めくるめくアニマート(GO25話)
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ホーリーロード全国大会二回戦を勝ち抜いた雷門中サッカー部。その部室に、一人の少年が緊張した面持ちで姿を現した。
少し跳ねた青紫色の髪に、丸く大きな瞳。幼さの残る顔立ちは、どこか放っておけない雰囲気をまとっている。
「入部希望者?」
円堂が穏やかな笑みを浮かべながら声を掛ける。
「はい! サッカー部に入りたいんです!」
勢いよく返ってきた返事に、車田が豪快に笑った。
「おっ! なかなか元気がいいじゃないか!」
「名前は?」
「輝です!」
「輝くんね。名字は?」
春奈が名簿へ目を落としながら尋ねると、少年の表情がみるみる曇った。
「名字……それは……あの、その……あ、あの……えぇっと……」
さっきまでの威勢のよさは、どこかへ消えてしまっていた。少年は目を泳がせ、何度も口を開きかけては俯く。その姿に、部員たちは不思議そうに顔を見合わせた。
やがて少年は覚悟を決めたように小さく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握る。
「……影山です! 影山輝です!」
その名が部室に響いた瞬間だった。
「か、影山ぁ!?」
円堂の驚いた声が部室中に響き渡る。円堂、鬼道、春奈――三人だけが、過去を思い出したように表情を強張らせていた。
「影山って……」
「まさか……」
円堂が戸惑いを隠せずにつぶやく。鬼道もまた、険しい表情で影山を見つめた。
「はい。影山零治は……僕の叔父です」
影山は申し訳なさそうに俯いた。
「兄さん……」
「そうか」
心配そうに呼びかける春奈に、鬼道は小さく微笑んでみせる。
(……この名字、何かあるんだ)
円堂たちの反応を目の当たりにして、奏音は部室に漂う空気が一変したことを感じ取っていた。
「ちゅーか、『影山零治』って誰っすか?」
浜野が率直に尋ねる。
「知らないド」
天城も不思議そうに首をかしげた。
事情を知らない部員たちの声を聞きながら、鬼道は静かに影山を見据えていた。
「……だが、なぜ隠そうとした?」
「あっ……それは……」
影山は俯いたまま拳を握りしめた。やがて小さく息を吐き、震える声で話し始める。
「……叔父は雷門サッカー部に、いろいろとご迷惑をおかけしたと聞いています。だから……名前を言うと、入部は許されないと思って……」
その声は、消えてしまいそうなほど弱々しかった。
(この子は何も悪くないのに……)
名字を名乗ることさえ、ためらわなければならない。きっと今までにも、同じように入部を諦めかけたことがあったのだろう。そう思うと、奏音は胸が痛んだ。
「やっぱりダメですよね。じゃあ……お騒がせしました」
影山は深く頭を下げ、踵を返す。
「ちょっと――」
天馬が慌てて呼び止めようとする。
「待て」
低く、しかし力強い声が部室に響いた。影山が振り返ると、円堂は真っ直ぐに彼を見据え、一歩も引かずに向き合っていた。
「影山輝。――サッカーは好きか?」
その問いに、影山は迷わず顔を上げる。
「……はい!」
真っ直ぐな返事だった。その一言だけで、サッカーが好きだからここへ来たのだと伝わってくる。
「だったら、迷うことはない」
円堂は満足そうに笑った。その隣で、鬼道が静かに口を開く。
「確かに、影山零治が雷門サッカー部にしたことは許されることではない」
部室に沈黙が落ちた。誰もが鬼道の次の言葉を待つなか、彼は静かに言葉を継いだ。
