銀さん、ねこになる
近付いてみれば沖田の目線の先、小さな額のなかに彼そっくりの綺麗な女が笑っている。
(ああ)
銀時も腰をおろして眺める。
沖田の姉、ミツバは肺患い故に儚げだが幸せそうだ。かつて沖田から「姉上に親友を紹介しなければならないが、その親友がいない」と請われて同伴すれば、パフェを激辛にされた。だから、姉の前では猫かぶりする沖田も、激カラせんべえに鼻を啜る土方も銀時は知っている。屋上でかじった激カラせんべえの「辛ぇ」味は忘れられない。
そんな故人に向かっている沖田の心情を図れるほど己は親しくもないと傍でじっと控えていた。
「旦那、俺の姉上だぜ」
沖田が銀時の頭を柔らかく撫でる。
「にゃ(だな)」
頷けば、年のわりにませている沖田が珍しく、幼い笑顔をみせた。
「旦那に会えば、喜んだに違いねえや。万事屋の旦那の事も姉上は気に入ってた。借り物の友達だったってのに。まあ・・・俺も旦那は好きでさァ」
(なんだよおねーさァん!あなたの弟さん急にデレてきて怖いんですけど!)
そう誤魔化しても、銀時の胸はこそばゆい。
チェッと沖田が舌打ちする。
「土方のヤローなんて、姉上の写真があるから滅多にこの部屋には来ねぇんですよ。今日はさすがに乗り込んできやがったけど、写真には見向きもしねぇんだから。臆病者の薄情者だ」
拗ねた顔で姉に愚痴る沖田に、銀時は髭を震わせて笑う。
土方もどれだけ不器用なのだろうか。沖田もわかっていて認めないのだから、この件について二人はいつまでも平行線だろう。
「今日は殴られました。へなちょこパンチで痛くもねぇや」
銀時は、沖田の太腿に前足をのせて、そうかと頷いてみせる。
(俺のためによくやってくれた。元凶はおまえと、とんでもねえ部下だけどね!)
労るような、小さな白い手に沖田はまた笑う。その顔が余計ミツバに似ていると銀時は思った。
不意に沖田は、耳元で姉が「素敵なお友達ね、そーちゃん」と云ったような気がした。姉にもこの温もりに触れてほしい。
「・・・姉上に会えたらな」
ポツリと呟いた声はなんとも心細くて切ない。
(まだそうなんだな、そうだよな)
銀時は、ひねくれて掴み所のない彼が、唯一の肉親を偲ぶ姿を未熟とも幼稚とも思いはしない。
よっこいせと、ゴロンと転がって、へそ天してみせる。沖田は飴色の眉毛を山なりにして、フワフワのお腹をさらけ出す猫を見た。
「なんでィ、急に」
「みゃお(モフモフしていいぞ)」
銀時だって気分が塞ぐ日がある。そんな時は、定春をモフモフすれば大抵は良くなる。今の銀時は犬でなく猫だが、モフモフには違いない。
(臭くねーぞ、多分)
「なぉん(胸を貸してやるってんだ)」
沖田は、己を見つめる猫の瞳に、優しい力強さをみる。猫相手にこんな風に思うのは、不思議なことだ。
「・・・旦那、誘ってんのかィ?」
「にゃおん(おまえそれは語弊がある)」
少し迷ってから沖田はソッと上体を倒すと、顔を白い胸毛に埋めた。鼻先に、頬に、額に、もふりと柔らかな感触。和毛は仄かに香ばしく、沖田は思わず「なにこれ、癒される」と呟いた。
(そうだろ、わかるわー)
銀時も同意しながら、しかし、定春と猫の己ではサイズが違うから物足りないだろうと思う。鼻先に飴色の旋毛から石鹸と湿布の匂いがして、小さなくしゃみをする。
「・・・姉貴に話しかけるなんざ、滅多ねぇんだぜ」
沖田は呟いてから、誰に対しての言い訳かと自問する。猫しかいない、姉貴などと今更にかっこつけなくてもいいのに。沖田は旦那の、膨らむ胸とポコポコ打つ鼓動に安らぎを得ていた。
銀時は、胸元のすうすうと小さな鼻息が温かくて、癒しているのに癒されて、伸びをするとそのまま眠ってしまった。
真選組内には、銀時のための水呑場が多数用意されている。「猫はすぐ腎臓を悪くするんですよ!」という三井を筆頭に、何名かの有志が、それぞれ新鮮な水に入れ替えている。それでも銀時は、水道の蛇口から直接飲むのが一番良い。それも水栓を捻ってもらえればの話だ。
早朝、濡れ縁に用意された水を飲んでいると「オイ」と乱暴に声をかけられる。振り向けば土方が寝間着姿で立っていた。珍しいより、面倒くさいが勝る。
(しまった、コイツ昨日は違う部屋で寝てたんだった)
銀時は土方の部屋周囲には近付かないようにしている。それがこの水呑場は、鼠騒動で居られなくなった土方の仮部屋に近かったのだ。昨日の今日で、土方は機嫌が悪いと顔にかいてある。
(嫌なら声をかけなきゃいいだろが)
銀時は濡れた口回りを舐めて、そのまま前足で顔を洗う。土方はどかりと銀時の隣に胡座をかくと煙草を吸い始めた。
