いちごみるく飴

ちごみる


銀魂高校で教鞭を執る坂田銀八は、生徒指導室で煙草を吸っていた。
黄ばんだカーテンが残暑の熱気を籠らせて、白く煙る部屋は息苦しいほどだ。
それでも銀八はクーラーの壊れた部屋で団扇を片手に、新たな煙を吐き出した。

ギイ、ギイ

銀八以外から音が発する。
回転椅子を揺らす音だ。

ギイ、ギイ


「ねぇ、センセイ」


どこか甘えたように呼び掛ける、人を食った声音は軋む椅子同様にひどく耳障りだ。


「お前に先生なんて呼ばれる覚えはねーけど?」


クスクス
突き放した物云いをされても面白そうに笑っている。

ギイ、ギイ

揺れる三つ編みの、ピンク色の髪が一昔前の族的な長ランに映える。


「いつ、ヤらせてくれるんだい?」


なんて事を口走るのは、格好以上に頭がイカレているからだろう。


「今時流行らねーって、その制服。何処で売ってんだ」

「服の事はいいよ。さぁ、センセイは質問されたら答えるもんだろう?」

「先生はお前の先生じゃないから答えない。第一なんでそんな話になってんだよ」

「あの日約束したじゃないか」

「俺はそんなキモいプロミスした覚えないから」


あの日とは、このイカレた子供、神威が銀魂高校に乗り込んで来た日のことだ。
それは今時古い、殴り込み―――。

******

『あんた案内役?悪いけど、この学校で一番強い奴連れて来てよ』


土足で校舎内に侵入した神威は、仁王立ちする黒髪の男子生徒に笑いかける。
風紀委員の腕章を付けて立ち塞がる胸の名札には『土方』とある。


『案内だァ?・・・・・・テメェら夜兎工業の奴が何しに来やがった』


土方は鋭い顔つきで威嚇するように唸る。
神威の後ろで野性的な容貌の男が、『殴り込みだァ』とだるそうな声で答えた。
どう見ても男子高校生の年齢ではないが、学ランに身を包んでいる。


『あーあ、サクッと終わらせたかったのによォ。こっちは二人なんだからあんま挑発しないでほしいンだけどね』

『煩いなぁ、阿伏兎のバカ』

『バッ・・・アンタの気まぐれに付き合ってンだぞ、俺はァ!このすっとこどっこい!』

『で、強いのはどいつ?片っ端から殴っても良いけど面倒だし早いとこヘッド出しなよ』

『ああっ?ンな奴いるかよ、失せやがれッ!』


吼える土方に不敵な笑みを返す神威。
不穏な雰囲気に他の風紀委員も集まると騒ぎは拡大し、すぐに教員達の耳にも届いた。
一癖ある教員ばかりの中、不良学生は不良教師に任せたと普段の素行の悪さから銀八は始末を押しつけられる。
銀八自身も、土方はウチの生徒だから仕方無いと、のらりくらり現場に向かい。


『あ~ハイハイ、』


騒ぎの中心に似つかわしくない態度で割り込んだ。
一触即発だった土方が仰天した声を上げる。


『銀八っ、先生・・・!』

『ちょっと土方、退いといて。風紀委員のお前等入るとややこしいから』


目の前の闖入者に、ニコニコと笑い顔の神威は片眉を上げて笑みを深くする。


『この学校で一番強いのは、センセイなのかい?』

『いや?俺はただの国語教師です』

『そう、なら退きなよ。俺は弱い奴には興味ないんだ』


可愛い顔と裏腹に随分な殺気を放つ奴だと銀八は口元を歪めて笑い、一歩前に出る。


『あーそお。俺も馬鹿な不良に興味なんかねーよ』

『・・・・・・』

『ただ俺、コイツの担任だし上司にチミ達を押しつけられちまったしで、仕方なく相手してんの』

『・・・・・・』

『だからよォ、大人しく出てってくんね?都立バカ高校だかアフォ兎工業だか知らねーけどな、今時その格好は無いわ~』


タッ

瞬間、神威が消えた。
というよりも、素早い動きで周りは見えなかった。
不必要に着ている銀八の白衣が翻る。
気付けば彼の後ろにいる神威に、皆が息をのんだ。


『弱いくせに大口叩くなよ、センセイ』


かちゃん、と軽い音を立てて銀八の眼鏡が落ちる。
先生、と土方が心配そうに声をかけるが、銀八は相変わらずの調子で口を開いた。


『なぁ・・・・・・お前の顔、何?』

『・・・・・・』

『アレ、どおした・・・?って、ブハッ!』


動かない神威に近付いた阿伏兎が吹き出す。
神威の顔が見えないギャラリーはざわざわとし、顔を見た方では吹き出すものが続出した。
土方が両者を交互に見返す。
ニヤニヤとする銀八の手には油性マジック、神威の顔には"ウンコマン"と小学生の落書きのようなものが書かれていた。
眼鏡を掠め取られた瞬間に銀八は書いたのだ。


