竹中半兵衛
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瞼を貫く、優しくも暴力的なまでに強い光。その暖かな眩しさは、微睡む意識を容赦なく引き上げ、覚醒を促す。障子越しに差す陽光は、いつも目覚める時よりもずっと明るく部屋を照らしていた。スマホのアラームで目を覚ましていた現代での日常は、もう過去のものだ。ここ戦国時代には、スマホはおろか秒針を刻む時計すらない。代わりに時間を教えるのは、格子の隙間から差し込む陽光の角度と、庭から聞こえる木々のざわめき、そして己の体内時計だけ。ゆったりと体を起こすが、瞼はまだ現実を拒むように重く、思考も上手く回らない。そんな私にとって、降り注ぐ日の光はあまりに刺激的すぎた。そして、しばらくして、私は一つの事実に辿り着く。間違いなく、寝坊した。今日の予定を反芻してみるが、特に何もなかったはずだ。二度寝という甘い誘惑が頭をよぎる。けれど、今の世話になっている自分の立場を考えると、自堕落に過ごすのは気が引けた。何より、この失態が例のあの人にバレようものなら、ゴミを見るような目で見下されながら、どれほどネチネチ粘々とした粘着質な御小言を頂戴することか。その代償は、あまりに大きすぎる。完全に目を覚ました私は重い腰を上げ、おもむろに立ち上がった。寝間着代わりの小袖を寛げ、ボトムスを手に取って足を通そうとした、その時だった。
―ピシャリ
何の予兆も声掛けもなく、軽快な音を立てて障子が勢いよく開け放たれた。反射的にそちらへ顔を向ければ、そこに立っていたのは例のあの人こと、半兵衛さんだった。生まれながらにして明晰なる頭脳、華麗なる技、妖艶なる美貌を神から与えられた代わりに人を人たらしめる倫理観と節度を神に奪われてしまった半兵衛さんが許可も得ずに何の抵抗もなく女性の部屋を開けたことへの憤り、着替え中の姿を見られた羞恥、そして最も避けたかった寝坊した事実が秒で露呈した罪悪感。あまりの衝撃に、覚醒したはずの頭は真っ白に染まり、思考も体も完全に硬直してしまう。あんぐりと口を開けたまま固まる私。一方の半兵衛さんは、何か用があって訪ねてきたはずなのに、真顔のまま無言でこちらを凝視していた。流れる謎の沈黙。先にそれを破ったのは招かねざる訪問者の半兵衛さんだった。
「おはよう」
「…お、おはようございます」
挨拶は勿論、大事だ。何事もいい始まりになるためには必要な儀式だ。しかし、この状況で?この状況で開口一番がまさかの普通の挨拶。それに返す私も私だが。そもそも、おはようなんて時間はとうに過ぎている。嫌味以外の何物でもないし、ここで謝罪の一言もないのは流石の一言に尽きる。
「あまりに起きてこないから、病にでも伏したかと思って見に来たのだけれど―」
続きは言わずもがな、その目はすべて見通していて、すべてを語っていた。体調を気遣ってというのが嘘か本当かはさておき、さきほどの挨拶も含め、良心の呵責に苛むための選択肢としては最適だった。
「まだ着替えていなかったのかい?」
「あっ!いや、これは、その―」
「大方、今し方目覚めたばかりなんだろう」
「えっと…はい」
「実に感心しないね、こんな時間まで」
「す、すみませんっ!すぐに着替えますから!」
「そうしてくれ。着替え終わったら僕のところへ来てくれないか。手伝ってほしいことがあるんだ」
「は、はい!わかりました!」
そう言って、半兵衛さんは障子を閉めた。嵐が過ぎ去り、暫し放心状態だった私はここでようやく現実に意識を戻し、何が起こったのか状況を具に理解した。そして、遅れてやって来たのは怒涛に押し寄せて来る感情の波。
