銀さん、ねこになる
チュンチュンと高調の囀りが煩くて、銀時は薄目を開ける。見上げると塀の上で雀が五羽、忙しなく羽繕いをしていた。青空を背景に、羽毛の膨らみや黒目がちの瞳がばかに生々しく見える。寝起きのぐわんぐわん痛む頭に鮮烈で、たまらず欠伸をすれば、雀たちは慌てて飛び去っていった。
次いで強烈な生ごみ臭に、銀時は鼻にシワを寄せた。
(・・・ここどこ?ひでー臭いだが、まさか俺の体臭じゃねえよな?)
首をめぐらせれば、山積みのごみ袋に状況を悟る。
(またやっちまった)
呻く銀時は、昨夜も酒が過ぎて、ごみ捨て場で一夜を明かしてしまったのだった。毎度の後悔に頭を抱えて掻きむしる。
その手に思わず、ぷるんっと反動があった。
(・・・ナニ? なんか頭に付いてない?)
もう一度同じ場所を撫でてみる。
やはり柔軟な手応えのソレをさわさわと辿れば、薄くて、ほんのり冷たい三角形が二つ。銀時が意識を向ければ、ぴくぴくと動く。
(え、なにコレ、やだコレ、なんか覚えがあんだけど、まさか嘘だよね?)
恐々、己の顔を撫でればモフモフで、掌はフニフニしたピンクの肉球に変わっていた。
「に゛ゃにゃぁああ!!(また猫になっちまってんじゃねーか!!)」
ごみ袋から飛び上がる銀時は、毛足の長い白猫になっていた。猫なので、一メートルは飛び上がっただろう体は華麗に着地したけれど、頭は混乱の渦の中。
うずくまり頭を抱えて震える白猫は憐れっぽいが、早朝のごみ捨て場に目を止める人もいない。
昨夜を思い出そうとしてみるも、毎度お馴染みの長谷川と、ご機嫌に呑んで笑った覚えしかない。
(なのに、なにがどうしてこうなったぁぁあ!?)
猫に絡んだ覚えもないが、正直店を出て以降はあんまり覚えていないのだから信用がない。
(長谷川さんと俺は何処で別れた!?)
彼なら何か知っているのではと銀時は辺りを見回すと、二足で駆け出した。
民家が並ぶひとつ目の角を曲がったところで、竹箒を持った老婦と鉢合わせる。掃く手を止めて、丸い目をして銀時を見たと思えば「まあ珍しい、ねこ」と声をあげた。
そこで二足の己に気づく。
猫が二足で歩いていては気味が悪いし、目立つに決まっている。びたっと目が合ってしまった今更、四足になるのも怪しいかと惑う間に、老婦は近付いてきた。
「どこから来たの?首輪もないし、お耳も欠けてないわねえ」
銀時をじろじろ眺めて不思議がる老婦は、身丈の違いからか圧迫感がある。
(早朝から掃き掃除なんかしてんじゃねぇ!ババアに構ってる暇はねーんだよ!)
人間ならば云えた台詞も云えず、ゆっくり前足を下ろして後退りした。
「おかしいわねえ、ここにいるはずがないのに―― 野良猫がァッ!」
突然、老婦が竹箒を振りおろしてきた。
「に゛ゃ!?(うわばばっ!?)」
驚いた銀時は尻尾を丸めて飛び退くと、豹変した老婦の鬼婆の形相に怯えて、全速力で駆け出した。
猫の本領、やっぱり四足は走りやすい!
それでも後ろから「野良猫だよ!野良猫がいるよ!」と叫び、つっかけの足音とバシッバシッと竹箒を叩きつける音が追いかけてくる。
(どうなってんだ、あのババア!?猫嫌いにしても異常だろ!怖ェエエエ!誰かぁぁあ!)
三枚のお札がないと何処までも追いかけてきそうな気がして、銀時は長い塀の先、開いた門へ飛び込んだ。
広い敷地に無我夢中で建物の縁を沿うように走り抜ければ「に"ゃ!」庭木のつつじに突っ込んでしまう。ガサガサと抜け出た頃には、毛に小枝が絡まって、すっかりみすぼらしい猫になった。
それでも鬼婆からは逃れられたようだった。
「おい、にゃん公」
声に振り向けば、濡れ縁から男が覗いている。琥珀の瞳をくりくりさせた沖田総悟に、銀時は目を丸くして驚いた。
「真選組の屯所に迷い込むなんざ物好きだ。こっちに来な」
ちっちっと舌を鳴らし、掌を上にして誘う姿に、銀時はつつじの木の下へ潜る。
よりによって真選組の敷地に迷いこみ、ドSの星の下に生まれた男に見つかってしまっては、先程の鬼婆より酷い目に遭いそうだ。
一難去ってまた一難だと、身を翻した。
「おい、そのまま外に出たら、せっかくのタマ取られちまうぜ!」
「に゛ゃ?(え゛?)」
ぎょっとして振り向けば、沖田は真面目な顔でいた。
タマとは魂のことだろうか?鬼婆の姿が脳裏に浮かび身震いする。
「どっから来たか知らねぇが、この地域でタマぶら下げて歩くなんて取ってくれって云ってるようなもんだぜィ。そもそも存在すら許されねえってのに」
なんだかとんでもない話だが、今のまま飛び出せば危険なのは本当のようだ。
キョロキョロと首を巡らせてから、沖田のいる濡れ縁に飛び乗る。すると沖田は銀時に向かって指を出してみせる。
(コイツなにしてんだ?)
