光を崇め闇に落ちた男
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母から貰ったその時から私は指輪を指に填めていた。流石に学校に行く時には公私の別を弁えて外してはいたのだが、それでも、小さな袋に入れたりしてお守りのように制服のポケットや鞄の中に潜ませていた。私が指輪を手放すことはなかった。
しかし、つい最近のこと。そんな大切な指輪はサディスト地底人に奪われてしまった。返せと強くせがんだが、地上人の言葉を理解できる頭もないらしい。指輪は未だに地底人の左手薬指で光っている。
長い間、体の一部同然と化していた指輪を失った指は寂しさと違和感を感取せずにはいられなかった。私にはそれがとてももどかしかった。それでも尚、地底人は指輪を返そうとはしなかった。奴は地底人の面汚しだ。
だから私は代用の指輪を買うことにした。飽くまで代用であって、決して私は指輪の奪還を諦めてはいない。そんなわけで今日という休日に私は指輪を買いに行くことにした。家を出る時に地底人が「僕に断りもなく何処に行くつもりだい。浮気かい?そうか浮気なんだね!?そんなこと絶対に許さないよ!君は僕のものだ!」と喚くから顔面に怒りの右ストレートを喰らわせて塩を投げつけてやった。地底人は浮気は絶対に許さないなどと勘違いもいい所なことを言ったが、私は指輪を奪った地底人を絶対に許さない。そもそも何処の地底人のせいでこんなことになってしまったのかを無駄だとは思うが細胞が死滅したその脳で考えてもらいたい。
所詮は代用。指輪は適当なものを買うつもりだった。しかし、いざ綺麗に陳列された煌びやかな指輪達を前にするとついつい目移りしてしまい、悩みに悩んだ末に、値段は張るものの自分好みの指輪を購入した。
数十分後。それを後悔することになるとは知らずに。
「ちょちょちょちょちょちょちょちょ!!!!!!ストップストップストップストップーーーーーーー!!!!!!!!!!」
私は坂道を全力ではないが疾走していた。
帰り道、歩きながら袋を開けて指輪を取り出そうとしたら手が滑り指輪を落としてしまった。二、三回跳ねた後、指輪はコロコロと真っ直ぐに転がっていく。慌てて拾おうとしゃがんで手を伸ばした私だが、次の瞬間、視界から指輪が消えた。顔を上げると目の前の下り坂をその形状を活かし、猛スピードで転がっていった。
私は大絶叫した。
「くそっ!円周率が3.14だからって早まるんじゃない!君は自分の価値をまるでわかっちゃいない!だから、止まれ!止まって!止まって下さい!これでもかというくらいに毎日ピカピカに磨きますから!」
止まれと言われ止まるわけがなく、指輪は遠慮なく転がるのに対して、私は坂道故に転倒を恐れ思うように走れずにいた。そんな私を嘲笑うかのごとく指輪は加速し続けた。
坂道にも終わりがあるので指輪もいつかは止まる。最悪の事態は指輪が下水溝に落ちてしまうことだ。そうなったならば一巻の終わり。指輪を救出するのはほぼ不可能だろう。
先に坂道を下り終えた指輪の勢いはそのままで、一直線に突き進んでいく。
「あぁあぁああ!!!!!!駄目駄目駄目!!!!ホールインワンだけは!止めて!お願いします!次のテストで平均点以上とりますから!!」
すると、偶然だろうが意思なんてものがないはずの指輪が下水溝の穴を避けた。そして、再び視界から指輪は消えてしまう
「うぇええぇええ!?!?!?ちょちょちょっ!!!!!!」
指輪と同じく、坂を下り終えた私の勢いは止まらなかった。そのまま私は先にあったフェンスに激突、は咄嗟に金網を掴むことによって免れた。ぜぇぜぇと息を切らし、どくどくと心臓が高鳴り、金網を掴む両手がじんじんと痛んだ。
