月下の夜叉




ザンッ、肉を斬る。

ダンッ、骨を断つ。

ドッ、心を突く。


小さな唸りと共に噴き出した血飛沫が顔を汚す。べっとりと生臭く温かいそれは顎を滑ってゆく。
自身より数倍大きな敵に突き立てた刀を抜くと、血と脂で汚れた刃がぬらりと光るのを見て、頭上の月を見上げた。


「また派手にやったなァ、銀時」


呼ばれて振り返ると、久方振りに見る高杉が居た。
鬼兵隊を引き連れてひと月、今日遠征から戻ったのだろう。


「おかえり」


そう声をかけると薄く笑う顔は、少し痩せたようだ。


「なんかまた小さくなってね?」

「ぶち殺すぞ。・・・そういうテメェは相変わらず生き生きしてやがる」


皮肉な口調の高杉に、「そうでもねーよ」と返す銀時は拭った刀を鞘に納めると敵の身体から飛び降りる。


「それより今日の月は赤いぜ、高杉」


再び月を見上げて云うと、隣に来た高杉が馬鹿かと小突く。


「それはテメェの目玉に血が付いてるからだ」

「おまえが馬鹿・・・あ、ホントだ」


目の周りを拭うと掌に濡れた感触がする。
血を浴びすぎて、身体のどこに浴びたのかもわからなくなっていた。
月光で血濡れた身体を黒く染める銀時は、気持ちワルっと声を上げ、閉じた瞼の奥で目玉を動かし沢山瞬きをする。
その目からホロリと落ちた泪は紅く、紅緋色の瞳から溶け出したようだった。
一頻り顔を拭い、口に入った血を吐き捨てて、もう一度見上げると月は白々しい光を放ちながら浮かんでいた。
なんだ、と呟いて欠伸を一つする。


「ふああ・・・あーあ、腹減ったし眠てえわ」

「野生児だなテメェは」


高杉が嗤いながら煙管をふかし始める。
・・・いつの間にか吸うようになった煙管を俺は知らない。
くゆる紫煙を目で追いながら、気取っちゃってよ、と銀時は呟いた。


「こいつらはなんだ?」

「ん、なんかぶらついてたらいた。夜目の利く天人集めて、少数先鋭で夜駆けでもしようとしたんじゃねーの」

「ふん、先の戦でこっちは遠征組共々疲弊してるからな・・・。だが、こんな夜更けにこんな所ぶらつく馬鹿が居るとはコイツらも思わなかったろうよ」

「はい、ブーメラン~」


云い返してから銀時はツン、と足の先で屍をつついた。
先程まで刃を合わせていた相手は、今は生臭い鉄の臭いを放ちながら転がる、ただの肉の塊だ。
銀時より数倍大きく、歪で鬼のような形相をしていながら同じモノが流れているというのは、何とも不思議な気がしてならない。

銀時の血は赤い、これの血も赤かった。
勿論、他の人間の血も赤い訳だが、一部の仲間を除き、その他大勢は銀時を違う者のように扱う。
戦場で敵を斬れば、その姿を鬼神に擬えて白夜叉と呼び、頼られる一方で、陣屋ではそこに居るだけで怖れられ、疎まれている。

・・・俺は、何だ?
銀時の中で何度目か知れない疑問が頭を擡げる。
この夜空の下、この草叢に、人は何人居るのだろうか。

『―――鬼子だ、鬼子が居るぞ!追い返せ!』

『あっちへおいき!ああ嫌だ、気味悪いったら。塩を撒かないと』

幼い頃に投げつけられた物や言葉は、人に向けてのものではなかった。
異形の者、化け物に対するものなのだと幼心に理解していた。
銀時は亡骸に乗せた足底をトントンと鳴らし、ふと思う。
もしや己の血は地面に転がるこれと同じなんじゃないかと。

