銀さん、ねこになる
沖田の部屋で朝餉を食べてから、銀時は人の少ない屯所をぶらつく。
大抵が独身者の真選組は、隊長格以上でなければ相部屋で雑魚寝をしている。とにかく男所帯でむさ苦しい。食堂、浴場、会議室、稽古場、武器庫に食糧庫、尋問部屋に拷問部屋?血生臭い所はさっさと通り過ぎる。
門前には隊士が二人立っていて、銀時を見て「厠を使う猫だ」と笑っている。
(この敷地から出たらタマが・・・)
想像でタマがひゅんとした。
「先輩、いました!」
「よし、連れてこい。鉄」
「さ、おいで」
急に駆け寄ってきた、鉄と呼ばれたぽっちゃりベビーフェイスの男が身を屈める。もちろん銀時はスイと避ける。
(コイツも見覚えあんな)
鉄之助は土方の小姓で、土方が彼を巡って見廻り組の佐々木と揉めたのは承知だ。銀時としては、逮捕されて墓に行く足にされた方が記憶にある。
早くしろと先の隊士が警察車両の運転席から呼びかける。
「とっとと連れて出ねーと、また副長にどやされんぞ」
「どの辺に連れて行くんですか?」
「さあ、そこまでは指示されてねーからな。適当な所に放してやろう。とにかく住民に見られねぇように車両で運びゃあいいとよ」
「副長、この猫に手を焼いてましたからね。おまえもタマをなくさずに自由になれるよ」
少女漫画のような目で真面目に猫と向き合う鉄に銀時は肉球から汗をかく。
(もしかしてコイツら俺を車両で地域外に出そうとしてんの?)
『五日の間に万が一この地域から出たら、主はたちまち消滅するぞよ』
銀時は詳細不明だが、消滅という不穏な言葉を聞いてしまっては、最早この地を離れるつもりはなかった。それなのに今、土方の指示でこのふたりは銀時を地域外へ連れ出そうとしている。
とんでもない。
のろまな鉄をかわすのは容易い。銀時はダッと踵を返して走り出したが、すぐに網が被さってくる。不覚、三人目の隊士が大きな虫捕り網で銀時を捕らえた。銀時はめちゃくちゃに暴れて爪で網を破ろうとする。
「うわっ、コイツ暴れるぞ」
「その網が怖いんじゃないっスか」
「助けてやろうってのに、わかんねー猫だな!このまま麻袋に入れて運んじまえっ」
「フギャー!ギャギャッ(やめろぉお!タマどころか俺が消滅するんだよっ)」
砂煙を立てて暴れる猫に袋を広げた鉄が恐々近付く。破けた網の隙間からバリッとその手を引っ掻くと、鮮血が噴き出して彼は怯んだ。
「おい、大丈夫か」
「いっ、痛いっ!けど平気っス!」
無駄に逞しくなった鉄之助が再び挑んでくる。ぼろぼろの網から飛び出した銀時はその頬に飛び蹴りを入れるともう一人の隊士に飛び掛かり顔面を引っ掻く。悲鳴を上げた隊士がしゃがむ、その上を飛び越えて、沖田の部屋へ一目散に走った。
鉄之助たちは「凶暴すぎて捕獲も出来ない」と土方に報告して電話口でどやされると、医務室へ駆け込み処置をしているところに聞きつけた沖田がやって来て、また傷を増やした。青アザをつくった鉄之助を見て、土方が沖田を詰めれば、沖田も砂埃に汚れた銀時について土方を責める。
「土方さん、勝手なことしねーでもらえますかィ。旦那が怪我したらどうすんでィ。鉄の傷だってアンタのせいでさァ」
驚いたと土方が目を剥く。
「おまえの目的はなんだ?タマ取られねーようにこの辺から逃がしてやるんじゃなかったのかよ。俺は間違ってねーだろ。まさか本気で此処で飼うつもりか?」
沖田は口を尖らせてみせる。
「旦那が嫌がるってことは今は出たくねぇか此処にいたいんだ。気の済むまで居させてやればいいじゃねェですか」
「それが我慢ならねぇ。ずるずる居着いちまったら承知しねーぞ。そも、凶暴すぎて気に食わねぇんだよ、あのクソネコ」
いない猫に唸る土方を狭量だと思う沖田は頷いてみせた。
