殺す
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「今回も良く頑張ったね、名前。」
大量の書物や巻物が積み重なる部屋。既に次の策を講じているのか、半兵衛さんは机に体を向けたまま、背筋を伸ばし、畏まって神妙に正座をしている私に穏やかに言った。軍の為に為した功績への称賛の言葉。それに対して私は喜びも悲しみも何も感じなかった。
「ありがとうございます。」
軽く頭を下げて心のない形式だけの返事。視界に写ったのは脇に置いた刀。人殺しの道具。いつからだろう。私がこれを手放せなくなってしまったのは。私が何の躊躇いもなく人を殺す様になったのは。
戦いたい。その為に戦う術を教えてほしい。その願いは呆気なく一蹴された。しかし、それは容易に想像出来る結果だったので別段、驚きはしない。それもそうだろう。戦国なんて時代と比べて、今までただ悠々と生きていた、しかもか弱い女が、命のやり取りをする戦場で何が出来ると言うのだ。無駄死にするに決まっている。そう思われても致し方ないだろう。だが私には戦う以外に選択の余地なんてなかった。何度も何度も、必死に食い下がるしかなかったのだ。そうしたら、半ば諦めた顔で私も兵の鍛練に加えてくれた。覚悟は出来ていた。一端に戦える人間になる過程は過酷なものであり、同時にそれが当然だとも言えよう。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、私が生きて戻る為なら、そう思う事で乗り越えられた。その甲斐あって血の滲む様な鍛練の中で私は自分でも驚く程に目紛るしい成長を遂げる。戦力としては申し分なく、寧ろ、軍の主戦力の一角を担い、戦場の最前線を駆ける私は一目置かれる立場にまで伸し上がった。今の私は紛れもなく一人の武士なのである。
「君の活躍には目を見張るものがあるよ。何か褒美を与えないとね。」
「いえ、半兵衛さんにそう言ってもらえるだけで十分です。」
「やれやれ、君は変わっているね。いや、変わってしまったと言うべきか。君には殆、欲と言うものがないんだね。名前。」
一体どれほどの人間を斬ったのか、一体どれだけの人間を殺めたのか、私はどこまで非道に成り果ててしまったのかわからない。初めて人を殺した時の記憶も曖昧だ。しかし、その時の私は心を痛めたのだと思う。今となっては思い出せそうもない感覚。術を手に入れた代わりに間違いなく何かが欠落していた。だからと言って人間を止めた訳ではない。人を殺めたからと言って心をなくした訳でもない。この世界は私の世界にも私にとっても無関係な世界。私は帰りたいだけなのだ。そう割り切る事で私は前に進めたし、ここまでやって来た。私は決して無欲なのではない。寧ろ、欲があったからこそ今の私は在ると言っても過言ではない。
宛ら、血に飢えた獣であった。だが、本能のままに動いたりは決してしない。飽くまで冷静に、理知的に。虎視眈々と慎重に、確実に、惜しみなく時間をかけて、たった一度の機会を狙う。果たして、どんな気分なのだろうか。望まれ、与える知識や技術や技能、それら全てが自分が殺される為だったと言うのは。語る言葉も義理もない。そんな皮肉も何も知る由もなく死んでいくのだから当人さえわからないだろう。
未だに机に向かう半兵衛さんは無防備な背中を私に向けて、疑いようもなく信用している様子だ。刀は持っていない。部屋は私と半兵衛さんだけ。それでも警戒は怠らない。悟られぬ様に、殺意を殺し、飽くまで平然と。ここで冷静を欠いて今までの苦労が水の泡にならないよう。焦慮は取り返しのつかない綻びを生むだけ。
「それでは僕の気が済まないのだよ。僕はもう長くはない。いつ病がこの心臓を食い破っても可笑しくはない。」
「滅多な事は言わないで下さい。あなたには成し遂げるべき夢があるじゃないですか。」
そう。病気なんかで死なれてしまっては困るのだ。私がこの手でやらなければ意味がないのだ。私がこの手で。時間がないのはこの人だけではなく私も同じ。焦りも禁物だが悠長にしている余裕などないのだ。
「そうだね。事実だとしても、悲観的な考えは止そう。君の為にも、軍の為にもならないだろうかね。」
膝の上に置いていた手の神経へ脇に置かれた刀を取る命令が伝わる直前、半兵衛さんが後ろへと振り返る。
「それでも、僕は君になら殺されても構わないと思うよ。」
ばれてしまったのかと言う思慮も焦りもなかった。振り返り、私を見る半兵衛さんの表情がとても優しげで、何故か悲しそうにも見えて、それが私の胸を締め付けた。何を思ってそんな言葉を私に投げかけるのか。どんな感情がそんな表情を作り出すのか。私には到底わからなかった。しかし、今なら背中を向けられていた時よりも容易く命を奪えそうな気がした。耐える事もなく、誰に対してかも知れない嘲笑の息が口から漏れる。
「……何を言ってるんですか。それこそ、滅多な事ですよ。」
空っぽだった心の底から沸き上がる懐かしい感覚。それは久しく忘れていた、私が初めて人を殺したあの時のものに相違なかった。
MAMA3*130521