罪と罰の連鎖
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その光景に思わず吐き気を催した。
見渡せば小石のようにあちらこちらに死は転がっていた。殺らなければ殺られる。生きるために人を殺める。そうやって命は簡単に奪い、奪われる。それがこの時代、この世界の平生だと知りつつも、私は血腥い現実に慣れることなどなかった。無益に流れる血に酷く嫌悪感を抱いた。
そして、これは私にとって、あまりにも非情であった。
「……元…な…り……さ………。」
部屋は暗く、開けた襖から光が真っ直ぐ差し込む畳とその上にちらりと覗く見慣れた若草色の隙間からどくどくと広がる赤。生々しい臭いが鼻腔と脳を刺激する。しばらく敷居越しで茫然と立ち尽くしていたが、恐る恐るふらつきながらも一歩、また一歩と踏み出す。その度に鼓動は激しさを増していった。
脳裏に過ぎる最悪の展開を振り払えないまま足の裏から伝わる生温い感触に視線を下に落とす。そのまま崩れるように地に膝をつけると赤が少し跳ねた。
震える手をそっと腹這うそれに添えながら耳を欹てる。微かな温もりはある。だが、呼吸する音が聞こえない。酷く澱む鉄の臭いに噎せ返りそうになるのを堪えたが、今にも目尻から零れ落ちそうな涙によって視界は霞んでいた。
近づけば近づくほどそれは真実で見れば見るほどそれは残酷であった。
「も、と…就さん、元就さん…元就さん…―。」
壊れたように何度も何度も呼び掛けるが返事はない。けれども、諦めきれなかった。私にはどうにも出来ないと誰かを呼びに行こうと顔を上げた時だった。
「そんなことをしても無駄だよ。」
突如、闇の中から響いてきた、まるで心中を見抜く声に体は一瞬、機能しなくなった。声が聞こえてきた方を見ると音もなく誰かがそこに佇んでいた。全貌は暗がりのためにぼんやりとしていて明らかにはならない。だが、声から察するに男であり、その口が弧を描いているのははっきりとわかった。
「………だ…れ…?」
一息に幾つもの様々な謎が浮上する。疑惑の眼差しを向けながら私は当然のことを問う。
「初めまして、かな。僕は竹中半兵衛。参謀として豊臣に仕えている。」
「……たけ…なか……はん、べえ……。」
聞き覚えのない名前だった。たどたどしく鸚鵡返ししてみても何も直感出来なかった。しかし、豊臣は別だった。頭の中で一つの仮説が浮き彫りになる。私は無意識に身を強張らせた。
「君には残念だけど、彼はすでに死んでいる。」
刹那、高鳴る心臓が止まった。私の心情を知ってか知らずか目の前の人物は物腰柔らかく、しかし、平然に、冷然に今最も恐れていることを宣告する言葉は絶望へと誘う。例えそれが真実だとしても虚偽だとしても今の私には胸を抉る行為に相違なかった。ぐらりと眩暈がし、再び吐き気を催す。男の口は変わらずに弧を描いていた。
「君の胸中は察し兼ねるよ。何故なら君は誤解をしている。」
「……誤解…?」
「君が思っているほど、毛利元就という男は善人ではないということさ。」
「……どう…いう……。」
この男の言う意味がまったく理解できなかった。唖然とする私にさっきよりも部屋の中に血の異臭が立ち込める中、男の口がさらに鋭利に弧を描くように見えた。
「彼は死んで当然だったってことさ。」
全身を駆け巡る血が沸騰した。取り巻いていた感情はすべて今まで感じたことがないほどの怒りに変わり、確証がなくとも確信を抱いた私は使うことがないと思っていた元就さんからもらった護身用の脇差を抜き、その切っ先を男の胸に目掛けて疾走する。反射的に考えるよりも先に体が動く、実に感情的な行動。私を支配し、駆り立て、取り憑くものは、生まれて初めて芽生える純粋なる殺意だった。
しかし、手にした脇差が男の胸を貫くことはなく、私は背中に走る激痛により、畳の上に倒れ込んだ。突然のことに状況が把握出来ず、味わったことのない痛みに動くこともままならず、ただ喘ぎ声をあげる。
「僕の関節剣は変幻自在の太刀筋をもつ。君の死角こそ僕の領域だ。」
憎くて堪らない声に私の殺意は促される。がくがくと熱い痛みに耐えながら私は腕の力で上体を上げ、男を射殺すつもりでぎろりと睨み上げた。
「冷静に考えてもみたまえ。大将である彼を討った僕を君のような無力な人間が策もなしに我を失って突っ込んできたところで殺せるはずないじゃないか。だけど、その無謀な勇ましさだけは褒めてあげるよ。」
身の安全を見越してか、それとも初めから隠すつもりなどなかったのか、自分で犯したことを悪びれる様子もなく皮肉を交えながら男は吐露した。膨張し続ける憎悪とは裏腹に体は言うことを聞かない。そんな私を見下ろして、相も変わらずにニヤリと笑う男に堰が切れたようにどす黒い感情が止め処なく溢れ出す。
