銀さん、ねこになる
猫生活最終日の朝は薄曇りだ。寝慣れた座布団で伸びをする銀時は、隊服に着替える沖田を眺めた。
沖田は風呂上がりにドライヤーをしないのに、朝は寝癖もつかず、手櫛で済む便利な髪をしている。案外ずぼらで顔を洗わず目脂を拭うだけなんて姿も見る。男だらけの環境に育ち、小綺麗な容姿を利用してサボっていると銀時は思った。
銀時はドライヤーもするし、二日酔いでない朝なら洗顔して髭剃りもちゃんとする方なのだ。
「旦那、いつもより毛が膨らんでるぜィ」
銀時の前に屈んだ沖田が背中を撫でてくる。
(湿度だよ)
銀時は不機嫌に尻尾を畳へ打ち付けた。
ひと足先に食事に向かった沖田が戻るまで、銀時はテレビのリモコンを押して結野アナのお天気コーナーを見る。
(猫の姿で結野アナの前に出れば、なでなでしてもらえちゃったり?あわよくば胸に抱かれたりして)
邪な事を考えて目を細めていた。
「にゃっ?」
ずん、と右手が重くなる。見ると男の手が落ちていて、ぎょっとした。
沖田は誰かの手を切り落として部屋に持ち込むほどエキセントリックな男なのかと思ったが、手は自分のフワフワの胸毛から出ていた。そういえば見覚えのある手だ。意識すれば、手は爪で畳を引っ掻いた。
(嘘だろ、これ俺の手じゃんんん!まさか、まさかこれ、人に戻りかけてんのか!?)
青ざめる銀時は狼狽える。まだ朝で、しかも一気に戻ると思っていたら、一部分ずつとは、なんとも気味が悪い。こんな姿を見られたら大騒ぎだ。
何処かに隠れなくては、と思う内に、いつの間にか手はフワフワの猫手に戻っていた。
(あれ???戻った??なんで??)
己の肉球がついた前足を凝視する。先程の人の手の名残は何処にもない。
しかし、突然あんな半端な戻り方をされてはおちおち昼寝もしていられない。先の姿を見られたら化物として処断されかねない。
(やべーぞこりゃあ、夜までどっかに潜んでねーと)
銀時は慌てて障子から濡れ縁に出ると、屯所内で潜めるところを探しにかかった。
「旦那ァ、ご飯・・・ってあれ、どこ行っちまった?」
おかかご飯と卵焼きを持ってきた沖田は部屋にいない猫に首を傾げる。「うんこでもしてんのかな」呟いて定位置に膳を置くと、仕事へ向かった。
銀時は薄暗い食糧庫に入り込み、積まれた米俵に寝転がる。
(困ったことになっちまった。あのバカ猫、こんなこと一言も云ってなかったのに)
猫塚の主に悪態をつく。夜まで暗い蔵に居なくてはならない。
(ま、寝てりゃ夜になるか)
楽天的に銀時は寝ることにした。
ところが、腹は減るし小便もしたい。
もやもやしていると、蔵の扉が開き隊士が三人入ってきた。
「米俵担ぎ出すぞ」
「なん俵だ?」
「三俵もあればいいだろ」
ガラガラと荷車も運びいれ、向かってくる。銀時は米俵の裏へ回り、蔵のすみに踞った。ズリズリと俵を引き摺り、持ち上げ、埃が舞い上がる。
「くしゅっ」
「あれ、おまえ今くしゃみしたか?」
「え?おまえだろ?」
「確かに聞こえたな。侵入者か?」
三人の隊士は手を止めて、蔵を見回り始めた。
くしゃみをした銀時は、隙を見てぬるりと扉を抜けると、隣の武器庫へ入り込む。武器庫はヒヤリとして火薬と鉄の臭いがする。打ちっぱなしの床もかたくて、居心地のいい場所ではなかった。そして、またもや隊士が入ってくる。
「昼飯までに終わらせようぜ」
二人組は帳面を手に武器の定数確認を始めてしまい、丸まっていた銀時を見て「あ、モップ片付け忘れてんな」と足で蹴ってきた。
「に゛ゃ」
「わっ!猫かよ!」
転がるように蔵を飛び出した銀時は、木陰に飛び込むと限界ギリギリで小便をする。
(埃まみれで野ションなんざ情けねー)
直後、ドンと左腕が現れて、重みに体が沈み地面に打ち付ける。
(おいいい!今かよ!)
猫から成人男性の片腕がにょっきり生えて、とんでもないことになっている。
片腕で体を起こすと、またスウと猫の前足に戻った。
(なんなんだよぉぉぉ!)
牢屋と拷問部屋に行くも、昼間から褌一つで逆さ吊りにされた男が水責めを受けている。男のガボガボと飛沫をあげて喘ぐ声も聞いていられないが、拷問中の土方がもうもうと上げるマヨボロの煙が目と鼻にしみていられない。
(あれじゃ、水の中も外も変わんねぇぞ)
ぺっぺっと鼻を前足で洗った銀時は、結局つつじの木の下に戻ったのだった。
「あれ、朝餉食べてないな。ま、傷んでもいかんし、下げちまお」
向かいで開いた障子から山崎が沖田の部屋に入るのが見える。いつものように沖田が置いてくれた膳を持って行ってしまう。
(ジミー待て。それ丁度食べようかなって思ってたところだよ!)
しかし、銀時の右後ろ足は、足先から足首までが人になっていたので到底出ていくことはできなかった。しくしくする銀時の足は数分して元の猫足に戻る。
(いつも妙なタイミングで変わりやがって)
空腹を抱えて悲しく不貞寝をするしかなかった。途中、水を飲みに出たところで耳だけが人になってしまい、まるで人の耳をつけたドラ○もん状態で参った。
アァ、アァ、と烏の鳴き声に目を覚ませば、しとしとと雨が降りだしていた。つつじの枝葉の隙間から、雨粒が垂れて毛はしっとり濡れていた。
(何時だ?)
