短編
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急患が運ばれてきたらしい。
膨大な包帯の布をせっせと洗っていると婦長から呼び出しを受けた。
どうやらかなり重症のようで、殆ど身の回りのことをしないといけないほどだという。新人看護婦の私に大方の世話をしなさいと命を受けた。いまだ技術不足の私が慣れるためだろう、完全な担当というわけではないようだがどんな人だろうか、身体の状態は如何程なのか…。少し不安を抱えながらもわかりましたと返事をし、元の業務を片付けるために部屋に向かった。
※
例の患者のいる病室に向かうと手術が終わったばかりで麻酔が抜けていないのか男は眠っていた。診療録を確認すると、男の名前は尾形百之助という名前らしい…顎の手術が主なようでこれは数日は顔が腫れてとてもご飯なんて食べられないだろうなぁなんて考えながらそっと検温を行い同室の別患者の処置の準備を行うために部屋を出た。
その後同室の他の患者の検温や綿紗の交換に追われている時に視界の端にもそりと動く影が見え、振り返るとどうやら彼は意識を取り戻したらしい。
「尾形さん…お目覚めですか」
「…グ、こ…こは…ど…だ」
術後の痛みと、顎周りは包帯と綿紗で固定しているため随分と話しにくそうだ。無理に話さなくてもいいようにできる範囲で情報を提供する。
「ここは軍の管轄の病院です。尾形さん腕や顎色々怪我して入院してるんですよ、顎の手術は終わったばかりなので無理にお話しすると傷口に障りますよ」
「…」
そうか、と呟き男は私を見つめていた。…彼の黒い瞳には痛みや気分が悪いような苦痛の表情ではなく何を考えているかわからないようなものが訴えかけられているようで、心が少しソワソワとしてしまう。私は場を切り替えるように寝台の側にある呼び出し用のベルの説明やこの後すぐには起き上がれないことを伝え尿瓶を置き、詰所に彼が意識を取り戻したことを急ぎ早く伝えに行った。
数日が過ぎ顎にある傷の腫れが山場を超えたあたりから、徐々に尾形さんと話す機会が増えていた。
日々の検温の合間に世間話を振ると大抵は無視か生返事くらいしか返ってこなかったが床上安静は存外暇なようでポツポツと話をしてくれるようになっていた。
もちろん彼専属の看護婦というわけにもいかず他の患者への処置や清掃、雑務を行なっていく中で少しずつ割く時間での会話は信頼関係を築けているようでどこか満たされるような、嬉しい気分だった。
今日もいつもの時間に検温のために訪室する。
「尾形さんおはようございます。気分は如何ですか」
「ああ…まだ痛むが腫れがマシになった」
「それは良かったです!傷の様子を見させてくださいね」
許可をもらい包帯をめくり腫れている患部をそっと確認する。縫われている傷口の発赤はだいぶ良くなっているがまだ少し熱感がある。
「熱を測ったら、あとで冷やした手拭いを持ってきましょうか」
「そうしてくれ…他に傷に何かあるのか」
「いえ、私まだこういう手術痕見慣れなくて不思議だなぁと…不躾でしたね、すみません」
「いや、別に。こんな面倒見のいい優しい患者が初めてで良かったな」
「ふふ、そうですね、尾形さんが初めでよかったです。うっかり失敗しても許してくれそうで」
「おい」
そんな話をしながらまた来ますね、そう言って軽く会釈し次の患者の元へ回った。
正午を過ぎ昼食が終わった頃時間に余裕があったので尾形さんのところへ訪室する事にした。
「尾形さん、ご飯食べられました?」
「名前か…食いにくいが、まぁ大体は」
昼食の盆を見やるともうずいぶん食事も取れるようになっているのを確認して話を持ちかけた。
「尾形さんよかったら、少し歩きませんか。ずっと寝ていると体力が落ちてしまいますし…軍人さんは鍛えてらしてるからまた元に戻すのが大変にならないようにどうでしょう」
男はふんと鼻を鳴らした。
「退屈してたところだし、いいが…勝手に歩くのは未だに駄目なのか」
「今回どれくらい歩けそうかで決めましょう」
そんな話をしながらまずは一周からだと病室を出た。
数日床に伏せていてもやはり軍にいた人間なのか体格が非常に良かった。ややふらつく彼の横に付き添う…やはり若さもあってそこまで苦でもないようだ。