(マジなんなんだよ、嫌がらせかコイツ)
銀時がぎろりと睨めば、土方も睨み返す。
「おまえ俺のこと嫌いだろ」
「みゃう(あたりめーだろ)」
土方の鼻から吹き出した煙が三角耳を掠めて、銀時がぶるるっと耳を震わせれば、土方は「俺もだ」と頷く。
「総悟とつるみやがって。性格悪い者同士気が合うんだな」
「ふしっ(はっ)」
くしゃみのような音に、猫流のせせら笑いは難しいなと銀時は首をかしげる。
土方は紺青の瞳を遠く彷徨わせるとそっと口を開いた。
「昨日はアイツ、ガキの頃みてーに食ってかかりやがって。正直驚いた」
(それは確かに俺も驚いたぜ)
「アイツが感情剥き出してあんな風になるのは、近藤さんと・・・アイツの姉貴の事くらいなもんだ」
土方は隣の白猫を見下ろす。ふてぶてしくて可愛くもない、来て日も浅いこの猫が沖田にとって二人と同じくらい大事な存在だとでも?到底信じられない。
「テメーなに者だ?」
「にゃあ(銀さんです)」
銀時は律儀に答えたが、土方は「にゃあ、か」と呟いた。
「ゆうべは総悟の奴、顔中猫毛まみれにして寝ぼけて歩いてやがったぞ。どうなってんだ」
(あー、そうだろうね。起きたら毛が涎で固まってたからねチクショー)
銀時は、二度と胸を貸して寝ないと決めた。
「総悟はまだ写真に話しかけてんだろ」
じっと見つめる土方は銀時に同意を求める。
(なんでここの奴等は当然のように俺(猫)に話しかけるの?)
銀時は瞼を閉じて寝たふり、沖田のプライバシーを尊重してやった。
前足を床につけた香箱座りの猫に土方は頭を掻く。
「やめた。猫相手にバカらしい・・・。仕方ねえが、テメーとは休戦だ」
力を抜いた声で告げると、吸い殻を靴脱石に擦り付ける。ヤニで黄色く染まる指先が銀時の額をちょんと小突いた。
(なに一人で落ち着いてんだ。オメーは昨日のこと俺に謝ってもいいんじゃねーの?)
それでも銀時は「みゃみゃ(はいはい)」と受け入れてやった。
それから一時間もしないうちに、土方は猫を血眼で探していた。今度こそ皮を剥いでやると息巻く背中を銀時は庭木の陰から眺める。
(土方くん、休戦はどーしたよ)
休戦もクソもない。銀時は夜中のうちに彼のブーツにたっぷり小便をして仕返しをしていた。
職務の合間に山崎は白猫をブラッシングする。陽光に照る黒い制服に長い毛がもわもわとくっついて、庭中に綿毛のような塊が転がる。
「旦那、どこまでも抜けるんだけど。コレ終わりあんのかな」
すいているのに、どんどん増えるみたいで、山崎は隣で昼寝をする沖田に助けを求める。
「沖田さん。ちょっ、これエンドレスじゃないですか?増えるワカメみた、イタイ!」
チリッと手の甲に爪を立てる猫に山崎は、「こらあ!」と声をあげる。そもそも山崎はブラッシング係でもないのに、定期的にやらされる。それもこれも、とぼけたアイマスク男のせいだと、腕っぷしでは負けるので、到底云えない。
そこで思い出した山崎は「あ」と声を出した。
「そういや沖田さん、明日は慰労会ですね」
寝転がったままアイマスクをずらした沖田は眩しさに目をすがめて山崎を見た。初耳だという顔をする。山崎の膝の上で銀時は彼の呆れ顔を見上げた。
「幕臣三名を殺害した天剋党一派の捕物、一番隊と十番隊の慰労会じゃないですか」
「あー、そんなのあったっけ」
胡座をかく沖田は、どうでもよさそうだ。
「そんなのってね、大手柄だったのに。一番隊隊長なんですから参加せんとダメですよ」
窘める山崎は銀時を膝から下ろす。
(ちゃんと職務こなしてたんだな)
銀時は後ろ足を伸ばしながら意外に思っていた。猫から見ても職務怠慢常習犯だが、確かに組内で一目置かれる剣の腕を振るう場ならばお釣りがくるだろう。銀時も彼の腕には覚えがあった。
当の沖田は、毛玉を丸めて遊んでいる。
(明日・・・。もうすぐ猫生活も終わりだな)
銀時はしみじみと沖田を見る。ピンポン玉ほどの塊を作った沖田が「旦那の分身」といって銀時に向かって指で弾いてくる。転がる毛玉にウズウズして思わずバシッと前足で弾くと、また沖田が弾き返す。気付けば夢中で追いかけて、毛玉にかじりついた己に憮然とする。やはり早く人に戻りたい銀時だった。
たった数日で銀時は「あ、沖田隊長の猫だ」「よっ、旦那」「凶悪猫だ」などと声をかけられる屯所内の有名猫になっていた。果敢に撫でようと挑む者、いつも真選組ソーセージを食わせようとする者、執拗に携帯電話で撮影する者、心底嫌な顔をする者と有象無象の輩がいたが、それも明日までと思えば何てことはない。
(そういえば明日はいつ、どんな風に戻るんだ?)