銀時は隙間から空を見るが、雨雲が厚くてわからない。そのうちに、鐘が鳴り夕方だと知る。
(猫最後の日、早く終われぇえ)
寒いし、空腹だし、ひもじくて銀時は小さな頭を項垂れる。これも祟りの所以だろうか。
「旦那ぁ、なにやってんだ」
ビチャと濡れた土の音、今はもう聞き慣れた声に首根っこを掴まれる。首根っこを持たれると不思議と体に力が入らなくて長い体はずるりと引きずり出される。ぶらんと四肢を下げる白猫は、濡れそぼり土埃で灰色に変色していた。そのせいか、しょんぼりして見えて、沖田は大きな目をぱちぱちさせる。
「朝飯も食わねェで、一日中隠れてたのか。なんかあった?」
「うにゃ~(なんもかんも~)」
哀れっぽい鳴き声に沖田は笑うと、銀時をぶら下げたまま濡れ縁へ上がる。
「そんなに汚れてちゃ土方さんにどやされちまわぁ。さっさと洗って慰労会だ、旦那」
「にゃ~?(俺の慰労会?)」
銀時は浴場へ放り込まれる。ズボンの裾をあげ、上着を脱いだ沖田は腕捲りをすると汚れた猫を洗い始めた。
猫としてはじめて湯を浴び、石鹸を揉みこまれる。三井が首筋へ付けた薬も流れて気持ちがいい。
風呂桶の中で目を細める銀時に「猫のくせに水も平気なんてやっぱり旦那は変わってら」と沖田は呟いた。
水を吸った毛は重く、一回り痩せた体をタオルで拭いたらドライヤーをかけてくれる。
(テメーはしないのに猫にドライヤーとはご丁寧なこった)
すっかりフワフワに戻った銀時は、袖まで濡らした毛まみれの沖田を見上げて「みゃお(ありがとな)」と礼を伝えた。そうしてから、体の一部が人にならなくてよかったと猫なりに胸を撫で下ろした。
私服の和装に着替えた沖田が銀時を抱き上げる。
「慰労会に行かねぇと。旦那も行こうぜ、酒とうまい飯が食えらぁ」
「うにゃ~(でも~)」
(あと数時間で人に戻る。もう夜になったし、猫の俺から人の手足が生えたってもうどうでもよくね?)
銀時はひもじさから、食べ物と酒にありつける方を選んだ。正直、面倒になっていた。
宴会場となっている大広間へ行くと、局長や隊長格から非番の隊士が勢揃いしていた。もちろん主役の一番隊と十番隊は全員揃っている。
隣に座る沖田が猫を連れているのを見て「猫べったりだ」と原田は笑う。近藤が沖田を振り返る。
「遅刻だぞ、総悟」
「すいやせん。旦那を洗ってたもんで」
「え?猫を?」
きょとんとした近藤だが、彼の膝に乗るフワフワの猫を見て「綺麗にされちまったな」と笑顔を見せた。
「では、皆が揃いましたので、これより一番隊と十番隊の慰労会を始めたいと思います。局長、お願いします」
「うん」
促されて近藤が労いの言葉をかける。ちゃんと局長してるんだなと欠伸をする銀時の顔を隠すように沖田が撫でる。最後に二人の隊長は頭を下げると「あざーす」と平坦な声で、しかしどこか嬉しそうに沖田は返した。
「じゃあ今日はとことん飲んで食べて、明日からまた頑張ろう!」
乾杯の合図に、静かにしていた隊士は途端に騒ぎだす。今回は副長不参加の会に余計に羽目を外しているようだった。食器の音と笑い声が止まない、どんちゃん騒ぎの中、沖田も隊士に注がれてぐいぐい酒を煽っている。
(銀さんは猫だから止めないけどね)
天婦羅を噛りながら銀時はその様子を眺めていた。
「オイ旦那!おまえも飲むか!」
赤ら顔の原田が盃に酒を注ぐと銀時へ突き出す。
(気が利くじゃねーかハゲ)
甘い匂いに銀時はウキウキと盃に顔を突っ込むとペチャペチャ舐める。猫でも酒は美味しい。
「ワハハ!みんな見ろ!酒を飲む猫だぞ!」
大声で笑う原田に数人の隊士が寄ってくる。
「ほんとだ!旨そうに呑むなあ」
「猫も酒を嗜むとは」
「いや、旦那だからだろう」
酒を飲む姿を珍しげに見られて、盃を空にした銀時は前足でおかわりを催促する。別の隊士が酒を注ぎ、沖田の肩を叩く。
「沖田隊長、旦那を見てください」
「なに」
振り向いた沖田は酒を舐める白猫を見て、しゃっくりをひとつする。
「いい呑みっぷりでしょう」
「見てて楽しいよな」
「おまえら、また旦那か?」
近藤が近付いて沖田の頭を撫でる。
「総悟、呑みすぎるなよ。俺がトシに叱られるからな」
「なんでェ、俺が呑んで土方さんに何の迷惑がかかるってんですかィ。近藤さんが許してくれてんだから構わねえでしょう」
ゴン、と近藤の肩に頭を擦り付ける沖田を「ほら見ろ」と近藤は笑ってから、猫に目を向ける。
「それにしても、とんでもない猫だ」
「こいつきっと猫又ですよ、手拭い被って踊るに違いないです」
「うんこもくせーしな!」
原田の一言でギャハハハと笑い転げる近藤たちに、銀時は手拭いを被せられる。小さな猫の体で酒をかっ食らった銀時もご機嫌で、お望みならばと二足になってひょいひょいと身を捩ってみせた。
盛り上がるギャラリーは、手拍子に、箸で茶碗を叩いてと拍子を取る。銀時も調子づいて前足をくねらせて踊る。その途中、鼻だけいっとき人になったが手拭いで誰も気づきはしなかった。