「旦那は人を見る目があるだけでさァ」
消滅の危機を免れ、ようやく心も落ち着いた銀時が沖田の部屋で微睡んでいると足音がふたつ、廊下を向かってくる。話し声から一人は沖田で、もう一人は知らない男だ。
「ですから、沖田隊長!健康で長生きさせる為にはですね、これらは必須ですよ!」
「俺は旦那を長生きさせるつもりはねぇぜ」
「それは無責任ですよ!飼うって聞きましたけど!?」
煩わしそうな沖田に食い下がる男はガサガサと物音がうるさい。どうやら自分の話だと合点して銀時はそろそろと起き出す。
そこに襖が開いて、沖田と背の低い浅黒の男が大荷物を持って現れた。銀時を見て、小さな瞳がキラキラする。
「あはぁ~。これが沖田隊長の猫ちゃん、旦那ですか」
ずずいっと体を折って銀時を眺めてくる。
「俺のじゃねぇって云ってんだ。三井、おまえ七番隊だろ?丘さんに言い付けるから」
「旦那は長毛ですからブラッシングは念入りにしてあげてください」
イラついている沖田に構わず、三井は荷物を広げ始める。ブラシもおもちゃも数種類ずつ、餌皿に爪研ぎはまだいい。キャットフードにトイレ砂を見て、銀時は顔をしかめる。
(まさか俺に使わせようって?勘弁しろ、そんなカサカサのモン食えるかよ。沖田くんアイツ止めて)
沖田を見れば、ふざけたアイマスクをして無視を決め込んでいた。
「にゃあ!にゃ!(おいい!裏切り者!)」
「面白い鳴き声だ。旦那、ほらほら」
三井が餌皿に入れたキャットフードをカラカラいわせる。フン、と銀時は顔をそむけた。
「野良猫と聞いていたけど、厠も使うし、人馴れしてるもんな、飼われてたのかも?それにしては悪食だし、人の食べ物で育ったタイプなのかな」
三井は、ぶつぶつ云いながら銀時の体をひょいと捕まえる。なんて俊敏な奴!銀時が、ぎょっとするうちに首筋に冷たいものが落とされた。
(くせ!つめてえ!)
「虫除けしとかないとね」
ビャッと逃げた銀時の中で、三井は危険人物に認定された。絶対にトイレ砂も使わないし、カサカサのキャットフードも食わない。耳を横に寝かせてピンと張る猫を沖田の手が三井から隠す。
「いい加減にしろィ。もう十分だろ」
「にゃお!にゃう!にゃうーー!(遅いんだよ、おまえ!銀さんもうやられたから!かぶれたらどうすんだ!)」
「あり、旦那なんで俺に文句つけんだ」
ようやく沖田は闖入者を部屋から追い出した。
「首輪、リード、キャットタワーに予防接種!まだまだ足りませんよぉ!」
最後まで粘った三井は、このあと七番隊隊長にこってりしぼられたが後悔はなかった。三井にとって生き物を飼うとは、大変に責任が重く適正に飼養する義務があり、その生き物にとって最善を尽くすのが当然なのだった。それが他人でも妥協しない、もちろん己は背負いきれないと生き物を飼うことはしない。そんな男だから、最後まで銀時にキャットフードを勧め、銀時は断固拒否しなければならなかった。
「ねえ旦那、今日車に乗っちまえば自由になれたのに」
沖田は、三井の持ち込んだ猫グッズをまとめながら銀時に話しかける。
(俺じゃなかったら、ヤバい奴だぞ総次郎くん)
薄情な銀時は、尻尾でこたえて促す。
「今、ここらの地域は旦那の捕獲に躍起になって捕獲器まみれ。元々評判の悪い真選組じゃ旦那の事は他言無用になったんだから」
「にゃ?(まじで?)」
沖田がコロコロローラーで隊服の毛を取るついでに、銀時の体にもコロコロする。粘着の弱くなったローラーをマッサージとして銀時は受け入れた。捕獲器があろうがなかろうが構わないが、自分という白猫はすっかりお尋ね者扱いだ。
心地よさげに目を閉じて、我関せずという態度の猫に沖田は小さく笑う。
「旦那がいいなら居たいだけいりゃいいや」
日暮れになってまた闖入者が現れる。