「……だが、本当は心からサッカーを愛していた。俺たちと同じくらいにな」
過去の罪をなかったことにはしない。それでも鬼道は、輝がその血筋に縛られることなく、自分自身の道を歩んでいくことを願っていた。
「何も恥じることはない。あの人が行き着けなかったところまで、お前が行って見せるんだ」
影山は大きく目を見開いた。思いもよらない言葉に、胸の奥が揺さぶられる。その隣で、円堂が力強く笑った。
「影山輝。今日からお前は雷門サッカー部の一員だ!」
影山の表情が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。その喜びにつられるように、奏音も自然と頬を緩めた。
「あっ……ありがとうございます!」
影山は深々と頭を下げると、今度は部員たちへ向き直った。
「影山輝です! よろしくお願いします!」
「こっちこそよろしく、輝!」
「よろしくね!」
天馬と信助の歓迎を受け、部室に明るい空気が広がる。その中で、腕を組んでいた剣城が静かに口を開いた。
「で、どのくらいサッカーできるんだ?」
「どのくらいって言われても……」
影山は困ったように頬をかき、小さく苦笑する。
「ボールを蹴り始めて、まだ二か月なので……自分じゃ、よくわかりません」
「たった二か月ですか!?」
速水が思わず大きな声を上げた。
「なんだ、初心者かよ」
狩屋は腕を組んだまま、にやりと口元を緩める。
「誰だって最初は初心者だぞ」
横から霧野が呆れたように声を掛けるが、狩屋は悪びれる様子もなく笑っていた。
以前なら、こんな軽口にも反発していただろう。けれど、ホーリーロードを戦い抜いた二人は、いつの間にか冗談を交わせる関係になっていた。
(よかった……マサキくんも、ちゃんと前に進んでるんだね)
胸の奥に温かなものが広がる。奏音は改めて、新しく仲間になった影山へ視線を向けた。サッカー歴は、まだ二か月。それでも、この仲間たちとならきっと強くなれる。そんな確かな予感が、自然と胸に芽生えていた。
***
新たに影山輝を迎えた雷門サッカー部は、そのまま全体練習へと移った。先輩たちに混じり、影山もドリブル練習に加わる。だが、足元のボールは思うように言うことを聞いてくれない。
少し強く蹴れば前へ転がりすぎ、慌てて追いつけば今度は足先に引っ掛かる。ボールに遊ばれているようなぎこちない動きだった。
「確かに、初心者だね……」
ピッチの外から、信助がぽつりと呟く。不器用にボールを追いかける姿が微笑ましく、奏音はそっと目を細めた。
(でも……)
表情は真剣そのものだった。失敗するたびに顔をしかめながらも、すぐにボールを追いかける。その瞳には悔しさと、「もっと上手くなりたい」という真っ直ぐな想いが宿っていた。一つでも多く吸収しようとする姿勢が、ひしひしと伝わってくる。
「あれじゃ戦力になりそうもないな」
そんな様子を見た剣城は淡々と言い放つと、ボールを抱えたまま一人離れていった。その時だった。影山が弾いてしまったボールが、狩屋の足元へ転がる。
「あっ、すいません!」
「何やってんだよ」
狩屋はボールを返しながら、どこか人の良さそうな笑顔を浮かべる。
「ドリブルするときは、ボールだけをしっかり見るんだよ。でないと真っ直ぐ走れないだろ?」
もっともらしい口ぶり。だが、それは真っ赤な嘘だった。
「ああ、なるほど……そうですね! ありがとうございます!」
影山は疑うことなく頭を下げ、その通りにボールへ視線を落とす。
「えっ……!」
奏音が止めようとした、その瞬間――ゴンッ! 鈍い音がグラウンドに響いた。
「いだだ……」