午後の暑さを稽古場の板床に寝そべりやり過ごしていた銀時はふと思う。
あの猫塚の主がもう一度夢に出ないかと微睡んでみたが、小一時間寝て終わった。こうなっては、なんとなくタイミングをはかるしかない。人間に戻る前に屯所を出なければならないが、早すぎると猫の姿から住民に追われる危険がある。夜から朝に変化したのだから、夜に屯所を出て何処かに潜んでいれば、朝には人に戻れる気がする。
(夜目も利くし、真夜中に出るか)
銀時は、ぼんやりとした計画を立てた。
「稽古、稽古ォ~」
数人の隊士が稽古場に現れる。皆、稽古袴で竹刀を手にしている。
「おい、見ろよ。旦那だ」
一人が寝そべる銀時を見つけ、竹刀で指し示すと別の者が声をひそませる。
「この間、鉄と山田がとんでもない目に遭ったと聞いたな」
「そうそう。顔中に引っ掻き傷があって、青タンも作ってたぞ」
「なんでも鉄の体が浮く程の飛び蹴りをしたとか」
「副長の剣も難なくかわしたらしいぞ」
自分についてのヒソヒソ声に、銀時は後ろ足で耳の裏を掻く。
(青アザ作ったのは、沖田クンだし。オメーら俺に構わず稽古しろよ)
思いは届かず、一人が「たかが猫がそこまでするか?ちょっと試してやろうぜ」と言い出した。ペタペタと裸足を鳴らして肩に乗せた竹刀を揺らし、角刈りの男が近づく。
「旦那、俺達と稽古するか?」
銀時の鼻先に竹刀を突き付けて笑ってみせる。
(めんどくせー、俺は竹刀も持てねぇぞ)
眠たげな目で見上げる猫に男は「ほら見ろ、ただの鈍臭い不細工な猫だ」と仲間を振り返った。
パァンッ!
炸裂音がしたと思えば、男は顔から体を回してドタリと転げる。間を置いて「飯田おまえ、なにやってんだ?」と隊士が近づくと頬に真っ赤な梅の花のような模様がついている。
「なんだコレ」
「あれ、旦那、いつの間に此処に来た?」
稽古場の角にいた猫が、中央にいるのを見て首を傾げる隊士へ、飯田はのろのろと起き上がると「多分そいつにやられた。マジでやばいぞ」と狼狽えてみせた。
「猫に?見てたけど、わからなかったぞ」
半信半疑の仲間に、飯田は「見てろよ」と云うと竹刀を構えて中央の猫に対峙する。猫は相変わらずぼやっとした顔で飯田を見つめている。
腰を落として気を溜めた飯田は、威勢の声をあげて、頭上に高く振り上げた竹刀を真下に振り下ろした。
猫相手に本気の真向斬りに隊士から声が上がる。
下手をすれば、ひしゃげる!