襖から瓶底眼鏡をかけた男が覗くと、銀時へ熱視線を向けてきた。
(また動物好きか?さっきのやつといい、真選組より動物園の方が向いてんじゃねーか)
銀時は冷ややかな目で見るが、何処か見覚えがある。
「おまえが隊長の猫か」
そそそっと入ってきた男の目は、羨望の眼差し。
(なんだったかコイツ、どっかで)
「神山ぁー」
「はいぃい!隊長ォ!!おふっ!」
馬鹿でかい声で返事をしたと思えば、尻を蹴飛ばされた神山が畳にスライディングする。銀時はその姿に以前の出来事を思い出す。神山は沖田を敬慕している一番隊隊士で、銀時も僅かに面識があった。
「おまえには買い物頼んだよね」
「もちろん行ってきました!これですよね!アナルプラグォ」
「なんでだよ、誰もそんなもの頼んでねーよ」
顔にめり込む沖田の足に、神山は恍惚としている。手には何をどう聞き間違えたらそうなるのか、アナルプラグが握られていた。
「隊長のアナルが心配なあまり間違えてしまいました!一生の不覚!」
「心配してないよね、不覚しかしてないよね。お前に心配されるほど柔な括約筋してないから。それはお前にやるよ」
「イエッサー!ではお願いします!」
「テメーでどうぞイエッサー」
嬉々として尻を突きだし沖田にプラグを献上する神山に何を見せられているのかと銀時はげんなりする。
(真選組は変態バカの集まりか、それとも江戸が平和すぎて暇なのか)
失礼な事を思うが、目の前の珍事を見れば仕方ない。急に神山は銀時を指す。
「隊長が、猫を飼い始めたと聞いて!様子を見に来たんス!」
突然の火の粉に銀時は、またもイカ耳になる。
「なんで」
「だって羨ましいじゃないですか!猫ともなれば隊長のあんなトコこんなトコ、アナルの皺から襞まで見放題嗅ぎ放題舐め放題」
「見ねーし嗅がねーし舐めねーし、俺の猫じゃねーから」
「そうなんですか!?俺でよければ、いつでも隊長の猫になるっス!」
神山の頭には沖田のアナルしかないのか、猫を何だと思っているのか、猫耳カチューシャをつけて待機している。
(こんなのが隊士でいいわけ?粛清した方がいんじゃね?)
銀時は沖田が心配になってきた。それが意外にも、沖田は澄ましている。なんだかよくわからない。
「オッケー。にゃん公、神山。最近屯所に鼠が増えただろ、素手で駆逐してこい。死骸は全部土方さんの部屋に持っていって報告しな」
「副長の部屋にっスか・・・」
さすがの神山も躊躇する。沖田はゲスい顔で「嫌ならやめても全然構わねぇぜ」と笑う。
(やめとけ、神山ァア)
銀時の助言むなしく神山は「にゃん!」と敬礼して飛び出していった。
「旦那、新しい玩具」
ゴロンと畳にアナルプラグを転がす沖田に「にゃふ(ちげーだろ)」と銀時は返事をすると、前足を伸ばして寝過ぎた体をほぐす。
(そろそろ甘いものがほしい)
最近の楽しみは食事しかない銀時だった。
翌日事件は起きた。土方の部屋に鼠の死骸が散乱する。もちろん神山の仕業なのだが、恐ろしくて名乗り出ることも出来ない。そうして真っ当に、鼠とくれば猫。猫といえばと、銀時が容疑者(猫)になる。抜き身をひっさげて、怒髪天を衝く土方が沖田の部屋に乗り込んでくる。
「何処だ畜生!出てきやがれ!たたっ斬って、三味線屋に売り飛ばしてやらァァア!」
隊士がわあわあと止めに入るが、誰も彼を止められない。沖田など「何事ですかィ」なんて惚けている。口のきけない銀時もやはり、ひらりひらりと凶刃をかわすしかない。
「土方さんだって鼠を獲ればいいとかなんとか云ってたじゃねーですかィ。それでも旦那は、鼠なんか獲る甲斐性もねぇ猫だ」
「沖田隊長!」
「火に油を注いでる!」
悲鳴を上げる隊士の前で土方の怒りは増して、彼の頭から湯気が見えそうな勢いだ。
