていた。その隣では、奏音もまた興味津々といった様子でフィールドを見つめている。
「拓にぃが久遠監督と考えた必殺タクティクス……」
思わずその声には期待がにじむ。音楽留学で日本を離れていた奏音にとって、この必殺タクティクスを見るのは初めてだった。兄が自信を持って提案する戦術。その全貌を目にできることに、胸が高鳴る。
「いくぞ!」
浜野の力強い声を合図に、拓人が一気に駆け出した。
「えっ!?」
思わず声を上げたのは天馬だった。
「キャプテン、何で後ろに!?」
「ゴールと反対に走ってる……!」
奏音も目を丸くする。普通ならゴールへ向かうはずの拓人が敵陣へ背を向け、自陣へ向かって一直線に走り始めたのだ。
しかし、その間もボールは止まらない。浜野から速水へ。速水から霧野へ。霧野から天城へ。仲間たちは拓人の動きに合わせるように、ボールを少しずつ自陣へと下げていく。
「どういうこと……?」
奏音が戸惑いを漏らす。だが、パスがつながるたびにボールの様子が変わり始めた。
淡い光が表面を走り、唸るような風圧がグラウンドを震わせる。
一人、また一人と力が重なるたび、その輝きは激しさを増し、人工芝を巻き上げながら稲妻のような軌跡を描いていく。
「すごい……!」
奏音は思わず息を呑んだ。仲間たち全員の力が、一つのボールへと集約されていく。その光景は、まるで雷門イレブンの想いそのものが形になったようだった。
そして、ゴール目前まで下がった拓人へ、天城が最後のパスを送り出す。
「神童!」
轟音を響かせるボールが一直線に拓人の足元へ飛び込んだ。拓人は深く踏み込み、全身の力を右足へ集中させる。
「アルティメットサンダーッ!」
渾身の一撃。振り下ろされた右足が、四人分の力を宿したボールを真正面から捉える。
――ギシッ。
鈍い音が響いた。拓人の足とボールが拮抗し、その場で激しく火花を散らす。
「くっ……!」
拓人の表情が苦悶に歪む。想像をはるかに超える衝撃が全身を駆け巡り、踏み込んだ足がわずかに押し返される。
「うわあああっ!」
必死に耐えようとしたその瞬間、蓄積されたエネルギーが制御を失い、轟音とともに爆発した。
激しい衝撃波がグラウンドを駆け抜け、拓人の身体は軽々と宙へ弾き飛ばされる。数メートル先まで吹き飛んだ拓人は、人工芝の上を転がり、そのまま力なく倒れ込んだ。
眩い光はゆっくりと消え、暴走したボールだけが虚しく転がっていく。アルティメットサンダーは、完成しなかった。部員たちが拓人の元に駆け寄っていく。
「「キャプテン!」」
天馬と信助が真っ先に駆け出す。
「神童!」
霧野も拓人のもとへ走る。奏音もその背中を追いかけた。
「拓にぃ、大丈夫?」
奏音が駆け寄り、そっと拓人の腕を支える。拓人は体勢を立て直しながら、小さく息を吐いた。
「ああ……少し衝撃が強かっただけだ」
そう答えはしたものの、その表情には悔しさが色濃く滲んでいる。転がるボールを見つめ、拓人は静かにつぶやいた。
「……ダメだ。ボールの力に負けてしまう」
仲間たちがつないだエネルギーは、想像をはるかに超えていた。最後の一撃を受け止め切れなければ、アルティメットサンダーは完成しない。
「やっぱりな……」
車田は拳を強く手のひらへ打ちつけ、悔しさをにじませる。拓人は顔を上げ、もう一度挑戦しようと前を向いた。
「もう一度――」
そう言いかけた、その時だった。
「次は俺がやる」
拓人の言葉を引き継ぐように、倉間が一歩前へ歩み出る。その瞳には、ストライカーとしての強い意地が宿っていた。拓人は一瞬だけ倉間を見つめると、小さくうなずく。
「……分かった。頼む」
そして仲間たちへ向き直り、声を張る。
「よし、位置につけ!」
「がってんだド!」
天城の威勢のいい返事を合図に、雷門イレブンは再びそれぞれの持ち場へ散っていく。
「いくぞ!」
浜野の掛け声と同時に、アルティメットサンダーが再び動き出した。仲間たちのパスが重なるたび、ボールは眩い光をまとい、その輝きは次第に激しさを増していく。
「倉間!」
天城の力強いラストパスが放たれる。
四人分のエネルギーを宿したボールは、轟音を響かせながら倉間の足元へ滑り込んだ。
「うおおおおっ!」
倉間は雄叫びとともに右足を振り抜く。
その瞬間――
バチィッ!!