ところが、スイと猫は事も無げに横にずれていた。普通の猫なら走って逃げ出しているところ、この白猫は見切ったかのように取り澄ましている。どよめく隊士の前で、飯田は足元めがけ横薙ぎするが、ひょいっと猫は竹刀を軽やかに飛び越える。間髪入れず掬うように右下から左上へ振り上げた竹刀も猫はかわしてみせた。
「マジだ!旦那、剣術を理解して見切ってやがる!」
「すげーよ、なんなんだよこの猫!」
息を切らす飯田と興奮する隊士たちに銀時は些か得意になって髭を震わせる。飯田の剣が鈍い訳ではないが、沖田の剣ならいざ知らず、かつての白夜叉にとって一介の隊士の剣技はなんでもなかった。猫の体はしなやかで軽く、跳躍力もあるのだから、次の動作がわかってしまえば息をする程度の労作だ。盛り上がる隊士たちは、俺も俺もと俄然やる気になって銀時に向かってくる。
(やべえ、やりすぎたな。コイツらの相手をしてやる義理もねぇってのに)
銀時は面倒になって、かわすだけでなく、手を引っ掻き、鳩尾へ飛び蹴りを入れ、頬に強烈なネコパンチをお見舞いした。痛みに悶えて戦意喪失した隊士が転がる稽古場に、佇む猫一匹と白い毛が舞う。
そこへ、一人の男が現れる。オレンジ色のアフロヘアに口許を覆面した冷淡な目付きの男がゆらりと立つ。その姿は、隙まみれのようで全く隙が無いようにも見える。
「ZZZ・・・」
鼾のような不明瞭な発音に、転がる隊士が「斉藤隊長!」と名を呼ぶと、彼は前髪のかかっていない右目で稽古場をぐるりと見渡した。
(コイツ、ヅラの時に・・・相変わらず俺に負けないデンジャラスヘアーだな)
銀時は紅花のような頭を眺めて尻尾を左右に振る。
「す、すみません!」
「遊んでた訳じゃないんスよ!」
隊士たちは慌てて起き上がると銀時を指差す。
「あの猫に皆、やられてしまって」
斉藤はじっと見つめてくる。その光の無い瞳に銀時も見透かされている気がして、じっとしていた。じっとし過ぎて、一分も経った頃「ZZZ・・・」と息が漏れた。
(イヤ寝てんのかい!真選組はバカの蚤の市だよ!)
恐る恐る隊士が「沖田隊長の猫で数日前から屯所に居着いてるんですよ」と説明する。一分もの間、睨み付けていた斉藤に、一目で只の猫でないと見抜いていると勘違いした隊士たちは内心、流石【アフ狼】だと思っていた。
「あの猫、沖田隊長のお気に入りで、副長や我々の剣を見切ってしまうんです!斉藤隊長ならやっつけられるかもしれません!」
息巻いた隊士が促す。
(やっつけるって、どういうことだコラ)
すっかり悪者扱いだ。
当の斉藤は、猫相手に?しかし土方さんや沖田君の構う猫ならば自分もひと撫でしてみたいZ、と思い悩む。柱阿腐郞という偽名で三番隊に来た桂以降、以前より隊士との距離は縮まったが、相変わらず三番隊には誰も来てくれず寂しいのだった。そうして他者とのコミュニケーションで、既に腹が痛くなっている。折角隊士が振ってくれたのだからと頷いて、竹刀を二本、両手に携えると斉藤は銀時に対峙する。流石の銀時も緊張感を持つ気迫。
ブン、と振り下ろされた竹刀を避けた胴めがけ、もう一本の竹刀が突き込んでくる。空中で身を捩った銀時が着地するや否や竹刀は一文字を描く。銀時は飛び上がり蹴りを入れるが、もう一本の竹刀がバチッと弾き返す。
(伊達に二刀流じゃねぇってか)
はぜる音と風切り音の連続に、隊士は息を飲んで見守る。斉藤の動きは、とても猫相手とは思えない真剣勝負にみえた。
「・・・!」
横に大きく腕を振った斉藤が動きを止める。
振り切った竹刀の上に猫が四つ足で立っていた。
右目を瞬きそれを見た斉藤は、次を出すことなく竹刀を下げる。ストンと着地した猫は、膨らんだ毛をぶるりと震わせた。その前へ片膝をつく斉藤は、流石だZと胸中で称え、そっと手を伸ばす。
パチンッ!
