手を振れば最果て
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「あなたは、……間違ってます。」
それは刃物で心臓を抉られる苦痛にも似た感覚であった。一瞬、自分の耳を疑ったが、彼女の表情、僕に向けられた瞳が聞き間違いではなかったことと同時に予想だにしない、僕自身が望まない現実だということを思い知らせる。
「……名前…。」
「…………。」
「…何を言っているんだい。」
「…あなたが国の為に掲げる理想は素晴らしいと思います。だけど、力で捩じ伏せようとする思想は間違っている。そんなやり方で本当に国を統べることができるとは思わない。それは恐怖と不安を煽るだけで新たな火種に繋がるだけです。」
「あなたは間違ってます。」
何も言えなかった。論破されたなどと思ってはいない。反論ならいくらでもできる。それは綺麗事でしかない、と。押し黙ってしまう理由はただ一つ。相手が彼女だからだ。
「また、唐突に言うものだね。」
「唐突ではありません。前々から思っていたことです。」
「………誰に唆されたんだい。」
「これはまぎれもない私の意思に他なりません。」
卒倒しそうになるのをぐっと堪える。真相を探ろうとすればするほど墓穴を掘った。玉を転がすようなその声はとても心地好い。しかし、それとは対照的に口が開けば聞こえるものは僕に苦痛を与えるだけであった。
「…ここから出ていきます。」
「……はっ。出ていく?行く宛てなどないだろう?」
「…………。」
「名前。今のは聞かなかったことにしてあげるよ。だから―」
繋ぎ止めようとするように手を伸ばす。実際、繋ぎ止めようとしていた。彼女を失うことに計り知れない恐怖を感じた。到底、考えられないことだ。彼女に触れることによってすぐ側にいると認識し安心感を得ようとしていた。
ッパシン―
渇いた音が響き、痛みが手に走る。彼女の変わらない眼の色。文字通り痛感した。これは―拒絶。
「さようなら。」
心なく「今までありがとうございました。」と呟くと彼女は躊躇いなく僕に背を向けた。
世界が一瞬にして色褪せた。名前が行ってしまう。この想いとは裏腹に僕を置き去りにして僕が居ない何処かへと。僕を非難したあの冷然たる瞳にすら僕の姿が映ることはない。もう一緒には居られない。もう二度と。
途端、急速に全身を黒が駆け巡る。感情と欲望が縺れて、綻びが盛んに生じるのを感じた。行かないでくれ。行かないでくれ。失いたくない。失いたくない。失いたくない。失いたくない。僕の名前。僕の名前。僕の名前。僕の名前。僕の名前。僕の名前。
鮮やかな赤が繁吹いた。
畳には倒れ伏す背中が赤く染まった彼女がいる。
右手には血が滴る凜刀が握られていた。
そこでやっと気付く。
僕が名前を斬りつけたのだと。
無意識だった。本能的な行動だったのだろうか。考えるより先に手が出てしまったのは非常に僕らしくないことである。ましてや、彼女を傷つけるなんて有り得ないことだ。
だが、呻き苦しむ彼女を見て自然と口角が吊り上がるのが自分でもわかった。確かに僕は悦楽に浸っていた。
今まで受けたことのないであろう痛みに動けずにいた彼女の元へと徐に近付く。握り締めていた右手の凜刀を彼女の顔に掠めるほどの所へ突き刺し、そのまま閉じ込めるように覆い被さる。
「痛いかい?」
挑発的にわかりきっていたことを聞く。激痛に見舞われる彼女は喋るゆとりなどなく、疑惑と恐怖、憤りと不安に揺らぐ瞳が辛うじて僕を捉らえた。
「痛いだろうね。すまないと思っているよ。だけど、名前、君も悪いんだよ。君が僕を拒んで離れようとするから。」
肩から腰にかけてばっさりと切れている傷口をそっと撫でれば聞こえる悲鳴にぞくぞくと身震いがした。眼を潤ませ息を荒げながら酸素を求めて呼吸し、必死に生きようとする彼女はとても煽情的だった。
「ねぇ、名前。さっき言ってたことは嘘なんだろう?誰かに脅されていたんだろう?誰なんだい?言ってごらん?僕がそいつを八つ裂きにしてきてあげるよ。」
「はぁ、っはぁは…んはっ。」
「疵物になった君を一体誰が愛すというんだい?きっと、誰も君を愛してなんかくれないよ。こんな君を愛せるのは僕だけだ。」
「…っは、…な、に…を……。」
「あぁ、そうさ!そうだとも!君を愛せるのは僕だけさ!僕だけが君を愛せる!僕だけが君を守ることができる!僕だけが君を幸せにできる!」
堰が切れたように溢れ出る言葉と感情。豹変した僕に彼女は愕然とした表情を見せたが、またすぐに嘖める瞳が睨み据える。
「…っどう、か…し…てる…。」
絞り出された声は嗄れていて脆弱だった。気丈に振る舞っていても彼女は弱い。やはり、僕が守らないければと改めて思った。
「嗚呼、僕の名前。僕だけの名前。君を愛してるよ。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる…ー。」
無限に繰り返される囁きに彼女は何も言わずにゆっくりとその眼を閉ざした。
手を振れば最果て
(次に目覚めればそこはきっといつもと違う景色。)
MANA3*100209