耳の味



「岡田似蔵?人斬りの?」

「そう云うアンタは、誰だい?」

「河上万斉でござる。」

「・・・ああ、初めまして。」


雪が降る前の香りを鼻に感じつつ、似蔵は上げた口角に、冷たく乾いた唇を一舐めした。





高杉晋助という篝火に惹かれ、過激テロ集団鬼兵隊へ入って数ヶ月。
正直、テロリストなどというものに興味はない。
この国を変えるなどという信念もないので、倒幕派の一員になった気もさらさらない。
大抵の者は高杉という篝火に魅せられた羽虫に過ぎず、自分もそうである。
だからと云って、その集団の中に混ざり仲良しこよしというつもりもない。
自分は篝火を守る為に此処に居る。
絶やさぬように、更に輝けるように、その為ならば何でもする。

どうにもならない暗闇に現れた、視神経を焼き切られる程の鮮烈な光。
それでいて、寂しげで儚さを持った光。
人が死の間際にしか発することのない真の輝きを、あの人は生きながらに迸らせる。
その光に、自分は真の意味で盲目になった。 
だからと云って、それが馬鹿げているとも愚かだとも思わない。
寧ろ、その輝きを陰らせる過去を打ち消し、憂いを払い、光を隣で守り続けるのは自分の天命だと確信した。
もう二度と暗闇には戻らない。
何も見えず目的もない、微かな光を求めて小物を壊し続ける自分には戻りたくはない。
この身すら焼き切られるまで、光を守る。

それが今の自分の存在意義。


「正体不明の剣豪、人斬り河上万斉・・・有名人だねェ?」

「気付けばそんな名がついていただけでござる。主こそ巷で噂になっている。」

「コッチも勝手についてたんだよ。小物を壊してる内に、ねぇ。」


ただ、鬼兵隊には既に人斬りと呼ばれる男がいた。
今しがた話しかけてきた男、河上万斉。
噂に聞いてはいたが、会ったのは初めてだ。
人工的な香りが自分の敏感な鼻につく。
整髪剤、香水、レザー。
微かにあの人愛用の煙草の香り。


「あの人に会ったのかい?」

「・・・晋助?」


胸がざわりとする。
晋助などと、対等であるかのようにあの人の名前を呼ぶ。
自分が居たいと望む場所に一番近い所に居る。
少し話しただけで胡散臭いとわかる、この男があの人の隣に相応しいとは思えない。


「人斬りが・・・・・・二人も必要とは思えないねぇ。」


腰の刀に手をかける。
相手も構えたのが見えない双眸の奥でわかる。
そう、人斬りは二人もいらない。
あの人の隣に居るべきなのは自分だ。
だから、この男を斬る。

体重を前にかけ、踏み出すと同時に刀を抜く。

自分の抜刀術は刹那。

斬った。

と思った。


「!」


喉元に冷たい刃が触れていた。
背に感じる体温で、脇の下から抱き込まれるように刀を当てられているのだとわかる。
自分の刀の先には男の残り香しかない。
そう思った、その刀すら手にはなかった。
斬ったと思ったのに。
いつかの男を思い出す。
あの忌々しい光。
銀色の、あの人を陰らせる過去。


「確かに、二人も要らぬ。」


低く囁く男の声に全身の毛穴から汗が噴き出し、ブルリと震えた。
こめかみを汗が伝う。
自分はここで終わるのか。
あの人を守る前に、すべてを壊す前にここで?


「ここで、決めてしまおうか?」

「くっ・・・」


チリッと首に痛みが走る。
刃が薄皮に筋をつけているとわかり、緊張でヒクリと喉仏が上下する。
命を奪われる事よりも、命を握られた己の弱さが歯痒い。
もっと自分に力があれば、こんな男に負けたりしない。
銀色の光を消すことができる。
篝火を守り、輝かせる、すべてを壊す力が欲しい。

ふっ、
痛い程に冷える耳元を、掠めた吐息が湿らせる。
男が笑ったのだ。


「っ・・・!」


左耳の裏に痛みが走る。
最初、熱い何かを押しつけられたのかと思ったが、どうも違うらしい。
聞き慣れない音と共に痛みは消えたが、耳裏は濡れた感覚と共に冷気を敏感に捉えた。
何をされたのか理解が出来ず、喉元の刃より不穏だ。