「あっ」
猫に強く手を弾かれた斉藤に隊士が声をあげる。
ぐぎゅるるる~と腹が鳴る斉藤は足早に稽古場から出ると厠へ閉じ籠る。猫にまで冷たくされて、とても落ち込んでいた。
(久しぶりに体使ったわ)
銀時は、前足、後ろ足、伸びをすると悠々と稽古場をあとにした。
稽古場の一件はすぐに組内に広まり、銀時は一目おかれる有名猫となった。
「旦那、終兄さんとやり合ったって?」
沖田は夕飯の唐揚げを、がにがに食べる猫に話しかける。猫は尻尾を揺らして返事をした。
「見たかったな。そうだ旦那、俺とも手合わせしてみねーかィ?」
銀時は鼻についたポテトサラダを舐めとりながら首を振る。残虐性のある剣技のドSを相手するには骨が折れそうだし、明日には戻れる体を危険に晒す必要もない。
「みゃうお」
それより毎日おかかご飯は飽きると文句をつけた。
(ああ)
銀時も腰をおろして眺める。
沖田の姉、ミツバは肺患い故に儚げだが幸せそうだ。かつて沖田から「姉上に親友を紹介しなければならないが、その親友がいない」と請われて同伴すれば、パフェを激辛にされた。だから、姉の前では猫かぶりする沖田も、激カラせんべえに鼻を啜る土方も銀時は知っている。屋上でかじった激カラせんべえの「辛ぇ」味は忘れられない。
そんな故人に向かっている沖田の心情を図れるほど己は親しくもないと傍でじっと控えていた。
「旦那、俺の姉上だぜ」
沖田が銀時の頭を柔らかく撫でる。
「にゃ(だな)」
頷けば、年のわりにませている沖田が珍しく、幼い笑顔をみせた。
「旦那に会えば、喜んだに違いねえや。万事屋の旦那の事も姉上は気に入ってた。借り物の友達だったってのに。まあ・・・俺も旦那は好きでさァ」
(なんだよおねーさァん!あなたの弟さん急にデレてきて怖いんですけど!)
そう誤魔化しても、銀時の胸はこそばゆい。
チェッと沖田が舌打ちする。
「土方のヤローなんて、姉上の写真があるから滅多にこの部屋には来ねぇんですよ。今日はさすがに乗り込んできやがったけど、写真には見向きもしねぇんだから。臆病者の薄情者だ」
拗ねた顔で姉に愚痴る沖田に、銀時は髭を震わせて笑う。
土方もどれだけ不器用なのだろうか。沖田もわかっていて認めないのだから、この件について二人はいつまでも平行線だろう。
「今日は殴られました。へなちょこパンチで痛くもねぇや」
銀時は、沖田の太腿に前足をのせて、そうかと頷いてみせる。
(俺のためによくやってくれた。元凶はおまえと、とんでもねえ部下だけどね!)
労るような、小さな白い手に沖田はまた笑う。その顔が余計ミツバに似ていると銀時は思った。
不意に沖田は、耳元で姉が「素敵なお友達ね、そーちゃん」と云ったような気がした。姉にもこの温もりに触れてほしい。
「・・・姉上に会えたらな」
ポツリと呟いた声はなんとも心細くて切ない。
(まだそうなんだな、そうだよな)
銀時は、ひねくれて掴み所のない彼が、唯一の肉親を偲ぶ姿を未熟とも幼稚とも思いはしない。
よっこいせと、ゴロンと転がって、へそ天してみせる。沖田は飴色の眉毛を山なりにして、フワフワのお腹をさらけ出す猫を見た。
「なんでィ、急に」
「みゃお(モフモフしていいぞ)」
銀時だって気分が塞ぐ日がある。そんな時は、定春をモフモフすれば大抵は良くなる。今の銀時は犬でなく猫だが、モフモフには違いない。
(臭くねーぞ、多分)
「なぉん(胸を貸してやるってんだ)」
沖田は、己を見つめる猫の瞳に、優しい力強さをみる。猫相手にこんな風に思うのは、不思議なことだ。
「・・・旦那、誘ってんのかィ?」
「にゃおん(おまえそれは語弊がある)」
少し迷ってから沖田はソッと上体を倒すと、顔を白い胸毛に埋めた。鼻先に、頬に、額に、もふりと柔らかな感触。和毛は仄かに香ばしく、沖田は思わず「なにこれ、癒される」と呟いた。
(そうだろ、わかるわー)
銀時も同意しながら、しかし、定春と猫の己ではサイズが違うから物足りないだろうと思う。鼻先に飴色の旋毛から石鹸と湿布の匂いがして、小さなくしゃみをする。
「・・・姉貴に話しかけるなんざ、滅多ねぇんだぜ」
沖田は呟いてから、誰に対しての言い訳かと自問する。猫しかいない、姉貴などと今更にかっこつけなくてもいいのに。沖田は旦那の、膨らむ胸とポコポコ打つ鼓動に安らぎを得ていた。
銀時は、胸元のすうすうと小さな鼻息が温かくて、癒しているのに癒されて、伸びをするとそのまま眠ってしまった。
真選組内には、銀時のための水呑場が多数用意されている。「猫はすぐ腎臓を悪くするんですよ!」という三井を筆頭に、何名かの有志が、それぞれ新鮮な水に入れ替えている。それでも銀時は、水道の蛇口から直接飲むのが一番良い。それも水栓を捻ってもらえればの話だ。
早朝、濡れ縁に用意された水を飲んでいると「オイ」と乱暴に声をかけられる。振り向けば土方が寝間着姿で立っていた。珍しいより、面倒くさいが勝る。
(しまった、コイツ昨日は違う部屋で寝てたんだった)
