ピアチェーレは譲れない(GO20話)
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自由なサッカーを取り戻すという強い思いを胸に戦ってきた雷門中学は、ついにホーリーロード地区予選決勝へと進出した。
対するは、準決勝で青葉学園を下して勝ち上がってきた海王学園。フィフスセクターが育成したシードのみで構成されたそのチームは、荒れ狂う海を支配する海賊さながらの獰猛さと、鍛え抜かれた実力を併せ持つ強敵だった。
ハーフタイム。監督である円堂は、天馬をゴールキーパーに起用するという大胆な作戦を打ち出した。
そして迎えた後半戦。二点を追う雷門は、天馬にゴールを託す不安を抱えながらも、果敢に攻め込んだ。拓人を中心に攻撃を組み立て、信助も相手のパスをカットする。徐々に仲間たちの動きが噛み合い始め、試合の流れは雷門へと傾いていった。しかし、海王も簡単には崩れない。
「どうした野郎共! お前らそれでもシードか! シードの誇りはどこへいった!」
キャプテンである浪川の一喝に応えるように、湾田がボールを奪い取った。そして、行く手を塞ぐ車田と三国を前にしても、足を止めることなく、化身――音速のバリウスを発動する。圧倒的なスピードで二人を突破した湾田は、その勢いのままゴール前へと迫った。その先にいるのは――キーパー経験のない天馬だった。
(止められるのか……?)
天馬の表情が強張る。
(天馬くん……)
奏音は、思わず息を呑んだ。化身を発動した湾田が、天馬の前に立つ。今にも放たれそうなシュートの気配に、天馬の足がわずかに揺れた。だが、その迷いを見逃さなかった者がいた。
「怯むな!」
鋭い声が、フィールドに響き渡る。
剣城だった。奏音は、はっと顔を上げる。剣城の視線は、ただ真っ直ぐに天馬だけを捉えていた。
「サッカーを守るんじゃなかったのか! お前の好きなサッカーを!」
その言葉を聞いた瞬間、奏音の胸が強く震えた。天馬の言葉に影響を受け、以前とは少しずつ変わっていった剣城。そんな彼が、今では天馬とともに化身を追い求めている。その姿をずっと見てきた奏音には、今の言葉がいっそう深く心に響いた。
(そうだ。ここで点を入れられたら、今までやってきたことが、みんなでやってきたことが全部無駄になっちゃうんだ!)
誰にも決められず、自分たちの意志でボールを蹴るために――自分たちはここまで来た。三国が託したゴール。水鳥と信助の言葉。そして、剣城の叫び。みんなの思いを胸に、天馬の表情が変わった。迷っていた瞳から、不安が消えていく。
「絶対、止めてやる!」
天馬が力強く叫ぶ。
湾田がシュートを放った。
「サッカーは――」
天馬の声が響く。
「俺たちが守るんだ!!」
その瞬間だった。天馬の背中から、オーラが一気に噴き出した。
「……!」
雷門イレブンの目が、一斉に見開かれる。
吹き荒れる風が、フィールドを駆け抜けた。天馬を中心に巻き起こった力が渦を描き、その背後に巨大な影が浮かび上がる。
天馬の姿を覆うように現れたそれは、ひときわ高く咆哮した。燃えるように赤い翼。頭部から伸びる二本の角。鋭い眼光を宿した、力強い巨体。
サッカーが好きだという思い。誰にもその楽しさを奪わせず、仲間とともに戦いたいという願い。そのすべてを体現するかのように、天馬の化身は圧倒的な存在感を放っていた。
「これが……」
信助が息を呑む。
「天馬の化身……」
拓人も、その姿を見つめて呟いた。天馬は、湾田の放ったシュートを足で受け止める。激しい衝撃が走った。二つの力が、真正面からぶつかり合う。だが、天馬の化身が拳を振り抜いた。次の瞬間、湾田の化身――音速のバリウスが大きく弾き飛ばされる。
「なっ……!?」
湾田が驚愕に目を見開く。勢いを失ったシュートは、そのままゴールの外へと弾き出され、ラインを割った。化身同士の力比べを制したのは――天馬だった。
