来世に乞うご期待
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「————ぐ—も——な——は——る—う—と—っ——ずだ—、———。」
「も、——訳—ざ——せん—————ッ!」
遠くで誰かが話している声がぼんやりと聞こえる。誰だろう。
「何はと——れ、ここ————来る——は果た—たこと——ね。—苦—様。—う下がっ——いよ。」
「承知——し—した。」
さきほどよりも交わされる言葉がはっきりと聞こえて来る。それと同じく霧が晴れるようにぼんやりとした意識も明確になり、重たげにゆっくりと瞼を開くと霞んだ視界も徐々に鮮明に広がりつつあった。ここは、どこだろうか。確か、私は、道場破りに殴られて。そこまで思い出すとずきりと頭が痛み、反射的に手で押さえようとするものの、何故だか体が窮屈で思うように動かせなかった。
「お目覚めのようだね。」
正面からの声に起き抜けの意識が引き寄せられる。革張りのソファに深く腰かけ、足を組んで両手を膝に置く見知らぬ男。ただ座っているだけだというのに、それだけで絵になりそうな優雅な雰囲気を醸し出していたが、その隙のなさはかえって異様なほどに不気味に見えた。誰だこの人は。
「やあ、随分と久し振りじゃないか。今の今までどこに居るのかと思えば、まさかこんなにあっけない形で再会するなんて、夢にも思わなかったよ。僕より先に他の連中と接触していたのは癪に障るけど、こうして君は僕の目の前に戻って来てくれた。結果としては大いに満足しているよ。」
「…………。」
言葉を滔々と連ねる相手に、私はただ呆気にとられ、半ば開いた口からは声一つ発することができなかった。今日一日で叩き込まれた経験と感覚から嫌というほど思い知らされる。人は違えど何度も繰り返し体験した場面。きっとこの人もみんなと同じ部類の人間だ。名前も顔も知らない相手が、さも旧知の仲のように接してくる戸惑いと不安。どこからともなく沸き上がる罪悪感に言葉を失っていたが、今、目の前の男から感じる圧は、これまでの比ではない。何かを言わなければいけない。けれど、迂闊なことを口走ってはいけないという緊張感に息が詰まる。私が何も答えず黙っていると、相手の顔からすっと笑顔が消え失せる。
「ああ…君は本当に忘れてしまったんだね。」
さきほどの柔らかな態度が嘘のように消え失せ、冷たい視線と感情がない声に背筋が凍る。怖い。明白な理由が見当たらないのに。それも相俟って怖い。初対面のはずなのに。え、初対面ですよね、初対面であってくれ。偶然その場に居合わせただけで殺人事件の犯人にされた挙句、死刑宣告されたそんな気分にさせて来る人物とは現世はおろか前世でも他人がいい。生まれてから死ぬまで関わらずにいた他人がいい。でも、きっと、恐らく、相手はそれを許してくれない。彼はまた、元の穏やかな表情に戻って柔らかに微笑んだ。その貼り付けた仮面に一体、何の意味があるというのか。今更、取り繕っても怖いだけであるのに。それとも、それを織り込み済みでやっているのか。だとしたら、やっぱり怖い。
「挨拶が遅れたね。僕は竹中半兵衛。この学校で生徒会副会長をやっている。」
「た、竹中…。」
竹中。その苗字には聞き覚えがあった。猿飛君たちが何度か口にしていた苗字だ。そこはかとなく漂わせる不穏さを添えて。竹中なんて、特別、変わった苗字ではない。ごくごく普通のありふれた苗字であるが故にこの学校でも竹中という人間は数人、数十人は居てもおかしくはないし、少し歩けば、ばったり出会す確率の高い苗字だろう。だから、目の前のこの人が猿飛君たちが言っていた竹中であるとは限らない。限らないのであろうが、私の本能が断言していた。彼こそが、あの不穏な噂の主だと。名前を聞いた直後、彼は警戒する私の僅かながらの機微も見逃さなかった。
「おや。その様子だと、すでに僕のことを誰かから聞いているようだね。」
「えっと、どうでしょう。た、多分?」
「苗字名前君。」
名乗った覚えのないフルネームを当然のように呼ばれ、身を強張せる。生徒会副会長という立場であるのなら、転校生の名前を知っているのかもしれない。そういうことにしておこう。そう自分に言い聞かせ、必死に平静を装う。それにそんなことは現状においては最早、些細な問題でしかない。
「誰が何を語ろうと、それは他人の視点に過ぎず、必ずしも真実とは限らない。僕がどういう人間であるのか、君自身で直接、確かめてほしい。」