暫く、その体勢のまま、心身を平静させてから一歩見を引く。フェンスの向こう側には木々が鬱蒼と生い茂り、その奥には不気味な雰囲気が漂う如何にもな廃墟がぽつりとある。昼だと言うのに沢山の鴉がカアカアと鳴きながらあちらこちらに並んで止まったり、廃墟の上を旋回していた。不吉だ。どうやら指輪はフェンスの下の隙間を掻い潜り、中へ入ったようだ。
ここに元々何が建てられていたのかはわからない。私が物心ついた時にはすでにこの有様だった。噂では天まで届くような高く聳え立つ建物があったとかなかったとか。それが地震か何かで崩落してどんな建物だったのか今となっては想像も出来ないくらいに崩壊して現在に至るとのこと。廃墟と言うよりは瓦礫の山と言った方が正しいかもしれないのだが。
それ以後、ここをどうにかしようとした人達が次々と怪我をしただの謎の病にかかっただの、まるで呪いを受けたように不幸になっていったらしい。そのせいで工事することも出来ずにいるんだとか。そして、ここには幽霊が出て、その幽霊のせいで人々が不幸になるのではないかと言われている。
所詮は噂なので信憑性は薄い。それに幽霊も俄かに信じ難い話だ。信じ難いのだが、このおどろおどろしさには少々たじろぐ。
だからと言って、指輪のことを諦める気など更々なかった私は意を決して、フェンスを攀じ登る。立ち入ることが禁じられているのは一目瞭然。指輪を取るだけ、そう自分に言い聞かせる。あまり高くないフェンスを乗り越えるのは困難ではなかった。すたっと地面に着地するとすぐさま私は指輪を探しにかかろうとする。そう遠くはいってないはずだ。すぐに見つかるだろう。
「おい、お前。何をしているんだ。」
不意にした声に私の心臓は飛び跳ねた。ぎこちなく声のした方へ顔を向けると茂みの奥から二人の男の人が出て来た。指輪を見つける前に私が見つかってしまった。
「ここは立ち入り禁止だぞ。」
立ち入り禁止と知っているのなら何故、この男の人達はここに居るのだろうか。暫くの間、ここをどうこうするなんて考える人は居なかったはずなのに。いや、でももしかするとどうこうする人達なのかもしれないが。兎に角だ。私は疚しいことをしようとしていたわけではない。本当のことを話せばここは事を荒立てず穏便に済ませられるはずだ。
「あ、あの。ちょっと、指輪を落としてしまって、それ、それであの、中に入ってしまったので…探させて…もらおうと…したのですが…。」
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。さっさと出ていくんだな。」
「そんな!ちょ、ちょっと待って下さい!指輪を探すだけなんで!見付けたらすぐに出ていきますから!」
「駄目だ。」
「そこを何とか!」
「駄目だ。」
「お願いします!」
「駄目なものは駄目だ!」
「おい、そんなに風に怒鳴ったりしたら彼女が怯えるだろう。」
今まで傍観していたもう一人の男の人が沈黙を破る。男の人が私の方に向き直ると申し訳なさそうな表情で私に言う。
「すまないね、お嬢さん。だが、こちらも仕事なんだ。わかっては頂けないだろうか?」
さっきの男の人とは正反対に物腰が柔らかく、とても紳士的な人だった。そのギャップに一瞬だけ気が抜けてしまったが、私も引くわけにはいかなかった。
「お仕事の邪魔にはなりません!お願いします!見つけたらすぐに帰りますから!」
「……わかった。では、こうしよう。君の指輪は代わりに私達が探しておこう。見つけたら近くの交番に届けておく。それでどうかな?」
「え!?でも、それだと却ってご迷惑なのでは…。」
「私達は一向に構わない。お嬢さんが良ければの話だけどね。」
