恋しらず
ここ最近の土方十四郎は機嫌が良かった。
心をかき乱す銀髪の男にひと泡吹かせることが出来たからだ。
人を振り回して飄々としている男が、驚き惚けて見上げてきた時には溜め込んだモヤモヤがふっとんで気分がスカッとした。
咄嗟の思いつきでしたキスも、同じ顔をさせられるなら何度だってしてやりたい。
・・・してやりたい?
土方は首を傾げてから、そう何度もしてたまるかと思い正す。
意地汚い野郎の口に誰が好き好んでキスするものか。
どうせ同じ手は通じず、向こうも逆手に取って嫌がらせをしてきそうだ。
ひとり頷いて、瞼を擦る。
「・・・・・・だめだ。頭に入らねぇ」
さっきから明後日の事ばかり考えて、見つめるだけの書類から顔を上げると口元に手を当てる。
たった一勝に浮かれて自分でもおめでたいと思うが、気づけば脳ミソがリフレインしている。
休日に仕事をしているのだから集中が切れるのも仕方ないかと、書類の山に目をやる。
「よし。これを片付けたら呑みに行く」
せっかくの休みを書類事で終わらせないよう、自分と約束する。
時計の文字盤で目標を定めて男を追い払うと、読みかけの文面を頭から読み直すことにした。
*****
終わったと伸びをする頃にはマヨボロ二箱が空になっていた。
ニコチン脳は空腹を感じないが、己との約束通り行きつけの居酒屋へ向かう土方を木枯らしが追い立てた。
19時を回った店内は賑わっていて、馴染みの店主がカウンターから会釈をする。
「いらっしゃい旦那、非番ですかィ?混んでてすいませんね」
「満席か?」
「あすこの席で良ければ空いてますから」
奥のカウンター席を勧められて便所の前か・・・と一瞬残念に思うが、ここでごねたり踵を返すようじゃあ度量が狭いと頷く。
いつもの注文をしてから、縦長の店内を人の背中に断りを入れて奥へ進めば、銀色のほわほわ頭が見えた。
瞬間、土方の瞳孔はギュンと開いて胸が高揚感に膨らむ。
「よろず、ゃ・・・」
勢いで声を出してから、しまったと思う。
隣に座ってからならば、座って気付いた風に文句のひとつも云えば事足りるが、座る前だとわざわざこの男の隣を選んだようで気まずい。
席がここしか空いて無いからだと言い訳しなければならない。
云わずにおれない自分に最近少し疲れるのは、それが本心でなくなってきているから。
だが土方は単にやり合うのが面倒だからだと置き換えている。
なにより、猪口を片手に頬杖をつく横顔は、考え事をしている様子でいた。
珍しい思案顔に、邪魔をするのが自分だということが嫌だった。
ふたりは相談に乗ることはおろか、相談されるような関係でもない。
それを、もどかしいと感じる心に、土方は汗ばむ掌を握りこんだ。
時すでに遅し、銀時が見上げてきて、ぎょっとした顔をする。
会いたくない時に会いたくない奴に会った感が土方にも伝わってくる。
その動揺は、手にした猪口から酒がこぼれるほどだったので、土方はやはり罪悪感を覚えて顔をしかめた。
しかめっ面を零れた酒に転嫁する。
「オイ、こぼしてんぞ。俺の席を汚すんじゃねぇ」
「えっ?お、おぉ、てか、え、なに?ここに座るの?なにしにきたの?なんなの。え、ホントなんなの?」
「なんなのって、客に決まってんだろが。ここしか空いてねーんだよ。でなきゃ、便所の前のおまえの隣なんぞ、わざわざ選ぶかよ」
少しの疲労感に土方が舌打ちをして座れば、右側の銀時はゆっくり腰を浮かせる。
「え、アー、ねぇ親仁?俺そろそろ勘定・・・」
「銀さん、お待ちどおさま!」
