無彩色の畸型
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白い壁に白いベッド。少しだけ開かれた窓から入り込んだ微風に揺れて波打つ、白いカーテン。実に清楚で実に殺風景な光景。それが現在の僕の存在する世界だ。病に体を侵されていた僕は数年前から都内の病院の一室に篭っていた。一人部屋の病室の中はやけに広く感じて、清潔感と虚無感に満たされた異常を来しそうなまでの部屋の白さがより一層、そう感じさせるのだった。外に出る事もままならず、行動を制限された僕はとても穏やかにこの世界の様に色褪せた日々を送っていた。療養する為にここに居ると言うのに心まで病に蝕まれて気が狂れてしまうのではないかと言う不安はいつだって脳裏に過ぎる。そんな毎日に変調を齎したのは彼女の存在だった。
「学校に行かなくて良いのかい?」
窓の側に立つ彼女は硝子の向こう側の景色を眺めていて、少し間をあってからぼんやりとした顔をこちらへと向けた。たった一枚隔てた窓の向こう側は青々しい空が広がっており、真下には枝先に垂れて咲く花は既に散ってしまったであろう馬酔木が植栽されている。
「あ、何か言いましたか?」
質問が聞き取れなかったらしく、彼女はきょとんとしながらもすまなさそうな様子で聞き返す。再度、僕が尋ねれば、今度はちゃんと聞こえた様で柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「良いんですよ。どうせ行っても仕方ないんですから」
彼女の答えに対して本来なら、年上として、知人として、人間として、叱責の一言でも投げ掛けるべきだろうか。しかし、僕は一切咎めようなどとは思い至らなかった。寧ろ、ただの気のせいなのかもしれないが、何処か物憂気な彼女の姿に僕の方が何だか申し訳ないと思ったほどなのだから。
「もしかして、迷惑ですか?」
言わずもがな、それは自分の事を言っているのだろう。笑顔は絶やさないものの、垂れ下がる眉毛から彼女の気持ちが汲み取れる。僕が肯定したならば、恐らくきっと、名前は今よりも眉毛を下げて寂しそうに謝るのであろう。それはそれで愛らしいと思うし、見てみたいとは思うが、嘘でも彼女を傷付ける事は言いたくはない。
「僕がそう感じているならば君は今頃、この部屋には居ないよ。寧ろ、僕が君をここに縛っていて不自由させていないかと思っているくらいさ」
「そんな事ないです。私は私が望んでここに居るんですから」
はにかんだ彼女の表情に自然と僕も笑い、心に安らぎが浸透していく。出来る事ならこの時間が永遠であれば良いのに。そう願わずにはいられない。けれども、永遠なんて存在しない。人間には限りがあり、その限りと言うのは恐らく僕は他よりも早く訪れる。それが一体いつ突拍子もなく、襲い掛かって来るのか、後、どれ程の時間を彼女と過ごせられるのか。澄んだ水に青い絵の具を垂らしたかの様に滲む憂い。だとしても何も変わりはしない。こればかりはどうにもならない。
窓の外から聞こえて来るあどけない笑い声。ベッドからでは姿が見えないが、年端の行かぬ子供のはしゃぐ様が容易に想像出来る。僕よりも幼く弱い彼等は僕よりも遠くへと行く事が出来るのだろう。僕は姿が見えぬ未来と可能性を持った子供を少なからず嫉んだ。もしも、等しく平等であったならばと。
「もしも、」
静寂な部屋の中では小さな声でも良く響く。意識を引き戻されてみれば、自信なさ気に、それでも思い切った様に名前が言った。
「もしも、半兵衛さんが元気になって、退院したら、私を何処かに連れて行ってくれませんか?」
思い詰めた表情をして何を言うかと思ったら、予想していた様な深刻なものではなく、暫し呆気にとられ、次の瞬間にはふっと吹き出して笑ってしまう。そんな僕を見て、名前は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「な、何で笑うんですか!」
「はあ、すまない。何も君を馬鹿にしている訳じゃないんだ」
そこは彼女が僕を何処かへ連れて行くと言うのではないかと思うのだが。本当に彼女は何て奇想天外で愛くるしい存在なのであろうか。笑いが止まらない自分を何とか落ち着かせる。
