恋しらず
歯医者の一件から土方はモヤモヤして、ソワソワしていた。
訳もわからず叩かれて痛みが増した歯は、サラダ婆を付けられはしなかったが、ドリルでゴリゴリやられて辛かった。
医者から「土方さん。これね、叩かれた衝撃で他の詰め物も取れてるよ」なんて云われて余計な治療までした。
土方をビンタした相手は先に治療を終えて帰ってしまい、文句を云う暇もなかった。
土方は詰めたての歯で煙草のフィルターを噛み締める。
「訳わかんねーこと云いやがって・・・」
不意打ちで無理やりキスした事を怒るならまだしも、他の奴がどうのこうのと云い出して意味不明だ。
それも一月以上経ってからだ。
日常の些細なピンチやトラブルに対する銀時の瞬発力を思えば、帰り道か後日にも文句をつけるなり、殴るなり反応できたはずだ。
それが当日は肩に担がれて大人しくしていたし、町中や居酒屋で鉢合わせても話題にしなかった。
こちらが持ち出さなければ、向こうは無かったことにしたかったのだろうか。
思えばぎこちない態度は、またされるんじゃないかと警戒していたのかもしれない。
確かに、ちょっとやりすぎたが男同士だ。
犬に噛まれたとでも思って両成敗でいいじゃねーか。
土方は想像の銀時へ何度か云ってみたが、ばつが悪くなるだけだった。
銀時のらしくない侮蔑の言葉と冷たい瞳の奥は、怒りがこもっていた。
いつもは隠しもせず、ギャンギャン噛み付くような喧嘩をする。
それから、さっぱり終わる。
あんな風にキレられたのは初めてでしかも尾を引くやり合いに、土方もこのまま放置しちゃマズイのでは、と漠然とした焦りがある。
しかし理由がわからないので、どうすれば良いのか?どうにかする必要があるのか?なぜ焦りを感じるのか?なんてことを考えてこんがらがって有耶無耶にしているところだ。
土方は組んだ足を揺すり、目を閉じる。
夜警中の車内は、紫煙と暖房の熱が籠っている。
自然、うとうとする。
『お前の吐き出したそのきたねー煙が俺のピチピチな肺を汚しちゃうだろが』
ふと銀時の戯れ言を思い出して唇の端で笑う。
きたねー煙で悪かったな。
深い息で煙を吐き出す。
『ねえ。俺にもかっぱ巻き分けて』
記憶より物欲しげな表情の薄く開いた唇から白い歯が覗いている。
虫歯なんてなさそうだ。
甘味に寿司にポップコーン、おでんに酒。
たくさんの食べ物を吸い込み、咀嚼し、飲み込む、わがままで食い意地のはった口。
熱くてほんのり甘いだろう口腔に、己の唇を舐める。
絡めて吸って擦り合わせた粘膜の感覚がよみがえり、無性に喉が乾く。
銀時が目蓋を閉じて無防備に見せる。
あと少し首を伸ばせば届く距離。
あぁ、キスしてぇな・・・・・・
「―――っ・・・!アチッ」
土方は驚いて目を覚ます。
組んだ腕に落ちた煙草を拾い、慌てて灰皿に擦る。
咥え煙草でうたた寝した口角は涎をくっていて、ゴシゴシと袖で拭ってから運転席を振り返った。
ちょうど沖田がドアを開けて乗り込んでくる。
「あーくっさ!窓開けて吸えって何度云やぁわかるんですかィ?」
「うるせーよ。お前は小便長すぎだろ」
「いや。小便が大便の気分になったんで・・・」
言葉を切る沖田が、ポーカーフェイスを決める口許の白い筋を見て、「アンタ寝てたでしょう」と白い目を向けた。
*****
山崎退はかぶき町を歩いていた。
今日は非番だ。
たまには美味しいものでも食べようか、なんて思って出てきたのだ。
この町は通過点にすぎない。
「あ、旦那」
目の前から坂田銀時が歩いてくる。
歩けば出会うなんてさすが、かぶき町で万事屋などやっている男だ。
銀時が顔を上げて山崎を認めた瞬間・・・ヘッドロックされていた。
腕と胸の間で、ミシミシと頭蓋骨が軋む。
「いだだだだだだ!?」
「ジミーくぅん、おまえに話があんだけどお。今いいかなあ」
「だ、だんなァァ!頭潰れるぅう!!」
猫なで声の銀時は、間違いなく機嫌が悪かった。
美味いものを食べるはずだったのに喫茶店でホットケーキを奢る山崎は、十中八九上司の事だと当てがつく。
「おたくの副長、どうなってんの」
銀時がメープルシロップでどぼどぼになったホットケーキにフォークを突き立てる。
憎いあんちきしょうだとでも云いたげだ。
山崎は視線を落として問う。
「あの、副長がなにかしましたか」
答えたくないのか、銀時はムスッとしたまま大口でホットケーキを頬張っている。
フォークを持つ手や腕に引っ掻き傷がある、なんて観察しながら山崎は仕方なく予想をする。
ふたりのことで自分が絡んだ案件で旦那が怒ること・・・。
「あ、キスですか?」
「ぐっ!?ふんがっふっふ!」
ホットケーキが詰まったのか、胸を拳で叩きカフェオレを流し込む姿は図星のようだった。
「お、おまっ、なにいってんの!?」
「あれ、違うんですか。てっきりアレで荒れてんのかと・・・」
銀時がカップを握りしめ居心地悪そうに視線を揺らす。
彼の珍しい姿に山崎は、おや?と思った。
「・・・なんで知ってんだ」
「本人から聞きましたよ。あの夜、機嫌良く帰って来て『勝った』て云ってました」
「『勝った』?」
「ほら、旦那の誕生日に仕返ししようとしてるってオレ云いましたよね?」
黙ってしまった銀時は、目玉を左上に向け、遠い目をすると、なにか思い出しているようだった。