しかし桃色の鼻はヒクヒクと指先の匂いを嗅いでいた。香ばしい焼き魚の香り。そうしてから己に愕然とする。
銀時も知らない猫の習性。
「よくここまで無事にたどり着いたもんだ。この地域は野良猫にとっちゃ死地だってのに」
もちろん銀時は猫なので返事をしないが、人に対するよりも親しげに話しかけてくる沖田はどうも猫好きなようだ。絡まった小枝を摘まんで取ってくれもする。
「ここらは、野良猫と見たら取っ捕まえて、避妊去勢して、里親に引き渡すまでがベルトコンベア並みに整ってらァ。猫嫌いと猫好きが手を取り合って野良猫撲滅運動してんだぜ」
ならばあの鬼婆は猫嫌い派で間違いない。話と違って、取っ捕まえると云うよりは打ち殺そうとしていたけれど。
沖田の横顔をみるに、全面賛同してはいないようだ。
銀時としてはどちらでも良かったが、猫の立場で自由に歩けないのは大変困る。長谷川どころか、万事屋にも辿り着けない。もし猫としてタマを取られ、人に戻った時にタマはどうなるのか。そも、原因も分からない猫化は人に戻れるのか。
「なんでィ、猫のクセに神妙な顔して」
沖田が銀時を眺めて首をかしげる。
「そういや、おまえ見覚えのある顔つきしてらァ」
「にゃお(銀さんです)」
冗談だったのに、「あ」とこぼした沖田が頷く。
「旦那に似てんだ、万事屋の旦那」
「なおー!にゃう!(そう!そうなんだよ!むしろ俺!)」
嬉しくて鳴き声をあげる。
(もしかして猫語がわかんの?総一郎くん)
もちろん猫の言葉なんてわからない沖田だが、嬉しそうなのはわかるので、この白猫を旦那と呼ぶことにした。
「旦那、行くとこ無ぇなら、しばらくウチにいればいいや。タイミングみてこの地域から連れ出してやらァ」
まさかの救世主に銀時は尻尾を立てて喜ぶ。居場所と活路が手に入った。
つかの間、荒い足音が近づいてくる。
「総悟テメェ、朝餉の後から見ねぇと思えばこんなところに居やがったな。隊長会議ふけやがって」
乱暴な口調が飛んできて、ツンと煙臭い男の登場に、銀時はゲェッと猫なりに顔をしかめた。
銀時をじろりと見下ろす土方の後ろからもう一人、無味無臭な男がやって来る。
「ねこだ」と分かりきったことを云う。
「なんだ?この使い古したモップみてーな猫は。どっから来た」
「シャーッ(うるせーニコチン野郎)」
「野郎ォ、牙剥きやがった」
「この旦那、庭に迷い込んできたんでさァ」
「猫相手に旦那呼びか?・・・確かに、どこぞの誰かに似てやがる」
「ああ、万事屋の旦那に似てますね」
山崎は手を伸ばして撫でようとするが、強烈なネコパンチに「狂暴なとこも似てる!」と手を引っ込めた。
「しばらく此処に置くことにしやした」
沖田が事も無げに云う。
「は?ダメに決まってんだろ。出てけオラ」
土方が足で銀時の胴を押し、濡れ縁から押し出そうとする。
鬼副長の所業に沖田が肩をすくめてみせた。
「ひでーや土方さん。旦那のタマが取られちまっていいってんですかィ?」
「知るか。コイツのタマがどうなろうと知ったこっちゃねーんだよ」
「シャーッ!(俺がタマ失ったら絶対オメーのタマ取ってやるからな!)」
「第一こんな躾のなってねー猫を置いたら屯所がボロボロになるわ。ところ構わず引っ掻いて粗相すんぞ」
銀時は、尻を蹴り上げられて怒り心頭、ついに反撃に出た。黒ソックスの足を抱き込むと、後ろ足で激しく蹴り上げて、前足で目一杯爪を立ててやる。
食い込む爪の激痛に土方は叫んで足を振るが、猫は団子の様にくっついて離れない。
凶暴な白猫を沖田はやんやと応援する。
目の前の騒ぎに山崎は、本当に万事屋の旦那が居るかのようだと目を丸くして見ていた。
「トシ!総悟!おまえらまた喧嘩か!」
叫んでやって来た近藤が同じく目を丸くする。それでも、どうにか銀時を引き剥がし、かくかくしかじか話を聞いて腕を組み、思案顔で頷く。
「うむ、この界隈では貴重なタマタマだ。守ってやろうトシ」
「いや、なんでだよ!」
「見てみろ、この可愛いふぐりを」
ちょん、と指でふわふわのタマをつついた近藤の手が瞬時に流血する。
「あいたァっ!ヤバいコイツ、シザーハ○ズだよ!俺の手、一瞬で血塗れだもの!切り裂かれたもの!」
「タマなんか触るからでさァ。きっと心はハートのクッキーですぜ」
「ほんとに?氷で俺の彫刻作ってくれる?」
「局長がヒロインなんですか?それよか手当てしませんか」
山崎が真っ当な対応で場をおさめると、手に包帯を巻かれた局長の許可を得て、白猫銀時は仮の居場所を手に入れた。
起臥が決まれば、次は腹が減ってくる。
銀時は沖田の手に前足をのせて「飯を寄越せ」と猫語で訴えた。
「わ、急に鳴き出した」
「どうも旦那は腹が減ったみたいでさァ」
「何か食わせるものはあったかな」
珍客の挙動にワイワイする三人に土方は舌打ちし「ほっとけ、鼠でも獲らせりゃいいんだよ。それより仕事だ」と踵をかえした。
「猫と言えば、ねこまんまかな」近藤が安直なことを云えば「おかかをご飯に混ぜてあげてみましょうか」と山崎が同意する。
銀時はそんなものより宇治銀時丼が食べたいが、猫にあんこなんて誰も思わない。結局、削り節を散らしたご飯を差し出された。
箸など持てず、手を使う訳にもいかず、しぶしぶだが猫然として茶碗に顔を突っ込む。あぐあぐと食べれば、普通に美味しい、これも悪くない。
ぺろっと食べてしまって顔を上げれば、近藤も山崎も職務に戻り、沖田がひとり、銀時を眺めていた。
がっついた姿を見られて、少し居心地悪い。そして猫の性なのか、舐めた手で顔まで洗ってしまい、猫流の御馳走様まで仕上げた。
食べてしまえば眠くなる。
