変わらぬ景色で朽ち果てる
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ぱちっと瞼がしっかりと開く。私は眠っていたのだろうか。その割りには意識ははっきりとしていて瞼も軽い。ここは何処なのだろうか。見渡してみればそこは見知った馴染みのある場所ではなく何もない白い空間。何処までも、果てしなく続く真っ白な景色。虚しいその無彩色は何故だか私に言い知れぬ不安を覚えさせる。その色はいとも容易く私と言う存在を飲み込み、消してしまうのではないかと。そんな中で私が見付けたのは大好きなあの人の背中だった。
「……半兵衛さん…。」
呼ばれたその人はこちらへと振り返る。嗚呼、やはり半兵衛さんだ。何処かもわからない何も存在しない空間にあの人が居ると知っただけで私の不安は霧の中から抜け出した様に晴れていく。安堵から自然と顔が綻ぶ。
「…名前…。」
私を呼ぶ声は紛れもなく半兵衛さんのもの。しかし、私の姿を目にした瞬間、何故だか、凄く驚いた表情をしていた。そんな事は気にも留めず、先に足は半兵衛さんの方に歩み寄り、一歩、一歩と近付いて、確かな温もりを求めて早く触れたいと言わんばかりに片手を伸ばす。
「来るなっ!」
焦燥が滲む声を荒げて告げられた制止。いや、拒絶、だろうか。私の足は言う通りにぴたりと歩むのを止めて動かなくなる。伸ばした手は届かないまま私は呆然と目を丸くして半兵衛さんを見詰める。どうしたと言うのだろうか。何が何だかわからないがあの人は私の知らない何かを知っているのかとても苦しそうに顔を歪ませていた。その表情、今のこのもどかしい状況に胸がきつく締め付けられる。消えたはずの不安が形を変えてさっきよりも激しさを増して押し寄せて来る。
「……半兵衛さん…どうして―」
「どうして君がここに居るんだい、名前。」
私の台詞を遮る様に半兵衛さんは問い掛けてきた。それは私にはわからないし、私自身が知りたい事だ。どうして私はこんな場所にいるのか。それにどうして半兵衛さんがここに居て、何よりもどうして半兵衛さんはそんなに苦しそうな表情で私を拒むのかも。その顔付きに私も釣られて苦しくなってしまう。目の前に、こんなにも近くに居るのに、私はただ一人取り残された感覚に立ち眩む。
「ここは君が来る様な場所ではない。」
私が来る様な場所ではないとは。半兵衛さんはやはり何か知っているのだろうか。そう推測せざるを得ない口ぶりだった。何か知っているのなら心に渦巻くこの蟠りを須く掻き出してほしい。あなたが苦しむ理由も含め全て。
「わからないんです。気付いたらここに居て、何がなんだか…。半兵衛さん、何か、何か知っているのなら教えて下さいっ。」
静寂が私達を包み込む。どれだけの時間が流れたのか、この現実味のない空間では把握出来ない。まさか、これは夢なのだろうか。だとしたら答えなんてものはなく、このやり取りも恐らく無意義なもの。しかし何だろうか、この得も言われぬ感覚は。半兵衛さんは何かを考えていた様に閉じていた目を開いて硬い表情を解き、嫣然と笑ってみせるが、私を見据えるその瞳は未だに憂愁が孕んでいた。その矛盾が示すものは一体何なのか。
「名前、そのまま僕の話を聞いてくれ。」
私は何も言わずに神妙な面持ちでいると、半兵衛さんはゆっくりと話し始める。
「君は僕とは違う。過去の柵に捕われて立ち止まり、後ろを振り返ってはならない。そんな事で君の大切な時間を無駄にするのは間違っている。君は君の道を未来に向かって真っ直ぐ前へ進み続けるんだ。君は自由なんだ。限りない可能性がある。その人生を全力で生きたまえ。君には幸せになってずっと笑顔でいてほしい。僕は君の笑顔が、君が好きだから。」
半兵衛さんがそう告げた途端、私の足元にこの空間とは真逆の黒く大きな穴が生まれ、立つ場所を失った足はがくりとバランスを崩し、体は穴へと飲み込まれ落ちていく。嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ!私はまだあの人の側から離れたくない!私からあの人を引き離さないでくれ!落下から手足を動かし藻掻いて抵抗しようとも、張り裂けそうなこの思いを叫びたくても、何もかもが思い通りにならない。その間にも私は無情に落ちていく。