一瞬、フィールドが静まり返る。天馬は肩で息をしていた。自分の力でゴールを守った。その事実だけが、まだ実感のないまま胸に残っていた。
「天馬!」
信助たちDF陣が、笑顔で駆け寄ってくる。仲間たちに囲まれても、天馬はまだ何が起きたのか分かっていないようだった。
「信助、俺……今……」
「ああ! 化身を出したんだ!」
霧野が、嬉しそうに声を上げる。その言葉を聞いて、天馬はようやく自分の身に起きたことを理解した。
「やったぁー! ついに、ついにやったんだ! 俺も化身を出せた!」
弾けるような笑顔。奏音は、仲間たちとともに天馬を見つめた。
(私も、負けていられない)
天馬が新しい力を手にしたように、仲間たちはそれぞれ前へ進んでいる。だったら、自分ももっと強くならなければ。
「天馬くんが……シュートを止めた……」
呆然と呟いたのは、速水だった。化身使いを擁する海王のシュートを、キーパー経験のない天馬が止めた。その事実は、速水の中にあった絶望を大きく揺さぶっていた。
もしかして雷門なら、本当に――。速水の胸に、そんな思いが芽生え始めていた。
後半からフィールドプレーヤーとなっていた三国が、本来のポジションへ戻る。
天馬の化身によって大きく流れが変わった試合は、海王のスローインから再開された。
「喜峰!」
浪川の号令と同時に、喜峰が前線へ駆け出す。猿賀のロングスローが一直線に喜峰のもとへ伸びた。
「ロングスロー!?」
拓人が目を見開く。
「この一点で勝負は決まりだ!」
喜峰は胸でボールを受け止め、そのまま足元へ落とそうとする。しかし、そのわずかな隙を霧野は見逃さなかった。鋭く足を伸ばし、鮮やかなインターセプト。
「速水!」
奪ったボールをそのまま速水へと繋ぐ。
「えっ!?」
突然のパスだったが、速水は反射的に足元でボールを収めた。
「渡すか!」
間髪入れず、凪沢が鋭い眼光を向けながら距離を詰めてくる。
「……っ!」
その気迫に、速水の体が強張る。足がすくみ、一歩が踏み出せない。脳裏をよぎるのは、これまでの自分だった。
失敗を恐れて、一歩を踏み出す前に何度も逃げてきた。だけど――速水はゆっくりと顔を上げる。その視線の先には、必死に戦う仲間たちの姿があった。そして自分も、このピッチに立っている。
(俺は今まで、何でもやる前から決めてました。やりもしないでそんなの出来ないって)
拳を強く握り締める。
(でも――やってみなきゃ、できるかできないかなんて分からないんだ!)
その瞬間、速水の瞳に強い決意が宿った。大きく一歩、前へ踏み出す。
「ゼロヨン!」
その掛け声と同時に、地面を力強く蹴った。
――消えた。
そう錯覚するほどの爆発的なスタートダッシュ。一瞬で最高速へ到達した速水は、風を切り裂きながら凪沢の脇を駆け抜けていく。
彼が振り返ったときには、もう速水の背中は遥か前方だった。
「やりぃ!」
浜野が思わず拳を握って叫ぶ。親友の歓声に背中を押されるように、速水は力強く頷くと、そのまま勢いよく前線へ駆け上がった。
「こっちだ!」
ゴール前へ走り込んでいた剣城が鋭く呼ぶ。速水は迷いなくラストパスを送り出した。一直線に伸びるボールへ、剣城が力強く踏み切る。高く宙へ舞い上がると、そのまま大きく体を反らせた。
「デスドロップ!」
蹴り上げたボールに禍々しい黒いオーラが渦を巻く。次の瞬間、剣城は渾身のオーバーヘッドキックを叩き込んだ。
黒き一撃は重力ごと叩きつけるかのような勢いで落下し、轟音を響かせながら一直線にゴールへ襲いかかる。
海王のキーパーが必死に飛び出し、両腕を突き出す。しかし、黒い衝撃はその腕を容赦なく押し切り、キーパーごとゴールラインへ押し込んだ。
スコアは二対三。
雷門はついに一点差まで追い上げる。海王イレブンの表情に焦りが走った。その隙を、雷門は見逃さない。
「神童!」
霧野が前線へ鋭いパスを送る。拓人は静かにボールを収めると、一瞬でピッチ全体を見渡した。
味方の動き、海王の守備陣形、そして次の一手へ繋がるわずかな空間。そのすべてを瞬時に見極めると、拓人の口元に小さな笑みが浮かんだ。