猫も忙しいものだと欠伸をして、しょぼしょぼした目で沖田を見上げる。
沖田は、銀時の耳の根元を指先で擽って「俺も眠い」と欠伸をした。
「見れば見るほど旦那に見えらァ。俺もそろそろ行かねぇと、じゃあ」
銀時は、人気のなくなった濡れ縁にひとり――、一匹になって、そのまま微睡みに落ちた。
『おい、お主。起きぬか』
深く渋みのある男の声に銀時は瞼を開く。
(あれ、どこだここ)
首を回せば、前も後ろも真っ暗で、足許にある白い尻尾に、まだ猫かとガッカリする。
『驚いたか?』
再び声がする。出処がわからない、全方向から聞こえる不思議な声だ。
『うっせーな、これくらいで驚くかよ。こちとら今朝から猫になってんだぞ』
銀時がいつもの調子で返せば、はあと声の主はため息をついた。
『なんと不遜な男じゃ、下品だし猫にしたことを後悔しそうだのう』
『あ!やっぱりオメーかァァ!そうだと思ったわ!勝手に何してくれてんだ!?俺が猫にされる謂れはねぇぞ!』
『たわけ者が。己のしたことも覚えておらぬのか』
『俺は、姿も見せないヤツに何かした覚えはないけど?』
暗闇に小さな塚が現れる。苔むしてシミがこびりつく石碑には【猫塚】と彫りがある。
『儂 の塚じゃ』
(なるほど、やっぱり猫絡みか)
塚の左側から男が現れる。人間の銀時だ。酔っぱらい、ゾンビのように手を垂らして猫背に歩いている。
急にその手を口に当てると、石碑に向かって屈み込んだ。音声はないが、間違いなく口からびちゃびちゃ出している。
『わかるな?主は儂の塚にゲエーをしておる』
冷やかな口調に、猫の銀時は小さくなる。
人間の銀時は、何度もえずくと猫塚に大量のゲロをぶちまけて、フラフラと歩いて消えた。塚もフッと消える。
『儂の塚はゲエーまみれになっておる』
『あ、あーそうね。うん、結構呑んだからね』
『儂の塚が主のゲエーに汚されてしもうた・・・臭いし酸いし』
『わかったからァ!俺が悪いね!ごめんね!だけど、オメー声の割に陰湿なヤツだな!』
『cv.大塚周○氏で希望しておる』
『うるさっ!』
銀時は、罪悪感より猫塚の主の面倒さが勝って再び態度が大きくなる。
『どんな偉い猫か知らねぇが、今すぐ掃除してやるから、人間に戻してもらえますかー!?』
『それは無理じゃ。それより、儂の事が知りたいとみえる』
急に嬉しそうな声に銀時はかぶりをふる。
『知りたいのはオメーじゃなくて、人間に戻る方ぅう!つーか今無理っつった!?』
暗闇に獣が現れる。牛ほどもある丸々肥った赤茶けた毛の不恰好な猫だ。
『全盛期の儂じゃ。この辺りでは大猫の化物として儂を知らぬ者はおらんかった』
大猫が村人を襲い、田畑や民家を荒らす様子が流れる。
『村人の困った顔が楽しくてのう。悪さが過ぎて、ある日儂を退治しに力のある僧侶が来てしもうた』
そうだろうなと銀時は頷く。僧侶と大猫は妖怪退治漫画よろしく戦っている。
『五日の激闘の末、遂に退治されてしもうた。が、僧侶は儂を懇ろに葬り、そこに塚を建ててくれた』
盛り立ての土に、先程より字の見易い石碑が現れる。
『しばらくは、村人も花など添えておったが、人も移ろい、今は所以も忘れ去られ、お主のような愚か者にゲエーをぶちまけられる始末じゃ』
悲しげな声は、再び塚にゲロを吐く銀時を見せてくる。
『わざとじゃないんだって。それじゃあ、謝罪もしたし、昔話も付き合ってやったんだから人に戻してくれ。掃除して花でも添えてやっからさ』
『先ほど無理だというたじゃろ』
つんとした云い方に銀時は暗闇に目を剥く。
『無理だァ!?変えたもんは戻せるだろ!?』
『祟ったものは仕方ないのじゃ。それにその姿の方が小汚ない天パーよりずっと見目が良いぞ』
『余計な世話だよ!俺がどんな気持ちであの天パーで生きてきたと思ってんの?とっとと人間のさらさらヘアーの俺に変えて見せろよ』
『にょほほ、コンプレックスじゃの。五日の辛抱じゃ、気長に過ごしておれば勝手に戻るわい』
なぜ五日かと訊ねれば、僧侶が退治にかかった日数だと答えた。周囲の闇が白んでくる。
『そろそろ目覚めのようじゃ。ひとつ忠告してやろう。五日の間に万が一この地域から出たら、主はたちまち消滅するぞよ』
「はっ!?」
寺の鳴鐘で目が覚めて、日の陰った濡れ縁を見渡す。
(いまのは・・・つーか俺、祟りにあってんのか)
原因もわかり、五日で戻ると知って銀時は気が抜ける。ならば大人しく此処で日数を消化するだけだ。
水が飲みたい。
散策がてら、トツトツと廊下を歩いてゆけば、数人の隊士が銀時に気付いて、猫だ猫だと取り囲んだ。銀時にしてみれば、むさ苦しい黒い壁だ。
(五日か・・・なにかっちゃ構われてめんどくせーな)
「噂はほんとだったか。まさか屯所で猫を飼うことになるとはな」
「沖田隊長のお気に入りの猫だ」
「洋風な毛をしてる」
フワフワの毛につられて隊士たちは手を伸ばす。
撫で回されて手垢を付けられるのは真っ平御免だと、銀時はぬるりと隙間から抜け出すと「愛想がねぇ」「たいして可愛くもない」途端に悪口を云われ、不機嫌に尻尾を激しく振った。
「あ、いたいた」
前から沖田がやって来る。ポケットから手を出して腿を叩いてみせる。
銀時が近付いて「にゃお(水が欲しい)」と伝えれば、「晩飯だぜ」と歩き出す。食堂に行くのなら水も飲めると銀時は素直についていった。
その姿に隊士たちは、「随分懐いている」と少し羨ましく、また猫の気持ちもわかるような気がした。若年で一番隊隊長を務める沖田の格を猫も理解しているのだろうと。
食事時の食堂は賑やかで、足元に気付かない隊士に蹴られないよう沖田の脚にぴったり付いて歩く。
「今日は煮魚か。おい、ねこまんまと小皿に煮魚分けてくれィ」