前を見ないまま走った影山は、見事にゴールポストへ激突し、額を押さえながらその場にしゃがみ込む。
「大丈夫か!」
三国が慌てて駆け寄る。一方、狩屋は堪えきれない様子で笑い転げていた。
「狩屋! お前またやったな!」
霧野が呆れたように声を張り上げる。狩屋は気にする素振りもなく、肩を震わせて笑い続けた。やがて小さく息をつくと、今度は影山へ優しく声を掛ける。
「ドリブルは前を向くんだ。下を向いてたら、周りが見えないだろ?」
「ああ……なるほど! そうですね!」
素直に頷く影山。
「教えるだけ無駄でしょ。どうせ使えねぇ奴なんだし」
狩屋は鼻で笑う。しかし、その言葉にもひるむことなく、影山は小さく拳を握った。
「もう一度、やってみます!」
顔を上げた影山の瞳には、迷いのない光が宿っていた。前を見据え、一歩を踏み出す。その足元でボールは滑らかに転がり、先ほどまでのぎこちなさが嘘のように、軽やかなリズムで前へと運ばれていく。
「ドリブルできてるじゃないか」
霧野が驚いたように目を丸くする。
「すごいな! 飲み込み早いんだ!」
天馬も目を輝かせた。奏音も思わず息を呑む。たった一度教わっただけなのに、動きは見違えるほど変わっていた。
顔を上げたことで、影山はボールを扱う感覚をつかんだらしい。その成長の速さに、狩屋も思わず笑みを引っ込め、剣城も静かに影山へ視線を向ける。
「へぇ……よし! 打ってこい、影山!」
三国は感心したように頷き、大きく手を振る。
「えぇ!?」
「シュートだよ、シュート!」
「シュートって……」
戸惑う影山の視線が、近くでシュート練習をしていた倉間へ向く。奏音はその横顔をじっと見つめた。
(……倉間くんを見てる?)
ただ見ているだけじゃない。踏み込み方、軸足の位置、身体のひねり、足を振り抜く角度。影山は倉間の動きを一つひとつ、食い入るように見つめていた。
次の瞬間、影山は倉間と寸分違わぬフォームで足を振り抜いた。放たれたボールは鋭い弾道で一直線にゴールへ突き進む。
「……!」
三国は思わず表情を引き締め、慌てて飛びついた。なんとかキャッチしたものの、ボールはグローブの中で激しく回転し続け、白い煙がふわりと立ち上る。
「やるじゃないか、影山!」
「本当ですか!?」
影山のプレーを見つめながら、奏音は小さく息を吐いた。サッカーを始めて、まだ二か月。それなのに、一度見ただけでここまで正確に動きを再現できるなんて。
(すごい……)
影山の才能は本物だ。見たものを瞬時に理解し、実践できる。その柔軟さは、誰もが持っているものではない。
(でも……)
影山の才能に感心する一方で、奏音の胸には焦りも生まれていた。天馬は化身を目覚めさせ、剣城も拓人も、それぞれの力を手にしている。
自分はこのままでいいのだろうか。月山国光戦で感じた、あの胸の高鳴り。あと一歩のところで届かなかった、名前のない旋律。
(私も、もっともっと強くなりたい)
奏音はそっと拳を握る。けれど、焦る必要はない。ピアノだって、最初から思い通りに弾けたわけじゃなかった。何度も壁にぶつかりながら、一つずつ音を積み重ねてきたのだ。サッカーもきっと同じ。今は、自分にできることを重ねていけばいい。奏音は再び、練習に励む影山へ目を向けた。
「輝! もう一度打ってみろ!」
円堂の声に応え、三国がボールを軽く蹴り出す。
「はい!」
影山は勢いよくボールを受けようとした――が。
「あれ?」
ぽろり、ボールはあっさり足からこぼれ、そのまま後ろへ転がっていく。慌てて追いかける影山。さっきまでの鮮やかなシュートとの落差に、狩屋は思わず肩を揺らして笑った。