・・・肉の塊、おまえが俺の兄弟なのか。
自らが殺しておきながら、銀時はどこか悲しい目をして頭の隅にこびりついた一節を口ずさむ。

♪ねーんねーん、ころーりーよー、

♪おこーろーりーよー・・・

足で拍を取りながらしかし、ここまでしか知らない。
誰が謡ったか、通りすがりに聴いたやも知れず、謡われた記憶は無かった。


「・・・気でも触れたか」


高杉が、カチンと音を立て吸い口を噛むと、冷たい視線を這わせてくる。
その目に銀時は謡うのを止め、屍を蹴った。
あやしていた肉の塊は微かに揺れただけだった。


「うっせーな・・・」


玩具にしていた鼠に飽きた猫の様に、くるりと向きを変えると銀時は歩き出す。
その後ろで一定の距離を保ちながら高杉も付いて来る。
何処からかする虫の鳴き声は、銀時の手前でピタリと止まり、過ぎるとまた鳴き出す。
その様子に、姑息な奴らだと唇を尖らせる。
ガサガサと腰丈の草をかき分け進むうち、草原の先に停留している荒寺が見えてきた。
冷え冷えとした月の光で青く浮かぶそこは無の様に見えるが、人が居る。
負傷して疲れ切り、銀時という化け物に怯える者達―――。
フイと向きを変えた銀時は道を逸れ、小川に向かって進んだ。

サラサラと微かな水音に、銀時は縁に屈み込むと、浅い川底に掌を押し付けて小石の感触を探る。
漆黒の透明な流れは月光に煌めくと冷たさを増すようだった。
暫く浸していた手で水を掬うと顔に押し当てる。
ばしゃっ、と音を立てて水が弾ける。
雫が顎や腕に垂れる不快さに苛としながら、再び掬い押し当て、今度はそのまま擦る。
独特の生臭さが鼻先を滑り落ちていった。
口を嗽ぐと手拭いで顔を擦り、息をついて腰を下ろす。
よりはっきりした視界で湿り気を持った肌が外気を敏感に捉える。
・・・月に見られている。
銀時は身体を揺らす。
月光が頬に刺さり、ぱりぱりと乾いていくような気がした。
逃れるように、ドサリと仰向けに倒れれば草が視界を遮る。
月光でなく草が顔を刺すと、ぷんと土と草の香りが鼻腔を擽る。
地を這う生き物はこの中で生きているのかと思うと、羨ましくて銀時は目を閉じた。

・・・昔よくやっていた、晴れた日の草原で、むわりとするほどの香りの中でこうしていた。

『銀時は太陽と草の香りがしますね』

そう云って微笑んだ男がいた。
そして彼を助けるために銀時はここにいる。
今はもうしないだろう香りの代わりに、鉄と火薬の臭いがする銀時を、教え子たちを、それでも男は笑顔で迎えてくれるはずだ。
人とされない銀時を人にして、仲間を作らせた彼を助けるために、仲間のために白夜叉になった。
それでも、こうしてたまにわからなくなる。

夜の草原は昼より香らないらしく、冷ややかで穏やかだ。
銀時は顔を横向けて草の森を見つめる。


「・・・たかすぎー?」


小さな声で呼んでみる。
一定の距離を保ったまま長い影のように付いて来て、何をするでもなく佇んでいた高杉が、まだそこに居る気配は感じるのだが、銀時は確かめたくなった。
しかし虫の声に混じって果たして聞こえるのだろうか。
虫達は自己主張が強い癖に、潜み姿を見せないで、草の中で謳ってばかりいる。
その中で高杉は銀時の声を聞き取って、応えてくれるのか。