給食担当から膳を受け取って席につく彼の横に飛び乗る。二足で卓上を覗けば、ねこまんまと煮魚が置かれていた。湯飲みに水も入れてある。これはもう食卓に乗って食べろと云うことだと、銀時は洋卓に上がる。
水をピチャピチャやって、あぐりと煮魚を食い込むと、沖田が横目で「骨に気を付けな」と声をかけてくる。銀時はバキッと骨を砕いて見せて無用な心配だと教えてやった。
不意にバシッと音がして、飴色の頭が揺れる。
「アホか。食卓に猫を乗せんな」
平手をふった土方が沖田を睨み、銀時を殊更に睨みつけると、肘で銀時の胴を押して落としにかかる。銀時も卓上に転がると手足を突き出し抵抗する。鋭い爪を振るう猫に土方も躍起になる。
「この、バカ猫ッ。退けっつーのがわかんねーか!」
ガチャガチャと膳が跳ね、バサバサと毛が舞い、湯飲みが倒れる。
沖田以外の隊士はこの食卓から距離を置き、猫が悪いのか上司が心ないのか小声で議論していた。
「土方さん、旦那とみたら喧嘩してガキじゃねえんだから。場を弁えろィ」
沖田のやれやれ声に「そうだぞ、トシ。猫相手に」いつ来たのか近藤も乗っかる。
「俺が間違ってるの!?」
土方は叫ぶと、舞う毛を吸ってしまい、くしゃみをした。
「いやいや、俺だって食卓に猫を上げるのはどうかと思うけどな。おまえが騒ぐと猫も暴れるじゃないか」
云われて見れば、食卓は荒れ、ボサボサの猫が転がっている。
たかが猫相手に、と土方も決まり悪くなる。それもこれも、この猫が、いけ好かない万事屋に似ているせいだ。沖田が【旦那】なんて名前を付けるから余計に気に入らない。
(俺がオメーでも同じ事するけど今は立場が違うから、悪く思うな)
近藤に諭されて黙ってしまった土方に銀時はゆらりと尻尾を振って見せた。
「総悟、旦那さんにはおまえの部屋で食って貰え」
「へぇい」
近藤が腕組み苦笑いする。
「全く、万事屋並みに曲者だ」
沖田の部屋で残りの夕飯を食べた銀時は、畳に転がっていた。
(あの化猫の言葉を信じてのんびり猫生活してていいのか?まあ、だからって戻る手立てもねぇし)
二つの考えが、小さな頭をいったりきたりする。
「旦那」
風呂から戻った沖田が寝間着で隣に転がってくる。湯上がりの体が発する湿気に、銀色にも見える白毛が浮き上がる。
(猫になっても天然パーマなんて因果だぜ)
フシュと鼻を鳴らす白猫を、沖田は琥珀色の瞳で眺める。
動物のなかで一等、猫が好きだ。勝手気儘で自由なところが自分と似ていて気楽にいられる。
犬などは構ってやらなきゃ申し訳ないような気持ちになるし、忠犬なんて気まずい。沖田にとって猫は可愛がるに都合がいい。
高い場所から見下ろして、我関せずと澄ましていると思えば、己の都合ですり寄ってきて甘えてみせる、しなやかでしたたかな姿に手懐けたくなる。同時に手強いままでいて欲しい、そんな沖田の癖に刺さる生き物だ。
あとは単純に手触りや形が好みで、今のように眺めていても飽きない。
これらは、目の前の旦那の由来となった彼にも云えることだ。
(俺の寝床はどこですか)
銀時は自分を見つめる、なにも考えてなさそうな男の鼻をチョイと前足でつついてやる。
沖田は、きょとんとしてから、「やりやがったな」と指先で銀時の濡れた鼻先をつついた。
銀時に座布団を与えて、沖田が寝床を敷いて、ぶら下がる電気の紐を引く。
途端に暗くなる筈が、猫の目は光を拾い、よくみえる。合わせて、廊下の足音や話し声、庭先の虫、屯所前の道の通行までも、大きな耳は拾う。銀時の瞳は爛々としてくる。
さらに便意もやって来て、厠を見つける必要がある。猫になったからと、庭先を掘って排泄する気分にはなれない。のそりと身を起こすと、襖の縁に手を引っ掻け、頭ひとつ分の隙間から廊下へ出た。
不本意だが、尿臭を辿れば、厠を見つける事ができた。個室に扉の下から潜り込む。鍵をかけられないのは仕方ない。
(おっ、とと)
銀時は便座に飛び上がると、壺に落ちないよう踏ん張って位置を定める。
(猫でも人間の便所が使えるっつーのは発見だな)
困ったのは、ちり紙だ。カラカラカラカラ、ローラーは回り続け、立てた爪でぼろぼろになった紙が床に溜まる。仕方なく、その紙に尻を擦り付けておく。
スッキリして厠を出る銀時に、坊主で髭面の巨漢が道を開ける。
「おっ!驚いた、件の猫か。夜の探索か?」
廊下に消える白猫をからかって、原田が入れ違いに入った個室は猛烈に臭かった。
翌朝、土方はすでにイラついていた。猫連れの沖田を見るなり詰め寄る。
「原田から聞いた。猫が厠を使ってんのはどういう了見だ?こいつ猫だよな?化け猫じゃねーのか?」
沖田は面倒くさそうに首を振る。
「寝ぼけてたんじゃねーですかィ?ほんとに使ったとしても糞の始末をテメーでしてんだから、いいじゃないですか」
「不衛生極まりないわ!挙げ句に、すげえ臭いだとよ」
足元で聞いていた銀時は首をかしげる。
(流したのに?猫の糞尿の臭さは侮れねーな)
敏感な嗅覚は己の糞尿には働いていないようだ。
「便所掃除ならウチの隊が当番じゃねーですか。うちにゃ隈無が居んだから心配いらねーや」
「知らねーからな、絡まれても」
土方は肩を怒らせ去っていく。あれほど毎日怒れば血圧はとんでもないだろう。
案の定、潔癖症の一番隊隊士・隈無清蔵という男が磨き上げたが、銀時によってすぐに同じ状態に戻る。
日に何度も繰り返されるいたちごっこに「ネコが使用したトイレを人が使うことのほうが間違いだ」と、一番手前の個室には【猫専用】の貼り紙がついた。
次いで強烈な生ごみ臭に、銀時は鼻にシワを寄せた。
(・・・ここどこ?ひでー臭いだが、まさか俺の体臭じゃねえよな?)