「やっぱ初心者じゃん!」
その様子に、奏音も思わずくすりと笑みをこぼした。
「でもでも、すごい才能だよね」
「あっ、俺もそう思いました!」
隣で見ていた天馬が、ぱっと表情を輝かせる。
「それに、楽しそうなんです!」
「楽しそう?」
奏音が首を傾げると、天馬は影山を見つめたまま嬉しそうに続けた。
「はい! 上手くいかなくても、失敗しても、すぐにまた挑戦するじゃないですか!」
その言葉に、奏音も改めて影山へ目を向けた。ポストにぶつかって額をさすっていたかと思えば、すぐに立ち上がり、再びボールへ向かっていく。失敗しても、挑戦することをやめようとはしなかった。
「……うん」
奏音は穏やかに頷いた。
「サッカーが本当に好きなんだね。だからかな、応援したくなる」
そんな風に思わせてしまう後輩だった。
「はい!」
天馬も力強く頷く。
「輝なら、きっともっと強くなれます!」
奏音は影山だけでなく、その向こうで練習に励む一年生たちへ視線を移した。
「だね! それにしても、今年の一年生は粒揃いだなぁ」
広いグラウンドには、部員たちの声とボールを蹴る音が響いている。
奏音が雷門に入った頃は、フィフスセクターの脅威に怯え、部を離れてしまった選手も多かった。
それに比べ、今は一年生たちも加わり、グラウンドは活気に満ちている。欠けていたピースが少しずつ埋まっていくような光景に、奏音はふっと笑みを浮かべた。
「これなら今度こそ……ホーリーロード、優勝できるよ」
その言葉に、天馬はまっすぐ奏音を見つめ、力強く頷いた。
「はい! 絶対優勝しましょう!」
天馬の力強い声に、奏音は昨年のホーリーロード決勝戦を思い出した。
留学先で何度も見返した、雷門と木戸川清修の決勝戦。そこには、フィフスセクターの思惑に左右されず、最後まで勝利を目指して戦う拓人たちの姿があった。
それでも、勝利にはあと一歩届かなかった。試合終了の笛が鳴ったあと、画面に映し出された雷門イレブンの表情には、悔しさが滲んでいた。
あの日の光景は、今もなお奏音の胸に深く刻まれている。
(今年こそは……)
その願いを抱き、奏音は改めて賑やかなグラウンドを見渡した。
少し跳ねた青紫色の髪に、丸く大きな瞳。幼さの残る顔立ちは、どこか放っておけない雰囲気をまとっている。
「入部希望者?」
円堂が穏やかな笑みを浮かべながら声を掛ける。
「はい! サッカー部に入りたいんです!」
勢いよく返ってきた返事に、車田が豪快に笑った。
「おっ! なかなか元気がいいじゃないか!」
「名前は?」
「輝です!」
「輝くんね。名字は?」
春奈が名簿へ目を落としながら尋ねると、少年の表情がみるみる曇った。
「名字……それは……あの、その……あ、あの……えぇっと……」
さっきまでの威勢のよさは、どこかへ消えてしまっていた。少年は目を泳がせ、何度も口を開きかけては俯く。その姿に、部員たちは不思議そうに顔を見合わせた。
やがて少年は覚悟を決めたように小さく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握る。
「……影山です! 影山輝です!」
その名が部室に響いた瞬間だった。
「か、影山ぁ!?」
円堂の驚いた声が部室中に響き渡る。円堂、鬼道、春奈――三人だけが、過去を思い出したように表情を強張らせていた。
「影山って……」
「まさか……」
円堂が戸惑いを隠せずにつぶやく。鬼道もまた、険しい表情で影山を見つめた。
「はい。影山零治は……僕の叔父です」
影山は申し訳なさそうに俯いた。
「兄さん……」
