来世に乞うご期待
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頭痛がする。原因については思い当たる節しかない。変に気を遣わせたくないのもあるが、一人になりたい気持ちもあったので、猿飛君にはトイレに行くとだけ伝え、前もって場所を教えてもらっていた保健室へと向かった。場所以外にも保健室はやばいから行かない方がいいとかどうとか言っていた気がするが、今の私にとって君達以上のやばいものはない。
「失礼します。」
保健室のドアを開けると先生と思わしき人以外は誰もいないようだった。静寂。この空間には相応しい言葉であったが、そこは世界から隔離されたどこか別の世界で、冷たく、酷く静かで冷たかった。それは背中しか見えておらず、椅子を少し回して私に向き直って見えた先生の血の通わないかの顔色をしていながらも優しく微笑む姿が殊更そう錯覚させたのだ。
「どうかしましたか?」
「あ、すみません。2年B組の苗字名前です。ちょっと頭が痛くて。」
「ああ、それは大変だ。どうぞこちらへ。」
促されるままに先生の近くにあった回転する丸椅子へと腰を下ろす。症状やそれに至る経緯を話して、薬はもらえないかもしれないが、楽になるまでベッドで横にさせてもらう。てっきり、そう考えていた私の頬にいつの間にか鋭利なメスが宛がわれていて息が止まる。先生の優しい微笑みは変わらない。
「お久しぶりですね、名前さん。こんなところで出逢えるとは。ああ、何たる僥倖なのでしょう。」
恍惚に目を細め、吐息混じりに話す先生を前に身動きが取れず、呼吸をするのがやっとであった。もはや、先生と呼ぶべきなのかすらわからない。目の前の人はしばし、ねっとりと絡みつく蛇のように獲物を眺めていたが、その顔からすっと笑みが消え去り、感情が失われた。
「…そうですか。あなたは剥落してしまったのですね。」
残念です。そういって私の頬から鋭い冷たさが離れていく。まるで何事もなかったかのように、その人は微笑んで話を始めた。
「この学校で養護教諭を務めております、明智といいます。先ほどは怖がらせるような真似をしてしまいすみません。あくまで治療の一環なのであまり気にしないで下さい。」
「治療の一環、ですか?」
「ほら、頭の痛みは引いてはいませんか?」
そう指摘されてみれば不思議なことに頭の痛みはなくなっていた。その代わり心臓が締め付けられように苦しいのは何故だろうか。その答えと改善方法を明智先生に聞く気にはなれなかった。こちらの心情を知ってか知らずか先生はくすりと笑ってみせる。
「ふふ、私が自分の学校の生徒を傷付けるとでも思いましたか?」
「め、滅相もない!」
「そんなことはしませんよ。今の私は養護教諭の明智光秀ですので安心して下さい。」
安心してという明智先生の言葉は妙に引っかかるものがある。まるで養護教諭は仮の姿で、真の姿は自分の学校の生徒でも傷付けるサイコパスだとでもいうのだろうか。いや、そんなはずはない。そんなことは有り得るわけがないのだ。何故ならそうでなければ私は今、まさに非常に危険な場所に身を置いているからだ。祈らずにはいられなかった。明智先生の内に僅かながらに残されているであろう良心と人間性に。
「苗字名前さん。今日、転校して来られた方ですよね。」
この場所に来て、転校して来たことを先生にしたであろうか。明智先生が一々、恐ろしいのだが。怖くて聞かなかったのに「転校生の話について教員は全員耳にしていますから。」とのことである。そうなんですね。怖いので心を読まないで下さい。
「転校初日から保健室に来るとは災難でしたね。」
「そうですね。」
「慣れない環境で少し疲れてしまったのかもしれませんね。でも、安心して下さい。この学校では転校生だからといって蔑ろにする生徒なんていませんよ。特にあなたの場合、なおのことです。」
確かに抱えていた不安とは裏腹に現実はそれを嘲笑うことばかりの連続であった。思っていたよりも自分が新しい環境に馴染んでいる、いや、取り込まれていくという感覚だ。それはそれでまた別の不安が生まれてくるわけなのだが。先生の言動も一々気懸かりなのもそうだ。
「どちらかといえば、あなたよりも周りの方が案外、慣れないものかもしれません。何にせよ何かあれば私に相談して下さい。心のケアも養護教諭である私の務めですから。」
転校初日の生徒の頬にどこからともなく取り出したメスを宛がう人に果たして心のケアができるというのか。少なくとも私は遠慮願いたい。ここでは心を強く持つ術を身につけなければならないみたいだ。そうでなければどんな心のケアと称した恐怖を施されるのかわかったものではない。こうしてまた新たな不安が生まれてしまったが、頭の痛みも引いたことだし、一刻も早くここから脱出すべきだ。
「色々とありがとうございました。調子も戻ったので教室に帰ります。」
平常心を取り繕い、私は椅子から腰を上げて、先生に一礼をし、保健室から出ていく、そのつもりだった。視界が傾き、足が床から離れる妙な浮遊感に襲われる。現実と思考の不整合に気持ちが悪くなる前に私が明智先生に横抱きされていることを認識した。認識はしたが理解が追い付かなかった。
「そう急かなくともいいではありませんか。念のためにベッドで横になって休んで下さい。」
そうして、私の体は白いベッドに優しく沈まされた。すでに逃げる気もない私の顔の横に手をつけて屈む先生。ここに踏み込んでから目についてやけに印象的だった長く白い髪がカーテンのように光を覆った。そして、あの血色の悪い顔が微笑む。
「ねえ、名前さん。」
頬を滑る指はさきほどのメスよりも冷たく、私は掠れた声で不本意ながら肯定するのが精一杯だった。先生の言う通り、大人しく一休みした私は無事に解放されたが、猿飛君や伊達君、長曾我部君に死にたいのかと怒られた。死にたくないです。猿飛君に至ってはお母さんみたいだった。
MANA3/240915