この地に踏み入れた時点で既に邪魔だし迷惑なのは承知である。それに見ず知らずの人に私の不注意で落とした指輪を探してもらうのには流石に気が引けるし、申し訳なさ過ぎる。しかし、これ以上、交渉を続けるのもやはり迷惑になるだけだ。少し迷ったが私は男の人のご厚意に甘えることにした。
「……良いんですか?」
「ああ。」
「じゃ、じゃあ、…すみません。お願いします。」
何て良い人なんだ!こんな世知辛い世の中もまだまだ捨てたものではない!何処ぞの地底人には須らく見習ってほしいものだ。
「ああ。気を付けて帰るんだよ。」
ゴトッ
紳士的な男の人の腰辺りから黒い物体がごつい音を立てて落ちるのが見えた。自然と落下したそれを見てみると何だか物騒でしかないもので、恐らく拳銃という名の凶器だった。
一瞬にしてその場が静まり返り、沈黙が訪れた。鴉の不吉な鳴き声が聞こえた。
暫くすると、徐に男の人が拳銃を拾い、それをしまった。男の人は特に慌てる様子もなく至極平然としている。
「じゃあ、私帰ります。お仕事頑張って下さい。」
多分、世間一般的には頑張ってはいけない生業だと思うが、男の人が平然を装うなら私もそうしよう。と言うか、頭の中の危険信号が煩く警鐘を鳴り響かせているので、これ以上この人達と関わりたくなかった私はフェンスを攀じ登ろうとした。
ガシッ
「悪いね、お嬢さん。少し事情が変わった。見られたからには君を帰すわけにはいかないんだ。」
左肩をがっしりと掴まれて脱出は失敗に終わった。ぎこちなく首を後ろに向けると紳士的な男の人の優しい笑顔があった。今となってはそれが逆に恐ろしくて堪らない。
「わたわた私、ななななに何もみみみみ見てません!」
「ほう、これでも見てないと言うんだね?」
右の蟀谷に固くて冷たいものが押し当てられる。もしかしてもしかしなくともさっきの得物であろう。テレビの中のよくあるフィクションの出来事が今まさにノンフィクションで起こっている。体験したことのない恐怖感に体はがたがたと震え、滝のように冷や汗が流れていた。
「え、だだってそれは玩具です、よね……?」
「玩具かどうか試してみるかな?」
ガキンッ
ひええええええ!!!!!!!!!!!!いいです!試さなくて結構です!試して得るものは何もないです!寧ろ、大切なものが失うので結構です!はい!
あまりの恐さに声が出ない。こんな時、テレビでなら都合良く誰かが助けてくれるはずなのだが現実はそう容易くはない。諦めるようにして私は眼をきつく閉じた。
「今すぐにその汚い手を離せ。」
聞こえてきたのは銃声ではなく、その場に居た私を含む三人とは明らかに違う別の誰かの声だった。瞼を開け、再び見ることが出来た世界。私達の背後、廃墟へと続く道にはさっきまで居なかった人物が佇んでいた。誰だ。
「誰だお前は!?いつからそこに居た!?」
どうやら、この人達の知り合いではなさそうだ。では、一体。まさか、この窮地を救ってくれる救世主なのか。
「聞こえなかったのか?今すぐその汚い手を離せと言っておる。然もなくば、貴様等の命はないと思え。」
「はっ!やれるもんならやってみろよ!」
柄が悪い男がナイフを取り出し、走り出す。
「あ、危なっ…!!!!」
救世主はそれを華麗に躱す、ことなくの胸に深々とナイフが刺さり、そのままばたりと倒れた。
どええええええええええ!?!?!?!?!?
きゅ、救世主が!嘘!?嘘でしょう!?本当に殺したの!?!?本当に死んじゃったの!?!?そんな!有り得ない!こんなの異常だ!こんなの間違ってる!やばい!やばいやばいやばいやばい!!!!夢なら覚めてくれ!てか、こんな立場で言うのもあれだが、あの人何しに来たんだ!期待させといてそりゃないですよ!もう、来なくて良かったですよ、あなたの為にも!何て悲劇だ!何て惨劇だ!