ドン!とカウンターに置かれたモツ煮込みと卵焼きに銀時が気まずそうに椅子へ腰を戻す。
銀時の前には酒しかなく、これがはじめの注文なのは明らかだった。
「おまえ、注文も忘れて帰ろうとしたのか?」
驚き半分呆れ半分で訊ねると、銀時が開き直った顔で腕組みしてみせる。
「あぁーん?ちげーよ俺ァ、ただおまえが気持ちよく酒を呑めるよーにここを譲ってやろうと思ってだなぁ。そのほうがお互い精神衛生上いいと思ってだなぁ。正直この場から逃げたくて居ても立ってもいられなくてだよ」
「・・・違いねぇ。そういうことなら俺が食っておいてやるから金払ってとっとと消えてもいいんだよ」
「イヤ、″だよ″じゃねーよ!それじゃ俺が奢ってやることになんだろーが!やだねッ!料理が出た今、是が非でも居座ってやらぁ」
不満げに唇をとがらせて皿をつつく銀時の姿にイライラする。
あれほど一緒にあれこれ食べて奢ってやったのに、今日は頼んだ料理を反故にしてまで逃げたいとはどういう了見なのか。
距離をおくようにあからさまに壁へ体を寄せている姿にもイライラする。
土方は冷酒を一息であおってモヤモヤむかむかする胸の内を洗い流すと、グラスをカウンターに打ち付けた。
横から驚きと非難の視線を感じて、胸がすくような腹立たしいような気分で、おかわりを注文する。
「はいよ。田楽も出来ましたぜ」
眉間に深い皺を刻んだまま、マヨネーズをたっぷりかけた茄子田楽を箸でほじる。
隣では銀時がこれまた不本意そうにモツをくちゃくちゃいわす。
隣り合わせた自分への文句に聞こえ、土方はギッと睨み付けた。
「くちゃくちゃくちゃくちゃうるせーな、早く飲み込みやがれ!」
「は?モツをくちゃくちゃいわせずに食える奴いる?そもそも飲み込むタイミングいつなのコレ。おまえこそべちゃべちゃナスいじくり回してさあ、気持ちわりーんだよ」
「ナスのどろどろ具合なめんな。マヨネーズと絡み合って掴めねーんだよコレ」
「ナスって言うか最早マヨネーズだよ?マヨネーズに混ざってるナスだよ?なに、ディップソースですか?」
おえっと舌を出して見せる姿に土方は腹が立つよりもホッとした。
わけもなく余所余所しく遠ざけられる方が腹立たしいからだ。
銀時の肩も触れる位置に戻っていて、土方は気分よく下足の唐揚げにマヨネーズをかける。
その横からマヨネーズのかかっていない下足をさらわれても、自分の皿から物を取っていく彼の気安さにむしろ気分が良かった。
やり合ってばかりのふたりが互いの近況なんて話してみたりして、肩を並べて酒を呑む時に限っては穏やかな時間が流れる。
この男と過ごすなら常にこんな場がいいかもな、なんて時々土方は思う。
あれこれ理由をつけなくても素直に隣に居られる・・・。違う。
別に隣に居たいわけじゃなくて、平常心でいたいだけであって酒が潤滑剤になるならあった方がいいだけだから・・・誰に言い訳してんだ?俺か?
自問してかぶりをふる。
今日の銀時は自分の金だからだろう、徳利一本をチビチビ舐めるように飲んでいる。
唇をしきりに舐めて、ケチ臭いことこの上ない。
いっそ奢ってやろうかと思うが、つけあがりそうなのでしたくない。
ただ向こうから頼まれれば、一本くらい奢ってやってもいい。
そしたら笑顔のひとつでも見せるだろうか。
土方は銀時の横顔を見つめ、柔らかそうな頬をつねり口角をあげさせる想像をした。
間抜け面だ。
目が合いそうな気配にすっと視線を外せば、なんかおもしれーの?と銀時が土方の視線を追って壁のポスターを眺める。
ふわふわの後頭部と仕草が土方の胸をむず痒くさせて、澄んだ甘味がするすると喉を通り酒が進んだ。