(今なら――みんなを導ける)
拓人は静かに息を吸い込み、右手を高く掲げた。
「みんな――行くぞ!」
その声とともに、拓人はオーケストラの指揮者のようにタクトを振るう。
「神のタクト!」
次の瞬間、グラウンド一面へ黄金色の光のラインが駆け抜けた。
「速水!」
「はい!」
拓人の指先が描く光の軌跡は、相手の陣形に生まれた一瞬の綻びを逃さず捉え、雷門イレブンを勝利へ導く最適な道筋を紡いでいく。そこへ、完成された旋律をさらに高める新たな音が重なった。
「奏音!」
拓人の呼びかけに、奏音は力強く頷いた。
「おっけー! 拓にぃ!」
両手をゆっくりと広げる。その姿は、まるで演奏会の幕が上がる瞬間のようだった。奏音の指先が宙をなぞるたび、橙色に輝く無数の音符がピッチへ舞い上がる。
「神のカノン!」
――これが、神童拓人の『神のタクト』と対を成す、神童奏音のタクティクス。
だが、『神のカノン』は単体では発動できない。指揮者である拓人が描く黄金色の光のラインを追うように、奏音の音符が次々と重なっていく。
先に示された道筋を、後から追うように奏でていく。それはまさに、音楽における「カノン――追奏」そのものだった。
拓人が指し示した動きを、奏音が寸分違わず追いかける。二人の動きが重なるたび、雷門イレブンの連携はさらに滑らかになっていく。ボールの保持は安定し、パスが繋がるたびに選手たちの集中力と連携の精度が高まっていく。
まるで、ピッチにいる全員の力が一つの音楽へと束ねられていくようだった。拓人の「指揮」と奏音の「演奏」。二つが完全に重なったとき、神のカノンはその真価を発揮する。
「これは……!」
海王イレブンが息を呑む。
黄金色のラインを追うように、橙色の音符が軽やかに舞う。まるで二つの旋律が重なり合い、ひとつのハーモニーを生み出しているかのようだった。
「浜野くん!」
「よっしゃ!」
浜野は迷うことなくワンタッチで前線へ流す。
「天馬くん!」
「はい!」
天馬も振り向くことなく、次の仲間へボールを繋ぐ。
「ボールが運びやすい! これが神童妹先輩の『神のカノン』……!」
天馬の顔に驚きと歓喜が広がった。誰も立ち止まらない。誰も迷わない。仲間がどこへ走り、次に誰へボールを繋ぐのか。まるで全員の呼吸が一つになったかのように、雷門イレブンの体は自然と動いていた。
ボールは仲間から仲間へと淀みなく繋がれていく。雷門イレブンは一つのオーケストラとなって、海王ゴールへ雪崩れ込む。誰にも、その演奏は止められない。
そして最後のパスは、まるで最初から決まっていた終止符のように、奏音の足元へ吸い込まれるように届いた。
(ここだ!)
奏音は迷うことなくゴールへ駆け出す。光の五線譜が足元を導き、仲間たちが繋いできたボールが軽やかに弾む。ゴールまで、あとわずか。
「奏音!」
拓人の切迫した声が響く。
その声に、奏音がわずかに意識を向けた――その瞬間だった。
「ここは通さねぇ!」
背後から浪川が勢いよく体をぶつけてくる。
「……っ!」
鋭い衝撃が肩から全身へ走った。思わず体勢を崩しかける。
(強い……!)
浪川の身体は岩のようだった。押し返すどころか、じわじわと押し込まれていく。
(ああ、そっか。この人だって、サッカーが好きなんだ……)
激しくぶつかり合ったその一瞬で、奏音は浪川の想いを感じ取っていた。
勝ちたい。負けたくない。その一心で鍛え上げてきた鋼のような体には、浪川が積み重ねてきた努力が刻まれている。
フィフスセクターのために戦っているからといって、この人がサッカーを嫌いなわけじゃない。だからこそ、奏音は思った。
(本当は……こんな形じゃなくて、普通に試合してみたかったな)
もし違う場所で出会えていたなら、きっと互いに全力を尽くし、試合の後には笑って握手を交わせたかもしれない。だけど奏音は静かに息を吸う。
(私は、みんなと笑ってサッカーがしたい!)