首をめぐらせれば、山積みのごみ袋に状況を悟る。
(またやっちまった)
呻く銀時は、昨夜も酒が過ぎて、ごみ捨て場で一夜を明かしてしまったのだった。毎度の後悔に頭を抱えて掻きむしる。
その手に思わず、ぷるんっと反動があった。
(・・・ナニ? なんか頭に付いてない?)
もう一度同じ場所を撫でてみる。
やはり柔軟な手応えのソレをさわさわと辿れば、薄くて、ほんのり冷たい三角形が二つ。銀時が意識を向ければ、ぴくぴくと動く。
(え、なにコレ、やだコレ、なんか覚えがあんだけど、まさか嘘だよね?)
恐々、己の顔を撫でればモフモフで、掌はフニフニしたピンクの肉球に変わっていた。
「に゛ゃにゃぁああ!!(また猫になっちまってんじゃねーか!!)」
ごみ袋から飛び上がる銀時は、毛足の長い白猫になっていた。猫なので、一メートルは飛び上がっただろう体は華麗に着地したけれど、頭は混乱の渦の中。
うずくまり頭を抱えて震える白猫は憐れっぽいが、早朝のごみ捨て場に目を止める人もいない。
昨夜を思い出そうとしてみるも、毎度お馴染みの長谷川と、ご機嫌に呑んで笑った覚えしかない。
(なのに、なにがどうしてこうなったぁぁあ!?)
猫に絡んだ覚えもないが、正直店を出て以降はあんまり覚えていないのだから信用がない。
(長谷川さんと俺は何処で別れた!?)
彼なら何か知っているのではと銀時は辺りを見回すと、二足で駆け出した。
民家が並ぶひとつ目の角を曲がったところで、竹箒を持った老婦と鉢合わせる。掃く手を止めて、丸い目をして銀時を見たと思えば「まあ珍しい、ねこ」と声をあげた。
そこで二足の己に気づく。
猫が二足で歩いていては気味が悪いし、目立つに決まっている。びたっと目が合ってしまった今更、四足になるのも怪しいかと惑う間に、老婦は近付いてきた。
「どこから来たの?首輪もないし、お耳も欠けてないわねえ」
銀時をじろじろ眺めて不思議がる老婦は、身丈の違いからか圧迫感がある。
(早朝から掃き掃除なんかしてんじゃねぇ!ババアに構ってる暇はねーんだよ!)
人間ならば云えた台詞も云えず、ゆっくり前足を下ろして後退りした。
「おかしいわねえ、ここにいるはずがないのに―― 野良猫がァッ!」
突然、老婦が竹箒を振りおろしてきた。
「に゛ゃ!?(うわばばっ!?)」
驚いた銀時は尻尾を丸めて飛び退くと、豹変した老婦の鬼婆の形相に怯えて、全速力で駆け出した。
猫の本領、やっぱり四足は走りやすい!
それでも後ろから「野良猫だよ!野良猫がいるよ!」と叫び、つっかけの足音とバシッバシッと竹箒を叩きつける音が追いかけてくる。
(どうなってんだ、あのババア!?猫嫌いにしても異常だろ!怖ェエエエ!誰かぁぁあ!)
三枚のお札がないと何処までも追いかけてきそうな気がして、銀時は長い塀の先、開いた門へ飛び込んだ。
広い敷地に無我夢中で建物の縁を沿うように走り抜ければ「に"ゃ!」庭木のつつじに突っ込んでしまう。ガサガサと抜け出た頃には、毛に小枝が絡まって、すっかりみすぼらしい猫になった。
それでも鬼婆からは逃れられたようだった。
「おい、にゃん公」
声に振り向けば、濡れ縁から男が覗いている。琥珀の瞳をくりくりさせた沖田総悟に、銀時は目を丸くして驚いた。
「真選組の屯所に迷い込むなんざ物好きだ。こっちに来な」
ちっちっと舌を鳴らし、掌を上にして誘う姿に、銀時はつつじの木の下へ潜る。
よりによって真選組の敷地に迷いこみ、ドSの星の下に生まれた男に見つかってしまっては、先程の鬼婆より酷い目に遭いそうだ。
一難去ってまた一難だと、身を翻した。
「おい、そのまま外に出たら、せっかくのタマ取られちまうぜ!」
「に゛ゃ?(え゛?)」
ぎょっとして振り向けば、沖田は真面目な顔でいた。
タマとは魂のことだろうか?鬼婆の姿が脳裏に浮かび身震いする。
「どっから来たか知らねぇが、この地域でタマぶら下げて歩くなんて取ってくれって云ってるようなもんだぜィ。そもそも存在すら許されねえってのに」
なんだかとんでもない話だが、今のまま飛び出せば危険なのは本当のようだ。
キョロキョロと首を巡らせてから、沖田のいる濡れ縁に飛び乗る。すると沖田は銀時に向かって指を出してみせる。
(コイツなにしてんだ?)