「な、なんだぃ・・・・・・?」

「何が?」


つい訊いてしまったが、はぐらかされた。
相変わらず刃は喉元にある。
少しでもズレれば自分の首に食い込むだろう。
不可解な事をする男は、決めたのだろうか。


「どうするんだね、アンタッ・・・・・・」

「さぁ・・・?」


男の唇が左耳に触れ、耳甲介腔へ息が入り込んでくる。
その湿気にゾクリとする。


「主、目が見えないとか・・・・・・」

「それが・・・なんだぃ・・・?」
 

突然目の話をする男に訊ね返すと耳にかかる息に加え、弾力性のあるものがジワリと耳朶を湿らせた。
違和感に眉を寄せる。
自分は何をされているのか。


「本当の目を晋助に眩まされ、盲目にならないようにする事でござる。」

「うっ・・・!・・・ンッ・・・」


擽ったさに耐えられず引き結んだ唇から声が漏れる。
耳介をヌルヌルと鞍骨の凹凸に沿って辿られ、舌で舐められていると理解した。

これはまるで愛撫だ。
ゾワゾワとする刺激に心拍数が上がる。
闇の中、死の間際にはぜる光を求め刀の技を磨く事に傾注していた自分は色欲には頓着なく、この歳になってはもはや久しい感覚だ。
刃に晒されたまま愛撫を受けて、些か動揺する。
それをこの男は笑っている、楽しんでいるのだとわかった。
もみあげを鼻先でそろりと撫でられたと思えば、緊張で強ばる頬にも柔らかな感触を受ける。
凍てつく気温で冷えた頬に熱いほどのそれは吸い付くと離れ、また吸い付く。
整髪剤の香りが鼻腔を擽り、シャカシャカと電子機器から漏れる音は煩い。
何処までもふざけた男に似蔵は口許を歪めた。


「あれれ・・・アンタも目が見えないのかい?男だよ、俺は・・・・・・」


皮肉を云えば、クスリと笑う吐息で男は耳朶を食んできた。
こりっ、


「は、ンッ!ぐっ・・・」


歯を立てて甘噛みされ、鞍骨が歪む感覚にビクリとする。
唐突に身体を突き離される。
よろめきながら首に手を当てれば、薄く血が滲んでいるのがわかった。
心の臓がバクバクとし、今更に肝が冷える。


「拙者には拙者の役目がある。主にも主の役目があるでござる。」

「・・・・・・。」

「その役目を終えても主が生きていればまた考えよう。」


一方的に云った後、刀を納めた男の気配は去っていく。


「は・・・・・・云ってくれるねぇ・・・・・・」


呟いて、ぐっしょりとかいた汗を拭いながら唇を歪めた。

自分の役目は、近々導入されるという新兵器紅桜を使い、データを取ることだ。
試作段階らしいが、自分は強くなれれば何だって構わない。
それで死んだとしてもだ。
死ぬつもりはない。
志願したとき、あの人も「いいぜ、丁度使い手を探してたトコだ。」と笑っていた。
学習能力を備えた刀は使うほどに強くなるという。
使いこなせれば、今まで以上の力を手に入れることが出来るだろう。
伝説になる男の道を切り開いた刀の遣い手として自分もまた伝説になるだろう。

男が笑うたびに吐いた息が耳の奥に残る。

下らない事を云っていた。
忠告のつもりだろうか。
自分はとっくにあの輝きに魅せられている羽虫なのだ。
自ら望んで光に眩み、光を増幅させる為の糧にもなる。
あの人の隣にいるのは自分だ。
あの男ではない。

似蔵はこみ上げる笑いに肩を震わせる。



そうだ、今度会った時には訊いてみよう。


自分の耳は美味しかったか、と。



******


『まさか、次に会うのがオレもアンタも死んでからになるとはねえ。』

『死に際に迎えに来てくれる程に会いたかった?』

『いひひっ、やっぱりお前さん馬鹿だねえ。訊きたい事があったのさ、アンタに・・・・・・』




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