勝敗を誰かに決められるサッカーじゃない。拓にぃが心から笑って、みんなが自分たちの意志で戦える自由なサッカー。その未来を守れる、強くてかっこいい妹でいたい。
「……だから、負けられない!」
奏音は迷わず判断を切り替えた。足裏でボールを引き寄せ、自ら前へ出ていた勢いを反転させる。押し返すだけが、ぶつかり合いじゃない。奏音は張り合っていた力を、ほんの一瞬だけ抜いた。すると、浪川の重心がわずかに前へ流れる。
その一瞬を逃さず、奏音は再び足裏でボールを操った。左足を軸に、くるりと時計回りに一回転。リズムよく舞うようなターンで浪川をかわし、一気にゴール前へと駆け抜ける。
「なに…!?」
浪川が驚きの声を上げる。
(今だ!)
奏音は右足でボールを高く蹴り上げた。
ふわり、と宙へ舞うボール。その周囲へ黄金色の五線譜が幾重にも広がり、無数の音符が風に乗って軽やかに踊り始める。
宙に広がった光と音符が、奏音の一撃を待ち受ける。奏音は舞い上がったボールを見上げると、楽しそうにふっと笑った。
「――ピアチェーレ!!」
右足がボールを捉えた瞬間、音符が一斉に輝いた。ボールは眩いオレンジ色の光をまとい、美しい旋律を描くように一直線にゴールへ突き抜ける。
海王のキーパーが必死に両腕を伸ばす。しかし、光の旋律はその腕をも飲み込むように突き抜け、力強くゴールネットを揺らした。
「やったぁ!」
奏音は思わず拳を握り締める。その瞳に映るのは、自分ではない。駆け寄ってくる仲間たちの笑顔だった。
「よく決めた、奏音! 初得点だぞ!」
「やった! やった! 初得点だぁ!」
拓人と勢いよくハイタッチを交わし、仲間たちの笑顔に包まれる奏音。その姿を見つめる剣城だけは、どこか表情を曇らせていた。
浪川のショルダーチャージ。苦しげに息を漏らした奏音の表情。一歩間違えれば、倒れていたかもしれない。
(……危なかった)
胸の奥がざわつく。シードとの戦いは、これからもっと激しくなる。
奏音には、笑っていてほしい。誰よりも明るく笑い、誰よりも楽しそうにサッカーをしていてほしい。
(……もう、危険な目には遭わせたくない)
その想いは静かに、しかし確かに、剣城自身も気づかぬうちに心の奥深くへ根を下ろし始めていた。
対するは、準決勝で青葉学園を下して勝ち上がってきた海王学園。フィフスセクターが育成したシードのみで構成されたそのチームは、荒れ狂う海を支配する海賊さながらの獰猛さと、鍛え抜かれた実力を併せ持つ強敵だった。
ハーフタイム。監督である円堂は、天馬をゴールキーパーに起用するという大胆な作戦を打ち出した。
そして迎えた後半戦。二点を追う雷門は、天馬にゴールを託す不安を抱えながらも、果敢に攻め込んだ。拓人を中心に攻撃を組み立て、信助も相手のパスをカットする。徐々に仲間たちの動きが噛み合い始め、試合の流れは雷門へと傾いていった。しかし、海王も簡単には崩れない。
「どうした野郎共! お前らそれでもシードか! シードの誇りはどこへいった!」
キャプテンである浪川の一喝に応えるように、湾田がボールを奪い取った。そして、行く手を塞ぐ車田と三国を前にしても、足を止めることなく、化身――音速のバリウスを発動する。圧倒的なスピードで二人を突破した湾田は、その勢いのままゴール前へと迫った。その先にいるのは――キーパー経験のない天馬だった。
(止められるのか……?)
天馬の表情が強張る。
(天馬くん……)
奏音は、思わず息を呑んだ。化身を発動した湾田が、天馬の前に立つ。今にも放たれそうなシュートの気配に、天馬の足がわずかに揺れた。だが、その迷いを見逃さなかった者がいた。
「怯むな!」
鋭い声が、フィールドに響き渡る。
剣城だった。奏音は、はっと顔を上げる。剣城の視線は、ただ真っ直ぐに天馬だけを捉えていた。
「サッカーを守るんじゃなかったのか! お前の好きなサッカーを!」
その言葉を聞いた瞬間、奏音の胸が強く震えた。天馬の言葉に影響を受け、以前とは少しずつ変わっていった剣城。そんな彼が、今では天馬とともに化身を追い求めている。その姿をずっと見てきた奏音には、今の言葉がいっそう深く心に響いた。
(そうだ。ここで点を入れられたら、今までやってきたことが、みんなでやってきたことが全部無駄になっちゃうんだ!)