耳をつんざくような衝撃音がグラウンドに響き渡る。暴れ狂うエネルギーが一気に弾け、凄まじい反動となって倉間の体を吹き飛ばした。
「ぐあっ!」
倉間は数メートル後方まで弾き飛ばされ、人工芝の上を転がる。
「倉間!」
拓人たちが慌てて駆け寄る。倉間は歯を食いしばりながら上半身を起こすと、悔しさを隠せない表情で転がるボールを睨みつけた。
「ちくしょう……蹴り返せねぇ」
ボールはゴールへ向かうことなく、力を失って虚しく地面を転がっていた。
拓人はその様子を見つめ、小さく息を吐く。
「……倉間でもダメか」
誰も言葉を返せなかった。
「そんな……キャプテンや倉間さんでもできないなんて……」
天馬は目を見開き、拓人と倉間を交互に見つめる。隣では信助も不思議そうに首をかしげていた。
「どんなボールなんだろ……」
その疑問に答えたのは三国だった。
「アルティメットサンダーは、強力なエネルギーを注ぎ込んだボールを敵陣に蹴り込む、ディフェンス突破に力を発揮する必殺タクティクスだ」
浜野が続ける。
「パスを重ねるごとに、ボールにはエネルギーが蓄積されていく」
「そのボールを敵ディフェンスのど真ん中に蹴り込む」
車田が力強くうなずく。
「相手ディフェンスを蹴散らすド!」
天城も拳を握り締める。
「後は、その隙にシュートを決めるだけだ」
車田が言葉を締めくくる。だが、速水は浮かない表情のまま肩を落とした。
「……でも、エネルギーの溜まった最後のボールを蹴るのが大変なんです」
最後のキッカーには、ポジションを問わず、これまで何人もの部員が挑戦してきた。しかし、誰一人として暴れ回るエネルギーを受け止め、狙いどおりに蹴り出すことはできなかった。だからこそ、アルティメットサンダーは今なお未完成の必殺タクティクスなのだ。
「最後の選手には……並外れたキック力が必要ということだ」
三国が静かに結論づける。
拓人は悔しさを押し殺すように、ぎゅっと拳を握り締めた。
「俺に……もっと力があれば」
その隣では、倉間も唇を噛み締める。
「……俺もだ」
ストライカーとして、あの一撃を決められなかった悔しさが胸を締めつける。
そんな二人を見つめ、三国は静かに口を開いた。
「倉間も神童も、パワーよりもテクニックでシュートを決めるタイプだからな」
三国の言葉に、拓人も倉間も何も返さなかった。それでも、その慰めには責めるような響きはなく、二人の実力を認めたうえでの言葉だということだけは、しっかりと伝わっていた。
グラウンドには重い空気が流れる。拓人は腕を組み、仲間たちを見渡した。
「……一人だけ、まだ試していない選手がいる」
その視線が向けられた先で、奏音がきょとんと目を丸くした。
「え、私?」
「ああ」
拓人は真っ直ぐ妹を見つめる。
「奏音は屈指のパワー型フォワードだ。シュートの威力は誰にも引けを取らない。それに、体幹も強い。あの反動に耐えられる可能性があるとすれば……奏音、お前だ」
突然の指名に、部員たちの視線が一斉に奏音へ集まる。
「確かに……」
霧野が納得したようにうなずく。
「奏音のシュート力なら、神童や倉間以上かもしれない」
「今まで誰が蹴ってもダメだった。だったら試してみる価値はある」
三国も腕を組みながら頷く。
奏音はボールへ視線を落とした。アルティメットサンダー。誰一人として完成させられなかった、雷門最後の切り札。その最後の一撃を、自分が任されようとしている。
奏音は静かに深呼吸すると、顔を上げて仲間たちを見渡した。
「……分かった」
その瞳には、不安よりも挑戦への決意が宿っていた。
「私、やってみる!」
その一言に、雷門イレブンの表情が少しだけ明るくなる。拓人は小さく微笑んだ。
「頼んだぞ、奏音」
奏音は力強くうなずき、ゆっくりとキッカーの位置へ歩き出した。
全員が再び配置につく。四人の想いが重なり、光を帯びたボールは轟音を響かせながら奏音の足元へ飛び込んできた。
「アルティメットサンダーッ!」
奏音は迷いなく右足を振り抜く。
――バァンッ!