しかし桃色の鼻はヒクヒクと指先の匂いを嗅いでいた。香ばしい焼き魚の香り。そうしてから己に愕然とする。
銀時も知らない猫の習性。
「よくここまで無事にたどり着いたもんだ。この地域は野良猫にとっちゃ死地だってのに」
もちろん銀時は猫なので返事をしないが、人に対するよりも親しげに話しかけてくる沖田はどうも猫好きなようだ。絡まった小枝を摘まんで取ってくれもする。
「ここらは、野良猫と見たら取っ捕まえて、避妊去勢して、里親に引き渡すまでがベルトコンベア並みに整ってらァ。猫嫌いと猫好きが手を取り合って野良猫撲滅運動してんだぜ」
ならばあの鬼婆は猫嫌い派で間違いない。話と違って、取っ捕まえると云うよりは打ち殺そうとしていたけれど。
沖田の横顔をみるに、全面賛同してはいないようだ。
銀時としてはどちらでも良かったが、猫の立場で自由に歩けないのは大変困る。長谷川どころか、万事屋にも辿り着けない。もし猫としてタマを取られ、人に戻った時にタマはどうなるのか。そも、原因も分からない猫化は人に戻れるのか。
「なんでィ、猫のクセに神妙な顔して」
沖田が銀時を眺めて首をかしげる。
「そういや、おまえ見覚えのある顔つきしてらァ」
「にゃお(銀さんです)」
冗談だったのに、「あ」とこぼした沖田が頷く。
「旦那に似てんだ、万事屋の旦那」
「なおー!にゃう!(そう!そうなんだよ!むしろ俺!)」
嬉しくて鳴き声をあげる。
(もしかして猫語がわかんの?総一郎くん)
もちろん猫の言葉なんてわからない沖田だが、嬉しそうなのはわかるので、この白猫を旦那と呼ぶことにした。
「旦那、行くとこ無ぇなら、しばらくウチにいればいいや。タイミングみてこの地域から連れ出してやらァ」
まさかの救世主に銀時は尻尾を立てて喜ぶ。居場所と活路が手に入った。
つかの間、荒い足音が近づいてくる。
「総悟テメェ、朝餉の後から見ねぇと思えばこんなところに居やがったな。隊長会議ふけやがって」
乱暴な口調が飛んできて、ツンと煙臭い男の登場に、銀時はゲェッと猫なりに顔をしかめた。
銀時をじろりと見下ろす土方の後ろからもう一人、無味無臭な男がやって来る。
「ねこだ」と分かりきったことを云う。
「なんだ?この使い古したモップみてーな猫は。どっから来た」
「シャーッ(うるせーニコチン野郎)」
「野郎ォ、牙剥きやがった」
「この旦那、庭に迷い込んできたんでさァ」
「猫相手に旦那呼びか?・・・確かに、どこぞの誰かに似てやがる」
「ああ、万事屋の旦那に似てますね」
山崎は手を伸ばして撫でようとするが、強烈なネコパンチに「狂暴なとこも似てる!」と手を引っ込めた。
「しばらく此処に置くことにしやした」
沖田が事も無げに云う。
「は?ダメに決まってんだろ。出てけオラ」
土方が足で銀時の胴を押し、濡れ縁から押し出そうとする。
鬼副長の所業に沖田が肩をすくめてみせた。
「ひでーや土方さん。旦那のタマが取られちまっていいってんですかィ?」
「知るか。コイツのタマがどうなろうと知ったこっちゃねーんだよ」
「シャーッ!(俺がタマ失ったら絶対オメーのタマ取ってやるからな!)」
「第一こんな躾のなってねー猫を置いたら屯所がボロボロになるわ。ところ構わず引っ掻いて粗相すんぞ」
銀時は、尻を蹴り上げられて怒り心頭、ついに反撃に出た。黒ソックスの足を抱き込むと、後ろ足で激しく蹴り上げて、前足で目一杯爪を立ててやる。
食い込む爪の激痛に土方は叫んで足を振るが、猫は団子の様にくっついて離れない。
凶暴な白猫を沖田はやんやと応援する。
目の前の騒ぎに山崎は、本当に万事屋の旦那が居るかのようだと目を丸くして見ていた。
「トシ!総悟!おまえらまた喧嘩か!」
叫んでやって来た近藤が同じく目を丸くする。それでも、どうにか銀時を引き剥がし、かくかくしかじか話を聞いて腕を組み、思案顔で頷く。
「うむ、この界隈では貴重なタマタマだ。守ってやろうトシ」
「いや、なんでだよ!」
「見てみろ、この可愛いふぐりを」
ちょん、と指でふわふわのタマをつついた近藤の手が瞬時に流血する。
「あいたァっ!ヤバいコイツ、シザーハ○ズだよ!俺の手、一瞬で血塗れだもの!切り裂かれたもの!」
「タマなんか触るからでさァ。きっと心はハートのクッキーですぜ」
「ほんとに?氷で俺の彫刻作ってくれる?」
「局長がヒロインなんですか?それよか手当てしませんか」
山崎が真っ当な対応で場をおさめると、手に包帯を巻かれた局長の許可を得て、白猫銀時は仮の居場所を手に入れた。
起臥が決まれば、次は腹が減ってくる。
銀時は沖田の手に前足をのせて「飯を寄越せ」と猫語で訴えた。
「わ、急に鳴き出した」
「どうも旦那は腹が減ったみたいでさァ」
「何か食わせるものはあったかな」
珍客の挙動にワイワイする三人に土方は舌打ちし「ほっとけ、鼠でも獲らせりゃいいんだよ。それより仕事だ」と踵をかえした。
「猫と言えば、ねこまんまかな」近藤が安直なことを云えば「おかかをご飯に混ぜてあげてみましょうか」と山崎が同意する。
銀時はそんなものより宇治銀時丼が食べたいが、猫にあんこなんて誰も思わない。結局、削り節を散らしたご飯を差し出された。
箸など持てず、手を使う訳にもいかず、しぶしぶだが猫然として茶碗に顔を突っ込む。あぐあぐと食べれば、普通に美味しい、これも悪くない。
ぺろっと食べてしまって顔を上げれば、近藤も山崎も職務に戻り、沖田がひとり、銀時を眺めていた。
がっついた姿を見られて、少し居心地悪い。そして猫の性なのか、舐めた手で顔まで洗ってしまい、猫流の御馳走様まで仕上げた。
食べてしまえば眠くなる。