見られた!絶対に見られた!見られてしまった!着替え中のこんなあられもない姿を!しかも、よりにもよって半兵衛さんに!下着はつけてて、小袖も羽織っていたが、ほぼ裸と同じじゃないか!恥ずかしい!恥ずかし過ぎる!恥ずかし過ぎて死にたい!ていうか、私はこんなに死ぬほど恥ずかしい思いをしているというのにあの人、めっちゃ普通にしてたな!自分で言うのもあれだが、決してプロポーションに自信があるわけではないにしても女性の裸を目の当たりにしておいて、素面って!真顔って!男性としてどうなんですか!どうせ私の裸に価値などないさ!見られて悲鳴の一つもあげなかった私も私だが!でも、顔を赤らめて慌てふためかれたりしてもそれはそれで困るのだけれども!半兵衛さんって性欲なさそうだし、そういうの興味なさそうだし、あの反応でも間違っちゃあいないと言えば間違ってはいないのかも。いや!違う!間違ってる!裸を見られてしまった私だけが損をしているじゃないか!そもそも、半兵衛さんが声をかけることもなく、障子を開けたりする無神経クソ野郎だから、こんな辱めを受ける羽目になってしまったのではないか!元を正せば、私が寝坊したことがすべての始まりなのかもしれない!だが、寝坊というのは人に裸を晒すほどの罪なのだろうか!真の罪悪とは知恵はあるのに情がない。相手がどんな思いでそこに立っているかを考えない不徳だ!
今更ながらふつふつと湧いてくる怒りを彼の戦国ノンデリ軍師にぶつけたいところだが、さきほどは言及されなかっただけで、体型について触れらようものなら、私は二度死ぬこととなるだろう。少なくとも「何だいその怠慢を体現した自堕落な体は。恥を知りたまえ」と言われるだろう。自殺行為だ。恥を知るのはあなたの方だと思いつつ、泣き寝入りするしかないやりきれなさを抱え、もつれる足に苛立ちながら、着替えを終える。私だってこんな恥ずかしい目にあったんだ。いつか半兵衛さんも私と同じように死ぬほど恥ずかしい境遇に遭えばいいんだ。そうして私は無理矢理にでも気持ちを切り替えて、半兵衛さんのところへ向かうため、障子を開けた。しかし、踏み出そうとした足は畳と廊下の境界を越えることはなかった。私の頭はまたしても真っ白になった。何故なら、障子を開けた廊下には半兵衛さんが夥しい血を流しながら倒れていた。
し 、 死 ん で る !
天罰というのはこうも早く下されるものなのか!?何とも仕事が早いことだが、あまりの展開に眼前の惨状にさきほどまでの怒りや羞恥は霧散し、駆け寄って屈み込む。先ほどまであんなに元気に嫌味を言っていたのに、今はぴくりとも動かない。顔色は土色を通り越して真っ白で、口と鼻から今もなお赤い液体が溢れ出していた。触っていいかもわからずに両手は行き場をなくし彷徨い、倒れ伏す半兵衛さんへ声を掛けてみる。。
「は、半兵衛さん!どうしてこんな、一体何がッ…!?」
混乱に陥る私の喉元に突き立てられる鋭く冷たい感覚。身動き一つ、呼吸さえもままならない。恐る恐る、視線を上へとやると、殺気に満ち満ちた豊臣の左腕がこちらを見降ろしていた。
「い、石田さん…」
「…名前…貴様ぁ…」
私はすぐに察した。この無駄に忠誠心が高く、無駄に神経と前髪を尖らせた石田三成という男があらぬ誤解を私にかけているということを。そして、その誤解で私を断罪しようとしていることを。
「ごごごご誤解ですよ石田さん!さっきまで半兵衛さんは生きていたんですよ!?障子を開けたら勝手に死んでたんですよ!」
「秀吉様の覇業を見届ける前に、このようなところで半兵衛様が勝手に身罷るなどあるはずがない!」
「本当ですって!勝手に人の部屋を開けた挙句、勝手に死んだんですよ!」
「黙れ!秀吉様の右腕たる御方を危めるとは万死に値する!」
駄目だ!いつものことながら話にならん!ほぼ裸体を晒される屈辱を味わった挙句、身に覚えのない罪を問われて私は死ぬというのか!これが戦国乱世のやり方だというのか!我ながら可哀想過ぎる!不憫の極みだ!古今東西、これほど悲劇の権化としての宿命を背負わされた者が他にいるだろうか!しかし、現状を覆す術は思い付かず、この命は喉に突き付けられた剣先によって、いつ尽きてもおかしくなかった。