『へえ・・・・・・センセイのクセにやるじゃないか』

『先生だからな』

『今日の所は退散してあげるけど・・・・・・、また来るよ』

『来なくていーから』

『でも、次はアンタをヤる。俺はセンセイが気に入ったよ』

『はいはい、何でもいいからもう帰りなさい。長ラン切って短ランにしなさい』

『そう、良かった。約束だからね』


適当にハイハイと返す銀八に頷くと、阿伏兎を従え神威は去っていった。

******


「―――ネ?」

「ネ、じゃねーよ」


神威が背もたれに顎を乗せて笑いかける。
それに対して銀八はげんなりとした顔を向けた。


「あれが何で約束になんの」

「立派な約束だよ、センセイは返事をしたんだから」

「ヤるってお前、そんな意味のヤるだなんて誰が思うよ?そんで、あれは返事じゃなくて相槌だから」

「でも、ちゃんと俺は約束だって云ったし、センセイはハイと答えたじゃないか」


殴り合いもいいけどねアンタとはセックスがしたい、と笑顔でとんでもない事を抜かす。
こんな問答を既に何回も繰り返している。
なぜ、しきりにヤりたいなどと云ってくるのか銀八は一向に理解出来なかった。


「何なの、お前。なんで俺とヤりたいの」

「強いからさ。俺は強いものが好きなんだ」

「何それ」

「だから、センセイを手に入れたい。それだけだよ」

「・・・うーわ、頭悪・・・・・・」


銀八はそれしか云わなかった、云えなかった。
あんまりな理由に呆れてしまう。
頭の悪い奴と真面に話をしようとしたのが間違いだった。
神威とは自分の欲望に忠実な、子供のまま成長した馬鹿なのだと思い知る。

強いものが好きなのは、幼子と同じだ。
カブトムシや電車など、漠然と力強いイメージのモノに惹かれる。
そして、好きなものを手に入れて自分の物にしたいと云うのはただの欲望。
それを合わせると、強いものが好きだから強いアンタが欲しい、だから手に入れたいというのだ。

男子高校生がそんな理由で堂々と、同性のよく知りもしない男にセックスしたいと云って欲しがるのは、異常だ。
好き違い、真性の馬鹿野郎に気に入られた己の不幸に溜め息が出る。
加えて、人を食った言動や執着心が強くて面倒くさい。
あの日以降、神威は勝手に学校に入り込んでは銀八が授業をする教室に現れてニコニコと居座っている。
授業がないときはピッタリと張り付いて、ヤろうヤろうと鳴き声のように囀る。
最初こそ心配してくれた生徒や同僚達は、今では付きまとわれる銀八ごと鬱陶しがり、二人して居場所がない。
最終的にこの暑苦しい生徒指導室に逃げる訳だが、いい加減疲れた。


「もう諦めろ、いくら来ても無駄。真面目に高校生してみ?お前のツラなら黙って笑ってりゃ、ピチピチギャルとヤり放題、性春謳歌できるさ!」

「ギャル?俺がヤりたいのはセンセイだよ。約束守ってよ」

「なんでだよ、野郎ばっかの学校でお前おかしくなってんの?いや、元が馬鹿だからか・・・・・・」


呟くと、白衣のポケットに手を入れて飴を取り出す。
包装紙を剥き、ピンク色の三角形をした飴を見つめる。
途端、閃きを得た。
約束約束と煩いこの子供は、約束は絶対だと思っているらしい。
ならば、新しい約束をすればいいのだ。
今の状況を変える事ができ、かつ絶対に果たさずに済む約束を。
飴を口に入れ、切り出す。


「じゃあ・・・・・・俺がお前に飴をやったらヤってもいいぞ」

「それは、どーゆーこと?」

「このいちごみるく飴、これをお前に渡したらその時は許可した証拠、これ約束。ただし一日一回のチャンス、付きまとうの禁止」


これも約束だと、いちごみるく飴の包装紙をヒラつかせる。
神威にとっても不毛な遣り取りより、明確な目印が出来て悪い話ではないはずだ。
飴を渡される保証などないが。


「新しい約束か・・・・・・うん、いいよ」


やっぱり約束に食い付いた。
ニッコリ顔で頷いた神威はすぐに帰っていった。

******

あれから銀八は、いちごみるく飴を持ち歩かなくなった。
しかし職員室には、銀八宛に大量のいちごみるく飴が届くようになり、毎日神威はやって来た。
廊下やトイレ、机の下からひょっこり現れる。
はじめこそ鬱陶しかった神威の存在も、今では日常の一部となり、銀八は蹴ったり叩いたり、やや乱暴にかわしている。
大好きな飴を無料で食べれて、神威も大人しく手を差し出すだけ。
その場の思い付きにしては良い作戦だったと銀八は己を称賛した。