「―――あァ?」


少しして、遠い声が返ってきた。

・・・応えた。
銀時は無性に胸がむずむすして、謡うように名前を繰り返す。


「たかすぎーたーかすぎーたかーすぎー」


ガサッガサッ
乱暴に草を踏み分け近付く音がして、月影を塞いで頭上に黒い塊が現れた。


「うるせェ」


高杉は吸い口を一吸いして屈み込むと、銀時の顔へ煙を吹き掛けてくる。
その煙たさに、鼻に皺を寄せてギュッと目を瞑る。


「ぐ・・・ゴホッ!エホッ!」

「ははっ」


煙で咽せる銀時に声を出して笑った高杉が隣に腰をおろす。
名前を呼んだだけなのに、とむくれる銀時は仕返しにその下腹へ肘鉄をお見舞いした。
煙管の灰を捨てていた顔が痛みに歪む。


「はっ・・・く、いってェな・・・」

「お返し」

「馬鹿たれ」


云う手が銀時の髪を乱暴に緩く引っ張ってくる。
クンックンッ、と皮膚が攣る感覚にむずむずとする銀時は、高杉の腰に顔を擦り付けた。
回した手に力を入れ、猫の様にぐしぐしと擦り付ける。
高杉の上着からは土埃と火薬の匂いがする。
海辺の戦場だったからか、微かに潮の匂いも混ざっていて、荒い波の懐かしい光景が浮かんだ。
息を吐いては吸う腹の動きが、腰に巻き付けた腕で分かる。
やはり少し痩せている。
それでも髪に差し込まれた指の体温や重みを感じ取る。

人は薄い。
骨と肉と血で出来ている。
腱と関節で繋がるだけのそれは皮膚という薄い皮で被われていて、簡単に断つことも裂くことも出来る。
しかし人は重い。
そこには神経が通い、感じて動いて、一つの巨大な核に通じている。
信念だとか、見えないのに芯が強く折れないものを持っていたりする。
簡単に断つこと、裂くことは出来ない。

生きていれば人、死ねば肉の塊。
しかしその塊を知る者にはそれも人になる。
異形な己は、どれになるだろう。
外敵として異形な者を銀時は先程肉の塊にしたのだ。


「高杉―――俺はどれよ?」

「あ?・・・テメェは、さっきから何がしてェんだ?戯れに死骸に子守歌を謡ったり、人の名を連呼して、」


高杉の手が去ってゆく。


「懐いてくる」


代わりに耳に囁いてきた。

・・・擽ってぇな。
むずがゆさに耳に指を入れて掻くと、愉しそうに高杉が笑い顔を離した。
銀時は上体を起こす。

懐く―――ねぇ。


「なぁ、俺は何?」

「・・・・・・」

「考えてたんだ。あの天人の血は赤いだろ、俺の血も赤い。本当はおまえらと違う、アッチの血なんじゃないのかって」

「・・・白夜叉と怖れられるテメェが随分と弱気だな。月にでも当てられたか?」


銀時は再び耳を掻く。


「ったく、どいつもこいつも白夜叉、白夜叉ってよお。嫌われ者の白夜叉の居場所はどこだよ」

「戦場だな」

「じゃあ、それ以外の時はどうすりゃいいの」

「怖がられてろ」

「それは・・・ひどくない?」


銀時は眉を寄せる。
すでに白夜叉と呼ばれ、怖がられている。
疎まれ方は違えど、今も昔も変わらない。
慣れたつもりでも、一度人に受け入れられたこの身は、守る者から怖れられることを恐れてしまう。