銀時は土方の部屋周囲には近付かないようにしている。それがこの水呑場は、鼠騒動で居られなくなった土方の仮部屋に近かったのだ。昨日の今日で、土方は機嫌が悪いと顔にかいてある。
(嫌なら声をかけなきゃいいだろが)
銀時は濡れた口回りを舐めて、そのまま前足で顔を洗う。土方はどかりと銀時の隣に胡座をかくと煙草を吸い始めた。
(マジなんなんだよ、嫌がらせかコイツ)
銀時がぎろりと睨めば、土方も睨み返す。
「おまえ俺のこと嫌いだろ」
「みゃう(あたりめーだろ)」
土方の鼻から吹き出した煙が三角耳を掠めて、銀時がぶるるっと耳を震わせれば、土方は「俺もだ」と頷く。
「総悟とつるみやがって。性格悪い者同士気が合うんだな」
「ふしっ(はっ)」
くしゃみのような音に、猫流のせせら笑いは難しいなと銀時は首をかしげる。
土方は紺青の瞳を遠く彷徨わせるとそっと口を開いた。
「昨日はアイツ、ガキの頃みてーに食ってかかりやがって。正直驚いた」
(それは確かに俺も驚いたぜ)
「アイツが感情剥き出してあんな風になるのは、近藤さんと・・・アイツの姉貴の事くらいなもんだ」
土方は隣の白猫を見下ろす。ふてぶてしくて可愛くもない、来て日も浅いこの猫が沖田にとって二人と同じくらい大事な存在だとでも?到底信じられない。
「テメーなに者だ?」
「にゃあ(銀さんです)」
銀時は律儀に答えたが、土方は「にゃあ、か」と呟いた。
「ゆうべは総悟の奴、顔中猫毛まみれにして寝ぼけて歩いてやがったぞ。どうなってんだ」
(あー、そうだろうね。起きたら毛が涎で固まってたからねチクショー)
銀時は、二度と胸を貸して寝ないと決めた。
「総悟はまだ写真に話しかけてんだろ」
じっと見つめる土方は銀時に同意を求める。
(なんでここの奴等は当然のように俺(猫)に話しかけるの?)
銀時は瞼を閉じて寝たふり、沖田のプライバシーを尊重してやった。
前足を床につけた香箱座りの猫に土方は頭を掻く。
「やめた。猫相手にバカらしい・・・。仕方ねえが、テメーとは休戦だ」
力を抜いた声で告げると、吸い殻を靴脱石に擦り付ける。ヤニで黄色く染まる指先が銀時の額をちょんと小突いた。
(なに一人で落ち着いてんだ。オメーは昨日のこと俺に謝ってもいいんじゃねーの?)
それでも銀時は「みゃみゃ(はいはい)」と受け入れてやった。
それから一時間もしないうちに、土方は猫を血眼で探していた。今度こそ皮を剥いでやると息巻く背中を銀時は庭木の陰から眺める。
(土方くん、休戦はどーしたよ)
休戦もクソもない。銀時は夜中のうちに彼のブーツにたっぷり小便をして仕返しをしていた。
職務の合間に山崎は白猫をブラッシングする。陽光に照る黒い制服に長い毛がもわもわとくっついて、庭中に綿毛のような塊が転がる。
「旦那、どこまでも抜けるんだけど。コレ終わりあんのかな」
すいているのに、どんどん増えるみたいで、山崎は隣で昼寝をする沖田に助けを求める。
「沖田さん。ちょっ、これエンドレスじゃないですか?増えるワカメみた、イタイ!」
チリッと手の甲に爪を立てる猫に山崎は、「こらあ!」と声をあげる。そもそも山崎はブラッシング係でもないのに、定期的にやらされる。それもこれも、とぼけたアイマスク男のせいだと、腕っぷしでは負けるので、到底云えない。
そこで思い出した山崎は「あ」と声を出した。
「そういや沖田さん、明日は慰労会ですね」
寝転がったままアイマスクをずらした沖田は眩しさに目をすがめて山崎を見た。初耳だという顔をする。山崎の膝の上で銀時は彼の呆れ顔を見上げた。
「幕臣三名を殺害した天剋党一派の捕物、一番隊と十番隊の慰労会じゃないですか」
「あー、そんなのあったっけ」
胡座をかく沖田は、どうでもよさそうだ。
「そんなのってね、大手柄だったのに。一番隊隊長なんですから参加せんとダメですよ」
窘める山崎は銀時を膝から下ろす。
(ちゃんと職務こなしてたんだな)
銀時は後ろ足を伸ばしながら意外に思っていた。猫から見ても職務怠慢常習犯だが、確かに組内で一目置かれる剣の腕を振るう場ならばお釣りがくるだろう。銀時も彼の腕には覚えがあった。
当の沖田は、毛玉を丸めて遊んでいる。
(明日・・・。もうすぐ猫生活も終わりだな)
銀時はしみじみと沖田を見る。ピンポン玉ほどの塊を作った沖田が「旦那の分身」といって銀時に向かって指で弾いてくる。転がる毛玉にウズウズして思わずバシッと前足で弾くと、また沖田が弾き返す。気付けば夢中で追いかけて、毛玉にかじりついた己に憮然とする。やはり早く人に戻りたい銀時だった。
たった数日で銀時は「あ、沖田隊長の猫だ」「よっ、旦那」「凶悪猫だ」などと声をかけられる屯所内の有名猫になっていた。果敢に撫でようと挑む者、いつも真選組ソーセージを食わせようとする者、執拗に携帯電話で撮影する者、心底嫌な顔をする者と有象無象の輩がいたが、それも明日までと思えば何てことはない。
(そういえば明日はいつ、どんな風に戻るんだ?)
