正から負へと狂奔
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逢ったこともないその男から犇々と伝わる禍々しい雰囲気と気迫に危機感を抱く私は今にも押し潰されそうになっていた。そんな私の様子を面白がっているのであろうか。静かに笑ってこちらを傍観していた男は徐に口を開いた。
「そう怯えないでくれたまえ。誰も今すぐに取って食おうなどとは考えてはいない。」
そう言い聞かす男に対して私は警戒心を強め険しい表情で睨み据える。私の態度に男は鼻で笑い、やれやれと首を横に振り、肩を落とす。そして、男は改めて私に向き直った。
「失敬した。お初にお目にかかる。申し遅れたが私の名は松永久秀。以後お見知りおきのほどを。」
「!?…松永、久秀…!」
一瞬にして背筋は凍てつく。男の名前に内から沸き上がる驚きと困惑、恐怖を私は隠すことが出来なかった。震えて蹌踉けそうになる不安定な体を何とか二本の脚で支える。相手に隙を作ってはならないと必死に気丈な姿勢を振る舞った。
「…ここにはあなたの欲しい物なんてありません…。」
「それは卿が決めることではない。私が決めることだ。」
すると、松永は悠然な歩みでこちらへと近付いて来る。思わず身構えるも、私には抗う術がない。相手が一歩進む度に私も一歩後ろへと下がる。
「私は卿に興味があるのだよ。あの天才と謳われる軍師、竹中半兵衛が一人の娘に異常なまでの執着を見せ、堕落している。」
視線を右往左往させていると私の視界に入ったのは床の間に飾られていた刀。
「私にも教えてくれないか。彼を惑わし、欺き、取り入った卿の策謀を。」
透かさず、走り出した私は飛びつくように伸ばした手に刀を取ると、素早く鞘を抜き捨てて相手に躍り掛かる。だが、それはいとも容易く避けられてしまい、均衡を崩した私はそのまま畳の上に倒れ伏してしまった。すぐに起き上がろうとしたが鼻の先に突き付けられた刀に身動きがとれなくなってしまう。松永は相変わらず薄ら笑いで歯を食い縛る私を見ていた。
「卿には躾が足りないようだ。私が一から諭すべきか。」
「…っこんなことをしても、本当に欲しい物なんて手に入らない!」
「どうかな。その身を以て試してみるかね。」
不意に今まで変化がなかった相手の薄ら笑いを浮かべていた顔が真剣なものへと変わった気がした。
「……いやはや、まさかとは思うが……そうか……。」
独り言を呟く相手を怪訝そうに見ていると松永は冷然と持っていた刀を翳す姿に刹那、心臓が止まる。
「卿はこの世界に存在してはならない。悪いがここで消えてもらおう。」
覚悟をさせる暇も与えず無情にも私に振り下ろされる刀。反射的に片腕で顔を覆い、固く瞑る瞼の裏には私に手を差し延べ居場所をくれたあの人の笑顔が見えた。
カキン…―
いつまで経っても痛みが襲って来ず、耳に入って来たのは金属の落下音だった。恐々としながらも眼を開ければ、私を殺めるはずだった刀が綺麗に折れていた。否、折れている、というよりはまるでそれは風化されたように刀身が消え去っていた。傍らには本来の役目が真っ当に出来なくなり脅威が失せた切尖が落ちている。
これは一体全体どういうことなのか。あの一瞬に何が起こったのか。訳もわからずただひたすらに私は混乱し動揺した。
「……―やはりか。」
はっと顔を上げれば平然とした声色で言葉を紡ぐも、その顔は信じられないと言わんばかりに眼を見開かれて驚愕する松永が居た。やはり、と言うのは、この男は何か知っているのか。使い物にならなくなった刀を下げて松永は私を見下す。それと同じくして驚いていた表情も落ち着きを取り戻していた。
「………何が…どうなって……。」
「何だ。卿は自分が何者なのかも理解していないのか。」
「………何を、言って……。」
「ならば私が教えてやろう。卿は――――――」
「名前!!!!」
僕は息を切らしながら彼女を独り残らせた部屋に勢いよく飛び込んだ。そこには四つん這いになって項垂れる彼女と動揺することなく、突然現れた僕を一瞥する松永の姿があった。その光景に激怒した僕は凛刀を抜いて、切尖を松永に向けた。
「彼女に何をした!」
仮面の意味もなくなるほどに感情を剥き出しにし、沈黙の名も形無しになった今の僕のことを見て松永は嘲るようにして笑った。
「これはこれは、軍師殿。ご機嫌は……と聞くまでもないか。」
「彼女に何をしたと聞いている!」
先程よりも強く、威圧的に問い質すもそれに臆することもなく笑い続ける松永に苛立ちは募る一方であった。
「何、大したことではない。ただ私はこのお嬢さんに真実を告げたまでのこと。」
彼女を見遣れば僕が部屋に入って来た時のまま身動き一つせずに息を潜めている。いや、彼女は体は微かに震えていた。
「ところで―。」
さっと視線を戻し、凛刀を握る手に力を込めて血走る眼で相手を睨みつけた。
「卿の友、覇王殿はどうしているかね?」
「何のことを言っているのかわかり兼ねる。僕には今も昔も、そしてこれからも彼女だけだ。」
「………なるほど…何とも度し難く憐憫なことだ。お嬢さん。」
松永は未だに伏せている名前に話かけた。彼女は何の反応も見せなかったが彼は構わずに続けた。
「卿は私のやり方を否定したが、それと何ら変わりはないのだよ。卿のやったことはね。」
僕には彼が言った意味を全く以て理解出来なかった。しかし、それを聞いた彼女の小刻みに震えていた体は見る見る内にがたがたと震えが激しくなり、畳みに張り付けていた両手で心中に込み上げる感情を耐え忍ぶかのように強く拳を作っていた。彼女の悲痛なその姿に耐え兼ね、逆上した僕は容赦なく鞭状に変形した凛刀を松永に斬りつけようとする。だが、松永はその攻撃を後方に下がることによって回避した。
「さて、今日は大人しく退散するとしよう。それでは軍師殿。くれぐれも蟲には気をつけたまえ。」
「っ待つんだ!」
松永は懐に忍ばせていた煙幕を地面に投げつけると視界は瞬く間に煙の白色に覆われる。漸く煙幕が晴れた頃には松永は姿を消し、静寂を取り戻す部屋には僕と彼女の二人だけとなった。
「………名前…。」
彼女の身を案じた僕は近寄ろうと足を踏み出す。
「…っ来ないで、下さい…。」
彼女の言葉に僕の歩みは止まる。離れていた時間は然程ではないはずなのだが、何故だか、彼女の声を聞くのが久しく感じた。そして、その声はとても痛ましいものだった。
「…名前…一体何があったんだい。」
「……ごめんなさい、今は……一人にして下さい……。」
その後もただひたすら名前は謝り続けていた。そんな彼女を目の当たりにした僕は自分の不甲斐なさを心底呪った。黒々とした空からぽつりぽつりと雨が降り出す。
翌日。名前は僕の前から姿を消した。
正から負へと狂奔
MANA3*100901