邪気を払う、それが既に邪なのである
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二月三日。節分。
立春の前日である今日、日本では邪気を追い払う儀式を古くから行っている。豆撒きしかり。恵方巻きしかり。
例年、それらの儀式を律儀にする家庭は少ないのではないだろうか。私の場合、過去を遡ってみれば幼稚園で鬼に扮装した先生方に泣かされたのが最後である。それに二月と言えばデパートやコンビニ、テレビなどで嫌でも視界に入るのがバレンタインである。早い所では一ヶ月以上も前から特設コーナーを設けていて、チョコレートの甘い匂いとお菓子業界の策略だと知りつつもチョコに群がる乙女達の独特な雰囲気が漂うそれは、節分を圧倒している、とまぁこれは私の勝手な解釈であり、つまり何が言いたいと言うと私は節分に大した思い出もなければ特に関心もない。
しかし、この世界の時代設定は現代ではない。
「うぅぅ……寒い…ぃ…。」
明日が立春と言えど気温は春とは程遠いものである。しかも、すぐ近くには海があって荒れ狂う波音が騒々しく辺りに響き渡り寒さは倍増する。今日の海は大時化だ。私にはそれが何かを予兆するものだと思わずにはいられなかった。
「そんなに震えてどうしたんだい名前?あぁ、さては武者震いだね。」
「違いますよ!寒いって言ってるじゃないですか!」
「いっそ、後ろにある海に飛び込んでみたら清々しいかもね。」
「死んじゃうんですけど!清々しく死んじゃうんですけど!凍死とか以前に荒波に飲まれて死んじゃうんですけど!何ですかその発想!」
「逆転の発想だよ。」
「逆に死んじゃうんですけど!」
ここ、四国の土佐には西海の鬼が居るらしい。鬼というなら私のすぐ隣にも居ますけど。わざわざ、私達がここまでやって来たのは節分の今日、豆撒きで邪気払いをするためだ。因みに約束などしてない。奇襲同然である。この人のことだ、表向きは節分に肖ったものと思わせておいて、恐らくはそのまま四国を制圧するのが魂胆であろう。まぁ、裏だろうが表だろうが迷惑以外の何物でもない訳ですが。表裏一体の迷惑である。
「てか、半兵衛さん。何だか向こうの方が騒々しいんですが。」
こちらが節分という名の奇襲をしかける前に西海の鬼がいると思わしき砦からは爆音が轟いていた。
「どうやら先客がいるようだね。」
「…どうするんですか?」
「決まっているだろう。西海の鬼には鬼らしく討ち滅ぼされてもらう。」
「あなた、節分って何なのかわかってるんですか?どこぞの桃太郎じゃあるまいし。」
「君は僕を馬鹿にしているのかい?」
「いや、そんなつもりは…。」
「いいだろう。鬼の前に君に僕の恐ろしさを思い知らせてあげよう。」
「ま、間に合ってます!三百六十五日二十四時間年中無休で思い知らされてますから、や、止めっへぶん!!!!」
言葉虚しく、私は半兵衛さんに腕を掴まれ、素早い動きで足を払われて、そのまま私の体は勢いよく砂浜の上に倒れた。痛い。固い地面よりはまだ痛くはないかもしれないが痛い。しかも、口に少し砂が入った。
その時、何かが落ちてくるような音がこちらへ近付いて来ると思った途端、先程とは比にはならないくらいの爆音と共に砂塵が辺り一面を包み込み、私は思わず眼を固く閉じた。耳も塞ぎたかったのだが、両腕ともに半兵衛さんに押さえられ、けたたましい音は脳髄にまで響き渡った。拷問である。
やっと残響も静まり、ゆっくりと立ち込めていた砂塵が徐々に消える中から一つの影が揺らいでいた。そこから現れたのは身の丈ほどある錨を担いだ銀色の髪の眼帯をした紫な人だった。海の様に深い青色の瞳が半兵衛さんを捉えると、その人はあからさまにしかめた表情をした。
「げっ、てめぇは。」
「やぁ、元親君。久し振りだね。」
「豊臣が何しに来やがった!」
「今日は節分だよ。勿論、豆撒きをしに西海の鬼と呼ばれる君の所までわざわざ来たんだ。有り難く思いたまえ。」
有り難迷惑である。というか、やはりただの迷惑である。親切心などありもしないのによくもいけしゃあしゃあとそんなことが言えたものだ。それにしても、この人が半兵衛さんが言っていた西海の鬼か。いや、迷信などの類を信じる方ではないのだが、何故だか私は少し意気消沈した。
「何で俺ん所に来るんだよ!」
「鬼と名乗るということは節分に豆を投げつけに来て下さいと言ってるようなものだよ。」
無茶苦茶な理論だ。なんて自己的な理論であろうことか。物事を自分の都合よく解釈するのはこの人の悪癖だ。
「俺はどんだけ被虐的なんだよ!そんなら薩摩に行きゃいいだろ!」
「考えてみればわかるだろう。薩摩より四国の方が近い。それに今の発言は鬼の異名を捨てるとも聞こえるけど、どうなのかな?」
「だから―」
「つべこべ言わず、豊臣に下るか四国を寄越せばそれで良いんだよ。」
本音が!本音が吐露されちゃったよ!てか、何ですかその選択肢!選択肢とみせかけて選択肢じゃないですよ!