「あああああああ゛あ゛あああああ゛あああああ゛あああ゛あ゛ああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!殺してやる!!!!殺してやる!!!!殺してやる!!!!殺してやる!!!!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!!!!!!!!」
血反吐を吐くような絶叫が部屋に響く。私が私ではない、まったくの別人と豹変したようだった。それでも私の体にも心にも受けた傷は癒えることはなく、男は未だにのうのうと生きている。それが甚だしく許せなかった。私の大切な人の命を奪っておきながら、当然のように平気で生きているこの男が許せなかった。
「僕が殺らなくても彼は遅かれ早かれ誰かの手によって殺されていたよ。」
「黙れ!!!!何も知らないくせに!!!!お前のようなやつが!!!!何も知らないくせに!!!!」
その時、僅かに空気が冷たくなった気がした。肉体的、精神的な創痍による錯覚なのかもしれない。だが、今まで嘲り笑っていた男の口角が吊り下がっていたのは間違いではなかった。
「何も知らないのは君の方だよ。名前。」
名乗った覚えない名前を呼ばれ虫酸が走る以上に、熱く疼いているはずの背筋が凍りつく。男が初めて感情を露にしたように思え、今までの笑みは偽りの表情を貼り付けた仮面を彷彿させた。至って穏やかな態度とは打って変わって、その口調は凍てついていた。有無を言わさず威圧的に戒め、底知れぬ禍禍しい情念を孕んでいるように感じた。それでも私は屈することなく、咎める睥睨を浴びせ続ける。しばらくして、何事もなかったかのように男はまた模造品のような笑いを顔に貼り付けた。
「さて、と。命乞いでもするかい?そしたら、情けをかけてあげてもいいよ?」
「っふざけるな!!!!」
「威勢がいいのも大概にするんだ。今の君に一体何が出来ると言うんだい?感情に左右され、命を無駄にするのは利口な選択ではないよ。」
この男は自分が正論を並べているつもりなのだろうか。確かに今の私ではこの男を死に至らしめることはできないかもしれない。かと言って、大切な人の命を奪い笑っている男の言うことを誰が正当化できようか。最早、私にはこの男の言うことは詭弁にしか聞こえなかった。今の私には死への恐怖は微塵もない。この男を殺せるなら命など惜しむものではなかった。研ぎ澄まされた血走る瞳で変わらず男を睨み据える。
「……そうか。それが君の答えなんだね。」
立ち尽くしていた男の足がこちらへと向かって来る。私は斬られた時に落とした脇差を拾おうと、痛みに耐えて歯を縛りながら何とか立ち上がろうとするが、それより早く、男が畳に転がっていた脇差を足で遠くへと飛ばし、私の傍らへ辿り着くと、畳と上半身の隙間に差し入れた足で無造作に蹴り上げて、私の体を横へと転がした。その拍子に背中が畳に打ち付けられ、悲鳴を上げる。仰向けにされた体の上に男が馬乗りする。その重みによる度重なる苦痛に再度、悲鳴を上げる。思わず閉じた瞼をうっすらと開ければ、そこには初めて見る、あの口元を浮かべる忌むべき男の顔があった。憎々しい対象の男の厭らしい紫色の瞳が私を見据える。
「安心したまえ。君を殺すなんて、端から毛頭もないよ。今はまだね。」
「…っ…何を……。」
不快でしかない。体を男に触れられるのが異常なほどに気持ち悪い。殺す気がないのなら何故、こうも必要以上に私に関わるのか。男の目論見が汲み取れず、顰める私に男はより一層、不気味に笑いながら襟元を緩めた。
「死んだとは言え、敬愛する恩人に見取られながら凌辱されるのは、さぞや気分が良いものではないだろうね。」
衝撃的な台詞に目を見開く。男の言う意味を推し測った私は必死に抵抗を試みると素早く首に手がかかる。然程、指が食い込むような窮屈なものではないが、浅く呼吸をする今の状態ではそれだけでも息苦しい。首に絡む汚らしい手を両手で剥がそうとするがびくともしない。闇雲に暴れてみるが、それは逆効果で背中の傷が勢いよく脈打ち、力が抜ける。その隙に男の手が服の中に潜り込み、横腹を弄るように撫でる。
「……っ…やめ………。」
「大人しくした方がいいよ。殺しはしないが抵抗すればそれだけ傷に響くからね。」
そう呟く間にも男は私の服を乱していき、鎖骨をねっとりと舐め上げたかと思えば、そこに強く吸い付く。憎しみと未知なる感覚にどうにかなってしまいそうだった。こんな男に。こんな男に私はすべてを容易く奪われてしまうのか。
「……っは…殺し、て…や…る…っ。」
「その内、そんなことも言えなくなるよ。君の虚勢がいつまで持つか見物だね。」
「……っん……はあっ……。」
「覚えておくんだね。そして、決して忘れぬよう心に刻むんだ。君は僕によって生かされているということを。君を支配するのは憎しみでも怒りでも悲しみでも殺意でもなく、この僕であるということを。」
果てしない憎悪を抱き、朦朧とする意識の中、ただひたすらに私は無力を思い知った。
罪と罰の連鎖
(この世には加害者しか存在しない。)
MANA3*100309