誰にも決められず、自分たちの意志でボールを蹴るために――自分たちはここまで来た。三国が託したゴール。水鳥と信助の言葉。そして、剣城の叫び。みんなの思いを胸に、天馬の表情が変わった。迷っていた瞳から、不安が消えていく。
「絶対、止めてやる!」
天馬が力強く叫ぶ。
湾田がシュートを放った。
「サッカーは――」
天馬の声が響く。
「俺たちが守るんだ!!」
その瞬間だった。天馬の背中から、オーラが一気に噴き出した。
「……!」
雷門イレブンの目が、一斉に見開かれる。
吹き荒れる風が、フィールドを駆け抜けた。天馬を中心に巻き起こった力が渦を描き、その背後に巨大な影が浮かび上がる。
天馬の姿を覆うように現れたそれは、ひときわ高く咆哮した。燃えるように赤い翼。頭部から伸びる二本の角。鋭い眼光を宿した、力強い巨体。
サッカーが好きだという思い。誰にもその楽しさを奪わせず、仲間とともに戦いたいという願い。そのすべてを体現するかのように、天馬の化身は圧倒的な存在感を放っていた。
「これが……」
信助が息を呑む。
「天馬の化身……」
拓人も、その姿を見つめて呟いた。天馬は、湾田の放ったシュートを足で受け止める。激しい衝撃が走った。二つの力が、真正面からぶつかり合う。だが、天馬の化身が拳を振り抜いた。次の瞬間、湾田の化身――音速のバリウスが大きく弾き飛ばされる。
「なっ……!?」
湾田が驚愕に目を見開く。勢いを失ったシュートは、そのままゴールの外へと弾き出され、ラインを割った。化身同士の力比べを制したのは――天馬だった。
一瞬、フィールドが静まり返る。天馬は肩で息をしていた。自分の力でゴールを守った。その事実だけが、まだ実感のないまま胸に残っていた。
「天馬!」
信助たちDF陣が、笑顔で駆け寄ってくる。仲間たちに囲まれても、天馬はまだ何が起きたのか分かっていないようだった。
「信助、俺……今……」
「ああ! 化身を出したんだ!」
霧野が、嬉しそうに声を上げる。その言葉を聞いて、天馬はようやく自分の身に起きたことを理解した。
「やったぁー! ついに、ついにやったんだ! 俺も化身を出せた!」
弾けるような笑顔。奏音は、仲間たちとともに天馬を見つめた。
(私も、負けていられない)
天馬が新しい力を手にしたように、仲間たちはそれぞれ前へ進んでいる。だったら、自分ももっと強くならなければ。
「天馬くんが……シュートを止めた……」
呆然と呟いたのは、速水だった。化身使いを擁する海王のシュートを、キーパー経験のない天馬が止めた。その事実は、速水の中にあった絶望を大きく揺さぶっていた。
もしかして雷門なら、本当に――。速水の胸に、そんな思いが芽生え始めていた。
後半からフィールドプレーヤーとなっていた三国が、本来のポジションへ戻る。
天馬の化身によって大きく流れが変わった試合は、海王のスローインから再開された。
「喜峰!」
浪川の号令と同時に、喜峰が前線へ駆け出す。猿賀のロングスローが一直線に喜峰のもとへ伸びた。
「ロングスロー!?」
拓人が目を見開く。
「この一点で勝負は決まりだ!」
喜峰は胸でボールを受け止め、そのまま足元へ落とそうとする。しかし、そのわずかな隙を霧野は見逃さなかった。鋭く足を伸ばし、鮮やかなインターセプト。
「速水!」
奪ったボールをそのまま速水へと繋ぐ。
「えっ!?」
突然のパスだったが、速水は反射的に足元でボールを収めた。
「渡すか!」
間髪入れず、凪沢が鋭い眼光を向けながら距離を詰めてくる。
「……っ!」
その気迫に、速水の体が強張る。足がすくみ、一歩が踏み出せない。脳裏をよぎるのは、これまでの自分だった。
失敗を恐れて、一歩を踏み出す前に何度も逃げてきた。だけど――速水はゆっくりと顔を上げる。その視線の先には、必死に戦う仲間たちの姿があった。そして自分も、このピッチに立っている。
(俺は今まで、何でもやる前から決めてました。やりもしないでそんなの出来ないって)
拳を強く握り締める。
(でも――やってみなきゃ、できるかできないかなんて分からないんだ!)