「なんだか新入隊士が来たみたいだな!」
「旦那にも隊服作らないとですよ!」
「名物猫になりゃあ、チンピラ警察も人気がでるんじゃないですか!?」
「マジ!?お妙さんとか、名物猫と名物ゴリラの組み合わせ、可愛いっ♡て撫でてくれねーかな!?」
興奮した近藤が股間にモザイクをかけて、屈強な裸体を晒すと隊士たちは野次を飛ばして喜ぶ。
「局長はいつも撫でられてるじゃないですか!拳で!平手で!」
「そうそう!愛されゴリラですよ!」
「おまえらァアア!ホントにそう思う!?なら、こいつとタッグ組んじゃおうかな!」
銀時と一緒になって踊る近藤に笑い転げる。銀時が畳の目に足を取られてズデッと顔から転けるとまた爆笑が起こる。
鼻の頭を擦りむいて沖田の隣に戻れば、「あらら」と声を出す彼は、指先を酒に浸すと、剥けた鼻にちょんちょんと塗り付けてきた。
「にゃふっ(しみるっ)」
「消毒でぃ」
嫌がる猫を見て、桃色の頬で沖田は笑った。
慰労会という、ばか騒ぎは遅くまで続き、ようやくお開きになった頃、沖田は目を閉じて一升瓶を抱き締めていた。近藤が銀時を抱き抱え、沖田の体の上に降ろすと、閉じていた瞼が開く。
「風邪引くぞ。旦那と部屋で寝ろ、総悟」
「真っ裸の近藤さんに云われたくねぇや~」
「もう服着てますぅ」
のそのそと起きると肩に銀時を乗せ、酒瓶を抱いたまま沖田は自室へ戻る。無造作に布団を敷くと、ごろりと寝転がった。
銀時も酔っ払い、ふわふわ気分で畳に転がっていた。
「旦那、旦那」
寝転がる布団を掌で叩いて沖田が呼ぶ。今まで布団に呼ばれたことはないが、のろのろと銀時は布団に上がると沖田の隣に寝そべる。
畳より座布団より寝心地がよくて、銀時は広げた前足をしぱしぱさせて、揉むように布団に爪を立てる。
(あー、呑みすぎた)
伸びる銀時の顎を沖田が擽る。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
「旦那、アレやらせて」
布団に頬を押し付けて、顔を寄せる沖田が囁く。
(アレ?)
振り向けば、琥珀色の瞳がおねだりするものがわかって、銀時はゆっくり瞬きをする。それに合わせて沖田もゆっくり瞬きしてみせた。
(・・・しかたねーなぁ)
ごろんとヘソ天で了承すれば、胸に沖田が顔を押し付けてくる。前より遠慮なく顔を擦り付けて、銀時の小さな頭を片手で抱き込むと、満足そうに息をついた。
「石鹸の匂い」
「にゃー(オメーが洗ったからな)」
「うー、癒されらぁ。・・・気持ちいい」
(おまえ、あんなに騒いだ後で何を癒されたいの?)
銀時は、呆れたと沖田の旋毛を見る。
蛍光灯の微かな音が聞こえる。廊下の奥では、風呂上がりの隊士たちが部屋へ戻る足音。胸に沖田を乗せたまま、しばらくぼやーとしていた。
思い出したように、のそりと顔を上げた沖田が銀時の鼻に鼻先を擦り寄せる。
さらさらの前髪が影を作り、猫とはいえ中身は坂田銀時なので、今更だが身を固くする。
(沖田クーン?近い、近いよ)
沖田は気持ちよさげに小さく笑うと、そのまま首周りの毛に鼻を埋める。
「旦那ぁ、ずっとそばに居てくれよ」
(あ)
囁きに銀時は、ぼっと顔が赤くなる。猫だからわからないが、毛の下の皮膚は赤いはずだ。
(いや、これ、猫の旦那に対してだからな?銀さんじゃないから。ドキがムネムネしたって、しょうもねぇぞ)
うんうんと己に頷いた銀時は、振り向くと彼の色素の薄い睫毛を数える。十五本数えた辺りで眠くなって、寝てしまった。
「うにゃ・・・?」
銀時が次に目を開くと、部屋は暗く、障子越しに庭木を打つ雨音が聞こえた。隣では、顔を寄せたままの沖田が寝息を立てている。
(・・・そろそろ出なけりゃ、ならねぇよな)
銀時はボリボリと頭をかく。それから違和感を感じて掌を見れば、人の手だった。
ざわっとして顔を触れば、やはり毛も髭もなく、人の肌だった。
そうっと上体をあげれば、人間の胸に―――腰はぎゅっと締まって下半身は白猫のまま。しかも、左掌は異様に小さく、いまだ猫の手だった。
(えええええ気持ち悪ぅぅううう!!!)
銀時は、己の見た目に衝撃を受ける。今の状況で人になれば困るが、半端に猫なのはもっと困る。
(これ、これ、どうやって戻るんだ!?少し待てば、また猫に戻んの!?それとも、どんどん人に戻るわけぇ!?)
すやすや眠る沖田の隣、だらだらと汗をかく銀時はしばらく様子を見ていたが、体に変化は見られない。このまま這って外に出るのがいいか、もう少し粘るか、悩みどころだ。
「・・・ん、」
小さな声にビクッとする。仰向けになった沖田が目を擦って唸る。
(うそっ、起きちゃう!?なんて説明すりゃいいんだ!?沖田くんの部屋に化物みてーな体の銀さんが入り込んでるだけだぞこれ!起きないでぇぇええ!!!)