「何を根拠に旦那を疑うんで?こないだ猫いらずを撒いたのは山崎だぜ」
突然の名指しに山崎から悲鳴があがる。
「違います違いますって!副長!俺、そんな変な撒き方してないしっ。第一、鼠が副長の部屋で大量死なんて不自然じゃねーかァ!死骸を運んだに決まってんでしょーが!」
もっともだが、それはそれで土方に向けられた悪意を全肯定してしまって、土方の目付きは余計に鋭くなる。怒りは再び銀時へ向く。
「とにかくその猫!我慢の限界だ!他言無用ォ?なんで真選組が猫なんざ守らにゃならねーんだ!?・・・檜山の婆さんに伝えてくる」
刀を肩に担ぐとくるりと向きを変えた土方に、周囲がどよめき、沖田の顔色がサッと変わる。銀時は事情がわからず、キョロキョロする。
「ひ、土方ァ!そりゃねーだろッ!」
「うるせーよ、たかが猫の一匹。構うか、アッ!?」
沖田が土方の腰にタックルを入れていた。ドンッと二人して倒れ込むと、「アホか!あぶねーだろ!」と叫ぶ土方が刀を放る。そのまま殴り合いになって、「とめろとめろ!」と隊士がまぶりつき、めちゃくちゃになる。銀時は沖田の行動に驚いて、猫の口をポカリと開けて乱闘騒ぎを見ていた。
「誰か、局長呼んでこい!」
「ダメだ!今日は本庁に出向いてる!」
誰かと誰かの叫びに、数名から絶望の声があがる。
猫のためにここまでする沖田の姿に意を決した犯人、神山は今生最期とばかりに大きく息を吸い込んだ。
「俺なんス!!!」
どでかい声に、全員がシン・・・となる。
(神山、オメー・・・)
銀時は神山を見直したような呆れたような気持ちで彼を見る。せめて猫耳カチューシャは取るべきだった。
「俺が、副長の部屋に鼠を置いたんです!」
「な、なにっ?」
ぼろぼろの土方が驚いて神山を見る。
「お、おまえっ、正気か!?まさか沖田隊長の猫だからって庇ってんのか!?そのカチューシャはなんなんだ!?」
原田が怒声をあげる。神山はガンッと地面に額を打ち付けて土下座をした。
「真選組に巣食う鼠めを駆逐して!あとで副長に報告しようと思い!成果を副長の部屋に集めましたが!俺が至らぬせいで副長を不快にさせてしまいました!どんな罰も受けるっス!」
理屈に合わない事を、堂々と云ってのけた神山に皆「お、おお」と無心の声をあげる。土方と同じく、ぼさぼさの沖田が見返る。
「神山」
「沖田隊長は!今回に限って全く関係ないっス!猫もです!ですからどうか、自治会長には黙っていてください!」
(なるほど檜山は自治会長だったか・・・ってあぶねー!俺ピンチだったんじゃねーか!)
唆した沖田も実行した神山も、銀時を売ろうとした土方もとんでもない。銀時の肉球はじっとり湿り、今更に身の毛が逆立った。
怒りの炎も下火になった土方が身なりを直す。
「神山。部屋の死骸を全部片付けろ、あと念入りに掃除と消毒。そのふざけた飾りはやめろ。しばらく俺の前に姿を見せんな」
「イエッサー!」
敬礼する神山の、額の血で猫耳カチューシャは斑に染まっている。瓶底眼鏡も割れている。
土方は刀を拾うと「それで、駆逐できたのか」と訊ねる。神山は真剣な顔で「ハイ!」と返事をした。
よくよく考えれば、鼠を見つけだし素手で仕留めてしまう神山は、なかなかどうして有能なのかもしれない。
(それでもあんな部下は御免だぜ)
銀時は、縁側に寝そべって白い月に目を細める。
後ろでは、顔に湿布を貼った沖田が散らかった部屋を片付けていた。土方に飛びかかる沖田の顔は、駄々っ子のようだったと思い返す。
(俺のために、あんな顔してくれるとはね)
沖田にとって【旦那】は、それほど親しみのある存在になったのだろうか。胸がこそばゆくて、ゴロンゴロンと転がる。それから、急に静かだな、と背後を振り返る。