その瞬間、速水の瞳に強い決意が宿った。大きく一歩、前へ踏み出す。
「ゼロヨン!」
その掛け声と同時に、地面を力強く蹴った。
――消えた。
そう錯覚するほどの爆発的なスタートダッシュ。一瞬で最高速へ到達した速水は、風を切り裂きながら凪沢の脇を駆け抜けていく。
彼が振り返ったときには、もう速水の背中は遥か前方だった。
「やりぃ!」
浜野が思わず拳を握って叫ぶ。親友の歓声に背中を押されるように、速水は力強く頷くと、そのまま勢いよく前線へ駆け上がった。
「こっちだ!」
ゴール前へ走り込んでいた剣城が鋭く呼ぶ。速水は迷いなくラストパスを送り出した。一直線に伸びるボールへ、剣城が力強く踏み切る。高く宙へ舞い上がると、そのまま大きく体を反らせた。
「デスドロップ!」
蹴り上げたボールに禍々しい黒いオーラが渦を巻く。次の瞬間、剣城は渾身のオーバーヘッドキックを叩き込んだ。
黒き一撃は重力ごと叩きつけるかのような勢いで落下し、轟音を響かせながら一直線にゴールへ襲いかかる。
海王のキーパーが必死に飛び出し、両腕を突き出す。しかし、黒い衝撃はその腕を容赦なく押し切り、キーパーごとゴールラインへ押し込んだ。
スコアは二対三。
雷門はついに一点差まで追い上げる。海王イレブンの表情に焦りが走った。その隙を、雷門は見逃さない。
「神童!」
霧野が前線へ鋭いパスを送る。拓人は静かにボールを収めると、一瞬でピッチ全体を見渡した。
味方の動き、海王の守備陣形、そして次の一手へ繋がるわずかな空間。そのすべてを瞬時に見極めると、拓人の口元に小さな笑みが浮かんだ。
(今なら――みんなを導ける)
拓人は静かに息を吸い込み、右手を高く掲げた。
「みんな――行くぞ!」
その声とともに、拓人はオーケストラの指揮者のようにタクトを振るう。
「神のタクト!」
次の瞬間、グラウンド一面へ黄金色の光のラインが駆け抜けた。
「速水!」
「はい!」
拓人の指先が描く光の軌跡は、相手の陣形に生まれた一瞬の綻びを逃さず捉え、雷門イレブンを勝利へ導く最適な道筋を紡いでいく。そこへ、完成された旋律をさらに高める新たな音が重なった。
「奏音!」
拓人の呼びかけに、奏音は力強く頷いた。
「おっけー! 拓にぃ!」
両手をゆっくりと広げる。その姿は、まるで演奏会の幕が上がる瞬間のようだった。奏音の指先が宙をなぞるたび、橙色に輝く無数の音符がピッチへ舞い上がる。
「神のカノン!」
――これが、神童拓人の『神のタクト』と対を成す、神童奏音のタクティクス。
だが、『神のカノン』は単体では発動できない。指揮者である拓人が描く黄金色の光のラインを追うように、奏音の音符が次々と重なっていく。
先に示された道筋を、後から追うように奏でていく。それはまさに、音楽における「カノン――追奏」そのものだった。
拓人が指し示した動きを、奏音が寸分違わず追いかける。二人の動きが重なるたび、雷門イレブンの連携はさらに滑らかになっていく。ボールの保持は安定し、パスが繋がるたびに選手たちの集中力と連携の精度が高まっていく。
まるで、ピッチにいる全員の力が一つの音楽へと束ねられていくようだった。拓人の「指揮」と奏音の「演奏」。二つが完全に重なったとき、神のカノンはその真価を発揮する。
「これは……!」
海王イレブンが息を呑む。
黄金色のラインを追うように、橙色の音符が軽やかに舞う。まるで二つの旋律が重なり合い、ひとつのハーモニーを生み出しているかのようだった。
「浜野くん!」
「よっしゃ!」
浜野は迷うことなくワンタッチで前線へ流す。
「天馬くん!」
「はい!」
天馬も振り向くことなく、次の仲間へボールを繋ぐ。
「ボールが運びやすい! これが神童妹先輩の『神のカノン』……!」
天馬の顔に驚きと歓喜が広がった。誰も立ち止まらない。誰も迷わない。仲間がどこへ走り、次に誰へボールを繋ぐのか。まるで全員の呼吸が一つになったかのように、雷門イレブンの体は自然と動いていた。
ボールは仲間から仲間へと淀みなく繋がれていく。雷門イレブンは一つのオーケストラとなって、海王ゴールへ雪崩れ込む。誰にも、その演奏は止められない。
そして最後のパスは、まるで最初から決まっていた終止符のように、奏音の足元へ吸い込まれるように届いた。
(ここだ!)