「さよなら、名前。君とまた逢えて、嬉しかったよ。」
最後にそう告げた半兵衛さんの表情は笑っていて、最後の最後まで悲しそうだった。
「……―ッ、名前!!!!」
誰かが私を呼ぶ声にゆっくりと瞼を開けると外の光が眼球を刺激して顔を顰める。ぼやけた視界が徐々にはっきりとしたものになる。そこには天井と、それから、眉間に深く皴が刻まれたいつもより機嫌の悪そうな石田さんの顔。怒っていて、苦しそうで、悲しそうで、泣きそうなその顔容はさっきのあの人と酷く重なって見えた。
「…石田さん……私、…―」
「何故、あの様な馬鹿げた真似をした。」
私は石田さんがどすの利いた声で言う馬鹿げた真似と言うものが何を指すものなのかわからなかった。わからなくて答え様がなく何も喋らずにいると石田さんは瞳孔を開かせて私を憎悪の対象とばかりに睨み据えた。
「あの大量の薬を飲んで一体どうするつもりだった!貴様は死のうとでもしたのか!!!!」
その一言にぼんやりしていた頭の方も冴えた。そうか、どうやら私は死のうとして、それで、死ねなかったらしい。どうも、記憶があやふやではっきりと思い出せず他人事の様にしか捉えられない。死のうとしたと言うこの身はいつから布団の中で横たわってしたのか定かではないが衰弱している様でまるで自分の体ではないみたいだった。何だか今一、実感と言うものが湧かない。石田さんが私の為にこんなに怒って、心配してくれているのに。
「貴様が死ぬ事は断固として許さない!豊臣を、私を、何より半兵衛様を裏切るな!!!!」
「………半兵衛、さん…。」
殆ど、無自覚で鸚鵡返しに呟いた名前。あの人は、半兵衛さんは何処に居るのだろうか。
「…石田さん…半兵衛さんは、半兵衛さんは何処に居るんですか?」
渇いた唇から紡がれた言葉は酷くか細く掠れていた。私の質問に石田さんはさっきまでの怒りに満ちた雰囲気から一変、一瞬、愕然としながらも、それはまた憂いを帯びたものへと変わった。
「……石田さん…?」
「半兵衛様はもう居ない。」
何ともなかった深閑した部屋に漂う静謐さがやけに気味悪く感じた。その言葉の意味を理解出来ず、私は理解しようともやはり把握出来なかった。
「貴様もあの方の最期を看取ったはずだ。半兵衛様は、もう半年前に病で―」
「…嘘だ…。」
それ以上先を聞きたくないと石田さんの物悲しさが漂う弁舌を声を絞り出して遮る。嘘だ。そんなの嘘だ。そんな虚言を誰が信じるものか。私はさっきまで、そうさっきまであの人と逢っていたんだ。この目で見た、この耳で聞いた、半兵衛さんの存在を。あの人が居ないなんて、絶対に嘘だ。眠りから目覚めたばかりの軽く開かれた虚空を見詰める瞳。その瞳がじわりじわりと熱くなり、世界をぐちゃぐちゃに滲ませていき、眦からつうと生暖かいものが伝う。
「……名前。」
「…嘘だぁっ…。」
瞼を閉じて、その上から両手を重ねて世界を黒く塗り潰す。瞼の裏に映る半兵衛さんの笑顔。色褪せないその姿にどれだけ手を伸ばしても届きはせず温もりも感じない。
もし、あの時。私があなたの制止を振り切ってあなたに触れていたならば、私はあなたと永遠に一緒に居られたのだろうか。あなたにああ言われたのに、私がこんな事を考えていると知ったらあなたは怒るだろうか。まだ私はあなたを想い、前に進めず立ち止まったまま。
変わらぬ景色で朽ち果てる
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半兵衛サンが亡くなった現実を受け入れられず自殺を図った主人公があの世で半兵衛サンと再会する話。半兵衛サンはここがあの世だと言えば主人公が命を捨てでも自分の所へ来そうと思ったので詳しい事は話しませんでした。
MANA3*121007