午後の暑さを稽古場の板床に寝そべりやり過ごしていた銀時はふと思う。
あの猫塚の主がもう一度夢に出ないかと微睡んでみたが、小一時間寝て終わった。こうなっては、なんとなくタイミングをはかるしかない。人間に戻る前に屯所を出なければならないが、早すぎると猫の姿から住民に追われる危険がある。夜から朝に変化したのだから、夜に屯所を出て何処かに潜んでいれば、朝には人に戻れる気がする。
(夜目も利くし、真夜中に出るか)
銀時は、ぼんやりとした計画を立てた。
「稽古、稽古ォ~」
数人の隊士が稽古場に現れる。皆、稽古袴で竹刀を手にしている。
「おい、見ろよ。旦那だ」
一人が寝そべる銀時を見つけ、竹刀で指し示すと別の者が声をひそませる。
「この間、鉄と山田がとんでもない目に遭ったと聞いたな」
「そうそう。顔中に引っ掻き傷があって、青タンも作ってたぞ」
「なんでも鉄の体が浮く程の飛び蹴りをしたとか」
「副長の剣も難なくかわしたらしいぞ」
自分についてのヒソヒソ声に、銀時は後ろ足で耳の裏を掻く。
(青アザ作ったのは、沖田クンだし。オメーら俺に構わず稽古しろよ)
思いは届かず、一人が「たかが猫がそこまでするか?ちょっと試してやろうぜ」と言い出した。ペタペタと裸足を鳴らして肩に乗せた竹刀を揺らし、角刈りの男が近づく。
「旦那、俺達と稽古するか?」
銀時の鼻先に竹刀を突き付けて笑ってみせる。
(めんどくせー、俺は竹刀も持てねぇぞ)
眠たげな目で見上げる猫に男は「ほら見ろ、ただの鈍臭い不細工な猫だ」と仲間を振り返った。
パァンッ!
炸裂音がしたと思えば、男は顔から体を回してドタリと転げる。間を置いて「飯田おまえ、なにやってんだ?」と隊士が近づくと頬に真っ赤な梅の花のような模様がついている。
「なんだコレ」
「あれ、旦那、いつの間に此処に来た?」
稽古場の角にいた猫が、中央にいるのを見て首を傾げる隊士へ、飯田はのろのろと起き上がると「多分そいつにやられた。マジでやばいぞ」と狼狽えてみせた。
「猫に?見てたけど、わからなかったぞ」
半信半疑の仲間に、飯田は「見てろよ」と云うと竹刀を構えて中央の猫に対峙する。猫は相変わらずぼやっとした顔で飯田を見つめている。
腰を落として気を溜めた飯田は、威勢の声をあげて、頭上に高く振り上げた竹刀を真下に振り下ろした。
猫相手に本気の真向斬りに隊士から声が上がる。
下手をすれば、ひしゃげる!