「――なぁ、ピッチはやくね?もうやめとけよ。呼び出されたとき酔っ払ってちゃ、副長さん示しつかないんじゃねーの」
土方の酒の量に比例するように再び壁に身を寄せた銀時が、うかがうように見てくる。
心地好く呑んでいたところに、今までされたこともない心配をされて驚く。
俺の仕事の心配?違うだろ。
「余計な世話だ。俺は今まで正体をなくしたことなんぞ一度もねえ。てめえが金欠だからって人の酒にケチつけんな」
フンと鼻をならして反論を待つが、銀時は眉を寄せて何か言いたそうに唇をもごつかせたきりだった。
「なんだ?俺が酔っ払うとおまえに不都合でもあんのか?」
首をかしげる土方に、もごついていた銀時の口が驚いたようにパカッと開く。
「・・・えっ?あ、あるわけねーだろォ!おまえが酔っ払って道端で寝ようが、そこら辺で小便しようが俺には関係ないもんね!」
「おまえ酔ったら、んなことしてやがんのか。見つけたらしょっぴくからな」
土方はからかい半分呆れ半分、カウンターの下で膝を広げて銀時の脚を蹴る。
すかさずブーツの側面が蹴り返してくる。
ガツッ、ガツッガツッ。
草履の土方はやや不利だと感じた。
「やめろ。つーかこの前は手前が酔っ払ってゲロ吐きかけてただろーが」
一手にしては弱いと思ったのに、銀時の目がぎょんっと大きくなる。
それから、顔を真っ赤にした。
ゲロを恥じるタマでもないのにどうしたんだと土方が目を開いて驚くと、銀時がハッとしたように頬を叩いてみせる。
「あっ!?あ、これ酔ってるわ!俺酔ってるから顔赤いよねェ!?」
「お、おぉっ?」
「あーっダメだコレ!俺酔ってるから帰らねぇと!親仁!勘定してえ!」
銀時がガンっと椅子を倒して立ち上がると、薄い財布から掴み出した銭を机に叩きつけた。
店主は老眼鏡をかけて銭を数え、それを待つ銀時はソワソワと体を揺らしている。
「銀さん、百円足りないよ」
「はっ?・・・ああもうツケね!」
一方的に決めた銀時は、慌ただしく人の背をかき分けて店を出ていってしまった。
卵焼きが二切れ残っている皿をさげながら店主が首をかしげる。
「銀さんが卵焼き残すなんてなァ。めいっぱい甘くしてんだけど、今日は足んなかったかな」
店の卵焼きまで甘くしている甘党に呆れつつ、それを残してまで出ていった理由が土方にはわからなかった。
*****
土方は、歯が痛くなって歯医者を訪れていた。
云わずもがな、歯医者は大の苦手だ。
特殊警察バラガキ公務員、切った張ったの仕事で度々歯は欠けている。
そこにつけこんだ虫歯菌が厭わしい。
そしてさらに厭わしいのは隣でどんよりしている万事屋の男だった。
「土方くーん。なァんでまた、いるかな。前回で懲りなかったわけ?サラダ婆おかわりってか?渋すぎるよ、灰汁がでるよ」
いつもの調子だが、歯茎が腫れているらしくテンポの遅いフガフガした喋りだ。
どんよりした目で足元を見つめる土方も同じだった。
「それはこっちの台詞だっつの。お前こそ、なんだかんだあのマッサージ嬢のリピーターだろ。隠さなくていいから、ちょっとひいただけだから。ベティだっけ?よろしく云っといてくれ」
「勝手によろしくして、勝手にひいてんじゃねェ!いたた・・・甘党設定にしておいて虫歯ネタはないだろ、切っても切れない関係じゃん」
しくしくと頬を擦る姿を一瞥して、土方は再び視線を落とす。
甘味処での食べっぷりを思いだせば、角の生えた紫色の虫歯菌が糖分に歓喜するイメージまで浮かんでくる。
一度ならず二度までも歯医者が被るとはこれ如何に?