「僕も退院したら名前と何処かへ行きたいと思っていた所なんだ」
奇遇だね、と偶然を装えば、名前はむくれていた顔を綻ばせる。今、考えていはいなかったが、彼女と一緒にここではない何処かへ赴いてみたいと言う願望は嘘ではない。それは決して叶わぬ願いなのかもしれない。けれども、彼女の隣に居る事を願う事は罪なのであろうか。彼女との未来を想像するのも悪なのであろうか。違う。僕にとっては名前を悲しませる事が何よりも許されざる罪悪なのだ。
「何処へ行きたいんだい?」
「何処が良いでしょうか…色んな所へ行きたいです!」
名前は行きたい場所を思い描いているのかわくわくと楽しそうな様子だ。僕も同じだ。彼女と行けるのなら何処だって良いし、色んな所へ行きたい。海なんてベターであろうか。泳ぐ訳ではなく、ただ砂浜を歩くだけでも構わない。彼女が泳ぎたいと言うのならそれも良いだろう。そんなシーンを想像したら自然と顔がにやつくのが自分でもわかった。
「何にやにやしているんですか?」
不思議そうにする名前の顔と声に内心、少しだけ動揺した。どうやら内側の感情が表に出てしまった様だ。何と言う失態。僕はこれ以上、彼女に不審に思われない様に極力、平常を装った。
「何でもないよ。今から君と何処かへ行くのが楽しみで仕方がないだけさ」
「そうなんですか。じゃあ―」
彼女が何か言いかけるや否やドアの向こうから響く控えめなノックが三回。この時間帯から察すると恐らく三成君だろう。来訪者にちらりとドアを見た後に再び彼女に目を向けた。
「誰か来たみたいですね」
「ああ、そうだね」
ドアを隔てた突然の来訪者に名前は肩身を狭そうにする。三成君が献身的に僕に尽くしてくれるのは有り難いし、感謝もしているが折角の二人きりの時間に介入されるのは僕にとってもあまり良い気はしない。とは言え無論、彼に落ち度がない事は理解している。僕は以前から考えていた事を打ち明けようと彼女に声をかけた。
「もし、名前が良ければだけれど、君を彼に紹介したいんだ。」
僕の提案におどおどとしていた名前は少し驚いた後、困った様に笑った。
「駄目ですよ。折角、体調が良くなっているのに。違う病気を患ったんじゃないかって思われちゃいますから。」
やんわりと断る名前に僕はそれ以上追求しなかった。そんな事、僕は気にしないと言うのに。しかし、彼女の気遣いの裏に隠れた憂いに僕の言動はあまりにも軽率だったと後悔した。名前がそう言うのであれば誰にも言わないでおこう。時が来たら彼女の事を紹介すれば良い。それまでは名前の事は僕だけの秘密にしておく事をひっそりと心に誓った。
「失礼致します、半兵衛様」
「ああ、入ってくれ」
緩やかに開けられたスライド式のドアの向こうから現れたのはやはり三成君だった。彼は律儀に一礼してから部屋に踏み入れるとふと周囲を見渡した。
「どうかしたかい?」
「い、いえ。不躾に部屋を回視してしまい申し訳ありません。ただ部屋の外から半兵衛様の話し声が聞こえたものですから、あなた様以外に部屋に誰かが居るのかと思ったもので」
聞き違いの様でした、と謝罪する三成君に僕はただ口元を緩めるだけで何も言わなかった。きっと、名前の事を話す日は来ないだろう。それは悲しい事なのかもしれない。しかし、その存在を知るのはただ一人で構わないとも思った。僕がそう考えたと知れば彼女は悲しむだろうか、喜んでくれるだろうか。瞬く間に色褪せるこの狭い世界で、僕は胸が痛い程に現実を痛感させられた。
無彩色の畸型
(誰しもが正常に歪んでいる)
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病院に入院している半兵衛サンと既に死んでいる、若しくは半兵衛サンの妄想の女の子の話。ただ単に窓から脱出したでも可。幾つか解釈出来ると思いますが死んでいるつもり。因みに馬酔木の花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」だそうです。後付けです。
MANA3*140703