名もなき感情
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それは黒い墨を真っ白な紙に垂らせば、滲んで広がっていくようにじわじわと進行していった。
喜びでも、怒りでも、悲しみでも、何一つとして当て嵌まらない。初めての感覚だった。果てしない空虚に満たされる。わからない。わからないことに苛々は募っていく。
けれど、一つだけわかったことがある。これは彼女に携わるものだと。
「半兵衛さん。」
僕の名を呼ぶ澄んだその声に心臓が高鳴る。しかし、何なのだろうか、この虚しさは。奇妙な違和感と矛盾が拭い去れない。彼女が笑って、側に居てくれるだけで良かったのに。それだけで良かったはずなのに。
黒が滲んでいく。
「名前。」
ねぇ、
「名前、」
君なら知っているんだろう
「名前、」
この感情の名前を
「っ…半兵衛、さん…。」
「名前。」
「……なっ…ん、で……。」
彼女の首に容赦なくぎりぎりと食い込む指。更に力を込めると白く細いそれがびくりと撓う。
崩れるように膝をつく彼女をそれでも尚、追い詰める。
半分開いた口からは掠れた呻き声が漏れ、目尻からは今にも零れ落ちそうなほどに涙が溜まり、眉を顰めて制止を懇願するその表情は如何にも苦痛を主張していた。
確かに僕はその光景に恍惚と笑んだ。
その情景は僕が見てきた何よりも美しく何よりも煽惑させるものだった。身の毛が弥立つ悦楽に僕は溺れていった。
黒く、黒く滲んでいく。
不意に僕は気が付いた。彼女の首にかけていた手をすっと離す。その瞬間、彼女は倒れ込んで、胸を押さえながら激しく咳込んだ。
「がはっ!ごふ、げほ、げほっ!」
息を整える彼女に寄り添うようにしてしゃがみ込む。呼吸は未だに荒いものの、比較的に増しになったようで、ゆっくりと項垂れていた顔を上げる。
「……はぁ、…っ…半、兵衛……さん…。」
恰も、どうして、と言いたげな瞳は恐慌の色を帯びていた。頬に残っている一筋の涙の跡をそっと指で拭う。そして、心の底から慈しむようにして微笑みながら僕は彼女に言った。
今、やっとわかった。この感覚の意味を。ようやく僕の中で空虚だったものが満たされた気がした。
そうか、これは―
「名前。僕は君のことを愛しているよ。」
名もなき感情
(滲む黒は狂おしいほどに。)
MANA3*100703