「残念だったね、お嬢さん。見られてはいけないものを二つも見てしまったからにはやはり君を生きて帰すことは出来ないようだ。」
「いや、私別に二つとも見たくて見たんじゃないんですけど!どちらもあなた達の過失でしかないですよね!?」
「さぁ、待たせたね。次は君の番だ。」
嗚呼、どうやら今度の今度こそ、本当の本当に駄目のようだ。でも、これで家族に逢えるなら、何て考えは不謹慎だろうか。ごめんなさい、それでも私はここまでみたいです。
「下衆共が。余程、死に急ぎたいと見える。」
これは本当に夢ではなく現実なのか。最早、異常を超越した混沌としたものの中に飲み込まれた気がした。刺されて死んだと思った男は何事もなかったかのように立ち上がり、胸から抜き取ったナイフを地面へと捨てた。その鋭い目から放たれる冷徹な視線に空気が凍てつく。目の前で起こる何もかもが非現実的で私は息を呑んだ。
「なっ!?何で生きてやがる!?!?」
流石に男達も動揺を隠せず狼狽える。すると、私の蟀谷に押し付けられていた銃が狙いを変える。
「チッ!ならこれはどうだあ!」
耳を塞ぎたくなるけたたましい銃声が唸りを上げる。弾丸は相手の肩や腕、脚やお腹、胸を貫く。
だが―
「気は済んだか。ならば死ね。」
弾を受けた衝撃に蹌踉けこそしたが、男は未だにそこに立っていた。それには男達も言葉を失い絶句した。一体あの人は何者なのか。何処のイリュージョニストだ。
「ば、ば、化け物だああああ!!!!!!」
「うわぁあ!に、逃げるぞ!!!!」
得体の知れない未知なる恐怖に男達は一目散にこの場から去っていった。状況が理解出来ない私はフェンスに攀じ登ろうとする体勢のまま暫く放心状態になっていた。何が何だかよくわからないが私は助かった、らしい。謎の救世主によって。
「怪我はしておらぬか?」
少しの沈黙の後、動くこともなく男達が去った方を見詰めていたら、急に話し掛けられた私はびくりとする。この人が誰なのか、敵か味方なのかもわからない。だが、助けてもらったのは確かだし、先程とは比べてその眼は幾分か穏やかになっている気がした。てか、怪我のことなら私よりあなたの方が心配だ。
「は、はい。あの、ありがとうございます。えーっと、…あの、と、とりあえず病院に行きませんか……?」
「心配は無用だ。それには及ばない。」
いや、及びますよ。大いに及びますよ。それにナイフで刺されて上にバンバン銃で撃たれたのを見た挙げ句、その人が命の恩人ときたらそんなもん誰だって心配しますよ。心配するなという方が無理な話ですよ。
「で、でも!」
「そんなことより、そなた。名を何と申す?」
そ、そんなことよりって!そんなことよりって言っちゃったよこの人!何でそんなこと言うんですか!私の名前なんてどうでもいいんですよ!そんなもの取るに足らないんですよ!もっと自分を大切にしましょうよ!うん!ご自愛なさって下さい!もっと自分を愛して!
「え、その、苗字…名前です……。」
「名前。そなたのお蔭で、再びこの眼に日輪を拝むことが出来た。礼を言うぞ。」
「…………何のことを仰っているのかわからないのですが……。」
「この指輪はそなたの物であろう。」
男がすっと目の前に左手を差し出す。
はっ!こんな光景を最近何処かで見た気がする!しかも、何か凄く良くないものだったと思う!とても醜いものだったと思う!
反射的に眼を瞑り、更に腕で顔を覆う。しかし、一瞬目にして残った残像に違和を感じ、そっと眼を開けると男の人の手はずる剥けていない普通の手だった。それに私は酷く安堵した。
「な、なんだてっきり、あいつと同じかと…。」
「因みに…―」
からん、と軽い音を立てて出された右手は白い骨と化していた。
「我が名は毛利元就。日輪の申し子である。見ての通りすでにこの世の者ではない。」
光を崇め闇に落ちた男
(廃墟に悲鳴が木霊した。)
MANA3*100731