「そうか」
心配そうに呼びかける春奈に、鬼道は小さく微笑んでみせる。
(……この名字、何かあるんだ)
円堂たちの反応を目の当たりにして、奏音は部室に漂う空気が一変したことを感じ取っていた。
「ちゅーか、『影山零治』って誰っすか?」
浜野が率直に尋ねる。
「知らないド」
天城も不思議そうに首をかしげた。
事情を知らない部員たちの声を聞きながら、鬼道は静かに影山を見据えていた。
「……だが、なぜ隠そうとした?」
「あっ……それは……」
影山は俯いたまま拳を握りしめた。やがて小さく息を吐き、震える声で話し始める。
「……叔父は雷門サッカー部に、いろいろとご迷惑をおかけしたと聞いています。だから……名前を言うと、入部は許されないと思って……」
その声は、消えてしまいそうなほど弱々しかった。
(この子は何も悪くないのに……)
名字を名乗ることさえ、ためらわなければならない。きっと今までにも、同じように入部を諦めかけたことがあったのだろう。そう思うと、奏音は胸が痛んだ。
「やっぱりダメですよね。じゃあ……お騒がせしました」
影山は深く頭を下げ、踵を返す。
「ちょっと――」
天馬が慌てて呼び止めようとする。
「待て」
低く、しかし力強い声が部室に響いた。影山が振り返ると、円堂は真っ直ぐに彼を見据え、一歩も引かずに向き合っていた。
「影山輝。――サッカーは好きか?」
その問いに、影山は迷わず顔を上げる。
「……はい!」
真っ直ぐな返事だった。その一言だけで、サッカーが好きだからここへ来たのだと伝わってくる。
「だったら、迷うことはない」
円堂は満足そうに笑った。その隣で、鬼道が静かに口を開く。
「確かに、影山零治が雷門サッカー部にしたことは許されることではない」
部室に沈黙が落ちた。誰もが鬼道の次の言葉を待つなか、彼は静かに言葉を継いだ。
「……だが、本当は心からサッカーを愛していた。俺たちと同じくらいにな」
過去の罪をなかったことにはしない。それでも鬼道は、輝がその血筋に縛られることなく、自分自身の道を歩んでいくことを願っていた。
「何も恥じることはない。あの人が行き着けなかったところまで、お前が行って見せるんだ」
影山は大きく目を見開いた。思いもよらない言葉に、胸の奥が揺さぶられる。その隣で、円堂が力強く笑った。
「影山輝。今日からお前は雷門サッカー部の一員だ!」
影山の表情が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。その喜びにつられるように、奏音も自然と頬を緩めた。
「あっ……ありがとうございます!」
影山は深々と頭を下げると、今度は部員たちへ向き直った。
「影山輝です! よろしくお願いします!」
「こっちこそよろしく、輝!」
「よろしくね!」
天馬と信助の歓迎を受け、部室に明るい空気が広がる。その中で、腕を組んでいた剣城が静かに口を開いた。
「で、どのくらいサッカーできるんだ?」
「どのくらいって言われても……」
影山は困ったように頬をかき、小さく苦笑する。
「ボールを蹴り始めて、まだ二か月なので……自分じゃ、よくわかりません」
「たった二か月ですか!?」
速水が思わず大きな声を上げた。
「なんだ、初心者かよ」
狩屋は腕を組んだまま、にやりと口元を緩める。
「誰だって最初は初心者だぞ」
横から霧野が呆れたように声を掛けるが、狩屋は悪びれる様子もなく笑っていた。
以前なら、こんな軽口にも反発していただろう。けれど、ホーリーロードを戦い抜いた二人は、いつの間にか冗談を交わせる関係になっていた。