猫も忙しいものだと欠伸をして、しょぼしょぼした目で沖田を見上げる。
沖田は、銀時の耳の根元を指先で擽って「俺も眠い」と欠伸をした。
「見れば見るほど旦那に見えらァ。俺もそろそろ行かねぇと、じゃあ」
銀時は、人気のなくなった濡れ縁にひとり――、一匹になって、そのまま微睡みに落ちた。
『おい、お主。起きぬか』
深く渋みのある男の声に銀時は瞼を開く。
(あれ、どこだここ)
首を回せば、前も後ろも真っ暗で、足許にある白い尻尾に、まだ猫かとガッカリする。
『驚いたか?』
再び声がする。出処がわからない、全方向から聞こえる不思議な声だ。
『うっせーな、これくらいで驚くかよ。こちとら今朝から猫になってんだぞ』
銀時がいつもの調子で返せば、はあと声の主はため息をついた。
『なんと不遜な男じゃ、下品だし猫にしたことを後悔しそうだのう』
『あ!やっぱりオメーかァァ!そうだと思ったわ!勝手に何してくれてんだ!?俺が猫にされる謂れはねぇぞ!』
『たわけ者が。己のしたことも覚えておらぬのか』
『俺は、姿も見せないヤツに何かした覚えはないけど?』
暗闇に小さな塚が現れる。苔むしてシミがこびりつく石碑には【猫塚】と彫りがある。
『
(なるほど、やっぱり猫絡みか)
塚の左側から男が現れる。人間の銀時だ。酔っぱらい、ゾンビのように手を垂らして猫背に歩いている。
急にその手を口に当てると、石碑に向かって屈み込んだ。音声はないが、間違いなく口からびちゃびちゃ出している。
『わかるな?主は儂の塚にゲエーをしておる』
冷やかな口調に、猫の銀時は小さくなる。
人間の銀時は、何度もえずくと猫塚に大量のゲロをぶちまけて、フラフラと歩いて消えた。塚もフッと消える。
『儂の塚はゲエーまみれになっておる』
『あ、あーそうね。うん、結構呑んだからね』
『儂の塚が主のゲエーに汚されてしもうた・・・臭いし酸いし』
『わかったからァ!俺が悪いね!ごめんね!だけど、オメー声の割に陰湿なヤツだな!』
『cv.大塚周○氏で希望しておる』
『うるさっ!』
銀時は、罪悪感より猫塚の主の面倒さが勝って再び態度が大きくなる。
『どんな偉い猫か知らねぇが、今すぐ掃除してやるから、人間に戻してもらえますかー!?』
『それは無理じゃ。それより、儂の事が知りたいとみえる』
急に嬉しそうな声に銀時はかぶりをふる。
『知りたいのはオメーじゃなくて、人間に戻る方ぅう!つーか今無理っつった!?』
暗闇に獣が現れる。牛ほどもある丸々肥った赤茶けた毛の不恰好な猫だ。
『全盛期の儂じゃ。この辺りでは大猫の化物として儂を知らぬ者はおらんかった』
大猫が村人を襲い、田畑や民家を荒らす様子が流れる。
『村人の困った顔が楽しくてのう。悪さが過ぎて、ある日儂を退治しに力のある僧侶が来てしもうた』
そうだろうなと銀時は頷く。僧侶と大猫は妖怪退治漫画よろしく戦っている。
『五日の激闘の末、遂に退治されてしもうた。が、僧侶は儂を懇ろに葬り、そこに塚を建ててくれた』
盛り立ての土に、先程より字の見易い石碑が現れる。
『しばらくは、村人も花など添えておったが、人も移ろい、今は所以も忘れ去られ、お主のような愚か者にゲエーをぶちまけられる始末じゃ』
悲しげな声は、再び塚にゲロを吐く銀時を見せてくる。
『わざとじゃないんだって。それじゃあ、謝罪もしたし、昔話も付き合ってやったんだから人に戻してくれ。掃除して花でも添えてやっからさ』
『先ほど無理だというたじゃろ』
つんとした云い方に銀時は暗闇に目を剥く。
『無理だァ!?変えたもんは戻せるだろ!?』
『祟ったものは仕方ないのじゃ。それにその姿の方が小汚ない天パーよりずっと見目が良いぞ』
『余計な世話だよ!俺がどんな気持ちであの天パーで生きてきたと思ってんの?とっとと人間のさらさらヘアーの俺に変えて見せろよ』
『にょほほ、コンプレックスじゃの。五日の辛抱じゃ、気長に過ごしておれば勝手に戻るわい』
なぜ五日かと訊ねれば、僧侶が退治にかかった日数だと答えた。周囲の闇が白んでくる。
『そろそろ目覚めのようじゃ。ひとつ忠告してやろう。五日の間に万が一この地域から出たら、主はたちまち消滅するぞよ』
「はっ!?」
寺の鳴鐘で目が覚めて、日の陰った濡れ縁を見渡す。
(いまのは・・・つーか俺、祟りにあってんのか)
原因もわかり、五日で戻ると知って銀時は気が抜ける。ならば大人しく此処で日数を消化するだけだ。
水が飲みたい。
散策がてら、トツトツと廊下を歩いてゆけば、数人の隊士が銀時に気付いて、猫だ猫だと取り囲んだ。銀時にしてみれば、むさ苦しい黒い壁だ。
(五日か・・・なにかっちゃ構われてめんどくせーな)
「噂はほんとだったか。まさか屯所で猫を飼うことになるとはな」
「沖田隊長のお気に入りの猫だ」
「洋風な毛をしてる」
フワフワの毛につられて隊士たちは手を伸ばす。
撫で回されて手垢を付けられるのは真っ平御免だと、銀時はぬるりと隙間から抜け出すと「愛想がねぇ」「たいして可愛くもない」途端に悪口を云われ、不機嫌に尻尾を激しく振った。
「あ、いたいた」
前から沖田がやって来る。ポケットから手を出して腿を叩いてみせる。
銀時が近付いて「にゃお(水が欲しい)」と伝えれば、「晩飯だぜ」と歩き出す。食堂に行くのなら水も飲めると銀時は素直についていった。
その姿に隊士たちは、「随分懐いている」と少し羨ましく、また猫の気持ちもわかるような気がした。若年で一番隊隊長を務める沖田の格を猫も理解しているのだろうと。
食事時の食堂は賑やかで、足元に気付かない隊士に蹴られないよう沖田の脚にぴったり付いて歩く。