「…わかりました。」
「喉は乾いていないかい?丁度、紅茶を淹れたところなんだ。よければ飲んでくれたまえ。」
「あの、ちょっといいですか。」
「どうしたんだい?」
「私は何故、縛られているのでしょうか。」
そう。私は上半身を後ろ手に縛り上げられた状態で、ソファに座らされていた。目が覚めた時の窮屈な理由は紛れもなくこれだ。意識を手放し、無防備になった人間を縛り上げるなどただ事ではない。危険人物を一時的に動けなくするための拘束であるのなら兎も角、私は危険人物などではない。そうでないとするならば、あまり考えたくないのだが、立場が逆の場合である。危険人物が逃走、抵抗を防ぐために対象の人間を拘束する場合だ。何故、名前を知っていたかよりも重大かつ恐ろしい問題である。私としては意を決して尋ねたのだが、当の危険人物は変わらず笑みを浮かべたまま、意に介していないようだった。
「君は大切なものをどのように扱うかな?」
「大切なものですか?」
「僕は大切なものは自分の手元に置いておくタイプでね。それこそ、どこにも逃げられないようにするために縛っておいてでも。」
「そうなんですか。私の価値観とは相容れぬようですね。」
「話は変わるのだけれども。」
「スルーしないで下さい。」
「転校初日の感想はどうだい?快適に過ごせたかな?」
「あなたの方がよく存じているのではないのですか?」
「まあ、否定はしないよ。」
「そこは怖いんで否定してほしかったです。」
「じゃあ、僕のことも知ってもらおうかな。」
「結構です。」
目の前の彼、竹中君は淹れたばかりの紅茶を一口、香りと味を楽しむようにして喉へと流し込む。あまりにも様になるその姿は彼の容姿も相俟って思わず見惚れてしまうものなのだろう。紅茶を勧めておきながら、後ろ手で縛られた私の拘束を解く気が一切ない相手でなければ。はっきりと断ったつもりだったのだが、そんなことは毛ほどにも気にすることなく、彼は語り始めた。
「さきほど、大切なものは自分の手元に置いておくとは言ったけれども、以前の僕であれば縛り付けるまでのことはしなかったんだ。」
「そうなんですね。是非ともその時の竹中君に戻ってきてほしいです。」
「そうなるきっかけとなった出来事、引いてはとある人物の存在があってね。」
「その話、長くなりますか?」
「君も気になるだろう?君がこうなる原因となった人物なのだから。」
「原因なら、今まさに目の前で優雅に紅茶を飲んでいる気がするのですが。」
「ふふ。君は面白いことを言うね。」
「何も面白くないですけど。何を笑ってるんだ。」
どうやら、話を聞く以外の選択肢はないらしい。私は半ば諦め気味に彼の話に耳を傾けることにした。
「君には大事な人が居るかい?」
「大事な人?」
「家族や友人、世話になった人、君にとってかけがえのない存在だよ。」
「それは、ええ、まあ。」
「僕にもそんな人が居てね。」
「そうですか。」
「いつも阿保面を晒しながら能天気に生きていてね。研鑽の余地があるというのに本人にその気は更々なければ、帰属意識も低い。だというのに一端にプライドと理念があるらしく、おまけに頑固ときたものだ。このままではよくないと、こちらが親切心で注意しても柳に風で、露骨に煩わしさを態度に出す始末だ。口で言ってもわからないから、僕としても本意ではなかったが痛みでわからすしかなくてね。」
「それ本当に大事な人なんですか?」
大事な人と言う割りには聞こえてくるのは一から十まで純粋な悪口のオンパレード。とてもじゃないが、大事な人に該当するような存在に思えない。例え面識のないその人物が彼の語る様な人間性だったとしても。私に対するこの仕打ち。一概に何が真実なのか鵜呑みにはできない。何なら、縛られているのは紛うことない事実なだけ、竹中君の話は実に疑わしい。しかし、竹中君は一層深く、慈しむように目を細めた。
「ああ、僕にとって唯一無二の大事な人だ。」
あれだけ散々な言いようをしておきながら、矛盾しているはずなのに、嘘偽りのない心底からの響きだった。だからこそ、余計に理解が追いつかない。俄かには信じられずにいる私に彼は続けた。
「向上心や意欲に欠けた事なかれ主義ではあったけども、勘と反射神経だけはずば抜けて良くてね。それに人望もあった。良い言い方をすれば優しい、悪い言い方をすれば、甘くてお人好し。とは言え、それだけは手放しに称賛し、評価できる非凡な才能であり、長所だったよ。」