(よかった……マサキくんも、ちゃんと前に進んでるんだね)
胸の奥に温かなものが広がる。奏音は改めて、新しく仲間になった影山へ視線を向けた。サッカー歴は、まだ二か月。それでも、この仲間たちとならきっと強くなれる。そんな確かな予感が、自然と胸に芽生えていた。
***
新たに影山輝を迎えた雷門サッカー部は、そのまま全体練習へと移った。先輩たちに混じり、影山もドリブル練習に加わる。だが、足元のボールは思うように言うことを聞いてくれない。
少し強く蹴れば前へ転がりすぎ、慌てて追いつけば今度は足先に引っ掛かる。ボールに遊ばれているようなぎこちない動きだった。
「確かに、初心者だね……」
ピッチの外から、信助がぽつりと呟く。不器用にボールを追いかける姿が微笑ましく、奏音はそっと目を細めた。
(でも……)
表情は真剣そのものだった。失敗するたびに顔をしかめながらも、すぐにボールを追いかける。その瞳には悔しさと、「もっと上手くなりたい」という真っ直ぐな想いが宿っていた。一つでも多く吸収しようとする姿勢が、ひしひしと伝わってくる。
「あれじゃ戦力になりそうもないな」
そんな様子を見た剣城は淡々と言い放つと、ボールを抱えたまま一人離れていった。その時だった。影山が弾いてしまったボールが、狩屋の足元へ転がる。
「あっ、すいません!」
「何やってんだよ」
狩屋はボールを返しながら、どこか人の良さそうな笑顔を浮かべる。
「ドリブルするときは、ボールだけをしっかり見るんだよ。でないと真っ直ぐ走れないだろ?」
もっともらしい口ぶり。だが、それは真っ赤な嘘だった。
「ああ、なるほど……そうですね! ありがとうございます!」
影山は疑うことなく頭を下げ、その通りにボールへ視線を落とす。
「えっ……!」
奏音が止めようとした、その瞬間――ゴンッ! 鈍い音がグラウンドに響いた。
「いだだ……」
前を見ないまま走った影山は、見事にゴールポストへ激突し、額を押さえながらその場にしゃがみ込む。
「大丈夫か!」
三国が慌てて駆け寄る。一方、狩屋は堪えきれない様子で笑い転げていた。
「狩屋! お前またやったな!」
霧野が呆れたように声を張り上げる。狩屋は気にする素振りもなく、肩を震わせて笑い続けた。やがて小さく息をつくと、今度は影山へ優しく声を掛ける。
「ドリブルは前を向くんだ。下を向いてたら、周りが見えないだろ?」
「ああ……なるほど! そうですね!」
素直に頷く影山。
「教えるだけ無駄でしょ。どうせ使えねぇ奴なんだし」
狩屋は鼻で笑う。しかし、その言葉にもひるむことなく、影山は小さく拳を握った。
「もう一度、やってみます!」
顔を上げた影山の瞳には、迷いのない光が宿っていた。前を見据え、一歩を踏み出す。その足元でボールは滑らかに転がり、先ほどまでのぎこちなさが嘘のように、軽やかなリズムで前へと運ばれていく。
「ドリブルできてるじゃないか」
霧野が驚いたように目を丸くする。
「すごいな! 飲み込み早いんだ!」
天馬も目を輝かせた。奏音も思わず息を呑む。たった一度教わっただけなのに、動きは見違えるほど変わっていた。
顔を上げたことで、影山はボールを扱う感覚をつかんだらしい。その成長の速さに、狩屋も思わず笑みを引っ込め、剣城も静かに影山へ視線を向ける。
「へぇ……よし! 打ってこい、影山!」
三国は感心したように頷き、大きく手を振る。
「えぇ!?」
「シュートだよ、シュート!」
「シュートって……」
戸惑う影山の視線が、近くでシュート練習をしていた倉間へ向く。奏音はその横顔をじっと見つめた。
(……倉間くんを見てる?)