祈る銀時と、薄目を開けた沖田の瞳がぶつかる。
「・・・え、ん?だんな・・・?」
沖田の呟きに、咄嗟に銀時は鳴いて見せる。
「にゃ、にゃあーん?」
そうして、バシッと猫の左手でその瞼を塞いだ。
「いてぇ」と呟いた沖田だったが、瞼の上のフワフワハンドに再び眠りについた。
ソッと手を退けた銀時は片腕だけでズルズルと畳を這う。もう一刻の猶予もない。障子を開けると濡れ縁に出る。ブラブラとした猫の後ろ足が邪魔くさい。ようやく左手が人の手になる。どうやら猫に戻ることはもう無さそうだった。
「・・・やばかった」
しばらく暗い濡れ縁で過ごせば、一番鶏が鳴く前に全身人間に戻った銀時は、塀を乗り越えて雨の中、二本の足で万事屋に走った。
帰ってから、連絡もなしに五日不在にしたびしょ濡れの主人は、新八と神楽から激しく詰められて、それでも元に戻れたと安堵して笑ったのだった。
朝になって沖田が目覚めると、猫は何処にもおらず、ネコ毛とも違う銀髪が布団に落ちていた。それは昨夜の、万事屋の旦那の顔や障子の人影に同じ、夢とも現実ともつかない、説明できないものだった。
「来てやったぞ。掃除してやるから、もう恨まないでね」
水桶とたわしを持った銀時は、猫塚に話しかけた。ゲロは雨で流されていたが、苔とシミを洗ってやって、猫缶と線香を添えてやる。ゲロを引っかけたばっかりに、縁もゆかりもない化け猫に手を合わせていた。立ち上がれば「旦那」と声をかけられて、「あ」と声を漏らす。
隊服のポケットに手を突っ込んだ沖田が立っていた。
「なにしてんですかィ」
「えーと・・・後始末?」
「へぇ?よくわかりやせんが、ここに来てから、この猫塚に手を合わせる御仁を見るのは、旦那がはじめてでさァ」
隣に立つと、猫塚を見下ろす沖田の横顔を銀時は眺める。相変わらず表情の乏しい小綺麗な横顔は、今日も水で洗ってないんだろうなと思う。
それでも猫に見せる笑顔は可愛いと知っている。
(可愛い?俺、そう思ってんの?)
不意に沖田は屈むと、ちょっと手を合わせた。
「なにしてんの」
「いや、ちょいと思うところがありやして」
立ち上がり再び塚を見下ろす。表情は乏しいが、琥珀色の瞳はなんとなくあの写真を見る目に似ていた。
(ああ~・・・なんだかな。何で俺がこんな気持ちにならねーといけねェの)
「ん」
銀時は沖田に向かって両手を広げる。きょとんとして見てくる沖田に再び、胸を張って見せる。
「え、なんですかィ?」
「いや、俺も思うところあって、おまえに胸を貸してやろうかと思って」
「はあ?」
不審げな顔に、ばつが悪くなって腕をおろす。
「冗談だよ、わかるだろ総一郎くん」
(間違えたぁあ!これ、完全に間違えたよ)
ただの男の胸に何をどうしたら彼が飛び込むと思ったのかと己に問う銀時は、誤魔化すと目をしょぼしょぼさせた。
その顔に沖田は「総悟です。旦那」と答えながら、胸がトクトクと鳴る。
なぜだか【旦那】を思い出していた。万事屋の旦那に似ていると名付けた猫に、今度は旦那が似ていると彼を見て懐かしむ己が可笑しい。
「また腹が減ってんでしょう?俺の機嫌とって奢ってもらう腹ですかィ。真選組に寄ってくれりゃあ、ねこまんまならご馳走できますぜ」
「いや、もう飽きた」
シンとなるふたりの間に、あの五日間が駆け巡る。旦那とおなじ、鼻の頭に擦過傷を作っている銀時が頭をボリボリと掻く。
「・・・いや、そうじゃなくて。今、万事屋は三食ねこまんまなんだよ。食べ飽きて当然だろ?わかるだろ総二郎くん」
「総悟です。旦那」
額に手を当てて唸る銀時に、沖田は一歩近づいた。
「旦那」
「あ、え?」
「真選組にね、猫がいたんでさ」
沖田は銀時の顔前に携帯画面を掲げる。不貞腐れた顔のモップみたいな猫が写っている。銀時は、しつこく撮影してきた細面の隊士を思い出した。
「可愛いでしょう?」
「え?そう、そうだな。イケメンで高貴な気品を感じる」
「そこまでは思わねぇですが・・・」
携帯電話を仕舞った沖田は、いつかその胸に飛び込んでみようかと彼の胸元に目をやった。
「フワフワで、優しくて、うちの隊長格もいなす強い猫なんでさァ」
「へえー、スゲー猫だな」
平坦な声で相づちする銀時は内心こそばゆい。
「急に居なくなっちまったけど、旦那を見たらなんか元気でやってそうな気がしてきたんで・・・。胸を借りるのはまた今度にしまさァ」
「・・・おう。俺の胸は安くねーぞ」
小さく笑う銀時に、沖田も笑い返した。
『お主、いい加減にせんか。何度儂にゲエーをすれば気が済むのじゃ』
『いや、違うってぇ!俺の意思じゃねぇんだよお!ゲエーは急に来るからゲエーなんだよぉぉ!』
一月後、再び白猫になった銀時は夢で泣いて、屯所に駆け込んでいた。
「にゃおおーん!(また飼ってくれねぇか、沖田くーん!)」
了
沖田は風呂上がりにドライヤーをしないのに、朝は寝癖もつかず、手櫛で済む便利な髪をしている。案外ずぼらで顔を洗わず目脂を拭うだけなんて姿も見る。男だらけの環境に育ち、小綺麗な容姿を利用してサボっていると銀時は思った。
銀時はドライヤーもするし、二日酔いでない朝なら洗顔して髭剃りもちゃんとする方なのだ。
「旦那、いつもより毛が膨らんでるぜィ」
銀時の前に屈んだ沖田が背中を撫でてくる。
(湿度だよ)
銀時は不機嫌に尻尾を畳へ打ち付けた。
ひと足先に食事に向かった沖田が戻るまで、銀時はテレビのリモコンを押して結野アナのお天気コーナーを見る。
(猫の姿で結野アナの前に出れば、なでなでしてもらえちゃったり?あわよくば胸に抱かれたりして)
邪な事を考えて目を細めていた。
「にゃっ?」
ずん、と右手が重くなる。見ると男の手が落ちていて、ぎょっとした。
沖田は誰かの手を切り落として部屋に持ち込むほどエキセントリックな男なのかと思ったが、手は自分のフワフワの胸毛から出ていた。そういえば見覚えのある手だ。意識すれば、手は爪で畳を引っ掻いた。
(嘘だろ、これ俺の手じゃんんん!まさか、まさかこれ、人に戻りかけてんのか!?)