沖田は胡座をかいて丸めた背中に首だけ伸ばして、何かを見つめていた。
大抵が独身者の真選組は、隊長格以上でなければ相部屋で雑魚寝をしている。とにかく男所帯でむさ苦しい。食堂、浴場、会議室、稽古場、武器庫に食糧庫、尋問部屋に拷問部屋?血生臭い所はさっさと通り過ぎる。
門前には隊士が二人立っていて、銀時を見て「厠を使う猫だ」と笑っている。
(この敷地から出たらタマが・・・)
想像でタマがひゅんとした。
「先輩、いました!」
「よし、連れてこい。鉄」
「さ、おいで」
急に駆け寄ってきた、鉄と呼ばれたぽっちゃりベビーフェイスの男が身を屈める。もちろん銀時はスイと避ける。
(コイツも見覚えあんな)
鉄之助は土方の小姓で、土方が彼を巡って見廻り組の佐々木と揉めたのは承知だ。銀時としては、逮捕されて墓に行く足にされた方が記憶にある。
早くしろと先の隊士が警察車両の運転席から呼びかける。
「とっとと連れて出ねーと、また副長にどやされんぞ」
「どの辺に連れて行くんですか?」
「さあ、そこまでは指示されてねーからな。適当な所に放してやろう。とにかく住民に見られねぇように車両で運びゃあいいとよ」
「副長、この猫に手を焼いてましたからね。おまえもタマをなくさずに自由になれるよ」
少女漫画のような目で真面目に猫と向き合う鉄に銀時は肉球から汗をかく。
(もしかしてコイツら俺を車両で地域外に出そうとしてんの?)
『五日の間に万が一この地域から出たら、主はたちまち消滅するぞよ』
銀時は詳細不明だが、消滅という不穏な言葉を聞いてしまっては、最早この地を離れるつもりはなかった。それなのに今、土方の指示でこのふたりは銀時を地域外へ連れ出そうとしている。
とんでもない。
のろまな鉄をかわすのは容易い。銀時はダッと踵を返して走り出したが、すぐに網が被さってくる。不覚、三人目の隊士が大きな虫捕り網で銀時を捕らえた。銀時はめちゃくちゃに暴れて爪で網を破ろうとする。
「うわっ、コイツ暴れるぞ」
「その網が怖いんじゃないっスか」
「助けてやろうってのに、わかんねー猫だな!このまま麻袋に入れて運んじまえっ」
「フギャー!ギャギャッ(やめろぉお!タマどころか俺が消滅するんだよっ)」
砂煙を立てて暴れる猫に袋を広げた鉄が恐々近付く。破けた網の隙間からバリッとその手を引っ掻くと、鮮血が噴き出して彼は怯んだ。
「おい、大丈夫か」
「いっ、痛いっ!けど平気っス!」
無駄に逞しくなった鉄之助が再び挑んでくる。ぼろぼろの網から飛び出した銀時はその頬に飛び蹴りを入れるともう一人の隊士に飛び掛かり顔面を引っ掻く。悲鳴を上げた隊士がしゃがむ、その上を飛び越えて、沖田の部屋へ一目散に走った。
鉄之助たちは「凶暴すぎて捕獲も出来ない」と土方に報告して電話口でどやされると、医務室へ駆け込み処置をしているところに聞きつけた沖田がやって来て、また傷を増やした。青アザをつくった鉄之助を見て、土方が沖田を詰めれば、沖田も砂埃に汚れた銀時について土方を責める。
「土方さん、勝手なことしねーでもらえますかィ。旦那が怪我したらどうすんでィ。鉄の傷だってアンタのせいでさァ」
驚いたと土方が目を剥く。
「おまえの目的はなんだ?タマ取られねーようにこの辺から逃がしてやるんじゃなかったのかよ。俺は間違ってねーだろ。まさか本気で此処で飼うつもりか?」
沖田は口を尖らせてみせる。
「旦那が嫌がるってことは今は出たくねぇか此処にいたいんだ。気の済むまで居させてやればいいじゃねェですか」
「それが我慢ならねぇ。ずるずる居着いちまったら承知しねーぞ。そも、凶暴すぎて気に食わねぇんだよ、あのクソネコ」
いない猫に唸る土方を狭量だと思う沖田は頷いてみせた。
「旦那は人を見る目があるだけでさァ」