「最近、ソレばっかっすね。いい加減いちごみるく臭いっすよ」


職員室で机を隣にする服部が苦笑いで飴の包装紙を弄る。


「そー?いい匂いっしょ、一ついります?」

「いや・・・」

「センセイ、飴は?」

「ない」


いつから潜んでいたのか、足元のダンボール箱からズボオッと顔を出した神威を押さえ付け、箱に戻す。
こんな扱いをしても神威はめげず、身体も丈夫だ。


「いたっ!ケツいたっ!」


驚いた服部が転げた。

帰り道、夕陽を背に電柱の影からひょっこり現れた神威を、妖怪のようだと銀八は思う。
神出鬼没で、ピンク頭に触角の生えた妖怪、鳴き声は「ヤろう」。
自分はヘンテコな妖怪に取り憑かれている。


「なにしてんだ、もう今日の分は終わりだろ」

「ケチだなあ・・・いつくれるの?」

「さあな」

「俺は、諦めないからネ?」

「あっそう」

「センセイのこと、好きだよ」

「へ~、じゃあな」


ペラペラな言葉を聞き流す。
いつ諦めるのか楽しみだ。
こうしている間に、神威の前にもっと強くて面白そうな相手が現れれば好都合だ。
背中に感じる視線に手を振ると、愛車のスクーターに跨がりアクセルグリップを回した。

******

そんなある日、銀八が煙草をふかす生徒指導室に神威が嬉しそうにやって来た。
いつもの頂戴ポーズもない相手に眉をひそめる。


「今日もナシよ?」

「何を云っているんだい?もう貰ったよ」

「・・・・・・お前こそ何いってんの?やった覚えはないんだけど?」

「昨日、確かにホラ」


摘んで見せてくる指には、確かにいちごみるく飴があった。
しかし、銀八に渡した覚えなどはない。


「なんの冗談?いつ渡したって?」

「昨日確かに渡してきたよ。教科書の間から」

「はぁあ?」


そんな訳がないと、昨日を振り返る。

机の下から現れた神威の頭を叩いた、教科書で。
その前に開いた教科書に飴を置いていた。
それをたたんで叩いた。
すっかり飴のことは忘れていたが、そういえばその飴の行方を見ていない。
まさか、叩いた拍子に飛び出た飴を神威はキャッチしたのだろうか・・・・・・?

まさか、と小さく呟く銀八の目の前で、神威がピンク色の飴を口に入れ笑う。


「ネ?」

「ちがっ・・・、あれはあげた訳じゃないぞ!事故だ事故!」

「でも、センセイから受け取ったのは本当だろう?」

「や、だけど、意思がな」

「意思?知らないよ、約束は約束だ」


云うなり口の飴をガリリッと噛み砕く音がして、目を開いた神威が近付いてくる。
初めて見た瞳は、突き抜けるような碧色をしていた。
その口元は笑っているが、発する圧は今までが余程ふざけていたのだとわかる程に強く、冗談じゃないと銀八は椅子を引く。


「まてまて、コラ。来るな」

「約束は守るものだよ、センセイ」

「お前、俺のこと好きでもねーくせに」

「え?好きだっていったよ俺?」

「お前のは違うって!」


立ち止まる神威が首をかしげる。


「違う?」

「そ!お前の好きは別に俺じゃなくてもいい好きなの、わかるかっ?」

「わからないし、俺はセンセイがいいよ」


銀八は、バンッと長机に手をつき立ち上がると、イカレた妖怪に教えてやろうと躍起になる。


「お前は"強いもの"ならなんでもいいんだろ!今は俺がお前にとってのカブトムシなだけでお前の好きな気持ちは色恋とは違うんだよ。ヘラクレスオオカブトが現れたらそっち欲しがるような奴に、おいそれとヤらせる訳ねーだろ!」

「・・・・・・俺はセンセイが好きだよ?」

「話聞いてたか!?だーも、バッカ!」


やっぱり話が通じない。
苛立ちに呻き、銀八は頭を掻いた。
対して神威は妙に落ち着いている。


「カブトは知らない。俺が好きなのは強くて、綺麗なアンタだけだから。その髪とか目がキラキラして見えるのが好きなんだ。・・・・・・それがどうしても欲しくてたまらない」