青ざめる銀時は狼狽える。まだ朝で、しかも一気に戻ると思っていたら、一部分ずつとは、なんとも気味が悪い。こんな姿を見られたら大騒ぎだ。
何処かに隠れなくては、と思う内に、いつの間にか手はフワフワの猫手に戻っていた。
(あれ???戻った??なんで??)
己の肉球がついた前足を凝視する。先程の人の手の名残は何処にもない。
しかし、突然あんな半端な戻り方をされてはおちおち昼寝もしていられない。先の姿を見られたら化物として処断されかねない。
(やべーぞこりゃあ、夜までどっかに潜んでねーと)
銀時は慌てて障子から濡れ縁に出ると、屯所内で潜めるところを探しにかかった。
「旦那ァ、ご飯・・・ってあれ、どこ行っちまった?」
おかかご飯と卵焼きを持ってきた沖田は部屋にいない猫に首を傾げる。「うんこでもしてんのかな」呟いて定位置に膳を置くと、仕事へ向かった。
銀時は薄暗い食糧庫に入り込み、積まれた米俵に寝転がる。
(困ったことになっちまった。あのバカ猫、こんなこと一言も云ってなかったのに)
猫塚の主に悪態をつく。夜まで暗い蔵に居なくてはならない。
(ま、寝てりゃ夜になるか)
楽天的に銀時は寝ることにした。
ところが、腹は減るし小便もしたい。
もやもやしていると、蔵の扉が開き隊士が三人入ってきた。
「米俵担ぎ出すぞ」
「なん俵だ?」
「三俵もあればいいだろ」
ガラガラと荷車も運びいれ、向かってくる。銀時は米俵の裏へ回り、蔵のすみに踞った。ズリズリと俵を引き摺り、持ち上げ、埃が舞い上がる。
「くしゅっ」
「あれ、おまえ今くしゃみしたか?」
「え?おまえだろ?」
「確かに聞こえたな。侵入者か?」
三人の隊士は手を止めて、蔵を見回り始めた。
くしゃみをした銀時は、隙を見てぬるりと扉を抜けると、隣の武器庫へ入り込む。武器庫はヒヤリとして火薬と鉄の臭いがする。打ちっぱなしの床もかたくて、居心地のいい場所ではなかった。そして、またもや隊士が入ってくる。
「昼飯までに終わらせようぜ」
二人組は帳面を手に武器の定数確認を始めてしまい、丸まっていた銀時を見て「あ、モップ片付け忘れてんな」と足で蹴ってきた。
「に゛ゃ」
「わっ!猫かよ!」
転がるように蔵を飛び出した銀時は、木陰に飛び込むと限界ギリギリで小便をする。
(埃まみれで野ションなんざ情けねー)
直後、ドンと左腕が現れて、重みに体が沈み地面に打ち付ける。
(おいいい!今かよ!)
猫から成人男性の片腕がにょっきり生えて、とんでもないことになっている。
片腕で体を起こすと、またスウと猫の前足に戻った。
(なんなんだよぉぉぉ!)
牢屋と拷問部屋に行くも、昼間から褌一つで逆さ吊りにされた男が水責めを受けている。男のガボガボと飛沫をあげて喘ぐ声も聞いていられないが、拷問中の土方がもうもうと上げるマヨボロの煙が目と鼻にしみていられない。
(あれじゃ、水の中も外も変わんねぇぞ)
ぺっぺっと鼻を前足で洗った銀時は、結局つつじの木の下に戻ったのだった。
「あれ、朝餉食べてないな。ま、傷んでもいかんし、下げちまお」
向かいで開いた障子から山崎が沖田の部屋に入るのが見える。いつものように沖田が置いてくれた膳を持って行ってしまう。
(ジミー待て。それ丁度食べようかなって思ってたところだよ!)
しかし、銀時の右後ろ足は、足先から足首までが人になっていたので到底出ていくことはできなかった。しくしくする銀時の足は数分して元の猫足に戻る。
(いつも妙なタイミングで変わりやがって)
空腹を抱えて悲しく不貞寝をするしかなかった。途中、水を飲みに出たところで耳だけが人になってしまい、まるで人の耳をつけたドラ○もん状態で参った。
アァ、アァ、と烏の鳴き声に目を覚ませば、しとしとと雨が降りだしていた。つつじの枝葉の隙間から、雨粒が垂れて毛はしっとり濡れていた。
(何時だ?)