「おまっ、それ俺に何の特があるんだよ!」
「お喋りはここまでだよ、元親君。」
そう言うや否や、金属音を立てながらどこからともなく手にしたのは時代錯誤な重火器。その砲口と思わしき命に関わりそうなものが出そうな先端部を鬼に向けた。
「なっ!?ちょっと、待」
「はい、鬼は外。」
機関銃のように小刻みに弾丸が発射されるそれは連射性と殺傷力が優れたものであるのが一目瞭然であった。人だろうが鬼だろうが喰らえば一溜まりもないだろう。
「なんてもん持ってんだよ!」
「ただの豆鉄砲だよ。」
「んなわけねーだろ!子供が泣くわ!」
「よく見てみなよ。ほら。」
「ちょ、眼を狙うな!」
繰り広げられる殺戮の節分の光景を私はただ見ていた。鬼と名乗ってくれる人がいなかったらもしかしたら私があの重火器の餌食になっていたかもしれないと思うと戦慄せずにはいられない。私はあの鬼と名乗った人に感謝した。ありがとう。そして、さようなら。
「そこの貴様。」
非情にも、私の代わりに犠牲になった人に向けて心の中で合掌をしていると不意に声をかけられて顔を横に向けると、いつの間にかそこには緑の人が凛と直立していた。切れ長な瞳から注がれる射貫くような視線に一瞬私は大気の温度とは別の意味で凍りついた。
「わ、私です、か?」
「そうだ。」
しどろもどろに尋ねると緑の人はつかつかと歩み寄って来る。私は逃げることも視線を逸らすことも出来ずにその場で固まってしまっていた。
「名をなんと申す?」
「え、あ、…名前です…。」
緑の人は私から視線を外すことなく見詰め続けながら、私の両手をとると自分の両手で握り締めた。手がとれるほど近い距離なのに無駄に端正な顔を必要以上に近づける理由はなんであろうか。
「我が名は毛利元就。」
「は、はぁ…。左様でございますか。」
「我の元へ嫁ぐ気はないか?」
「はいぃ!?」
予期せぬことの連続に驚愕すると同時に毛利さんは私の手を離し、すっと身を引いたかと思えば目の前を高速で何かが通り過ぎた。その何かが飛んで来た方向を見ると半兵衛さんがあの重火器をこちらに向けているではないか。あれ?安心とかしていたけどあの人は鬼もろとも私を殺す気なのであろか。鬼もろとも私を討ち滅ぼす気なのであろうか。
「先にここへ来ていたのはやはり君だったんだね、元就君。うちの子を誑かすような無粋な真似は止めてくれないか。」
「誑かすとかどうこう言う前に私さっきあなたのおかげで命の危機に晒されたのですが。」
「…貴様、豊臣の者か。」
「いや、豊臣の者と言うか何と言いますか……。」
「彼女は僕の物だよ。」
「人として数えてくれない人の所有物になった覚えはありません。」
「貴様を消せば問題なかろう。」
「いや、それもどうかと思いますよ!大いに問題があると思いますよ!」
半兵衛さんはやれやれと言わんばかりに首を振り、大袈裟に落胆する仕草を見せた後、あの重火器を再び構え直し、標準を毛利さんに合わせた。
「少し予定外だが、君の邪気も払ってあげるよ。何、今日は節分だ。遠慮はしなくていい。」
戦国の歩く邪気が何を言うか。邪気を除去すると同時に自分の存在まで除去されるなら誰だって遠慮するわ。そもそも半兵衛さんが邪気払いだなんて自殺行為である。何せあの人は戦国の歩く邪気だから。邪気が邪気払いだなんてとんだお笑い種だ。
「下衆な物言いを。ならば我が直々にこの手で貴様の邪気を貴様ごと滅ぼしてくれようぞ。」
この手というその手の内にある重火器は何ですか。何か半兵衛さんの持ってるのと酷似しているのですが。何なんですか。流行ってるんですか、それ。私が流行に乗り遅れているんですか。いや、人の命を奪う物なら流行になんか乗りたくない。それと「貴様の邪気を貴様ごと滅ぼす」というのは重複している。何せあの人は戦国の歩く邪気だから。
そうこうしてる内に邪気に塗れた二人の節分大戦争が始まった。
「ったく、参ったもんだぜ。」
気付けば隣にはさっきの紫の人が居て吃驚した。全身、痣や血だらけで更に吃驚した。ていうか、生きてたんですね。よく生きてられましたね。
絶句していると、なかなか背丈の高い紫の人は私を見下ろし、目があった。
「あんた。」
「は、はい。」
「竹中と一緒に来たみてぇだったが、あいつの嫁さんか?」
「違います。嫁とか以前にあの人は私を人間として扱ってくれません。」
「……あんたも苦労してんだな。」
紫の人から同情の眼差しを向けられる。何故だろう、初めて逢ったこの人と私は似た者同士だと感じるのは。他者に虐げられる可哀想な気配を感じるのは。
「…あなたが噂の西海の鬼なんですか?」
「おうよ!鬼ヶ島の鬼ってぇのはこの俺、長曾我部元親のことよ!」
