闇然なる孤独の中で
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名前が姿を消してから数日が経った。あらゆる手を尽くしたが彼女の行方は未然、掴めぬままである。あの時、無理にでも僕が傍に居ていれば。押し寄せる後悔に自責の念を駆られ、僕は頭を抱え打ち拉がずにはいられなかった。
そんな時、途方に暮れる僕の元に一つの変報が舞い込んで来た。
「織田が…討たれただと…?」
「はい。」
「それは本当なのかい?」
「はい。間違いありません。」
あの日の本を恐怖の底に陥れ、暗黒の時代を齎し、圧倒的な脅威と武力を振るっていた魔王がこうも容易く討ち破られると、そんなことを誰が推し量れただろうか。僕が知る限り、今の時点では織田を討つことが可能な軍は居なかったはずだ。同盟を結ぶとなれば話は別だが、そんな情報は得てはいない。例え、同盟を結んだとしてもやはり、あの魔王を滅亡させるのはそう単純ではないこと。
「それで、誰がやったんだい。」
「それが、俄かには信じ難いことなのですが、織田信長殿を討ち、城を、いえ、その地をまるで初めから何もなかったかのごとく、更地に変えたのはたった一人の娘だとか。」
「……はっ…冗談だろう?」
「某もこの眼で見たことではないので、確証はございません。ですが、その場には確かに娘が一人居たそうです。」
それは誰が聞いても根も葉もない虚報にしか聞こえなかった。しかし、その情報に僕は僅かな可能性と希望を見出していた。いや、縋り付きたかった、と言った方が正しい。そこに居た一人の娘。もしかしたら、それが彼女だったとしたら。確かめてみる価値はある。今の僕に出来ることはこれしかなかった。
性急に馬を走らせようとする僕の目の前に現れた人物に思わず顔を歪ませ、迸る憎悪を抑圧出来なかった。
「やぁ、軍師殿。暫くだね。」
「……早々に僕の眼前から立ち去りたまえ。今はあなたの相手をしている暇はない。」
少ない理性で殺意を堪えた僕は、そのまま彼の横を通り過ぎようとした。
「尾張へ行くのかね?あそこには城の残骸どころか塵一つとして残ってはおらんよ。卿が血眼になって探しているあのお嬢さんも居ない。」
その言明に歩みは制止させられる。振り返り、相手を射殺すようにして睨みつけた。それに彼は怖じ気つくことなく淡々と続けた。
「織田を、いや、尾張そのものを消滅させたのはあのお嬢さんだよ。」
「彼女にそんなことは出来ない。」
「卿は知らないだけだ。彼女の正体を。先日、忠告したはずだ。くれぐれも蟲には気をつけたまえと。」
以前、松永が去り際に放った一言を思い出す。当時、僕はその忠告とやらをさして重要視していなかった。それが何を意味するかなどということは。蟲とは、一体。内容を飲み込むことが出来ず怪訝そうにする僕を松永が笑殺する。
「彼女は蟲。この人が作りし虚構の世界を破壊する存在。瑕疵なのだよ。」
呆然とその場に立ち尽くし、言葉を失う。様々な思いが交差し、渦巻き、波紋を広げる。掻き乱される心は圧迫され、歪な音を立てて軋む。その衝撃は平衡感覚を麻痺させ、焦点が定まらない瞳は大きく揺らぐ。
名前が蟲?名前が、瑕疵?
「この世界の瑕疵である彼女は忌み嫌われる故、常に孤独だった。いつしか誰かに必要とされることを望んだ彼女の前に現れたのが卿だったのだよ。そこに意思があったかは定かではないが、彼女は卿を欺き、卿の友を消し、求めていた幸せな日々に惑溺した。卿があのお嬢さんに拘泥し、依存するのは彼女の瑕疵の力なのだよ、本心ではない。卿が彼女に対する感情のすべては彼女が生み出したまやかしにしか過ぎないのだ。誰でも良かったのだよ、寄る辺となる者など誰であろうとも。それこそ私であろうがね。彼女が卿を選んだ理由も瑣末なこと。偶々自分の目の前に居た。それだけのことなのだよ。」
松永の言葉の一つ一つが逐一、頭の中で反響する。戒めるように、追い詰めるように。それは脱力感を迫り上げて、頭を垂れさせた。
「誰かに必要とされたいなど、誰かを愛おしむなど、意思を持つこと自体が瑕疵。彼女はこの世界を消滅させる。存在してはならないのだよ。理解したかね、軍師殿?」
理解?僕に何を理解しろと言うのか。彼女が蟲であることか?彼女が瑕疵であることか?彼女がこの世界を消滅させることか?それを理解するのは認めてしまうのではないのか。自分の彼女への想いは幻覚であったことを。受け入れることが出来るというのか。違う、違うんだ。そうじゃない。僕は、僕は彼女を。名前を。
今程、彼女の声を聞きたいと思ったことはない。どうすれば良いのかわからずに葛藤をする僕を闇が飲み込みつつあった。そんな僕の眼に写ったのは最後に見たあの日の彼女の悲痛な姿だった。僕は悪夢から目覚めるようにはっとする。
名前。すまない。
君は、こんな僕を許してくれるだろうか。
体の震えが止んだ。俯いていた顔を上げて迷いなど微塵もなく、真っ直ぐ前を見据えた。
「そこを退きたまえ。誰に何を言われようが僕の意思は変わらない。」
迷いを払い、気丈な態度をとる僕を松永は鼻であしらう。
「私の言ったことが聞こえていなかったのかね?その意思も瑕疵によって改竄されたものだ。」
「何とでも言うがいい。彼女は僕を必要とした。けれど僕は彼女を傷つけてしまった。その償いをする為にも僕は彼女に逢いに行く。」
「…死ぬぞ。」
「構わない。元よりこの命は出逢ったその時から彼女のものだ。今更惜しむことなど何もない。」
その場に長い沈黙が訪れる。先に沈黙を切り裂いたのは松永の肩を震わす小さな一笑であった。次第にそれは哄笑へと変わり、辺りに響き渡らせる。その姿を僕は黙って傍観していた。
「ふはははは!偽善者が!何処までも救い難いことだ!憐れみもここまで来れば滑稽に変わる!滑稽!実に滑稽!ははははは!」
一頻り笑い終えれば、松永は帯刀していた刀を徐に抜いた。
「宜しい。私がこの手で卿を呪縛から解放してあげよう。このまま卿を見す見す見逃す訳にはいかないのでね。見返りとして卿からは虚偽を貰おう。彼女が卿にそうしていたのと同じように。」
全身を憎悪と殺意が纏う。相手と同じようにゆっくりと凛刀を抜刀した。
「邪魔立てする上、彼女を愚弄するなら容赦はしない。」
一触即発の膠着状態が続くその時だった。突如、松永の背後に蠢く黒い影が忍び寄る。その気配を察知し、振り向く松永に影は攻撃を繰り出す。松永はそれを既の所で刀で受け止めたが、次の瞬間には影は松永の後ろに回り込んでいた。
「介入。」
眼にも止まらぬ速さで影は松永の体を貫く。
「-浸蝕。破壊します。」
貫通された部位から稲光が迸る。異常でありなからも神秘的なもその光景に僕は絶句し、息呑んだ。稲光が収まると松永は悲鳴を上げることもなく、その場に崩れ、倒れ込んだ。
「っ…蟲、がぁ…。」
影はその様子をじっと眺めていた。見覚えのある、愛おしい後ろ姿を僕は張り裂けそうな気持ちで見詰めていた。
「……名前…。」
闇然なる孤独の中で
MANA3*100903