土方はここ数日、痛みで寝不足だった。
「菌・・・・・・。そうかっ!!」
鈍い頭で明察したとばかり、土方は膝をパンッと叩いて銀時へ向き直る。
「お前のせいだ!!」
「オイなんだァ!?やぶからぼうにッ!」
すぐに銀時も眉をつり上げて臨戦態勢になる。
にらみ合い、肩をいからせる。
歯医者嫌いは揃って気が立っていた。
気付いてしまった真理、後悔先に立たず。
土方は前髪を掻き上げて大袈裟に溜め息をつく。
「あの夜、おまえの口から虫歯菌が
「は、ぇ・・・・・・。ファッ!!?ァッ・・・」
変な声を出した銀時はみるみる顔を赤くする。
怒りで赤くなったにしては泣きそうな表情がちぐはぐで、痛かったのか口元を手で覆っている。
その仕草がちょっとだけ可愛くみえた土方だが、歯痛でそんな感情もかき消える。
銀時が指の隙間から涙声を漏らす。
「ぁ・・・ッあ、あの夜って・・・、おまえがしたんじゃねーかっ・・・!」
間違いないが、さも被害者のような言い方が気に入らなかった。
「ああ。それもこれも、おまえが俺をいらつかせるからこんなことになったんだ!テメーの虫歯菌と思ったらよけい痛くなってきた。・・・・・・なんだよ」
唖然として見つめてくる銀時を、そんなに見たって虫歯菌がおまえのものであるという認識は揺るがない、と土方は睨み付けた。
おもむろに銀時が口元から離した掌を握りしめたので、土方は殴られるかと身構えた。
「なに・・・・・・いらつくって・・・・・・。ソレ関係あんの・・・・・・?」
予想に反して銀時は、囁きのような、ぼんやりと宙に漂うような問いかけをした。
それがあんまり呆れたような、意図を全く理解出来ない様子だったので、バカにされた気がして、ムキになって土方はなおも詰め寄る。
銀時と接する中で煮詰まった感情をぶつける時だと思ったのだ。
「関係もなにも、アレはおまえへの腹癒せにやったことだ!いつも人を振り回しやがって俺はお前に出くわすたびに巻き込まれて、イライラして、疲れてんだよ!もううんざりだ!!」
云いながら、夕映えの銀髪と穏やかな時間が頭を過って、そればかりでもない・・・と思ったが伝えなかった。
とにかく歯が痛くて疲れていた。
ふわふわした前髪の下で、紅緋色の瞳が数度瞬いて陰る。
「・・・そーかい、そーかい。俺だって行く所いつもテメーと鉢合わせて、うんざりしてたところだよ」
立ち上がる銀時に、今度こそ殴る気かと土方は身構え、見上げてから胸がヒヤリとする。
己に向けられた、凍てつく紅緋色をはじめてみた。
「なら沖田にもすんの?」
「――は?」
「ゴリラにもジミーにだって、もちろんしてんだよな?おまえすぐイラついてキレるもんな」
「・・・なんの話だ。てめえこそ、今キレてんだろーが」
「キレてねえよ。訊いてるだけだぜ俺ァ。むかついたヤツには片っ端からキスしてんのかって訊いてんだよ、その口は!!」
云うや、銀時の手が思いきり土方の下顎を掴み上げてきた。
虫歯のある左頬に激痛が走る。
土方は驚いて銀時の腕に爪を立てて振り払うと、あまりの痛みに身を屈めて足を踏み鳴らした。
「あっ、いっ痛ってェ~~~・・・!?てめ、な、なに、なにしやがんだ!?」
悶え叫んでからハッとする。
――こいつ、何を云った?
「あー痛かった?逆もまたしかりだろ?俺はおまえの虫歯菌で痛てーよ。おめーはホモ選組でやり慣れてんのかもしれねーけど、どんだけイラついても俺は御免こうむるわ」
土方はようやくいつもの喧嘩でないと気付いた。
平坦な声音に、いつも以上に棘のある言葉に、よっぽど本気で怒っているとわかる。
しかしあれから一月は経っているのに、今更怒り出すなんて意味不明だ。
云ってることもめちゃくちゃで、口達者な男がらしくない。
ふつうでない。
土方は驚き半分、疑念半分で腰を上げると銀時と目線を合わせた。
銀時も一歩も退かず真正面から見据えてくる。
強くかたい瞳は緊張し余裕がなさげで、土方に違和感を与えた。
「おまえ・・・たかが野郎同士のキスに、なんでそんなムキになってんだ?」
銀時の目尻がヒクリと痙攣する。
似合わない神経質な反応に、土方は銀時の頬に手のひらを添える。
目尻をなぞると微かに湿っている。
頬は熱を持っていて、虫歯のせいかぽってり腫れていた。
酒で潤んだ目と火照る頬がよみがえる。
手を払い除けもせず突っ立っている銀時が僅かに震えて、白い喉仏から、ごきゅっと音がする。
「・・・なってねぇから」
「いや・・・なってるだろ。変だって、てめーで気付いてねえのか?」
云いながら、急に土方は銀時とのキスを、唇と舌の感触を思い出していた。
嫌がらせでしたにしては、熱くて、蕩けるような、甘いキス――。
不意に股間がじんわり熱くなる。
あっ?と思う間に、パァンッ!!と左頬を叩かれていた。
「俺ァ、なってねえっていってんだろーがぁああ!!!」
「いいい
あまりの痛みにうずくまり悶える横で、叫んだ銀時も痛かったのだろう。
右頬に手を当てて屈んでいる。
「坂田さん、土方さん。お二人とも診察室へどうぞ」
愛想のない歯科助手が奥から現れて、冷ややかな声で二人を呼び込んだ。