「………人間なんですね。」
「ちょ、なんでそんながっかりした顔すんだよ!?」
「…いや、別に。」
私は知っている。長曾我部さん以上の鬼の存在を。最早、あの人は人間ではない。
「あんた、腹減ってねぇか?」
「何でですか?」
「今日は節分だろ?恵方巻きがあんだが食わねぇかい?」
その節分のせいで今日が厄日なったとは思っても口にしたりはしなかった。そんなことをすればこの場がしんみりしてしまうのは安易に予測出来たからだ。
「あー、じゃあ折角なんでもらいます。」
私の言葉に長曾我部さんは嬉しそうに笑うと担いでいた錨を下ろして足をかけた。何をしようと言うのだろうか。まさか、その錨で空を飛ぶなんてことは。
「じゃあ、ちょっと待ってな!すぐ戻ってくっから!」
そう言葉を残しながら、長曾我部さんは錨に乗って砦の方へと行ってしまわれた。そんな姿を見て私はなんて便利な錨なんだろうと思った。そして、あんな便利ものが流行れば良いのに、あんな人の平和を脅かすものではなく、と心底思いながら未だに節分大戦争を続ける二人の姿を見る。
「っと!待たせたな!」
颯爽と上から飛んで来たのは先程、砦に恵方巻きを取りに行ったはずの長曾我部さん。手に持ってる皿には恵方巻きが一本。
「早ッ!!!!はっや!!!!早過ぎでしょ、どう考えても!全くと言って待っていませんし!てか、結局飛んだし!飛ばないと思わせておいて飛ぶこの裏切り!」
「細けぇことは気にすんな。ほら。」
恵方巻きの置かれた皿を差し出され、困惑が消えぬまま戸惑いつつも、この世には不思議な事がたくさんあるんだ、いちいち気にしてはこの世界、いや、あの鬼の下では生きていけない、と自分に言い聞かせて恵方巻きを手にした。
確か恵方巻きはその年の恵方を向いて願い事を思い浮かべながら食べる、ものだったはず。
「えーっと、今年の恵方はどの方角なんでしょうか?」
「あー………多分、あっちだったと思うぜ。多分。」
信憑性が極めて低い!多分って二回言いましたけど本当に大丈夫なのだろうか!?たかが恵方巻き、されど恵方巻き!私がこの恵方巻きを食べながら願うことはこれからの私の人生がかかっていると言っても過言ではない!てか、恵方巻きを用意していながら恵方を知らないなんて何故恵方巻きを拵えたのか些か疑問である。
しかし、他に知る術もないわけであるからして、私は長曾我部さんを信じるしかなかった。
大きく口を開けて私は恵方巻きにかぶりつく。
「おっ、いいかぶりつきっぷりだねぇ!」
あまり、大口を開けてものを食べてる所を恥ずかしいので見られたくはないのだが。長曾我部さんは何故、自分の分を持っては来なかったのだろうか。
そんな小さな疑問を抱きつつも私は黙々と恵方巻きを食べる。
「そーいやぁ、恵方巻きを食べる時は喋っちゃいけねぇことを知ってっか?」
その問いに私は首を頷くほか、答えることは出来なかった。黙って食べることを知ってるからこそ感じる謎なのだが、喋ってはいけないのに長曾我部さんは何故、問いを投げかけてくるのだろうか。嫌がらせである。
「知ってんのか。なら、いいけどよ。」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「布団が吹っ飛んだ。」
「…………。」
「虫は無視。」
「…………。」
「猫が寝ころんだ」
突如として、長曾我部さんの駄洒落メドレーが始まった。恐らく、黙って食べる所を笑わそうとしているのだろうけど、言うに事を欠いて何と程度の低い駄洒落の数々だろうか。黙って聞いていたら大口を開けてものを食べる所を見られるよりも恥ずかしくなってきた。次の駄洒落を考えていた長曾我部さんだったが、冷めた空気を察してあたふたとしだし、「何か、もう、すんません!」と「忘れて下さい!すいやせんでした!」とか謝罪しまくっている。残念なことに今の私には許しの言葉をかけることはできない。できるのは長曾我部さんに失望の視線を送ることだけだ。私は続けて恵方巻きを頬張った。
「……なぁ。」
後、二口、三口で食べ終わる時。過ちを繰り返そうというのか、またもや長曾我部さんが懲りずに話しかけてきた。次はなんだ、「内臓がないぞう」とでも言ってくるのだろうか。
「あんた、そうやって食ってたらすっげぇやらしい顔してんだけど。」
「バッハァ!!!!」
長曾我部さんの衝撃的な発言のせいで私は恵方巻きを吐き出してしまった。恵方巻きは私の願いと一緒に砂浜に埋もれた。いきなり、何てことを言うんだ!そこまでして私の願いを阻みたいと!?そこまでして笑いをとりたいと!?笑いこそはしなかったけれど、どうです!?あなたのお望み通りになりましたよ!良かったですね、この野郎!
