近くて遠い相互関係
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それは聞き慣れない歪な音だった。しかし、とても不快で精神的に害を及ぼす耳障りなものであるのは確かで。それが一体何なのかと言う疑問は持たなかった。私はその軋む音、音が響く空間に孕んだ異質さに恐怖していた。何故ならその音は人体から轟いていたからだ。骨が折れたのか、内蔵が潰れたのか、それとも別の何かが、或いは全てが、何にせよ、身体に異常を来しているのは瞭然していた。初めは劈く悲鳴を上げていたそれも今はやけに静かになりぐったりとしている。
「……あ…あぁ…や…やめ……やめ、て……。」
あまりの凄惨な光景に体は竦み上がり、やっとの思いで出た言葉も相手には届かない。歪な音はまだ鳴り止まず、どれだけ強く手で塞ごうとも耳に木霊している。耳にする奇怪な音も、目に見える赤黒さも、生々しい臭いも、肌に感じる感覚も最早、こびりついてしまって離れない。着実に私の心に刻まれていく見るも耐えぬおどろおどろしい傷痕。彼を諌止出来るのは私一人だけ。がくがくと震える足で何とか立ち上がってままならない足取りでふらりふらりと蹌踉けながらも近寄り彼の腰に半ば倒れ込む様にして縋り付く。その瞬間、忽ち音はぴたりと止んだ。
がくがくと震えが収まらない体を温もりがそっと包み込む。私を抱き締めるその両腕は慈愛を満ち溢れているが同時に猟奇も渦巻いていた。未だに戦慄は消え去ってはくれない。
「大丈夫だよ、名前。もう心配はいらない。君を誑かしていた愚かな男には僕が罰を与えたから。二度と君に近付いたりしない様にね。これで名前も安心出来るだろう?」
それはとても穏やかで優しい声だった。だが、違うのだ。今、床に倒れている男は友達なのだ。本当にただの友達で誑かすなんてそんな事を仕出かす人では決してない。しかし、何を履き違えたのかこの人はそうは思わなかったらしい。この人がそう言った勘違いを起こし、さっきみたいな狂気の沙汰に走るのはこれが初めてではない。私に近付こうとする人間を誰であろうが無差別に目の前から全て消し去っていった。いつしか周りには誰も居なくなってしまった。この人を除いては。
「…で、でも…その人はッ―――」
言葉は彼が重ねる合わせた唇によって塞がれてしまい吐露される事はなかった。それどころか生き物の様に蠢くざらついた生々しい甘美な感触に舌も思考も搦め捕られて溶かされてしまう。微かに隙間から漏れる唾液が混ざり合う音と熱い吐息が何ともいかがわしく私は背徳感に押し潰されかかっていた。
離れていく唇と唇の間には透明な糸が弛み、ぷつりと切れる。次に彼の顔を拝んだ時は無表情ながらも静かに激しい怒りを虚ろな瞳から犇々と感じとった。
「僕がいつ他の奴を気にかけて良いと言った、名前。」
有無を言わせないその重低音は肉体を傷付けはせずとも私の精神を抑圧するには十分であった。絶望に心臓を鷲捕まれた感覚に陥り声も出ず、呼吸がままならない。目の焦点が合わずに霞んで歪む視界。苦しくて、苦しくて、苦しくて、拒んでも、抗っても、嘆いても、逃れられない。この人から、度し難く禍々しい悪徳から。情の篭らない瞳から視線が離せずにいると彼は口元を緩く吊り上げて笑ってみせた。しかし、その細く開けられた目は一切笑ってなどいなく甚だしく澱んでいた。
「名前は優しいね。優しい君は好きだよ。けれども君の感情も、頭から爪先に至るまで、髪の毛一本残らず僕のものだ。その優しさも僕だけに向けてくれないか。そうでないと僕は気が狂れそうになるんだ。もう君なしでは僕は生きていけない。名前が存在しない世界なんて考えられない。だから君も僕に縋らなければ駄目な程に落ちぶれて弱くなってくれ。僕にどうしようもなく依存して。僕と一緒に生きて、僕と一緒に死んでくれ。」
私を逃がすまいと両腕で強く閉じ込めるこの人はいつから異常に胸を食い破られ、脆く心のバランスを崩してしまったのだろうか。たった一人でも十分に生きて行ける人なのに私の様な何の取り柄もないたった一人の人間なしでは生きて生けないと弱音を吐く。私がこの人の人生と人格を滅茶苦茶に壊してしまったのか。心配しなくともそれは取り越し苦労と言うものだ。私にはどんなに狂っていてもこの人しか縋る人が居ない。そうさせたのは他でもないこの人自身だと言うのに。屈折した私達の関係。綻びが生じた原因が私の存在ならば私は贖いをしなければならない。本当に罰を与えなければならないのは私の方だ。私にとって唯一の、世界でたった一人だけの存在へ廃滅的に呟く。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。」
近くて遠い相互関係
MANA3*121013