ただ見ているだけじゃない。踏み込み方、軸足の位置、身体のひねり、足を振り抜く角度。影山は倉間の動きを一つひとつ、食い入るように見つめていた。
次の瞬間、影山は倉間と寸分違わぬフォームで足を振り抜いた。放たれたボールは鋭い弾道で一直線にゴールへ突き進む。
「……!」
三国は思わず表情を引き締め、慌てて飛びついた。なんとかキャッチしたものの、ボールはグローブの中で激しく回転し続け、白い煙がふわりと立ち上る。
「やるじゃないか、影山!」
「本当ですか!?」
影山のプレーを見つめながら、奏音は小さく息を吐いた。サッカーを始めて、まだ二か月。それなのに、一度見ただけでここまで正確に動きを再現できるなんて。
(すごい……)
影山の才能は本物だ。見たものを瞬時に理解し、実践できる。その柔軟さは、誰もが持っているものではない。
(でも……)
影山の才能に感心する一方で、奏音の胸には焦りも生まれていた。天馬は化身を目覚めさせ、剣城も拓人も、それぞれの力を手にしている。
自分はこのままでいいのだろうか。月山国光戦で感じた、あの胸の高鳴り。あと一歩のところで届かなかった、名前のない旋律。
(私も、もっともっと強くなりたい)
奏音はそっと拳を握る。けれど、焦る必要はない。ピアノだって、最初から思い通りに弾けたわけじゃなかった。何度も壁にぶつかりながら、一つずつ音を積み重ねてきたのだ。サッカーもきっと同じ。今は、自分にできることを重ねていけばいい。奏音は再び、練習に励む影山へ目を向けた。
「輝! もう一度打ってみろ!」
円堂の声に応え、三国がボールを軽く蹴り出す。
「はい!」
影山は勢いよくボールを受けようとした――が。
「あれ?」
ぽろり、ボールはあっさり足からこぼれ、そのまま後ろへ転がっていく。慌てて追いかける影山。さっきまでの鮮やかなシュートとの落差に、狩屋は思わず肩を揺らして笑った。
「やっぱ初心者じゃん!」
その様子に、奏音も思わずくすりと笑みをこぼした。
「でもでも、すごい才能だよね」
「あっ、俺もそう思いました!」
隣で見ていた天馬が、ぱっと表情を輝かせる。
「それに、楽しそうなんです!」
「楽しそう?」
奏音が首を傾げると、天馬は影山を見つめたまま嬉しそうに続けた。
「はい! 上手くいかなくても、失敗しても、すぐにまた挑戦するじゃないですか!」
その言葉に、奏音も改めて影山へ目を向けた。ポストにぶつかって額をさすっていたかと思えば、すぐに立ち上がり、再びボールへ向かっていく。失敗しても、挑戦することをやめようとはしなかった。
「……うん」
奏音は穏やかに頷いた。
「サッカーが本当に好きなんだね。だからかな、応援したくなる」
そんな風に思わせてしまう後輩だった。
「はい!」
天馬も力強く頷く。
「輝なら、きっともっと強くなれます!」
奏音は影山だけでなく、その向こうで練習に励む一年生たちへ視線を移した。
「だね! それにしても、今年の一年生は粒揃いだなぁ」
広いグラウンドには、部員たちの声とボールを蹴る音が響いている。
奏音が雷門に入った頃は、フィフスセクターの脅威に怯え、部を離れてしまった選手も多かった。
それに比べ、今は一年生たちも加わり、グラウンドは活気に満ちている。欠けていたピースが少しずつ埋まっていくような光景に、奏音はふっと笑みを浮かべた。
「これなら今度こそ……ホーリーロード、優勝できるよ」
その言葉に、天馬はまっすぐ奏音を見つめ、力強く頷いた。
「はい! 絶対優勝しましょう!」
天馬の力強い声に、奏音は昨年のホーリーロード決勝戦を思い出した。
留学先で何度も見返した、雷門と木戸川清修の決勝戦。そこには、フィフスセクターの思惑に左右されず、最後まで勝利を目指して戦う拓人たちの姿があった。
それでも、勝利にはあと一歩届かなかった。試合終了の笛が鳴ったあと、画面に映し出された雷門イレブンの表情には、悔しさが滲んでいた。
あの日の光景は、今もなお奏音の胸に深く刻まれている。
(今年こそは……)
その願いを抱き、奏音は改めて賑やかなグラウンドを見渡した。