「テメェは今のまま白夜叉で居ればいい。周りはそんなおまえの姿を見て怖れるが、戦場じゃあ頼りにしてその勢いに鼓舞される」


云いながら、高杉の足が草を薙ぎ伏せる。


「じゃあ俺は化け物のまま?」

「そうだな・・・人じゃねェ。周りにそう思わせるのも、いい」

「・・・おまえは俺を人だと思ってんの?」


ゆっくりと振り向いた高杉が頬を撫でてくる。
勿論テメェは人だと笑う。


「そのために俺達がいる。テメェがただの銀時で、ただの悪タレだって事を知ってる俺達がおまえの横にいる、それじゃ足りねェのか」


訊かれ銀時はゆっくり首を振る。

・・・足りなくない、忘れかけていただけだ。
高杉が居ない一月の間、仲間を守るために我武者羅に戦い、疲れ、守るべき者に疎まれ、怯えられて見失いそうになっていただけ。
高杉はあの男―――松陽が引き合わせた。
桂もそうだ、昔から同じ時間を共有した二人は銀時を怖れない。
後から増えた坂本も片手ほどしか残っていない古参の同志も銀時を怖れない。
並んで立って、背中を預けて戦って、馬鹿を云って笑い合う仲間だ。
それ以外の後から加わった大勢の者も、大義は違えど銀時の仲間だ。
ただ、彼らは銀時を白夜叉としてしか知らない。
それでもあの男に託された願いを、仲間と呼ぶ者全てを引っ括めて守れるならば、白夜叉が怖れられ疎まれることも必要だと高杉は思い出させてくる。
桂や坂本にはない、高杉だけが与える安心感がありがたいと銀時は内心思う。


「いいか。そもそも人ってのは、神を崇め頼るが怖れてもいる。可笑しな話だ」

「祟りやバチか当たるかもってか?」

「さあな。助けてくれ、災難から守れっつっても、一つ転がりゃ神さんを化け物扱い。人は勝手だ、理解できないものや強い力を持つものを怖れる」

「俺ってそんな感じなわけ?」

「夜叉は鬼神だからな。だからテメェはそれになれ。どれだけ周りが倒れてもテメェだけは変わらずに居ろ、おまえはあれらの拠り所であり、脅威」


"テメェは人で、白夜叉で、化け物だ"

銀時を見つめ、高杉が呟いた。
月明かりで鈍く光る双眸は白夜叉を見ている。

・・・夜叉の中に居る俺をみている。

その瞳がグンと近く、ぼやけると銀時は瞼を閉じる。
どちらからともなく唇を重ねていた。
互いの襟を掴み、急くように求め合い、ぶつけるように口付けをする。
口内の熱に生きている実感が湧き、触れ合ってその興奮を確かめ合う。

・・・ああ。
高杉とこうしてしばしば口付け合う度、銀時は恋慕とは違うぬるい感情で満たされる。


「は、ン・・・はあ」

「ん、」


啜る水音もせせらぎに流されていく。
草に倒れ込むと、耳元に寄る高杉の唇が囁いてくる。


「銀時・・・俺にとってテメェは化け物でもなんでもねェが、俺達の背負うものには理由がある」

「・・・わかってる」

「俺達の誰かが倒れても、テメェ一人になっても、先生を取り戻すまでは白夜叉でなきゃならねェ。だからもう、俺がいなくても迷うな」


見つめ合う互いの頬に触れ、再び口付ける。

・・・なら俺は、俺が白夜叉である為に、おまえを守る夜叉になる。

重ねる熱の欲するまま、抱き合う姿を隠すように、月は棚引く雲に隠れていた。
再び月が現れた時には、二人とも互いの熱の名残を川に流していた。


「月がたけェ、戻ろうぜ」

「このまま寝てえわ」

「勝手にしな。月が眩しくて寝れねェだろうが、テメェの年中重そうな瞼なら平気かもな」

「んだと、コラ」


歩き出す高杉の青く浮かぶ背中に銀時はついて歩く。
あの荒寺で仲間と寝よう。
この刻に単身血塗れで戻ってきた自分を不審がり怯える者もいるだろう。

『テメェはそれになれ。周りが倒れてもテメェだけは変わらずに居ろ、白夜叉』

・・・なあ高杉、お前は俺を人だと云った。
俺には人の血が流れてる、お前は俺の声を聞き取った。
だから、お前がそれを望むなら、周りがそれを必要とするなら。
守りたいものを守るため、アイツを助けるために。

異形さに、戦う姿に、白夜叉と呼ばれ敵味方から怖れられ、疎まれ、怯えられても。


"俺は人で、白夜叉で、化け物だ"



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