銀時は隙間から空を見るが、雨雲が厚くてわからない。そのうちに、鐘が鳴り夕方だと知る。
(猫最後の日、早く終われぇえ)
寒いし、空腹だし、ひもじくて銀時は小さな頭を項垂れる。これも祟りの所以だろうか。
「旦那ぁ、なにやってんだ」
ビチャと濡れた土の音、今はもう聞き慣れた声に首根っこを掴まれる。首根っこを持たれると不思議と体に力が入らなくて長い体はずるりと引きずり出される。ぶらんと四肢を下げる白猫は、濡れそぼり土埃で灰色に変色していた。そのせいか、しょんぼりして見えて、沖田は大きな目をぱちぱちさせる。
「朝飯も食わねェで、一日中隠れてたのか。なんかあった?」
「うにゃ~(なんもかんも~)」
哀れっぽい鳴き声に沖田は笑うと、銀時をぶら下げたまま濡れ縁へ上がる。
「そんなに汚れてちゃ土方さんにどやされちまわぁ。さっさと洗って慰労会だ、旦那」
「にゃ~?(俺の慰労会?)」
銀時は浴場へ放り込まれる。ズボンの裾をあげ、上着を脱いだ沖田は腕捲りをすると汚れた猫を洗い始めた。
猫としてはじめて湯を浴び、石鹸を揉みこまれる。三井が首筋へ付けた薬も流れて気持ちがいい。
風呂桶の中で目を細める銀時に「猫のくせに水も平気なんてやっぱり旦那は変わってら」と沖田は呟いた。
水を吸った毛は重く、一回り痩せた体をタオルで拭いたらドライヤーをかけてくれる。
(テメーはしないのに猫にドライヤーとはご丁寧なこった)
すっかりフワフワに戻った銀時は、袖まで濡らした毛まみれの沖田を見上げて「みゃお(ありがとな)」と礼を伝えた。そうしてから、体の一部が人にならなくてよかったと猫なりに胸を撫で下ろした。
私服の和装に着替えた沖田が銀時を抱き上げる。
「慰労会に行かねぇと。旦那も行こうぜ、酒とうまい飯が食えらぁ」
「うにゃ~(でも~)」
(あと数時間で人に戻る。もう夜になったし、猫の俺から人の手足が生えたってもうどうでもよくね?)
銀時はひもじさから、食べ物と酒にありつける方を選んだ。正直、面倒になっていた。
宴会場となっている大広間へ行くと、局長や隊長格から非番の隊士が勢揃いしていた。もちろん主役の一番隊と十番隊は全員揃っている。
隣に座る沖田が猫を連れているのを見て「猫べったりだ」と原田は笑う。近藤が沖田を振り返る。
「遅刻だぞ、総悟」
「すいやせん。旦那を洗ってたもんで」
「え?猫を?」
きょとんとした近藤だが、彼の膝に乗るフワフワの猫を見て「綺麗にされちまったな」と笑顔を見せた。
「では、皆が揃いましたので、これより一番隊と十番隊の慰労会を始めたいと思います。局長、お願いします」
「うん」
促されて近藤が労いの言葉をかける。ちゃんと局長してるんだなと欠伸をする銀時の顔を隠すように沖田が撫でる。最後に二人の隊長は頭を下げると「あざーす」と平坦な声で、しかしどこか嬉しそうに沖田は返した。
「じゃあ今日はとことん飲んで食べて、明日からまた頑張ろう!」
乾杯の合図に、静かにしていた隊士は途端に騒ぎだす。今回は副長不参加の会に余計に羽目を外しているようだった。食器の音と笑い声が止まない、どんちゃん騒ぎの中、沖田も隊士に注がれてぐいぐい酒を煽っている。
(銀さんは猫だから止めないけどね)
天婦羅を噛りながら銀時はその様子を眺めていた。
「オイ旦那!おまえも飲むか!」
赤ら顔の原田が盃に酒を注ぐと銀時へ突き出す。
(気が利くじゃねーかハゲ)
甘い匂いに銀時はウキウキと盃に顔を突っ込むとペチャペチャ舐める。猫でも酒は美味しい。
「ワハハ!みんな見ろ!酒を飲む猫だぞ!」
大声で笑う原田に数人の隊士が寄ってくる。
「ほんとだ!旨そうに呑むなあ」
「猫も酒を嗜むとは」
「いや、旦那だからだろう」
酒を飲む姿を珍しげに見られて、盃を空にした銀時は前足でおかわりを催促する。別の隊士が酒を注ぎ、沖田の肩を叩く。
「沖田隊長、旦那を見てください」
「なに」
振り向いた沖田は酒を舐める白猫を見て、しゃっくりをひとつする。
「いい呑みっぷりでしょう」
「見てて楽しいよな」
「おまえら、また旦那か?」
近藤が近付いて沖田の頭を撫でる。
「総悟、呑みすぎるなよ。俺がトシに叱られるからな」
「なんでェ、俺が呑んで土方さんに何の迷惑がかかるってんですかィ。近藤さんが許してくれてんだから構わねえでしょう」
ゴン、と近藤の肩に頭を擦り付ける沖田を「ほら見ろ」と近藤は笑ってから、猫に目を向ける。
「それにしても、とんでもない猫だ」
「こいつきっと猫又ですよ、手拭い被って踊るに違いないです」
「うんこもくせーしな!」
原田の一言でギャハハハと笑い転げる近藤たちに、銀時は手拭いを被せられる。小さな猫の体で酒をかっ食らった銀時もご機嫌で、お望みならばと二足になってひょいひょいと身を捩ってみせた。
盛り上がるギャラリーは、手拍子に、箸で茶碗を叩いてと拍子を取る。銀時も調子づいて前足をくねらせて踊る。その途中、鼻だけいっとき人になったが手拭いで誰も気づきはしなかった。