「…うぅっ…」
死体が微かに呻く。お互いの主張を喚き散らし合っていた石田さんも私もその呻きを聞き逃さなかった。
「半兵衛さん!?」「半兵衛様!?」
石田さんは片膝をつき、覗き込む。喉元を脅かしていた凶器が遠のき、私はようやくまともな呼吸を取り戻した。半兵衛さんは生きていた。けれど、意識はおぼつかない。うっすらと開けられた瞼の奥で、その瞳はどこを見るでもなく揺れ、血の気の引いた顔で浅い呼吸を繰り返している。生きてはいる、けれど今にも消えてしまいそうなほど、その命は危うかった。
「半兵衛様!ご無事ですか!この下衆な女にやられたのですか!?私が今すぐここで処断いたしますゆえ!どうか、どうか逝かないでください!」
「違うって言ってるだろうが!半兵衛さん違いますよね!私は何もしてないですよね!?何があったのか本当のことを死ぬ前に教えてください!」
「豊臣の庭に迷い込み、何食わぬ顔で毒を撒き散らす、浅ましくも忌まわしき害虫め!貴様の存在こそが忌むべき大罪なのだ!」
「黙って下さい石田さん!これが半兵衛さんの最期の言葉になるかもしれないんですよ!」
「貴様ああああああああああああッ!」
誰が何と言おうが何もやっていない!それでも私はやっていない!私が無実であることは紛うことなき事実であり、半兵衛さんもそれはわかっているはず。刺客からの襲撃か、病気の発作か、何があったのか説明してもらえるだけで、私の疑いは晴れる。これまで散々、私にあんなことこんなことという生き地獄を味わせてきたのだ!最後くらい人間らしい正しい行いをしてほしい!善良なるか弱い私の命を救ってから、それから死んでくれ!来世は絶望的かもしれないが、いつか人間になりたいというのであれば少しでも徳を積むんだ!
半兵衛さん、弱々しく口を開いた。その唇からは、血が混じった吐息が漏れる。
「…はあ、…はあ…僕と、したことが…油断していたよ…」
「油断?一体、何が…」
「………君の……」
彷徨っていた視線が私を捉える。え、私。私なんですか。まさかの名指しに心臓がどきりとさせられる。いや、落ち着け。大丈夫だ。私は何もしていない。それは私が一番知っていることではないか。何も疚しいことはない。何も悪いことはしていない。そう自分に言い聞かせて、半兵衛さんの言葉の続き待つ。
「……以前から、君の存在は、…心臓に…悪いとは思っていたけれど……あまりにも…衝撃が……凄まじ……すぎて……ぐっ……」
「………」
「……まさか、君が……そんな毒、を隠し持って…いたとは、…ね」
最悪のダイイングメッセージを遺した半兵衛さんは、そのままガクリと首を垂らし、完全に沈黙してしまった。
な、何言ってんだこいつは…。
今際の際の遺言になるかもしれないというのに私は半兵衛さんが何を言っているのか一ミリも理解できなかった。何かの暗喩か?それとも合言葉?わかる人にしかわからない秘密の暗号なのか。何にせよわからん。最後の最後まで半兵衛さんを一ミリも理解できないまま別れることとなるとは。一ミリも理解はできなかったし、本来ならここで悲嘆に暮れて涙を流すべきなのだろうが、涙なんか一滴たりとも流れないし、私が再び絶望の淵に立たされていることだけは嫌というほど理解させられる。隣から、ドス黒くおどろおどろしい、この世のものとは思えない凶悪な殺気が突き刺さる。殺気だけで命を刈り取ろうとしている。到底、人が放てるものではない。見たくはない。見たくはないが、ゆっくりとそちらを見ると、案の定、この世のあらゆる憎悪と呪いを煮詰めて形にしたような化け物が、私を骨の髄まで嬲り殺しにしなければ気が済まないといった、凄まじい執念の眼差しを向けていた。知ってた。知っていましたとも。お父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください。