先ほどの悪口の数々と比べて、褒められてた点は釣り合いが取れないほどに少ないのは些か気になるが、それよりも人望は兎に角、勘と反射神経というのは何だというのか。二つともあって困るものではないだろうが、それを言われてもいまいち人物像が思い浮かばず、やはり、大事な人という位置づけにピンと来ない。勘と反射神経と言うなら、スポーツでもしているのであろうか。見た目だけで判断するのであれば、竹中君は運動を嗜んでいる様には見えないが、姿が見えない人物との結び付きとは何であろうか。
「その人、友達なんですか?」
「友達ではない。敢えて関係を定義するのであれば、先輩と後輩の間柄かな。」
「じゃあ、この学校に通ってるんですか?」
「死んだよ。」
淡々とした口調はそのままに、さらりと唐突に吐かれた死という単語の響きに、心臓が大きく跳ねる。聞き間違いではないのかと竹中君の顔を盗み見るが、その瞳には過剰な感傷もなく、ただ凪いだ海のような静けさだけが宿っていた。
「死んだ…って。その、病気か何かで?」
「…いいや、不運な通り魔事件だよ。僕を庇って刺されたんだ。即死だった。」
思わず息を呑む。通り魔。刺された。即死。画面の向こう側の現実では聞いたことはあるが、平和なはずの学生生活からあまりに乖離した単語が羅列される話に、縛られた手首にじわりと嫌な汗が滲む。
「当時の僕は命に関わる病気を患っていてね。今とは比べ物にならないほど体が弱かったんだ。放っておいても、どうせ僕は先に死ぬはずだった。」
竹中君は手元のティーカップをソーサーに戻した。カチャリ、という硬質な音が、静まり返った室内で異様に大きく響く。
「それなのに、あろうことか暴漢に狙われた僕の身代わりになって刺されたんだ。未来があったはずの人間が、先のない病人を守って死ぬなんて。おかげで僕は、礼の一つも、謝罪の一言も言えなかった。最後にした会話で伝えた言葉さえ、覚えていないんだ。きっと碌でもない皮肉だった気がする。治らなかったはずの病気は完治したけれど、代わりに一生消えない傷を負ってしまった。僕は今でも、その瞬間の光景を、昨日のことのように思い出しては後悔しているんだ。」
彼を包む空気だけが、まるで時間が止まったかのように凍りついている。ティーカップから立ち上る湯気さえ、彼の纏う深い喪失感に飲み込まれて消えていく。その瞳の奥には、私という個人を見ているようでいて、その実、遠い過去の幻影を追い続けているような危うさがあった。
「…もう一度、逢えることが叶うのなら、ただ一言伝えたかったんだ。すまなかったと。」
彼は自嘲気味に口角を上げる。その笑顔は、先ほどまでの怖いものとは明らかに違っていた。それは、何十年、あるいはもっと長い時間をかけて煮詰められた、後悔という名の毒を飲み干し続けている男の顔だった。
「君の見解が聞きたい。」
「へ?」
「突然、こんな話をしてすまないと思っている。その上で、今の話を聞いて君は僕がどうして助けられたのか、率直に、思った通りの忌憚のない意見を聞かせて欲しい。」
「…………。」
正直に言うと、意見も何も何て話をしてくれるんだと困惑を隠せない。大事な人の凄惨な最期というクソ重エピソード、さっき知り合ったばかりの人間に、しかも拘束してまで聞かせるものではない。確かに悲しく痛ましいことだ。自分が同じ立場だったらと考えたくもないほどに。それでも、一体どういうつもりなのか。見解だなんて私に何を聞きたいというのか。そう思うのは当然のことだと思う。そう主張する権利もあるだろう。だが、私は、何故だか胸が締め付けられるような感覚に陥り、そして、言葉は自然と紡がれる。
「…その人は、きっと後悔なんてしてないと思います。」
私の言葉に、竹中君の眉がぴくりと動く。
「どうしてそう思うんだい。」
「あなたが大事だと思っているように、その人もあなたのことが好きだった。大事だった。だから体が勝手に動いたんです。理屈じゃなくて、守りたいっていう本能で。自分の命を懸けてまで守りたかった相手に謝ってほしいなんて思うはずがないです。寧ろ、あなたが今もそうやって苦しんでいるのを知ったら、それが自分のせいだというのであれば、死ぬよりもずっと辛いはずです。竹中君が今もこうして生きて、紅茶を飲んでるのを見たら、守った甲斐があったと喜んでますよ、きっと。」