消滅の危機を免れ、ようやく心も落ち着いた銀時が沖田の部屋で微睡んでいると足音がふたつ、廊下を向かってくる。話し声から一人は沖田で、もう一人は知らない男だ。
「ですから、沖田隊長!健康で長生きさせる為にはですね、これらは必須ですよ!」
「俺は旦那を長生きさせるつもりはねぇぜ」
「それは無責任ですよ!飼うって聞きましたけど!?」
煩わしそうな沖田に食い下がる男はガサガサと物音がうるさい。どうやら自分の話だと合点して銀時はそろそろと起き出す。
そこに襖が開いて、沖田と背の低い浅黒の男が大荷物を持って現れた。銀時を見て、小さな瞳がキラキラする。
「あはぁ~。これが沖田隊長の猫ちゃん、旦那ですか」
ずずいっと体を折って銀時を眺めてくる。
「俺のじゃねぇって云ってんだ。三井、おまえ七番隊だろ?丘さんに言い付けるから」
「旦那は長毛ですからブラッシングは念入りにしてあげてください」
イラついている沖田に構わず、三井は荷物を広げ始める。ブラシもおもちゃも数種類ずつ、餌皿に爪研ぎはまだいい。キャットフードにトイレ砂を見て、銀時は顔をしかめる。
(まさか俺に使わせようって?勘弁しろ、そんなカサカサのモン食えるかよ。沖田くんアイツ止めて)
沖田を見れば、ふざけたアイマスクをして無視を決め込んでいた。
「にゃあ!にゃ!(おいい!裏切り者!)」
「面白い鳴き声だ。旦那、ほらほら」
三井が餌皿に入れたキャットフードをカラカラいわせる。フン、と銀時は顔をそむけた。
「野良猫と聞いていたけど、厠も使うし、人馴れしてるもんな、飼われてたのかも?それにしては悪食だし、人の食べ物で育ったタイプなのかな」
三井は、ぶつぶつ云いながら銀時の体をひょいと捕まえる。なんて俊敏な奴!銀時が、ぎょっとするうちに首筋に冷たいものが落とされた。
(くせ!つめてえ!)
「虫除けしとかないとね」
ビャッと逃げた銀時の中で、三井は危険人物に認定された。絶対にトイレ砂も使わないし、カサカサのキャットフードも食わない。耳を横に寝かせてピンと張る猫を沖田の手が三井から隠す。
「いい加減にしろィ。もう十分だろ」
「にゃお!にゃう!にゃうーー!(遅いんだよ、おまえ!銀さんもうやられたから!かぶれたらどうすんだ!)」
「あり、旦那なんで俺に文句つけんだ」
ようやく沖田は闖入者を部屋から追い出した。
「首輪、リード、キャットタワーに予防接種!まだまだ足りませんよぉ!」
最後まで粘った三井は、このあと七番隊隊長にこってりしぼられたが後悔はなかった。三井にとって生き物を飼うとは、大変に責任が重く適正に飼養する義務があり、その生き物にとって最善を尽くすのが当然なのだった。それが他人でも妥協しない、もちろん己は背負いきれないと生き物を飼うことはしない。そんな男だから、最後まで銀時にキャットフードを勧め、銀時は断固拒否しなければならなかった。
「ねえ旦那、今日車に乗っちまえば自由になれたのに」
沖田は、三井の持ち込んだ猫グッズをまとめながら銀時に話しかける。
(俺じゃなかったら、ヤバい奴だぞ総次郎くん)
薄情な銀時は、尻尾でこたえて促す。
「今、ここらの地域は旦那の捕獲に躍起になって捕獲器まみれ。元々評判の悪い真選組じゃ旦那の事は他言無用になったんだから」
「にゃ?(まじで?)」
沖田がコロコロローラーで隊服の毛を取るついでに、銀時の体にもコロコロする。粘着の弱くなったローラーをマッサージとして銀時は受け入れた。捕獲器があろうがなかろうが構わないが、自分という白猫はすっかりお尋ね者扱いだ。
心地よさげに目を閉じて、我関せずという態度の猫に沖田は小さく笑う。
「旦那がいいなら居たいだけいりゃいいや」
日暮れになってまた闖入者が現れる。
襖から瓶底眼鏡をかけた男が覗くと、銀時へ熱視線を向けてきた。
