その唇で強請るのを想望
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宛ら、判決を言い渡される間際の被告人の心境であった。そんな風に比喩するのは些か大袈裟なのかもしれないが今の私にはそれがぴったりなのだと思う。この何とも言えない緊迫した空気にはらはら、どきどきと息が詰まりそうになる。遠くから聞こえる運動部の威勢の良い掛け声、吹奏楽部の各パートで練習しているせいか音が混雑して何の曲か把握出来ない漠然とした旋律、教室に掛けられた時計の針の音、先程から耳にするのはそればかり。私が被告人ならば机挟んで真向かいに座る裁判長である毛利君は判決を下さないまま数分。その数分が私にとって如何に長く悠久なるものと感じた事か。もう彼此、一時間経ってるんじゃないかとちらりと時計を確認したら時計の長針は然程、動いてはいなかったもんだからあの時計が壊れているか時を自在に操る能力者が近くに居るのではないかと疑ってしまったがそんなはずがないのは百も承知だ。それだけに私の心情は不安や緊張や恐怖やらでごちゃごちゃと入り乱れている。そんな私の心中を知る由もないであろう、漸くジャッジメントが下されるのか眉一つ動かさず無言を貫いた鉄仮面裁判長、毛利君は静かに掛けていた眼鏡を外し、手にしていた問題集から私の方へと顔を向けた。
「…ど、…どうでしょうか…。」
堪らず、自分から話を切り出す私。そしてクラスメイトに対して何故か敬語。早く、やるならやれと言わんばかりに相手を見据える。すると、鉄の仮面の裁判長の表情が少しだけ和らぎ微笑んだ様な気がした。
「上出来ぞ。合格点をやっても良いな。」
待ち望んでいた言葉のはずなのに暫し唖然とする。やっとその意味を咀嚼して遅れて込み上げて来た喜びを隠さず惜しみなく曝け出す。
「ほ、本当ですか!」
「そなたは向学心が欠けていただけで中々に理解力がある。為せば成ると言う事だ。このまま持続させていけばそなたの成績は必ずや向上するだろう。我が保証する。」
思いもよらぬお褒めの言葉に私は感激すら覚えていた。何故だか、先生に褒められるよりも凄く嬉しい!自分の積み重ねて来た努力が認められ、報われると言う快感を甚くこの身に思い知った。
私と毛利君は同じクラスの生徒同士であってそれ以外の共通点は何一つ見当たらない。敢えて言うならばこれまた同じクラスの長曾我部元親と言う男の知り合いが居るぐらいであろうか。そもそも事の発端はテストの答案用紙が返された時にその元親と点数を見せ合いっこしてお互いがお互いを貶して最後にはもう笑うしかなかった哀れな私達が居て、しかし、このままでは留年の可能性も無きにしもあらずでじわじわと確実に迫り来る危機感を感じつつも、どうしようもないと言う所に「ならば、我が教示してやろう。」と颯爽と現れたのが毛利君だったのだ。常に成績優秀の毛利君が教えてくれるのであらば願ってもないと私はその申し出に縋り付いた。因みに元親は「俺も教えてくれんの?」と言ったら毛利君に間髪入れずに「貴様は死ね。」と言われていた。アーメン。生きろ元親。留年しても私達は友達だぜ。
そんなこんなで毛利君の指導の下、放課後の勉強会を初めて早一週間。その成果がこうして結果として表れたのだ。それもこれも他でもない毛利君のお陰と言えよう。今まで彼とは話した事はなく、冷たいイメージがあったのだが、今回の件でそのイメージは意外に優しいものだったとがらりと変わりそうだ。但し、元親は除く。
「本当に助かったよ毛利君!教え方も丁寧で先生よりもわかり易かったし!これで次のテストは大丈夫だと思う!」
「そうか。そなたは良く頑張った。何か褒美をやらぬとな。」
褒美!?!?何とも魅惑の響きであるが何故、私が褒美を貰う側なのか。普通はご指導ご鞭撻を賜った私がお礼をすべき所なのでは。勉強を教えてもらった上に更にはご褒美だなんてそこまで厚かましい真似は出来ない。
「いらないよそんな!」
「遠慮はするな。それとも我からの褒美は受け取れぬと申すか。」
そ、そんな言い方をするのは狡くないですか毛利君よ。そう言う言い方をしたら私が断れないであろうと全て計算の内なのか。ご褒美を貰うのもそうだが、私の立場から異論を唱えるのも烏滸がましい。ならば、ここは大人しく従順にするべきか。
「え、じゃあ、あの、お言葉に甘えて。」
「そなたの望みは何ぞ。申してみよ。」
え、私の望み?そこは毛利君が考えてくれるのではないのか。どうなんだね毛利君。と言いたい所だが、毛利君が完全に私の答えを待つ構えにある。ちょっとした無茶振りだよこれ。でも、きっと何か言わなければならないのだろう。えーっと、何か無難なもの、無難なもの…。
「あ、そうだ。最近、コンビニで発売された期間限定のお菓子が良いかな。」
うん、無難だ。無難オブ無難だ。まるで無難の模範解答の様だ。この状況で限りなく答えに近い答えと言えよう。当たり障りもなく、手頃な物であろう。私も食べたいと思ってたし丁度良い。冴えてるじゃないか私!勉強で活性化された脳がこんな所でも効果を発揮しているではないか私!
