風薫る季節



サワサワサワ...


サワサワサワ......


木々の葉を揺らした柔らかな風が教室を通り抜ける。
暖かく心地よい空気の中、午後の授業は古典。
腹も満たされ、聞き慣れない言葉のリズムはまるで眠りに誘う子守歌のようで。
周りにはこの環境に耐えられず頭を垂れる生徒が続出している。
綿毛のような銀髪を揺らす坂田銀時も例外ではなかった。
ただ銀時の場合、眠りに抵抗しようとはせず、組んだ腕に頭を預けて完全に睡魔を甘受していた。


「んぁ~・・・きもちい・・・・・・」


重く垂れ下がった瞼の隙間、トロトロと溶けそうな瞳でそよぐ葉を眺める。

(緑、色...キラキラ…お日様…ポカポカ……)

微睡む時、口をムニャムニャすると気持ちがいいのは何故だろう。
あと飴玉を口に含んでいる時は、例えば右頬に置いといて、反対に移動させた時、右頬の粘膜に飴の味が残っていたりする。
それをムニャムニャすると何か得した気分になるのだ。
実際、銀時は三時のおやつにかこつけて口内に飴をいれている。

(甘うま…満足……お休みなさい……)


「坂田 銀時」


ゴツッ!

瞼を閉じた瞬間、脳天にサディスティックなまでの衝撃を受けた。
ふわふわと綿菓子のようだった脳は一気に塊に戻り、頭を抱え悶絶した。


「~~ッ!いッッてェエっ!」


涙目で上体を起こせば、周りからのクスクス笑いを受ける。


「何すんだっ!」

「おまえが何やってんだバカヤロー」


見上げると、教科書の角を掲げた担任がいた。

同じ銀髪を揺らす坂田 銀八。
銀時の担任であり兄である。
眠たげな瞼の向こう、冷ややかな瞳で見下ろしてくる姿はチンピラだ。
何故この男が教師になれたのか、銀時には不思議でならない。
この兄がなれるなら犬でもなれそうなものだ。


「生徒への体罰で訴えンぞ、このポンコツ教師!」

「俺がポンコツならおまえはゴミだ。第一授業中に堂々と居眠りして叱られたからって悪いのはおまえだからな。然も飴まで食いやがって、出せ」

「テメーのタラタラした声が眠くなるっての!飴なんか出せるか!」


馬鹿にするように、歯を剥いて大きな音で飴を噛み砕いてみせる。


「そぉかー残念だなー銀時は留年か」


わざとらしい溜め息と脅し文句を吐いて教壇に戻る銀八に、小声で悪態をつくと銀時は頬杖をついた。

二人が兄弟ということは周知の事だが、学校で銀八を兄と呼ぶことは禁止されている。
入学してすぐに理由を訊いたら「恥になる」と云われた。
確かに銀時は頭が良いわけでもなく、素行が良いわけでもないが、弟に対してあんまりな言い様に憤慨した。
そんな銀八だって、男女共に妙な人気があって慕われているがしかし、他の教師に比べたら勝手気ままだと思うのだ。
それでも咎められず飄々と上手に生きるあの兄に。
全てにおいて劣っている気がしてならない。

(だからアイツは嫌いなんだ)

勢いで噛み砕いてしまった飴に未練たらたらで、悔しくて教科書の一ページを破りとる。

(これで紙ヒコーキを作って飛ばしたろ、なんて幼稚な考え)

そう思っても、ささやかな反抗に胸が疼いた。


「―――銀時っ!」


小さな声だが鋭く呼ばれ、顔を上げると前の席の桂小太郎が顔をしかめていた。
紙ヒコーキは完成間近。
それを見て、生真面目な幼馴染みは更に顔をしかめる。


「貴様何してるんだ!?」

「何って、紙ヒコーキ?」


囁きながらも声を荒げる彼に完成した紙ヒコーキを見せつける。
さらに怒るとわかっているが、わざと見せつけ焚き付ける。

(怒った顔、おもしろいから)


「さっき叱られたばかりだろうが!また頭を叩かれたいのか!?」

「シッ!うっせーよ、ヅラ。おまえが騒がなきゃバレないんだから」

「ヅラじゃない桂だ!教科書を破るなど、どうかしてるぞっ」

「あーハイハイ。どうせ俺はどうかしてますよーッと」


銀時は適当にいなすと手首のスナップをきかせ、紙ヒコーキを放った。
しかしペラペラの紙で作られたヒコーキは、ヘロヘロと降下し不時着する。

(あーあ、つまんね……)

ささやかな反抗でさえ上手くいかない。


「フンッ・・・もう知らないからな!」


床に落ちたヒコーキに鼻をならして、桂は顔を正面に戻してしまった。

(別に知らないでいいけれど……)

銀時は組んだ腕に頭を乗せる。
相変わらず心地よい風が教室を抜けて、再び眠気がやってくる。

(......風、薫る...)