奏音は迷うことなくゴールへ駆け出す。光の五線譜が足元を導き、仲間たちが繋いできたボールが軽やかに弾む。ゴールまで、あとわずか。
「奏音!」
拓人の切迫した声が響く。
その声に、奏音がわずかに意識を向けた――その瞬間だった。
「ここは通さねぇ!」
背後から浪川が勢いよく体をぶつけてくる。
「……っ!」
鋭い衝撃が肩から全身へ走った。思わず体勢を崩しかける。
(強い……!)
浪川の身体は岩のようだった。押し返すどころか、じわじわと押し込まれていく。
(ああ、そっか。この人だって、サッカーが好きなんだ……)
激しくぶつかり合ったその一瞬で、奏音は浪川の想いを感じ取っていた。
勝ちたい。負けたくない。その一心で鍛え上げてきた鋼のような体には、浪川が積み重ねてきた努力が刻まれている。
フィフスセクターのために戦っているからといって、この人がサッカーを嫌いなわけじゃない。だからこそ、奏音は思った。
(本当は……こんな形じゃなくて、普通に試合してみたかったな)
もし違う場所で出会えていたなら、きっと互いに全力を尽くし、試合の後には笑って握手を交わせたかもしれない。だけど奏音は静かに息を吸う。
(私は、みんなと笑ってサッカーがしたい!)
勝敗を誰かに決められるサッカーじゃない。拓にぃが心から笑って、みんなが自分たちの意志で戦える自由なサッカー。その未来を守れる、強くてかっこいい妹でいたい。
「……だから、負けられない!」
奏音は迷わず判断を切り替えた。足裏でボールを引き寄せ、自ら前へ出ていた勢いを反転させる。押し返すだけが、ぶつかり合いじゃない。奏音は張り合っていた力を、ほんの一瞬だけ抜いた。すると、浪川の重心がわずかに前へ流れる。
その一瞬を逃さず、奏音は再び足裏でボールを操った。左足を軸に、くるりと時計回りに一回転。リズムよく舞うようなターンで浪川をかわし、一気にゴール前へと駆け抜ける。
「なに…!?」
浪川が驚きの声を上げる。
(今だ!)
奏音は右足でボールを高く蹴り上げた。
ふわり、と宙へ舞うボール。その周囲へ黄金色の五線譜が幾重にも広がり、無数の音符が風に乗って軽やかに踊り始める。
宙に広がった光と音符が、奏音の一撃を待ち受ける。奏音は舞い上がったボールを見上げると、楽しそうにふっと笑った。
「――ピアチェーレ!!」
右足がボールを捉えた瞬間、音符が一斉に輝いた。ボールは眩いオレンジ色の光をまとい、美しい旋律を描くように一直線にゴールへ突き抜ける。
海王のキーパーが必死に両腕を伸ばす。しかし、光の旋律はその腕をも飲み込むように突き抜け、力強くゴールネットを揺らした。
「やったぁ!」
奏音は思わず拳を握り締める。その瞳に映るのは、自分ではない。駆け寄ってくる仲間たちの笑顔だった。
「よく決めた、奏音! 初得点だぞ!」
「やった! やった! 初得点だぁ!」
拓人と勢いよくハイタッチを交わし、仲間たちの笑顔に包まれる奏音。その姿を見つめる剣城だけは、どこか表情を曇らせていた。
浪川のショルダーチャージ。苦しげに息を漏らした奏音の表情。一歩間違えれば、倒れていたかもしれない。
(……危なかった)
胸の奥がざわつく。シードとの戦いは、これからもっと激しくなる。
奏音には、笑っていてほしい。誰よりも明るく笑い、誰よりも楽しそうにサッカーをしていてほしい。
(……もう、危険な目には遭わせたくない)
その想いは静かに、しかし確かに、剣城自身も気づかぬうちに心の奥深くへ根を下ろし始めていた。