「…弁護士に、相談させてください…」
「弁護、だと?貴様のような万死に値する大罪人に、万分の一の釈明すら必要ない!貴様に許された道はただ一つ!凄惨なる死を以てその罪を贖い、冥府の底で未来永劫、懴悔し続けることのみッ!」
「私ではないんですってば!そもそも、半兵衛さんが何を言ってるのかさっぱりだったじゃないですか!」
「貴様が毒を用いる卑劣極まりない手段でこの方の命を蝕んだのだろう!」
「毒う!?そんなもん持ってないですよ!毒だったとしても半兵衛さんが毒なんかで死ぬわけないでしょ!この人が毒そのものみたいな存在なんですから!何でそんなこともわからないんですか!ちょっと忠誠心が足りてませんよ!後、常識とか思い遣りとか人の話をちゃんと聞く力とかカルシウムも足りてないですよ!」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!!!!」
「ぎゃあああああああああ!秀吉さあああああん!!大谷さんでもいいからあああああ!!」
私の叫びは、豊臣の城に空しく響き渡った。騒ぎに駆け付けた兵士や秀吉さんや大谷さんによって、私は九死に一生を得た。幸か不幸か半兵衛さんも辛うじて息があり、豊臣の優秀な薬師によって最悪の事態は免れた。石田さんは未だに半兵衛さんがセルフ血の池地獄で倒れていた原因が私にあると思っているらしく、謝ってくれなかった。豊臣は天下の勢力がどうのこうのと言う以前に悪いことしたら、ちゃんと謝れる人間になれる教育をすべきだと思う。
「名前。男の前であんな破廉恥極まりない姿を晒すのは、僕はいかがなものかと思うよ」
「一言もなく勝手に人の部屋の障子を開けて、人の着替えを見た挙句、それを他責する方が、私はいかがなものかと思いますよ」
「元を正せば、君が寝坊をしたことがすべての始まりなんだ。僕は君の身を案じて、わざわざ、貴重な時間を割いて起こしに来たのだから。今後は気を付けたまえ」
「そうですね。私もまさか、たかが寝坊したせいで、冤罪をかけられて殺されかけるとは思ってもみなかったので、今後は寝坊しないように気を付けたい所存です」
「わかっているとは思うけど、僕以外の人間に容易く肌を見せてはいけないからね」
「なんで半兵衛さんは当然のようにすり抜けているんですか」
「許されるに決まっているだろう。君は僕のものなんだから」
「決まってませんよ。本人を差し置いて一体、誰の許可を得てそんなこと言ってるんですか。そもそも、半兵衛さんはなんで失血しながら倒れていたんですか」
「…やむを得ない生理現象だよ。遮られない本質を前にしてね、冷静でいろと言う方が男の構造上、無理な話なんだ。それで瀉血しない男はこの世にいないさ」
「ちょっと何言ってるかわからないですが、それで瀉血する男性は半兵衛さんだけなので安心して下さい」
「……………はあ……」
「なんで私はそんな憐みの目を向けられながら溜息を吐かれないといけないんですかね」
「全部、君のせいなんだよ、名前。もっと自覚してほしいものだね」
「半兵衛さんももっと自分の罪の意識を自覚して下さい。後、豊臣はすぐにでもちゃんと謝れる訓練をしてください」
「何故だい? 君が泣いて僕に許しを乞うなら、考えてあげなくもないけれど」
「…もういいです。私が悪かったですよ」
「そうだね。次やったら厳しく躾直してあげるから」
「ちょっとは反省してほしい!」
不可抗力の毒
MANA3/260605
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