尾形さんは辺りを見回して色々見学しているようだ。運ばれてきてからゆっくり病棟を見ることができなかったからだろうか。…そこまで体力も落ちていないようで何周か歩く事ができるようであった。
「この調子なら翌日翌々日からお手洗いや近くまでならお一人で歩いても良さそうですね」
「そうか、付きっきりだと大変だろうアンタも」
「そこまで大変ではないですよ、遠慮せずに何かあれば申し付けてくださいね」
部屋に戻り手早く包帯と体を拭く準備を行い着替えを手伝う。それが終わりまた来ますと伝えるとじゃあなと尾形さんは少し笑っているように見えた。
尾形さんが少し体調が良くなり始め抜糸も程なく終わった頃から同じ軍の方達がもっと病室に出入りするようになった。なにやら大事な話をしている人や茶化して笑いに来ている方もいるようだ。
話終えたであろう軍人さんと入れ違いに病室に入り彼の元へ向かう。
「尾形さんおはようございます。…お見舞いですか」
「そんないいもんでもねぇよ」
「心配されてきてくださったと思うんですけど…」
そう話ながら検温の準備をする。
「なぁ、外も…中庭か、歩きたい」
「歩けるようになってますし、いいですよ。少し出てみましょうか」
「ああ」
かなり意欲的で喜ばしいことだ。足は骨折していなからだろう。
検温を終わらせて婦長に声をかけてから一緒に中庭に出る。尾形さんがいる病室が見える位置や兵営の場所や畑などの場所も説明すると彼はふぅんと辺りを見回していた。
ちょうど腰掛けがあるのでそこで休憩しようと声をかけ、お互い腰をかける。いい天気ですねなんて空を眺めていると、なぁと尾形さんが声をかけた。
「お前はもし敵軍の1人が倒れていたらどうする」
「えっ」
唐突な質問で少し動揺してしまった。
「…どうするんでしょうね、応急処置をして上に報告…とかでしょうか」
「そいつがその後殺されるとしてもか?もしかしたら手当てしているときにお前が殺されるかもしれないだろう。その仕事柄の模範解答じゃなく、お前の話だ」
「ええ、と…私が看護婦でなくてもそれに近いことをしてると思いますよ。あ!でもちょっと拘束はさせてもらいますけど…人を害するのは根本的に怖いんですよ」
そっと尾形さんから自分の膝に視線を落とす。何故そんな事を急に聞いてきたのだろうか。
「こいつらは悪いことをしてた、殺しても罪じゃない奴らだ」
どこか自問自答しているような彼にとって、欲しい回答はきっとこれじゃないんだなと感じる。彼はゆっくりと目を細めて私を見つめた。あの目だ。
「…きっとこれからそれなりに人が死ぬところを見るんだ。慣れたらいい、お前も俺と同じ考えになるはずだ」
「そうなん、でしょうか…」
数年後また私に聞いてみてください、なんて濁しながら笑うと尾形さんは少し黙ってもうそろそろ戻るかと腰掛けから立ち上がった。私も慌ててついていく。
あの問いは私に投げかけるというより心の整理をする為に話したのだろうか…どう答えれば良いか歯痒さを感じながら彼に付き添いながら病室に戻った。
※
突然のことであったが、尾形さんが脱走したと聞いたのは私がお休みをいただいていた日だった。
どうやら同じ軍の人と揉めたようでそのまま病院外へと逃げ出したそうだ。
婦長や先輩に以前の様子はどうだったか心当たりはないか問いただされたが病院から逃げ出したことに関連するような情報も無くなにも言えなかった。
いまだに捜索しているそうだ。
その後も私はそんな出来事も関係なく仕事はあるし運ばれてくる患者達の看護も忙しなく日々が過ぎていく。
しかしいつも通りに業務を行う中ふとあの尾形さんの目が、縫い目がじわりと頭に焼き付くように思い出すのだ。
きっともう会うことはないかもしれないけれど次に会うことがあれば顎の傷を見せて欲しい。膿まずに綺麗に治っていれば良いのだけれど。…中庭で話したあの話の応えとして、尾形さんの考えは別に悪い考えじゃないんですよ。貴方なりの答えは否定してるんじゃないんです。と声を掛けられたら。それでも尾形さんの求めているものではなくて納得しなさそうな顔をするだろうなぁ。なんて、私は物品庫で一人包帯を片付けながら少し笑った。