「なんだか新入隊士が来たみたいだな!」
「旦那にも隊服作らないとですよ!」
「名物猫になりゃあ、チンピラ警察も人気がでるんじゃないですか!?」
「マジ!?お妙さんとか、名物猫と名物ゴリラの組み合わせ、可愛いっ♡て撫でてくれねーかな!?」
興奮した近藤が股間にモザイクをかけて、屈強な裸体を晒すと隊士たちは野次を飛ばして喜ぶ。
「局長はいつも撫でられてるじゃないですか!拳で!平手で!」
「そうそう!愛されゴリラですよ!」
「おまえらァアア!ホントにそう思う!?なら、こいつとタッグ組んじゃおうかな!」
銀時と一緒になって踊る近藤に笑い転げる。銀時が畳の目に足を取られてズデッと顔から転けるとまた爆笑が起こる。
鼻の頭を擦りむいて沖田の隣に戻れば、「あらら」と声を出す彼は、指先を酒に浸すと、剥けた鼻にちょんちょんと塗り付けてきた。
「にゃふっ(しみるっ)」
「消毒でぃ」
嫌がる猫を見て、桃色の頬で沖田は笑った。
慰労会という、ばか騒ぎは遅くまで続き、ようやくお開きになった頃、沖田は目を閉じて一升瓶を抱き締めていた。近藤が銀時を抱き抱え、沖田の体の上に降ろすと、閉じていた瞼が開く。
「風邪引くぞ。旦那と部屋で寝ろ、総悟」
「真っ裸の近藤さんに云われたくねぇや~」
「もう服着てますぅ」
のそのそと起きると肩に銀時を乗せ、酒瓶を抱いたまま沖田は自室へ戻る。無造作に布団を敷くと、ごろりと寝転がった。
銀時も酔っ払い、ふわふわ気分で畳に転がっていた。
「旦那、旦那」
寝転がる布団を掌で叩いて沖田が呼ぶ。今まで布団に呼ばれたことはないが、のろのろと銀時は布団に上がると沖田の隣に寝そべる。
畳より座布団より寝心地がよくて、銀時は広げた前足をしぱしぱさせて、揉むように布団に爪を立てる。
(あー、呑みすぎた)
伸びる銀時の顎を沖田が擽る。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
「旦那、アレやらせて」
布団に頬を押し付けて、顔を寄せる沖田が囁く。
(アレ?)
振り向けば、琥珀色の瞳がおねだりするものがわかって、銀時はゆっくり瞬きをする。それに合わせて沖田もゆっくり瞬きしてみせた。
(・・・しかたねーなぁ)
ごろんとヘソ天で了承すれば、胸に沖田が顔を押し付けてくる。前より遠慮なく顔を擦り付けて、銀時の小さな頭を片手で抱き込むと、満足そうに息をついた。
「石鹸の匂い」
「にゃー(オメーが洗ったからな)」
「うー、癒されらぁ。・・・気持ちいい」
(おまえ、あんなに騒いだ後で何を癒されたいの?)
銀時は、呆れたと沖田の旋毛を見る。
蛍光灯の微かな音が聞こえる。廊下の奥では、風呂上がりの隊士たちが部屋へ戻る足音。胸に沖田を乗せたまま、しばらくぼやーとしていた。
思い出したように、のそりと顔を上げた沖田が銀時の鼻に鼻先を擦り寄せる。
さらさらの前髪が影を作り、猫とはいえ中身は坂田銀時なので、今更だが身を固くする。
(沖田クーン?近い、近いよ)
沖田は気持ちよさげに小さく笑うと、そのまま首周りの毛に鼻を埋める。
「旦那ぁ、ずっとそばに居てくれよ」
(あ)
囁きに銀時は、ぼっと顔が赤くなる。猫だからわからないが、毛の下の皮膚は赤いはずだ。
(いや、これ、猫の旦那に対してだからな?銀さんじゃないから。ドキがムネムネしたって、しょうもねぇぞ)
うんうんと己に頷いた銀時は、振り向くと彼の色素の薄い睫毛を数える。十五本数えた辺りで眠くなって、寝てしまった。
「うにゃ・・・?」
銀時が次に目を開くと、部屋は暗く、障子越しに庭木を打つ雨音が聞こえた。隣では、顔を寄せたままの沖田が寝息を立てている。
(・・・そろそろ出なけりゃ、ならねぇよな)
銀時はボリボリと頭をかく。それから違和感を感じて掌を見れば、人の手だった。
ざわっとして顔を触れば、やはり毛も髭もなく、人の肌だった。
そうっと上体をあげれば、人間の胸に―――腰はぎゅっと締まって下半身は白猫のまま。しかも、左掌は異様に小さく、いまだ猫の手だった。
(えええええ気持ち悪ぅぅううう!!!)
銀時は、己の見た目に衝撃を受ける。今の状況で人になれば困るが、半端に猫なのはもっと困る。
(これ、これ、どうやって戻るんだ!?少し待てば、また猫に戻んの!?それとも、どんどん人に戻るわけぇ!?)
すやすや眠る沖田の隣、だらだらと汗をかく銀時はしばらく様子を見ていたが、体に変化は見られない。このまま這って外に出るのがいいか、もう少し粘るか、悩みどころだ。
「・・・ん、」
小さな声にビクッとする。仰向けになった沖田が目を擦って唸る。
(うそっ、起きちゃう!?なんて説明すりゃいいんだ!?沖田くんの部屋に化物みてーな体の銀さんが入り込んでるだけだぞこれ!起きないでぇぇええ!!!)
