天の川は渡れない


不思議な依頼だった。
万事屋に届いた手紙の差出人は、老人であった。
病に臥せる自分の代わりに、七月七日に届け物をして欲しいと、金と共に地図と鍵が入っていた。
結構な額の報酬と詳細不明の依頼に万事屋の三人は額を集める。

「なんかヤバいもの運ばされるんじゃないですか?」
「仕事が終わってもないのに、お金送りつけるところも怪しいアル。罠かもしれないネ」
「住所も遠いみてーだし、これは俺が請け負うから。あとは頼んだぞ」

万事屋にしては珍しく繁忙で、銀時は単身この依頼に当たった。
記された住所へ行けば、茅葺き屋根の古びた家と朽ちかけた牛舎があった。
その家のちゃぶ台に、木箱がひとつ。
今度はそれを、地図の場所まで運ばなければならない。
これまた人里離れた山奥の、川縁にポツンと建つ小屋のような家があった。
時代錯誤な水車に首をかしげつつ戸を叩けば、老婆が現れた。
初対面の銀時を温かくもてなす。
木箱を渡せば、寂しそうに笑う年寄りに、仔細は訊かずにおく。

「ばーさん、こんな山奥でひとりなの?」
「ええ、そうですよ」
「電気も水道も通ってないし、世捨て人みてーな暮らしは不便じゃねーか?」
「不便はないけどちょっとさみしいわねぇ。でも今日は貴方が来てくだすったから平気、ありがとうね」

そういって、皺だらけの手が木箱を優しく撫でた。
簡素な家具の中に、使い込まれた機織り機があり、老婆はこれを生業にしていると云う。
山の日暮れはあまりに早い。
悠長にしておれず、別れを告げる銀時に、老婆は用意でもしていたように差し出す。

「ここまで来てくれたお礼に、これを差し上げましょうね」
「なにこれ。笹?」
「ええ、そこにある林の笹です」

三尺ほどの笹に五色の紐がくくられている。

「いや、気持ちだけもらっとくから」
「ダメですよぅ、貰ってくれなくちゃ」
「いや、正直いらないっつーか、迷惑っつーか」
「老い先短い年寄りの好意を無下にするもんじゃありません。貴方にだって逢いたい人がいるでしょう」
「なにそれ?」
「逢いたい人に逢えますよ」

―――今夜は七夕ですからねぇ。
そう云われ、仕方なく笹を手に山を降りる。
とっぷり暮れた頃に麓の小さな町へ着く。
今日は宿に一泊して、明日帰る予定だ。
銀時は、赤提灯の灯る屋台で晩酌することにした。
笹が邪魔で屋台から離れた席に座ると、店主が注文を取りに来る。
立て掛けられた笹を見て笑う。

「兄ちゃん見ない顔だけど、笹など提げてどうした」
「仕事の礼に貰ったんだ」
「大の大人に笹とはね。小さな子でもいるのかい」
「いねーよ。生意気で大喰らいで小うるさいティーンエイジャーなら二人いるけどね」
「複雑なんだねえ」

小皿に載ったグラスになみなみと入った酒を啜り、注文した焼き串を齧っていると、隣に人が座ってくる。
急に現れたような、気配も音も感じさせない身のこなしを銀時は怪訝に思った。
ただ、ふわりと薫きものの匂いがした。

席は他にもあるのに隣合わせるなど変人だ。
断ろうと振り向いた銀時は固まりついて、手の串を落とした。

「よォ。笹飾りなんぞ持った酔狂な奴がいると思えば、てめーとはな」
「たっ・・・、たか」

しぃ、と人差し指を唇に当てて見せる男に銀時は云いかけた名を飲み込む。
隻眼を細める男は、高杉晋助だった。
幕府に目をつけられている彼と、こんな辺鄙な所で、数年ぶりに再会して銀時は度肝を抜かれた。
新たな客に、店主が寄ってくる。

「おや、お連れさんかい。なににしやしょ」
「これと同じものをくれ」

屋台へ戻る店主に銀時がヒヤヒヤする。
当事者はなぜこんなに悠々としているのか。

「おまえ、なんのつもり?」
「酒を飲む以外にあるか?」 
「いやいや、おかしいだろ。こんな田舎の屋台で堂々と酒飲むお尋ね者はいねーよ」
「てめーの目の前にいる」
「だから、おかしいんだろがっ」

こそこそと話していると店主が料理を運んでくる。

「あんたも見ない顔だが、兄ちゃんの友人かい」
「いや、ちげぇ」「ちげーよ」

二人の返事に店主は「複雑なんだねえ」と笑い戻っていった。
酒を啜る高杉を、何か企みでもあるんじゃないかと、銀時は凝視する。
左目を覆う包帯は、彼の感情すら覆い隠してしまっている。