「菓子だと?」
「お菓子です!」
「ならぬ。」
ならぬの!?!?え、ならぬの!?!?何でならぬの!?!?てか聞かれといて却下とかされんの!聞いてないんですけど!それとも何、面白くないから?無茶振りされた以上ちょっとは面白い事を言えって事なの?難易度がインポッシブルじゃないか!私、毛利君が面白くて笑ってる所をお目にかかった事がないのですが!良く人を見下す様な笑いは見た事ありますけどね!主に元親に関して。私の笑いの引き出しで毛利君を笑わせられるはずがない!兎に角、面白いとか面白くないとかはさておき、お菓子はならぬそうなので他に無難なもの、無難なもの。
「あ、じゃあ、シャー芯で!」
無難だ!お菓子に負けず劣らずの無難な答えだ!丁度、なくなりかかっているしね。限りなく正解に近い正解、と言うかもう正解だろうこれ。自信がある!寧ろ自信しか湧かない!却下出来るものなら却下してみろ!
「ならぬ。」
されちゃったよ、いとも容易く!!!!いとも容易くならぬされちゃいましたよ!!!!お菓子、シャー芯と無難の強豪ペアが仲良く失脚した今、果たして褒美とは、無難とは、一体何なのか疑問で仕方がないよ!寧ろ、何でならぬのかが摩訶不思議だよ!あ、そうか!もしかしていくらリーズナブルとは言えど、さして仲が良い訳でもない人にお金を使わせるのはどうなんだ私。これは私が礼を欠いていたと非を認めるべきだろう。うん。そうだな、お金が掛からない事、お金が掛からない…あ!
「だったら、また勉強教えてくれないかな!」
勉強教えてもらったご褒美が勉強と言うのも何か変だが悪くはないのではないか。ん、やっぱりどうだろう。何か無限ループになりそうで怖いな。果てしないご褒美となりそうだな。何だ果てしないご褒美って。でも、お金も掛からないし、妥当っちゃあ妥当、のはず。
「その程度、頼めばいつでも教えてくれようぞ。褒美にはならぬ。」
「そ、そうですよねー…。」
案の定、それはご褒美にはならぬと突っ込まれてしまいました。じゃあ一体何が褒美だと言うんだね毛利君。一体何がならぬにならぬの。例えの一つや二つ言ってくれても良いんじゃないかな。せめてヒントくらい教えてよ。そろそろ君のならぬに対して私がならぬだよ。もうこっちまでならぬが感染したよ。そうだな、視点を変えて考えてみるか。もし、私が相手が頑張って何かやるとしたら…―
「…頭を撫でるとか。」
思わず口からぽろりと漏れた自分の一言にはっとなる。何言ってんだ私!毛利君見てみろよ吃驚してんじゃねぇかよ!口にせずとも表情からならぬが滲み出てるよ!
「いや、毛利君!今のは何でもないから気に―――」
中途半端に途切れた私の言葉。正確に言えば途切れさせられてしまったのだけれど。てっきり、ならぬとばっさり言われてしまうのだとばかり思っていた私は何故に真に受けてしまったのか頭を優しく撫でる毛利君の行動に呆然とする。いつもいつも周りの人、特に元親に冷たい寂しい奴と言われている毛利君だが、頭を撫でる柔らかな手つきとじんわりと伝わる温もりからはとても同じ人とは結び付かなかった。この手が痛快な音を発しながら時に元親をビンタし、時に元親を平手打ちをし、時に元親を裏ビンタをし、時に元親に強烈な右フックを噛ます手と同じものとは俄かに信じられずにいた。
暫くして頭から離れていく手に名残惜しさを感じる程、私は無言で頭を撫でられる行為を堪能した、らしい。同じ歳の男子に頭を撫でられて私の心臓は今もどきどきしていた。ん、と言う事はこれでご褒美はOKなのだろうか。意図せず口から出た事とは言え撫でてくれたしこれもご褒美には変わらないだろう。うん。そうだ、全ては終わったんだ!
「して、他にないのか。」
終 わ っ て な ど い な か っ た 。
終わる所か振り出しに戻っちゃったよ、おい。他って何なんだ。いや、もう良いよ十分ですよ頭撫でて貰えて嬉しかったですから本当に。でも、そう言ったらならぬって言うんでしょもうわかってんですよこっちは!経験から来る勘でわかるよ!さっき解いた問題より遥かに難しいよこれ。難問だよ。寧ろ無理難題だよ。このならぬのスパイラルから抜け出せる気がしない。もう良いから答えを教えなさいよ答えを。てか、答えはあるんですかこの定理に。一体、何なんだよ毛利君の中でのご褒美オブご褒美は。
「名前。そなたは己を抑制して謙虚になる傾向がある。もう少し欲を出しても咎められぬであろう。我がそなたにしてやれる事、我にしか出来ぬ事を考えてみよ。」
そうか!成る程!つまりそれはどう言う事なんだい毛利君!え、それはヒントなのかい。ひょっとしたらひょっとしなくてもヒントなのでしょうか。捉え方によっては更なる深淵に誘う呪文に聞こえなくもなかった。
いや、もしかして、毛利君は。私の勘違いかもしれないし、そうだとしたら物凄く恥ずかしいのだが。だが毛利君の思いを無下にする事も出来ず、羞恥はぐっと堪え腹を括った私は真っ直ぐに毛利君を見据えた。
「も、毛利君!!!!
ビ、ビンタして下さい!!!!」
「なにゆえ!」
その唇から強請る事を想望
(何故、ただ一言我が欲しいと言わないか!)
(我の気持ちに気付かぬと言うのか、ここまで配慮し、目に掛けるのはそなただけだと言うのに!計算してないぞ!)
MANA3*121101
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