(また動物好きか?さっきのやつといい、真選組より動物園の方が向いてんじゃねーか)
銀時は冷ややかな目で見るが、何処か見覚えがある。
「おまえが隊長の猫か」
そそそっと入ってきた男の目は、羨望の眼差し。
(なんだったかコイツ、どっかで)
「神山ぁー」
「はいぃい!隊長ォ!!おふっ!」
馬鹿でかい声で返事をしたと思えば、尻を蹴飛ばされた神山が畳にスライディングする。銀時はその姿に以前の出来事を思い出す。神山は沖田を敬慕している一番隊隊士で、銀時も僅かに面識があった。
「おまえには買い物頼んだよね」
「もちろん行ってきました!これですよね!アナルプラグォ」
「なんでだよ、誰もそんなもの頼んでねーよ」
顔にめり込む沖田の足に、神山は恍惚としている。手には何をどう聞き間違えたらそうなるのか、アナルプラグが握られていた。
「隊長のアナルが心配なあまり間違えてしまいました!一生の不覚!」
「心配してないよね、不覚しかしてないよね。お前に心配されるほど柔な括約筋してないから。それはお前にやるよ」
「イエッサー!ではお願いします!」
「テメーでどうぞイエッサー」
嬉々として尻を突きだし沖田にプラグを献上する神山に何を見せられているのかと銀時はげんなりする。
(真選組は変態バカの集まりか、それとも江戸が平和すぎて暇なのか)
失礼な事を思うが、目の前の珍事を見れば仕方ない。急に神山は銀時を指す。
「隊長が、猫を飼い始めたと聞いて!様子を見に来たんス!」
突然の火の粉に銀時は、またもイカ耳になる。
「なんで」
「だって羨ましいじゃないですか!猫ともなれば隊長のあんなトコこんなトコ、アナルの皺から襞まで見放題嗅ぎ放題舐め放題」
「見ねーし嗅がねーし舐めねーし、俺の猫じゃねーから」
「そうなんですか!?俺でよければ、いつでも隊長の猫になるっス!」
神山の頭には沖田のアナルしかないのか、猫を何だと思っているのか、猫耳カチューシャをつけて待機している。
(こんなのが隊士でいいわけ?粛清した方がいんじゃね?)
銀時は沖田が心配になってきた。それが意外にも、沖田は澄ましている。なんだかよくわからない。
「オッケー。にゃん公、神山。最近屯所に鼠が増えただろ、素手で駆逐してこい。死骸は全部土方さんの部屋に持っていって報告しな」
「副長の部屋にっスか・・・」
さすがの神山も躊躇する。沖田はゲスい顔で「嫌ならやめても全然構わねぇぜ」と笑う。
(やめとけ、神山ァア)
銀時の助言むなしく神山は「にゃん!」と敬礼して飛び出していった。
「旦那、新しい玩具」
ゴロンと畳にアナルプラグを転がす沖田に「にゃふ(ちげーだろ)」と銀時は返事をすると、前足を伸ばして寝過ぎた体をほぐす。
(そろそろ甘いものがほしい)
最近の楽しみは食事しかない銀時だった。
翌日事件は起きた。土方の部屋に鼠の死骸が散乱する。もちろん神山の仕業なのだが、恐ろしくて名乗り出ることも出来ない。そうして真っ当に、鼠とくれば猫。猫といえばと、銀時が容疑者(猫)になる。抜き身をひっさげて、怒髪天を衝く土方が沖田の部屋に乗り込んでくる。
「何処だ畜生!出てきやがれ!たたっ斬って、三味線屋に売り飛ばしてやらァァア!」
隊士がわあわあと止めに入るが、誰も彼を止められない。沖田など「何事ですかィ」なんて惚けている。口のきけない銀時もやはり、ひらりひらりと凶刃をかわすしかない。
「土方さんだって鼠を獲ればいいとかなんとか云ってたじゃねーですかィ。それでも旦那は、鼠なんか獲る甲斐性もねぇ猫だ」
「沖田隊長!」
「火に油を注いでる!」
悲鳴を上げる隊士の前で土方の怒りは増して、彼の頭から湯気が見えそうな勢いだ。
「何を根拠に旦那を疑うんで?こないだ猫いらずを撒いたのは山崎だぜ」