「今日は煮魚か。おい、ねこまんまと小皿に煮魚分けてくれィ」
給食担当から膳を受け取って席につく彼の横に飛び乗る。二足で卓上を覗けば、ねこまんまと煮魚が置かれていた。湯飲みに水も入れてある。これはもう食卓に乗って食べろと云うことだと、銀時は洋卓に上がる。
水をピチャピチャやって、あぐりと煮魚を食い込むと、沖田が横目で「骨に気を付けな」と声をかけてくる。銀時はバキッと骨を砕いて見せて無用な心配だと教えてやった。
不意にバシッと音がして、飴色の頭が揺れる。
「アホか。食卓に猫を乗せんな」
平手をふった土方が沖田を睨み、銀時を殊更に睨みつけると、肘で銀時の胴を押して落としにかかる。銀時も卓上に転がると手足を突き出し抵抗する。鋭い爪を振るう猫に土方も躍起になる。
「この、バカ猫ッ。退けっつーのがわかんねーか!」
ガチャガチャと膳が跳ね、バサバサと毛が舞い、湯飲みが倒れる。
沖田以外の隊士はこの食卓から距離を置き、猫が悪いのか上司が心ないのか小声で議論していた。
「土方さん、旦那とみたら喧嘩してガキじゃねえんだから。場を弁えろィ」
沖田のやれやれ声に「そうだぞ、トシ。猫相手に」いつ来たのか近藤も乗っかる。
「俺が間違ってるの!?」
土方は叫ぶと、舞う毛を吸ってしまい、くしゃみをした。
「いやいや、俺だって食卓に猫を上げるのはどうかと思うけどな。おまえが騒ぐと猫も暴れるじゃないか」
云われて見れば、食卓は荒れ、ボサボサの猫が転がっている。
たかが猫相手に、と土方も決まり悪くなる。それもこれも、この猫が、いけ好かない万事屋に似ているせいだ。沖田が【旦那】なんて名前を付けるから余計に気に入らない。
(俺がオメーでも同じ事するけど今は立場が違うから、悪く思うな)
近藤に諭されて黙ってしまった土方に銀時はゆらりと尻尾を振って見せた。
「総悟、旦那さんにはおまえの部屋で食って貰え」
「へぇい」
近藤が腕組み苦笑いする。
「全く、万事屋並みに曲者だ」
沖田の部屋で残りの夕飯を食べた銀時は、畳に転がっていた。
(あの化猫の言葉を信じてのんびり猫生活してていいのか?まあ、だからって戻る手立てもねぇし)
二つの考えが、小さな頭をいったりきたりする。
「旦那」
風呂から戻った沖田が寝間着で隣に転がってくる。湯上がりの体が発する湿気に、銀色にも見える白毛が浮き上がる。
(猫になっても天然パーマなんて因果だぜ)
フシュと鼻を鳴らす白猫を、沖田は琥珀色の瞳で眺める。
動物のなかで一等、猫が好きだ。勝手気儘で自由なところが自分と似ていて気楽にいられる。
犬などは構ってやらなきゃ申し訳ないような気持ちになるし、忠犬なんて気まずい。沖田にとって猫は可愛がるに都合がいい。
高い場所から見下ろして、我関せずと澄ましていると思えば、己の都合ですり寄ってきて甘えてみせる、しなやかでしたたかな姿に手懐けたくなる。同時に手強いままでいて欲しい、そんな沖田の癖に刺さる生き物だ。
あとは単純に手触りや形が好みで、今のように眺めていても飽きない。
これらは、目の前の旦那の由来となった彼にも云えることだ。
(俺の寝床はどこですか)
銀時は自分を見つめる、なにも考えてなさそうな男の鼻をチョイと前足でつついてやる。
沖田は、きょとんとしてから、「やりやがったな」と指先で銀時の濡れた鼻先をつついた。
銀時に座布団を与えて、沖田が寝床を敷いて、ぶら下がる電気の紐を引く。
途端に暗くなる筈が、猫の目は光を拾い、よくみえる。合わせて、廊下の足音や話し声、庭先の虫、屯所前の道の通行までも、大きな耳は拾う。銀時の瞳は爛々としてくる。
さらに便意もやって来て、厠を見つける必要がある。猫になったからと、庭先を掘って排泄する気分にはなれない。のそりと身を起こすと、襖の縁に手を引っ掻け、頭ひとつ分の隙間から廊下へ出た。
不本意だが、尿臭を辿れば、厠を見つける事ができた。個室に扉の下から潜り込む。鍵をかけられないのは仕方ない。
(おっ、とと)
銀時は便座に飛び上がると、壺に落ちないよう踏ん張って位置を定める。
(猫でも人間の便所が使えるっつーのは発見だな)
困ったのは、ちり紙だ。カラカラカラカラ、ローラーは回り続け、立てた爪でぼろぼろになった紙が床に溜まる。仕方なく、その紙に尻を擦り付けておく。
スッキリして厠を出る銀時に、坊主で髭面の巨漢が道を開ける。
「おっ!驚いた、件の猫か。夜の探索か?」
廊下に消える白猫をからかって、原田が入れ違いに入った個室は猛烈に臭かった。
翌朝、土方はすでにイラついていた。猫連れの沖田を見るなり詰め寄る。
「原田から聞いた。猫が厠を使ってんのはどういう了見だ?こいつ猫だよな?化け猫じゃねーのか?」
沖田は面倒くさそうに首を振る。
「寝ぼけてたんじゃねーですかィ?ほんとに使ったとしても糞の始末をテメーでしてんだから、いいじゃないですか」
「不衛生極まりないわ!挙げ句に、すげえ臭いだとよ」
足元で聞いていた銀時は首をかしげる。
(流したのに?猫の糞尿の臭さは侮れねーな)
敏感な嗅覚は己の糞尿には働いていないようだ。
「便所掃除ならウチの隊が当番じゃねーですか。うちにゃ隈無が居んだから心配いらねーや」
「知らねーからな、絡まれても」
土方は肩を怒らせ去っていく。あれほど毎日怒れば血圧はとんでもないだろう。
案の定、潔癖症の一番隊隊士・隈無清蔵という男が磨き上げたが、銀時によってすぐに同じ状態に戻る。
日に何度も繰り返されるいたちごっこに「ネコが使用したトイレを人が使うことのほうが間違いだ」と、一番手前の個室には【猫専用】の貼り紙がついた。