静寂が部屋を支配する。時計の針が刻む音だけが響く中、半兵衛君は呆然と私を見つめていた。長い沈黙の末、彼が短く、自嘲気味に息を漏らす。
「そうだね。彼女ならきっと同じことを言っていただろうね。それに、僕もずっとその言葉が聞きたかったのかもしれない。」
やがて、長い歳月の苦難をようやく赦されたかのように、彼は心からの安堵とともに笑みを溢す。
「また君に救われてしまったようだね。名前。」
距離感を無視した呼び捨てと、既知の間柄であることを前提とした「また」という一言に胸騒ぎを覚える。深くは考えなかったが、どうやらその大事な人は女性の様だが。…私の脳裏にある一つの仮説が過ったが、はっきりと輪郭を形成する前に思考するのをやめた。何がとかどうしてとか不確かであやふやではあるが、ただこれ以上深入りしてはいけないと告げるのだ。私の経験と本能が。この判断は間違っていないはず。
「君の見解は僕にとって何よりの救いになったよ。」
「それは、よかったです。」
「少し、感傷に浸り過ぎたようだ。変な話をして驚かせてしまったかな。」
「ええ…まあ、大丈夫です。」
「今日だけと言わず、君とはこれからも親睦を深めていきたい。ねえ、名前。君のことは、名前で呼んでも構わないかな?」
「…別に構わないですが。」
すでに呼び捨てにしているじゃないかとは思いつつも、少々強引ながらも自然な流れで距離を詰められ、事の経緯もあって、私は毒気を抜かれたまま小さく頷く他なかった。
「ありがとう。嬉しいよ。僕のことも、気兼ねなく名前で呼んでくれて構わないからね。」
「あ、えっと、じゃあ…半兵衛君?」
呼びかけた瞬間、彼の動きが止まった。微笑を浮かべたまま、固まっている。何か変なことを言っただろうか。
「……あの、何か?」
「いや。君にそう呼ばれると、どうにも落ち着かなくてね。できれば、『さん』を付けで呼んでみてくれないかい?」
奇妙なリクエストだった。親睦を深めたいと言った同級生に対して、何故そんな丁寧な敬称を求めるのか。腑に落ちない思いはあったが、促されるままに私はその名を呼び直した。
「……半兵衛さん?」
その響きが室内の空気に溶けた瞬間、彼が微かに息を呑んだのがわかった。向けられる眼差しは熱を帯び、まるで遠い過去の残像を今の私に重ねているようだった。彼をそう呼んだ記憶などどこにもない。それなのに、名前の響きは驚くほど滑らかに舌の上を滑り落ちた。覚えのないはずの感覚がしっくりと馴染んでしまう不気味な矛盾に、私は思考をかき乱される。
「……ああ、やっぱり。君にそう呼ばれるのが、僕には一番しっくりくる。」
魂の渇きが潤されるような、穏やかで満ち足りたその表情を見せると彼はゆっくりとティーポットを持ち上げた。
「さて、話の続きをしようか。紅茶のおかわりはいるかい?」
「その…申し訳ないんですけど、そろそろ私、帰りたいなあって思ってるんですけども…。」
私としてはこの不思議で奇妙で異常で異様な事態において、かなり譲歩した方だ。これ以上、向こうに付き合う必要も義理もない。と言うか、そんなもの最初からない。努めて謙虚に、かつ慇懃な姿勢でお断りをすると、彼は白々しく眉を八の字に下げて、弱り果てた顔をした。
「おや、困ったな。僕はもう少し君と紅茶を飲みながら語らう時間を楽しみたいのだけれども。」
「あの…そもそも、おかわりも何も私、ずっと拘束されているので紅茶は目の前にお供えされただけで、まだ一口も飲むことが出来ていないのですが。」
「おっと、忘れていたよ。」
「こんな事件一歩手前の限りなく黒に近いグレーな状況を目の前にして忘れないで下さい。それにあなたの大事な人もこんなことは望んでないはずですよ。」
「いや。彼女なら今の僕を見て相変わらずだと笑ってくれているはずさ。」
「苦笑いですよ、その笑い。」
何故、さきほどはすんなりと受け入れてくれた見解を今回に限っては否定するのか。意味がわからない。今回も大人しく聞き入れろよ。逢ったこともない彼女の苦労を今まさに身をもって追体験させられている気がして、彼女に深い同情を禁じ得なかった。今は私が一番可哀想なのであるが。止むを得ず、観念して紅茶をいただくことを承諾すると、彼はこの上なく嬉しそうに微笑んだ。
MANA3/260318
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