神威の、いつもと同じ語彙力のない台詞だが、いつもとは違う大人びた声が本気を感じさせる。
碧い瞳は熱を帯びて真っ直ぐに見詰めてくる。
神威の雰囲気のかわりように少しドキリとした銀八は、誤魔化すように顔を逸らした。


「キ、キラキラって何・・・、はは、結局見た目だけじゃねーかよ」

「うん、そうだね。でもそれじゃダメなの?最初は強いだけのセンセイが好きだったけど、最近は強い綺麗な銀八センセイが好きなんだ。ヒトメボレっていうものらしいよ?」

「ッ・・・!」


云われて、机についた掌を白くなるほど握る。
ただの馬鹿な子供だと思っていた神威が、グッと男に見えてしまう。
初めて"銀八"センセイと呼ばれた。
ヒトメボレ、一目惚れ。
そんな言葉を他人事のように云われても・・・・・・。
銀八は胸に、ポッポッと小さな花が咲くように熱いものを感じ、まさか嘘だろうと己に震える。
正面に迫った神威が、軋む長机に手を突くと三つ編みを揺らして下から覗き込んでくる。
いちごみるくの甘い吐息を感じる距離まで接近されて、銀八は唾を飲んだ。


「アンタがどう思おうと俺にとってこれは恋愛感情だ。同じ男だけど欲情してる。俺は銀八センセイにぶち込みたい」


アンタをめちゃくちゃに抱きたい。
瞳と同じ熱を帯びた真っ直ぐな声で云われ、耳が痛い程に赤くなっているのが自分でわかる。
茶化す台詞も浮かばず、銀八は「アー」と小さく声を漏らした。
目頭が熱く、瞬きをする視界が潤む。
銀八もデリカシーはない方だが、神威は頭が悪いせいでもっとデリカシーがない、真っ直ぐ過ぎるのだ。
情欲を露骨にぶつけられ、こっちが恥ずかしくなる。
困った、本当に困った。
もうこんなに神威が近いのに、膝が震えて動けない。


「それでも約束、破るの?センセイは少しも俺に欲情しない?」


狙ったようにこのタイミングで、初めて自分の気持ちを訊かれた。
いつもなら、しないと即答出来ていただろう。
それが今となってはきっぱりと答えられず、「いや、でも、」と言葉を濁らせる。
散々ヤりたいと云われてうんざりしていた筈だった。
しかし、こうして好意と共に抱かせろと云われると、今までのヤりたいという台詞と同じ意味なのに、心が、身体が疼く。
・・・なんなんだ俺、どうしちまったんだ。
自分の変化に戸惑い、汗で滑る眼鏡を押し上げる。
にこりと微笑む神威がその手に触れてきた。
ピクッと揺れて過剰に反応する銀八を、アンテナのように立つ髪を揺らして笑う。


「いつもの余裕がないじゃないか、センセイ?ほら・・・、いちごみるく、食べなよ」


銀八は手渡された、イチゴのイラストが散るポップな包み紙の飴を見下ろす。
見慣れた美味しい飴が、毒々しく見えて眉をひそめる。


「愛してるよ、銀八センセイ」


囁かれて、チラと神威を見た銀八は、すぐに目を逸らす。
今キスされたら絆されるんじゃないかと思う程に己の心は神威に向いていて、それが怖かった。


「そ、そんなん、今更云っても遅いって・・・・・・」


ただヤりたいだけの馬鹿な子供を思い出せ、自分に言い聞かせるように銀八は呟く。


「そう?なら、飴返してよ」


あっさりと引き下がった神威の、パッと広げた白い掌を見つめる。
銀八の心は本当に遅いのかどうか迷っていた。
それでも飴を掌にのせると、神威はグッと握り込んでニヤリと笑う。
ぐしゃ、ゴリッと拳から音が鳴る。


「今、自分の意思で渡したよ?センセイ」

「・・・・・・アッ!?」


ぼんやり見ていた銀八は見開いた目で声を上げる。
そうだ、神威に飴を渡してはいけなかった・・・!
先の飴は事故だと云い張れたが、この飴は自らで渡してしまった。
騙された、絆された。
揺らいだ心に気を取られてミスをした焦りで身体から汗が噴き出してくる。
砕けた飴がパラパラと床に散らばると、その手がダンッと長机に押し倒してくる。
上半身を反らす銀八は神威の馬鹿力に青ざめて叫ぶ。


「タンマタンマッ、今のナシ!」

「・・・タマタマ?俺の玉が欲しいなんて大胆な事云うじゃないか、銀八センセイ」


神威が嬉しそうに笑い体重を乗せてくる。
銀八は激しく首を振る。


「ちがっ、あ、アッ、イッ・・・イヤァァァァアッ!!」




その日から銀八はいちごみるく飴を食べなくなった。



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