祈る銀時と、薄目を開けた沖田の瞳がぶつかる。
「・・・え、ん?だんな・・・?」
沖田の呟きに、咄嗟に銀時は鳴いて見せる。
「にゃ、にゃあーん?」
そうして、バシッと猫の左手でその瞼を塞いだ。
「いてぇ」と呟いた沖田だったが、瞼の上のフワフワハンドに再び眠りについた。
ソッと手を退けた銀時は片腕だけでズルズルと畳を這う。もう一刻の猶予もない。障子を開けると濡れ縁に出る。ブラブラとした猫の後ろ足が邪魔くさい。ようやく左手が人の手になる。どうやら猫に戻ることはもう無さそうだった。
「・・・やばかった」
しばらく暗い濡れ縁で過ごせば、一番鶏が鳴く前に全身人間に戻った銀時は、塀を乗り越えて雨の中、二本の足で万事屋に走った。
帰ってから、連絡もなしに五日不在にしたびしょ濡れの主人は、新八と神楽から激しく詰められて、それでも元に戻れたと安堵して笑ったのだった。
朝になって沖田が目覚めると、猫は何処にもおらず、ネコ毛とも違う銀髪が布団に落ちていた。それは昨夜の、万事屋の旦那の顔や障子の人影に同じ、夢とも現実ともつかない、説明できないものだった。
「来てやったぞ。掃除してやるから、もう恨まないでね」
水桶とたわしを持った銀時は、猫塚に話しかけた。ゲロは雨で流されていたが、苔とシミを洗ってやって、猫缶と線香を添えてやる。ゲロを引っかけたばっかりに、縁もゆかりもない化け猫に手を合わせていた。立ち上がれば「旦那」と声をかけられて、「あ」と声を漏らす。
隊服のポケットに手を突っ込んだ沖田が立っていた。
「なにしてんですかィ」
「えーと・・・後始末?」
「へぇ?よくわかりやせんが、ここに来てから、この猫塚に手を合わせる御仁を見るのは、旦那がはじめてでさァ」
隣に立つと、猫塚を見下ろす沖田の横顔を銀時は眺める。相変わらず表情の乏しい小綺麗な横顔は、今日も水で洗ってないんだろうなと思う。
それでも猫に見せる笑顔は可愛いと知っている。
(可愛い?俺、そう思ってんの?)
不意に沖田は屈むと、ちょっと手を合わせた。
「なにしてんの」
「いや、ちょいと思うところがありやして」
立ち上がり再び塚を見下ろす。表情は乏しいが、琥珀色の瞳はなんとなくあの写真を見る目に似ていた。
(ああ~・・・なんだかな。何で俺がこんな気持ちにならねーといけねェの)
「ん」
銀時は沖田に向かって両手を広げる。きょとんとして見てくる沖田に再び、胸を張って見せる。
「え、なんですかィ?」
「いや、俺も思うところあって、おまえに胸を貸してやろうかと思って」
「はあ?」
不審げな顔に、ばつが悪くなって腕をおろす。
「冗談だよ、わかるだろ総一郎くん」
(間違えたぁあ!これ、完全に間違えたよ)
ただの男の胸に何をどうしたら彼が飛び込むと思ったのかと己に問う銀時は、誤魔化すと目をしょぼしょぼさせた。
その顔に沖田は「総悟です。旦那」と答えながら、胸がトクトクと鳴る。
なぜだか【旦那】を思い出していた。万事屋の旦那に似ていると名付けた猫に、今度は旦那が似ていると彼を見て懐かしむ己が可笑しい。
「また腹が減ってんでしょう?俺の機嫌とって奢ってもらう腹ですかィ。真選組に寄ってくれりゃあ、ねこまんまならご馳走できますぜ」
「いや、もう飽きた」
シンとなるふたりの間に、あの五日間が駆け巡る。旦那とおなじ、鼻の頭に擦過傷を作っている銀時が頭をボリボリと掻く。
「・・・いや、そうじゃなくて。今、万事屋は三食ねこまんまなんだよ。食べ飽きて当然だろ?わかるだろ総二郎くん」
「総悟です。旦那」
額に手を当てて唸る銀時に、沖田は一歩近づいた。
「旦那」
「あ、え?」
「真選組にね、猫がいたんでさ」
沖田は銀時の顔前に携帯画面を掲げる。不貞腐れた顔のモップみたいな猫が写っている。銀時は、しつこく撮影してきた細面の隊士を思い出した。
「可愛いでしょう?」
「え?そう、そうだな。イケメンで高貴な気品を感じる」
「そこまでは思わねぇですが・・・」
携帯電話を仕舞った沖田は、いつかその胸に飛び込んでみようかと彼の胸元に目をやった。
「フワフワで、優しくて、うちの隊長格もいなす強い猫なんでさァ」
「へえー、スゲー猫だな」
平坦な声で相づちする銀時は内心こそばゆい。
「急に居なくなっちまったけど、旦那を見たらなんか元気でやってそうな気がしてきたんで・・・。胸を借りるのはまた今度にしまさァ」
「・・・おう。俺の胸は安くねーぞ」
小さく笑う銀時に、沖田も笑い返した。
『お主、いい加減にせんか。何度儂にゲエーをすれば気が済むのじゃ』
『いや、違うってぇ!俺の意思じゃねぇんだよお!ゲエーは急に来るからゲエーなんだよぉぉ!』
一月後、再び白猫になった銀時は夢で泣いて、屯所に駆け込んでいた。
「にゃおおーん!(また飼ってくれねぇか、沖田くーん!)」
了