先ほど破ったページに書かれていた言葉を思い出す。
意味は見なかったが、いい匂いのしそうな風だ。
そして教室を抜けるこの風には催眠作用があるに違いない。
そう言い訳してぼやける意識をそのままに目玉だけを動かす。

(隣の奴…寝てる...天井…のシミ…...ヅラの髪…さらさら……)

桂の髪で目を止める。
背中を隠すほど長く、呼吸に合わせて繊細に揺れる真っ直ぐな黒髪だ。

(さらさら、さらさら、さーらさら……)

手を伸ばすとソッと桂の髪に触れた。
ツルリとした感触を指の腹が捉える。

(うわ......気持ちいーのな……)

毛先には枝毛の一つもなく、一本くらいあるんじゃないかと探してみるがどれも滑らかで艶やかだ。

(男には勿体無い、なんてバカ真面目なヅラにはピッタリ)

一房摘むと指にクリクリと絡める。
巻いてはストンと落ちる髪の感触に半ばうっとりしながら夢中でそれを繰り返した。

(なんでヅラは気付かない?)

ふと思った。
桂の体に触れているようなものなのにどうして気付かないのだろう。

(触るなと叱られたくはないけれど気付かないのは寂しくて)


「なぁなぁ、」


身を乗り出して髪から覗く耳に囁くと、あっと声を出して肩を揺らした桂が耳を手で覆った。


「な、なんだ銀時っ、気持ち悪いことをするな!って近いぞ!」


振り向いたしかめ面は、ぎょっと目を見開くと慌てたように顔を引いて椅子ごと距離をとった。
そんな桂に銀時は机ごと近付く。


「えっ?なんなんだ、狭い・・・」

「なぁ、さっきから触ってんだけど」

「は?」

「ヅラの髪。結構触ってたんだけど?俺」


桂は瞳を揺らして、困った様な顔をする。
そう云われても、とか、なんのために?とか、云いたそうな表情だ。


「だぁから、気付かないの?」

「・・・・・・風かと思ってたぞ、俺は」

「なんでだよ」


銀時は口を尖らせて、膝を揺する。

(別にヅラが悪い訳じゃないけれど俺の存在は風レベル?)

それが少し悔しくて、もっと意識してほしかった。


「なんでと云われても・・・おまえが触るなんて俺は思わないから・・・」

「温かかったろ?感じねーの?」


責める声音で云えば、桂もムッとした。


「髪の毛だぞ、体温など感じる訳が無いだろう」

「・・・髪って神経通ってねーんだな」

「当たり前だっ、馬鹿な事云ってないで授業に集中したらどうだ、全く・・・・・・」


プイッと桂が前を向いてしまう。
靡いた髪が銀時の顔をぶった。


「あで!ちょ、チクチクしたっ!無視?無視なの?」


桂は聞こえている筈なのに振り向きもしない。

(もう相手にしてくれないのな)

銀時は髪が当たった頬を掻く。
少し乱れた黒髪は、風が撫でると絹糸が流れるように整った。
感心しているとその風からふわり、青葉の甘い爽やかな香りがしたような気がした。

(風薫る)

ぱっと頭に浮かんだ言葉に、一人で照れて銀時は顔を伏せた。


「・・・・・・ん?」


もじもじさせた手に異物感を感じて見ると一本の髪の毛が指に絡まっていた。
それは桂の髪の毛で、このまま床に捨てるのも如何なものかと長い毛を指に巻きつける。

(ヅラのDNA......だけどもっと、こう...濃いの...唾液とか精液が......なんて...)

(変態みたいな考えを起こしちまう最近の自分は頭がおかしいかも...と思うんだけど)

(ヅラと、もしもそうなったら...その時、どんな表情をするんだろう、とか、どんな声出すんだろ、とか、形とか...想像しちまうのは若さ故の錯乱なのか俺がヅラを)

(......そもそもこの気持ちを伝えられないでいる内は夢のまた夢で…...あ~...くっそ触りたい......)

毛を巻き付けた人差し指を乱暴に曲げると、食い込んだ肉が白くなった。
ギッと軋み、小さな痛みを感じる。
悶々とした心にそれがちょっとだけ気持ちよく。


「俺ってば・・・しょーもね・・・」


呟いて銀時は指に髪を巻きつけたまま眠りに落ちた。



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