「そんなに見たって、テメーにはわかりゃしねェよ」

含みのある言い方に、ぎょっとする。

「お、おまえッ」
「それに、こんな田舎で何をするってこともねェ」

振り返る高杉が、ニヤリと笑ってみせた。

「それより銀時。テメーこそ、江戸で何でも屋をしてると聞いたが、こんなとこでなにやってんだ?転職して竹取りの翁か?」
「転職でも翁でもねーから。その万事屋の仕事で来たんだよ」
「竹取りに?」
「ちげーよっ、これ笹だしっ。仕事の報酬で貰ったんだって、ばーさんから」

銀時は、いつの間にか警戒心も薄れ、今日の出来事を話していた。
相槌をして聞いていた高杉が、おかしそうに笑う。
その笑顔に、ドキリとする。
はじめて自分を負かした時の、少年だった彼の笑顔が脳裏をよぎる。
あの笑顔に初恋をした。

「お伽噺か、狐狸にでも化かされたみてェな話だなァ・・・・・・どうした?」
「あ・・・ああ、そうだろ」
「今のてめーの面、ほんとに化かされてるみてェだったぜ」

高杉が立ち上がると銭を置く。
銀時もつられて勘定を済ませ、笹を担ぐと胡蝶の舞う背中を追った。
河原を歩く高杉に追い付く。

「高杉」
「銀時。その笹提げて、どうすんだ」 
「どうって?捨てる訳にもいかねーだろが」 
「それで、誰ぞ逢いたい奴でもいんのか?」

銀時は胸を殴られたように息が詰まる。
何気無い問いだとわかっていても、核心へ触れられた気がして、じわりと汗が滲む。
空を見上げる横顔に、『逢いたかったのはおまえだ』と伝えようか、などと考えて、笹を握りしめる。

今伝えたら、今伝えたとて―――。

高杉が小さく笑う。

「七夕に笹飾り持ってぶらぶらすんならよォ、いっそ天の川でも渡ってみりゃアいい」
「・・・・・・じゃあ俺が、」

天の川を渡ったら、その先におまえは居てくれんの?

喉まで出かかった言葉を飲み込むと、ぶっきらぼうな口調で誤魔化した。

「・・・ンなの、ばーさんの妄言に決まってんだろ。天の川より三途の川の方が近そうだったし」
「くははっ!相変わらず無粋なヤローだなッ。そんなんじゃァ、織姫には会えねェだろうよ」

肩を揺らして笑う高杉に、銀時は笹を突きだした。
高杉が、笹と銀時を交互にみて、なんだと首をかしげる。

「信じるなら、持っていけよ。高杉」
「あ?」
「おまえが、逢いたい奴に逢えばいい」

嫌味でなく、本心だった。
ハッ、と高杉から鋭い息が漏れる。

「・・・ほんとに野暮だぜテメーは。付き合いきれるか」

興醒めた、と突き放すようにこぼした高杉が、笹を払いのける。
ガサッ、カサッと葉と紐の擦れる乾いた音に、笹を一瞥して再び手で払う仕草をした。

「んなもん持ったバカと居たら目立って仕方ねェ。俺ァ先に行く」

銀時も笹を持つ手を垂らすと、ため息をついて肩をすくめてみせた。

「バカはオメーだろォ。ありがたい笹に失礼なことしてバチ当たんぞ」

高杉の背中から、フッと吐息のような笑いが漏れる。

「そのありがてぇ笹とやらを寄越した婆さんを虚仮にした間抜けは、夜道に気を付けた方がいいぜ」
「えっ?う、うるせェ!いいからっ、無茶なことすんじゃねーぞ!」

別れの挨拶もなく先を行く高杉を、銀時はもう追いかけなかった。
しばらく砂利の音がしていたが、それも夜の闇に消えると、川音がザアザアと急に大きくなったように感じた。

摩訶不思議な笹に、よもや出逢えぬ男と引き逢わされて、それでも素直になれない己に苦笑する。
彼の笑顔が、彼との応酬が、今更伝えられない想いが、懐旧の情を催す。

そうして、やはり今更だと思う。
ふたりの過去と現在が、彼への恋心を明かすにはあまりにも不釣り合いだと、銀時自身が思っている。
不意に、愛しそうに木箱を撫でる老婆の姿が思い出された。

「ああ・・・ばーさん、ありがとよ」

銀時は、川に向けて笹を放った。
ザバンッと水音を立てた笹は、影となりそのまま流されていった。
高杉が見ていた空を銀時も見上げてみる。
夜空を映す銀朱色の瞳には。


天の川も、ふたつの一等星も、無数に散らばる星のなか、わかりはしなかった。





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