盛大に噎せ返る私を見て、さっき以上に長曾我部さんは慌てふためいている。
「ッガハ!…ゴホッゴホッ…ゲホッ!」
「お、おい、大丈夫か、オゲボッ!!!!」
長曾我部さんの気遣う台詞は勢いよく乱入してきた毛利さんの腕がもろに首元に食い込む、横文字にすれば華麗なるラリアットによって不自然に途切れた。完全に油断していた長曾我部さんは砂浜に倒れる。毛利さんは無抵抗の長曾我部さんを容赦なく踏みつけた。
「貴様ぁ…よくも我の将来の正室に下卑たことを言えたものよ。」
「…ま゛…待て、ちがっう…―」
「あのようなことを抜かして何とするつもりであった?貴様のことだ、名前の食べる姿を見て疚しいことを想像したのであろう。流石は年中、乳首を曝け出しているだけはあるな。胸が悪くなる。鬼は鬼らしく現し世の外へ出て地獄へ落ちろ。」
「な!そんなこと考えねぇし!お前の方がよっぽど、やらし」
「死ね。」
「ぎゃあああああああああ!!!!!!!!!!!!」
目を覆いたくなる鬼退治の惨状を私は無謀にも止めようとした。
「ちょっと、それ以上は死―っ!」
仲介は敵わなかった。それは突如、後ろから伸びてきた腕が私の首にするりと絡まり、がっちりと固定されたからだ。
「何処へいくんだい?」
ほ、
本 物 の 鬼 が …
「は、は、んべ…さ…。」
「初対面だというのに元親君と随分、楽しそうにしていたじゃないか、名前。」
耳元で囁かれる声はいつもとくらべ幾分か低いのがわかった。顔が見えない分、込み上げてくる恐怖は増していた。
「そそんなことはないですよ!」
「君が他のやつと睦まじくしているのを見ると苛々するのだよ。」
「そ、そ…れ、は、すみま、せん。」
「どんなのだったんだい。」
「な、にが…。」
「名前のやらしい顔。」
ぞくぞくと寒気を感じた。これは確実に今までとは違う危機的状況である。命の限りの精神的、肉体的の暴力なのではなく、じわりじわりと少しずつ確実に追い詰められる侵蝕されるような感覚。私はどう対処していいのか皆目検討もつかなかった。いや、それは今までも同じだが。
「そんな顔してません。」
「元親君には見せて僕には見せられないのかい?」
「そん、そんなもの見たってなな何の足しにもならないです、よ?」
「それは僕が自分の眼で見てから決める。」
「いや、だって、その……あの……。」
必死に逃げ道を考えても、鬼はそれを許さなかった。尋常じゃない冷や汗が全身を伝う。この現状を打破できる策が思いつかない。その間にも私は邪気に飲み込まれていく。
もう、私にできることは崇めてもいなければ、存在するかもわからない神様に祈ることだけであった。
「わかった。」
私が神様に助けを求め願っていた時、願いを聞き届けてくれたのか、奇跡的に鬼から邪気が消え去ったかと半兵衛さんが溜め息を吐きながら言った言葉に私は安堵した。
「僕が自分の手でそうさせるから。」
振り返って見えた鬼の表情は至極、悍ましいほどに妖艶だった。
鬼はいても神様なんていない。
邪気を払う、
それが既に邪なのである
(鬼は内へ、福は外へ。)
MANA3*100204
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