それから眉間に皺を寄せて罪のないホットケーキにフォークを突き立ててズブズブの穴だらけにしていった。
*****
銀時は、あの夜キスをされて『ついに』と思った。
これまでの土方の視線や素振りに『もしや?まさかね?』と思っていた。
だからあのタイミングでキスをかまされて、予想外だったが『ついに』と思ったのだ。
仕返しでも酒の勢いでも名目はなんであれ、ついに土方は俺への想いをぶつけてきた、と。
しかし、ぶつけてきたのは日頃の腹立ちだと云われた。
『また酒の勢いでしてきたら?』
『素面で求められたら?』
『急にあの雰囲気を醸されたら?』
ひとりでドキドキして、そわそわして、悶々として馬鹿みたいだった。
あの薄い唇とひりつく舌を受け入れてしまってから、気まずくて、気恥ずかしくて、あの夜が話題にのぼるたび冷静に居られなかった。
あの夜、かますだけかまして弁解もせず万事屋前に銀時を置いていった男が、そんな自分をどう思っているのか、会う度に気になった。
それだって、純粋にただの嫌がらせであったのならどうとも思ってなかったと今はわかる。
むしろうんざりするほど嫌いらしいから、逆によくキスなんぞ出来たなと執念に感心する。
意気揚々と部下に『キスして勝ってやった』などとのたまうバカだ。
バカ野郎にされたことでバカをみた自分はもっとバカだ。
バカ犬に噛まれたとでも思えば良かったろーが。
銀時はあの夜の土方を犬に置き換えてみた。
シェパードやドーベルマンなんかじゃない、雑種の黒い犬だ。
定春と変わらない、犬のやることに本気で怒るなんてどうかしている。
垂れ耳の犬がきょとんとした表情で首をかしげる。
『おまえ・・・たかが野郎同士のキスに、なんでそんなムキになってんだ?』
全然犬じゃない。
土方が自分に対して少しでも好意を持っているなんて思い上がっていた。
キスの意味が自分の見当違いだった事に思わず落胆した。
落胆するなんて、いったい自分はどういうつもりなのか自分でもわからなくて混乱する。
おふざけで良かった、何も変わらずに済む。
そう思えない、勝手に失恋したみたいになっている事に腹が立つ。
自分の思い違いを見越してキスを選んでいたとしたら、土方はとんでもない策士だ。
一緒にいて時々楽しそうにしてみせていたくせに、とんだ人たらし野郎だ。
振り回してきたはずが今は振り回されている、まんまとやられた。
グズグズのホットケーキにシンパシーでも感じたのか、腹癒せにされている山崎が死んだ顔でホットケーキを見ている。
ムカついてああは云ったが、土方が真選組の面々にしょっちゅうキスをかましているなんて本気で思いはしない。
それでも銀時はつい山崎の唇を見てしまう。
「嫌でしたか、旦那?」
不意に訊かれて、舌打ちしたくなる。
まさか土方も、なんか盛り上がって舌まで入れたんだぜとはさすがに云っていないはずだ。
答えたくないが、即答しないと『まんざらでもない』と勘違いされるのも嫌なので、銀時は吐いて捨てるように答えた。
「聞くまでもねーだろ」
「そうですか」
全然興味なさそうな返事だった。
「そうですか、じゃねーよ!なにその澄ました態度!?ジミーのくせに腹立つんですけどォ!なんなのおまえ?くだらねえこと訊いといて、その態度?むかつくな、キスしてやろーか」
小言を無視する山崎の小さな茶目は喫茶店の窓ガラスへ向く。
銀時もつられて見るが、ステンドグラス風のフィルムが貼られた窓には何も映っていない。
「・・・なら、俺からお話する事は何もないですね」
「・・・・・・なにそれ」
「いえ、今の旦那に云っても不快になるだけでしょうし。気にせんで下さい」
一方的に話を切る山崎がストローでカラカラと氷をかき混ぜる。
クリームソーダが似合わない男だ。
「その奥歯に物が挟まったような言い方が気になるんだけど。云ってみないとわからないだろ」
「いや。木刀で殴り殺されちまいそうなので嫌です」
「云っても云わなくても4分の3殺しにするから心配するな」
銀時が木刀を握り締めれば、顔をひきつらせた山崎がグラスから手を離す。
「キスですけどね。副長は多分したかったんですよ」
「・・・・・・そりゃしたかっただろーよ。日頃の恨み抱えて虎視眈々だったんじゃねーの」
「そうじゃなくて。
言葉遊びのような要領を得ない話し方だ。
ジミーはこんなに面倒臭い男だっただろうか。
銀時は彼の顔を眺めた。
「4分の3殺しでも俺から云えるのはこれくらいです」
「・・・あえて云う必要あった?ソレ」
「どうでしょうね」
今はわからないですね、と続けた山崎がホットケーキの欠片をとって口に入れる。
モサモサ動く口を見て、銀時もホットケーキを口に運んだ。
モサモサのホットケーキでもメープルシロップが染みて美味しい。
それでも土方の部下だから、嫌味のひとつでも云ってやりたくて、頬杖をつく。
「はあーあ。おたくの上司、むかつくたびにキスかましてちゃ、頭バグっても仕方ないね」
「なんですそれ?どこの破廉恥上司?」
銀時は指先でフォークを回してみせると、きょとんとする山崎へ先端を向けていった。
「おたくの鬼バカふくちょーさん」
了
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