突然の名指しに山崎から悲鳴があがる。
「違います違いますって!副長!俺、そんな変な撒き方してないしっ。第一、鼠が副長の部屋で大量死なんて不自然じゃねーかァ!死骸を運んだに決まってんでしょーが!」
もっともだが、それはそれで土方に向けられた悪意を全肯定してしまって、土方の目付きは余計に鋭くなる。怒りは再び銀時へ向く。
「とにかくその猫!我慢の限界だ!他言無用ォ?なんで真選組が猫なんざ守らにゃならねーんだ!?・・・檜山の婆さんに伝えてくる」
刀を肩に担ぐとくるりと向きを変えた土方に、周囲がどよめき、沖田の顔色がサッと変わる。銀時は事情がわからず、キョロキョロする。
「ひ、土方ァ!そりゃねーだろッ!」
「うるせーよ、たかが猫の一匹。構うか、アッ!?」
沖田が土方の腰にタックルを入れていた。ドンッと二人して倒れ込むと、「アホか!あぶねーだろ!」と叫ぶ土方が刀を放る。そのまま殴り合いになって、「とめろとめろ!」と隊士がまぶりつき、めちゃくちゃになる。銀時は沖田の行動に驚いて、猫の口をポカリと開けて乱闘騒ぎを見ていた。
「誰か、局長呼んでこい!」
「ダメだ!今日は本庁に出向いてる!」
誰かと誰かの叫びに、数名から絶望の声があがる。
猫のためにここまでする沖田の姿に意を決した犯人、神山は今生最期とばかりに大きく息を吸い込んだ。
「俺なんス!!!」
どでかい声に、全員がシン・・・となる。
(神山、オメー・・・)
銀時は神山を見直したような呆れたような気持ちで彼を見る。せめて猫耳カチューシャは取るべきだった。
「俺が、副長の部屋に鼠を置いたんです!」
「な、なにっ?」
ぼろぼろの土方が驚いて神山を見る。
「お、おまえっ、正気か!?まさか沖田隊長の猫だからって庇ってんのか!?そのカチューシャはなんなんだ!?」
原田が怒声をあげる。神山はガンッと地面に額を打ち付けて土下座をした。
「真選組に巣食う鼠めを駆逐して!あとで副長に報告しようと思い!成果を副長の部屋に集めましたが!俺が至らぬせいで副長を不快にさせてしまいました!どんな罰も受けるっス!」
理屈に合わない事を、堂々と云ってのけた神山に皆「お、おお」と無心の声をあげる。土方と同じく、ぼさぼさの沖田が見返る。
「神山」
「沖田隊長は!今回に限って全く関係ないっス!猫もです!ですからどうか、自治会長には黙っていてください!」
(なるほど檜山は自治会長だったか・・・ってあぶねー!俺ピンチだったんじゃねーか!)
唆した沖田も実行した神山も、銀時を売ろうとした土方もとんでもない。銀時の肉球はじっとり湿り、今更に身の毛が逆立った。
怒りの炎も下火になった土方が身なりを直す。
「神山。部屋の死骸を全部片付けろ、あと念入りに掃除と消毒。そのふざけた飾りはやめろ。しばらく俺の前に姿を見せんな」
「イエッサー!」
敬礼する神山の、額の血で猫耳カチューシャは斑に染まっている。瓶底眼鏡も割れている。
土方は刀を拾うと「それで、駆逐できたのか」と訊ねる。神山は真剣な顔で「ハイ!」と返事をした。
よくよく考えれば、鼠を見つけだし素手で仕留めてしまう神山は、なかなかどうして有能なのかもしれない。
(それでもあんな部下は御免だぜ)
銀時は、縁側に寝そべって白い月に目を細める。
後ろでは、顔に湿布を貼った沖田が散らかった部屋を片付けていた。土方に飛びかかる沖田の顔は、駄々っ子のようだったと思い返す。
(俺のために、あんな顔してくれるとはね)
沖田にとって【旦那】は、それほど親しみのある存在になったのだろうか。胸がこそばゆくて、ゴロンゴロンと転がる。それから、急に静かだな、と背後を振り返る。
沖田は胡座をかいて丸めた背中に首だけ伸ばして、何かを見つめていた。