来世に乞うご期待
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松永先生のお使いで私は図書室へとやって来た。本の返却はすぐに済んだのだが、中々来る機会もないであろう図書室に転校初日である身の私は中がどうなっているのかが気になり、少し探索することにした。軽く見渡すだけでも学校の図書室とは思えないほどの本がずらりと本棚に並べられていて、それは階段を上がった二階にまで続いている。数える気も起こらない本の量に圧倒されるものの、収納されるスペースは十分に確保され狭苦しさや圧迫感を一切感じさせず、上から全体を俯瞰すれば、その広さは本当にここが学校の中の設備なのかと疑問を抱かせられる。図書室全体を明るくするためのトップライトからは残念ながら曇り空が覗いている。晴天であれば今とは雰囲気が変わるのであろう。宛もなく歩いているとようやく奥の本棚まで辿り着く。ここまで来ると陳列されている本は一生借りることはなさそうなもので、背表紙に刻まれたタイトルだけ読んでも内容は見当もつかない。何となく目についた一冊を手に取りパラパラとページをめくると小さな文字とたまに図が添えられていたが、やはり中身は頭に入って来ない。ぱたりと閉じた本を元の場所へ戻そうと伸ばした腕を突然、誰かに掴まれる。心底、驚いた私だったが、図書室という静寂が保たれるべき空間で叫ばなかったことをほめてほしい。反射的に腕を掴む何者かに顔を向けるが、そこに居たのは顔も名前も知らない男子だった。その事実がうるさい心臓の脈を一層と早めることとなった。大声を出さなかったのはよかったが、私の腕を掴む人物は誰で、何故こんなことをという湧いて当然の疑問の言葉さえも驚きのあまり出ようとしない。ただただどこか余裕のない表情の彼を見つめることしか出来なかった。
「…名前か?」
覚えのない男子は私のことを知っているようだった。そして、私は彼を知らないが、この流れは知っている。これは恐らく気のせいではないだろう。今日一日だけで何度体験しただろうか。困惑する私に彼は続ける。
「その制服、いつからここにおったのだ。いや、我がそなたの存在に気付かぬなど有りはしない。恐らくは今日、転校いたしたばかりなのであろう。我がいかほど身を粉にし、あらゆる手を尽くし、そなたを探したことか。何一つ手蔓はなく今日まで過ごして来たが、それももう終いだ。」
掴む手が腕から手へと移り、そっと引かれれば、お互いの距離はほぼないに等しく、友達、況してや今日初めて逢った人間のものとはいえない。慈しむかのようにもう片方の手が頬に添えられてしまえば、なおのことである。咄嗟に離れようと体が動くが、掴まれた手は痛みを感じず、されど決して離れることを許そうとはしない絶妙な力加減だった。見た目は細く見えるのにこの力は一体どこから出ているのか。
「もしも、来世で再び相見えることが叶うならば、そなたに伝えたいことがあった。」
握るその手に少し力が込められた気がした。それと同時に締め付けられる私の心臓。何を言われるのか予想なんてつかないが、その言葉を聞いてはならない、私の中の何かがそう告げるのだ。
「我はそなたを―」
「あ、あの!」
振り絞った勇気と声に相手は言葉を紡ぐのをぴたりと止めた。どうやらこちらの話に耳を傾けてくれるようだ。
「すみません。私、何も覚えていなくて…。」
ただでさえ静かな図書室。心穏やかな気持ちにさせるその静けさが今はとても居心地が悪い。どれくらい時間が経ったのか。そもそも、私の声は彼に聞こえたのだろうか。時間が経てば経つほど、考えれば考えるほど、いよいよ居た堪れなくなって来た。
「…何も覚えていない…。」
待っていたようで、そうでないようなその声は返事というよりは反芻する独り言だった。沈黙は肯定と捉えてほしく、私は何も言わずに相手の出方を窺う。
「…菓子は、」
かし?