拓人や倉間を弾き飛ばした光の球は、今度は勢いよく前方へ撃ち出された。
「やった!」
天馬が思わず声を上げる。
奏音は最後までしっかりとボールを蹴り抜いていた。圧倒的なキック力で暴れるエネルギーを押し切り、アルティメットサンダーは初めて前へ飛んだのだ。
しかし――
「……あっ」
奏音の表情が変わる。一直線に飛んでいたはずの光球が、徐々に軌道を右へ逸れ始めた。
「曲がってる!?」
信助が叫ぶ。奏音は必死に行方を見つめる。だが、勢いだけを乗せたシュートは狙いを定めきれず、大きくゴールから外れていく。眩い光はそのままピッチの外へ飛び出し、衝撃とともに光が四散し、黄金色に輝いていた球体は、力を使い果たしたようにただのサッカーボールへ戻って転がった。
グラウンドは静まり返る。奏音はゆっくりと足元を見つめ、悔しそうに唇を噛んだ。
「……ごめん」
拓人は首を横に振る。
「いや、お前は十分蹴り切った」
その視線は、転がるボールへ向けられている。
「キック力は足りている」
拓人は静かに続けた。
「だが、あれだけのエネルギーを受け止めながら、狙った一点へ正確に蹴り込むには、まだコントロールが足りない」
奏音にはボールを蹴り返すだけの力はあった。しかし膨大なエネルギーを制御しきれず、アルティメットサンダーは完成には至らなかった。その時、不意に拓人の脳裏へ、一人の少年の姿が浮かんだ。
「……剣城」
気づけば、その名が口をついて出ていた。
「剣城なら……あのボールを蹴ることができるかもしれない」
誰も、その言葉を否定しなかった。沈黙こそが答えだった。やがて倉間が悔しそうに拳を握り締める。
「……悔しいが、あいつのパワーは俺たちより上だからな」
フィフスセクターのシードにして、圧倒的な破壊力を誇るストライカー。彼なら、暴れ回るエネルギーすらねじ伏せ、アルティメットサンダーを完成へ導けるかもしれない。そんな期待が、誰の胸にも浮かんでいた。
「……剣城」
天馬もぽつりとその名を繰り返す。しかし、倉間は静かに首を横へ振る。
「でも、あいつは来ない」
その短い一言が、現実を突きつける。浜野も複雑そうな表情を浮かべた。
「シードなのにフィフスセクターに楯突いちゃったから、まずいことになってるのかもな」
剣城はもう何日も練習に姿を見せていない。雷門のユニフォームを着ていても、その心はまだフィフスセクターという見えない鎖に縛られたままだった。
拓人たちは互いに視線を交わす。何か言葉を探そうとしても、誰一人見つけることができない。
その沈黙の中、奏音はそっと目を伏せた。
(……京ちゃん)
幼馴染の名前を、そっと胸の内で呼ぶ。
すると、先ほどのアルティメットサンダーの光景が、静かに別の景色へと変わっていった。
最後のキッカーに立っているのは、自分ではない。雷門の背番号十番を背負った剣城。仲間たちの想いを乗せた光のボールを受け止めると、迷いなく足を振り抜く。
放たれた一撃は敵ディフェンスを力強く突き破り、その光景が、まるで目の前で本当に繰り広げられているかのように鮮やかに脳裏へ浮かんだ。
もし彼が雷門へ戻ってきてくれたら。そんな希望が胸をよぎる。けれど同時に、その願いがどれほど難しいものなのかも、奏音は誰よりよく分かっていた。
ふと脳裏に浮かんだのは、稲妻総合病院での出来事だった。車椅子で穏やかに微笑む優一。そして、その傍らで苦しげに表情を曇らせていた剣城の姿。その横顔が、今も鮮明に焼き付いて離れない。
きっと剣城は、誰にも見せられないほど重いものを一人で背負っている。だからこそ、「雷門へ戻ってきて」という一言だけで解決できるほど軽いものではない。奏音はぎゅっと拳を握り、静かに息を吐いた。
「……そんなに簡単な話じゃ、ないよね」
そのか細い呟きは誰の耳にも届くことなく、静まり返ったグラウンドへそっと溶けていった。
今、自分にできることは無理に引き戻すことではない。いつか剣城自身が前を向けるその時まで、信じて待つことだけなのだと、奏音は改めて心に言い聞かせた。