ところが、スイと猫は事も無げに横にずれていた。普通の猫なら走って逃げ出しているところ、この白猫は見切ったかのように取り澄ましている。どよめく隊士の前で、飯田は足元めがけ横薙ぎするが、ひょいっと猫は竹刀を軽やかに飛び越える。間髪入れず掬うように右下から左上へ振り上げた竹刀も猫はかわしてみせた。
「マジだ!旦那、剣術を理解して見切ってやがる!」
「すげーよ、なんなんだよこの猫!」
息を切らす飯田と興奮する隊士たちに銀時は些か得意になって髭を震わせる。飯田の剣が鈍い訳ではないが、沖田の剣ならいざ知らず、かつての白夜叉にとって一介の隊士の剣技はなんでもなかった。猫の体はしなやかで軽く、跳躍力もあるのだから、次の動作がわかってしまえば息をする程度の労作だ。盛り上がる隊士たちは、俺も俺もと俄然やる気になって銀時に向かってくる。
(やべえ、やりすぎたな。コイツらの相手をしてやる義理もねぇってのに)
銀時は面倒になって、かわすだけでなく、手を引っ掻き、鳩尾へ飛び蹴りを入れ、頬に強烈なネコパンチをお見舞いした。痛みに悶えて戦意喪失した隊士が転がる稽古場に、佇む猫一匹と白い毛が舞う。
そこへ、一人の男が現れる。オレンジ色のアフロヘアに口許を覆面した冷淡な目付きの男がゆらりと立つ。その姿は、隙まみれのようで全く隙が無いようにも見える。
「ZZZ・・・」
鼾のような不明瞭な発音に、転がる隊士が「斉藤隊長!」と名を呼ぶと、彼は前髪のかかっていない右目で稽古場をぐるりと見渡した。
(コイツ、ヅラの時に・・・相変わらず俺に負けないデンジャラスヘアーだな)
銀時は紅花のような頭を眺めて尻尾を左右に振る。
「す、すみません!」
「遊んでた訳じゃないんスよ!」
隊士たちは慌てて起き上がると銀時を指差す。
「あの猫に皆、やられてしまって」
斉藤はじっと見つめてくる。その光の無い瞳に銀時も見透かされている気がして、じっとしていた。じっとし過ぎて、一分も経った頃「ZZZ・・・」と息が漏れた。
(イヤ寝てんのかい!真選組はバカの蚤の市だよ!)
恐る恐る隊士が「沖田隊長の猫で数日前から屯所に居着いてるんですよ」と説明する。一分もの間、睨み付けていた斉藤に、一目で只の猫でないと見抜いていると勘違いした隊士たちは内心、流石【アフ狼】だと思っていた。
「あの猫、沖田隊長のお気に入りで、副長や我々の剣を見切ってしまうんです!斉藤隊長ならやっつけられるかもしれません!」
息巻いた隊士が促す。
(やっつけるって、どういうことだコラ)
すっかり悪者扱いだ。
当の斉藤は、猫相手に?しかし土方さんや沖田君の構う猫ならば自分もひと撫でしてみたいZ、と思い悩む。柱阿腐郞という偽名で三番隊に来た桂以降、以前より隊士との距離は縮まったが、相変わらず三番隊には誰も来てくれず寂しいのだった。そうして他者とのコミュニケーションで、既に腹が痛くなっている。折角隊士が振ってくれたのだからと頷いて、竹刀を二本、両手に携えると斉藤は銀時に対峙する。流石の銀時も緊張感を持つ気迫。
ブン、と振り下ろされた竹刀を避けた胴めがけ、もう一本の竹刀が突き込んでくる。空中で身を捩った銀時が着地するや否や竹刀は一文字を描く。銀時は飛び上がり蹴りを入れるが、もう一本の竹刀がバチッと弾き返す。
(伊達に二刀流じゃねぇってか)
はぜる音と風切り音の連続に、隊士は息を飲んで見守る。斉藤の動きは、とても猫相手とは思えない真剣勝負にみえた。
「・・・!」
横に大きく腕を振った斉藤が動きを止める。
振り切った竹刀の上に猫が四つ足で立っていた。
右目を瞬きそれを見た斉藤は、次を出すことなく竹刀を下げる。ストンと着地した猫は、膨らんだ毛をぶるりと震わせた。その前へ片膝をつく斉藤は、流石だZと胸中で称え、そっと手を伸ばす。
パチンッ!
「あっ」
猫に強く手を弾かれた斉藤に隊士が声をあげる。
ぐぎゅるるる~と腹が鳴る斉藤は足早に稽古場から出ると厠へ閉じ籠る。猫にまで冷たくされて、とても落ち込んでいた。
(久しぶりに体使ったわ)
銀時は、前足、後ろ足、伸びをすると悠々と稽古場をあとにした。
稽古場の一件はすぐに組内に広まり、銀時は一目おかれる有名猫となった。
「旦那、終兄さんとやり合ったって?」
沖田は夕飯の唐揚げを、がにがに食べる猫に話しかける。猫は尻尾を揺らして返事をした。
「見たかったな。そうだ旦那、俺とも手合わせしてみねーかィ?」
銀時は鼻についたポテトサラダを舐めとりながら首を振る。残虐性のある剣技のドSを相手するには骨が折れそうだし、明日には戻れる体を危険に晒す必要もない。
「みゃうお」
それより毎日おかかご飯は飽きると文句をつけた。