「好きな菓子は何だ。」
予想だにしなかった出方に私は唖然とさせられてしまう。好きな菓子は何だ?好きな菓子は何だとは何だ?それは果たして今、ここで、私に、聞くべきことなのであろうか。私はそうは思えない。思えないのだが、相手は真顔で、そして、真っ直ぐな目を向けながらそれを私に聞いてくるのだ。それに対して、私も真摯に応えねばなるまい。多分。
「ト、…トッポです。」
「…トッポだと?」
トッポという回答に、その端正な顔の眉間に少し皺が寄る。もしかして、トッポは地雷だったのでしょうか。いや、そんなはずはない。だって、トッポは最後までチョコたっぷりなんだから。この世にトッポが嫌いだなんてそんな異端の者が居るわけがない。目の前の人物がその異端の者である可能性は十二分にあるのだけれども。
「金将の意味がわかるか?」
「きんしょう?」
「将棋の駒だ。」
「…わからないです。」
「将棋は指せるか?」
「指せないです。」
「将棋の手解きを受けたことはあるか?」
「ないです。」
今のこの時間は一体何なのか。突然、始まった水平思考ゲームに戸惑いを隠せない。これがゲームだとしたら私が出題者となるわけなのだが、問題の答えを知らない。相手は勝手にラテラルシンキングをしているが、どんなに多角的に見ようともそれは何の意味もなさないのだ。何故ならそこには答えも何もないからである。つまりは今のこの時間は一体何だというのか。このゲームの終わりを、いや、終わらせ方を教えてほしい。
「我の名前がわかるか?」
緊張に息を飲む。終わりが訪れた。望んでいたものなのに全く喜びが湧いてこない。口も体も心も空気も重くなる。その答えはただ一つ。しかし、恐らくだが、きっと私はこの人を傷付けてしまう。名前さえも知らない目の前のこの人のことを。私はある種の被害者だというのにそう考えると心は痛まずにいられなかった。意を決して重く開かれた口から悪意のないナイフを吐き出す。
「…わからないです。」
初対面だ。当然の返答だろう。それなのにその自信が揺らいでしまうのは、私が否定を口にするや否や、彼の表情がひどく沈痛な面持ちをしていたからだ。そして、その顔を俯かせ、体はずるずると下へと落ちていき、到頭、膝をついてしまう。すっかり、消沈しきってしまった彼は「これが落陽…。」「何故このような試練を…。」と何かぶつぶつと儚げに呟いていたが、それでも繋がれた手だけは離そうとしない。まるで、この繋がれた手が彼にとっての最後の命綱のように思えて無理に振り解いたりする気も今の状態の人を見捨てるほど非情にもなれず、私もその場へとしゃがむ。しかし、どうしたものだろうか。誰かを呼ぼうにも私達以外の人気を感じない。それにここは図書室。大声を出すのは憚られる。私はここから動けない。お昼休みももうそろそろ終わりそうな気がする。困ったものだと上を見上げるとトップライトから覗く曇天の隙間から光が差し込む。どこか薄暗く感じた図書室と私の心を温かな光が照らす。場にそぐわないかもしれないが、私は自然に言葉を漏らしていた。
「きれいですね。」
漏らした言葉に釣られるようにして、項垂れていた頭を上げる彼。聊か死に気味であった両の眼が、宛も目の前に神が現れたかのようにゆっくりと見開かれた。
「日輪が照らしたまう。」
「何て?」
何か呪文が聞こえて即座に聞き返したものの返答はない。はたまた呪文ではなく自己暗示だったのであろうか、彼は元の状態に戻った様子だった。
「我が名は毛利元就。」
「あ…苗字名前です。」
「知っておる。」
「ですよね。」
「関係値が0となったのであれば条件は皆同じ。いや、一人に限り不利な状況からの始まりとも言えるか。」
何やら考えるようにして独り言を溢した後、彼は私の空いていた手も掬い取り、両手で包み込む。
「今の状態では、さぞ辛い思いをしただろう。今後は我がそなたを支えようぞ。」
「え、えっと、あ、ありがとう毛利君。」
熱がこもった瞳を向けられながらの謎のサポート宣言に謎のお礼を返すと毛利君の柳眉がほんの僅かに顰められた気がした。何も言わなくなったのも相俟って違和感を抱く。
「あの、何か変なこと言いました?」
「…いや、慣れない呼び名だと思ってな。」
毛利君のことを毛利君と呼ぶことが慣れないというのだろうか。だいぶデフォルトかつシンプルかつスタンダードだと思うのだが。しかし、慣れないというのであれば、躊躇いはあるものの相手に歩み寄るのも吝かではない。
「じゃあ、元就君。」
「ッん゛。」
呼び方を変えた途端、相手が喉を詰まらせたような呻き声を出し、苦悶の表情を浮かべるものだから焦燥に駆られる。
「だ、だだ大丈夫、元な…毛利君!?」
「よい!呼び名を戻すでない!」
「いや、でも…。」
「問題ない。直に慣れる。」
慣れてない!何だったらさっきより慣れてない!慣れる様子がない!そんなどこからともなく銃撃を受けたかのごとく苦しそうにするなら絶対にさっきの呼び方の方がいいと思うよ私!本当に慣れるというのならいいけど、呼ぶ度にそんな反応されていたら私も慣れないからね!そろそろ、お昼休みが終わる頃合いだと、元就君が立ち上がると手を握られている私も必然的に引き上げられて立ち上がる。この手は一体どのタイミングで離してもらえるのでしょうか。
「時に名前。そなた大福は好きか?」
「あ、好きです。」
何故今その質問で、何故大福なのかはさっぱりわからないが、大福は好きなのでそう答える。
「我もだ。」
もしかしてまた水平思考ゲーム擬きが始まったのかと思ったが、私の答えに元就君はとても嬉しそうな表情をしていた。そんなに大福が好きなのだろうか。でも、トッポも美味しいんですよ元就君。その後も手を握られたまま図書室を後にし、教室へ行くと帰りが遅いと心配して待ち構えていた猿飛君と伊達君と長曾我部君の三人が何やらやいのやいのと言って来て、長曾我部君が私達の手を離そうとしたが、元就君のヤクザキックが長曾我部君の鳩尾にクリーンヒットし、長曾我部君は何も言わずにその場で倒れ伏した。あまりの出来事に長曾我部君だけでなく、全員が沈黙した。思わず元就君の方を見ると、さきほどまでとはまるで別人のように凍てついた表情をしていて、ごみを見る人殺しの目で動かなくなった長曾我部君を見下ろしていた。今、手を繋ぐ相手が同級生ではなく、殺人鬼の可能性が浮上する。しかも、現行犯。元就君のギャップに悪い意味でドキドキしながらも、同級生が人殺しだったら困るので、とりあえず長曾我部君が悪いということにしておいた。後で猿飛君と伊達君に聞いた話なのだが、元就君はあれが通常運転らしい。二面性を持つ殺人鬼が居る可能性もそうなのだが、それを通常運転と済ませているのもいかがなものなのか。
MANA3/241021
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