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会いたかったから/意識しちゃう【いずはる】

 それはくせなのか、わざとやっているのか。春田創一は何かとコミュニケーションをしてくるが、言葉や表情だけでなく触れてくることが多いような。これが女性なら「あざとい」とにらまれるような……。
 秋斗を亡くして、もう恋なんてできないと思っていた。自分の半分を喪うような痛みや苦しみは一度味わえば充分だった。なのに、この目が惹かれてしまうその先に春田がいる。秋斗と外見はそっくりどころか同じ。
 けれど、天真爛漫で素直すぎる性格は似ても似つかない。秋斗と同じ顔をしているから気になるのだと一生懸命自分自身に言い聞かせているのに、軽く触れられるだけで意識が一気に引っ張られる。
(……本当に、あのひと、罪すぎるだろ……!)
 わざとやっているのなら、もう犯罪にしてもいい。悪気もなさそうだから悪感情を抱く人も営業所内には居なさそう――と、考えごとをしながらコピーを取っていたら、急にディスプレイにエラー表示が出た。紙詰まりだ。
 和泉幸はコピー機のある壁際から振り返り、上司である春田に助けを求めようとした。しかし、先日コピー機を詰まらせてしまった時に春田と詰まった用紙を取ろうとして、肩や腕が密着してしまったのが思い出された。
 春田が少しも気にしていない分、自分ばかりが意識しているようで恥ずかしくて、つい声を荒らげてしまった遠からずの出来事……。
 機械のトラブルについて、春田に何度も頼っていられない。対処の仕方は覚えたのでディスプレイに表示された給紙トレイを開いてみると、コピー用紙がぎゅうぎゅうに入っていた。先に使った誰かが紙を補充してくれたのだろうが……詰め込みすぎて給紙エラーが起きたようだ。
 詰まった紙をそっと引っ張り出し、トレイの紙を少し取り除いて閉めたらエラー表示は消えた。これでひと安心……。
「……あ、和泉さんひとりでエラー対応できたんすね」
「!?」
 背後から突然春田に話しかけられた和泉は、コピー再開と間違えて中止をタップしてしまった。
 感じられる距離はだいぶ近い。手に持った、しわのついたコピー用紙を背後から春田に取られた。
「和泉さん、一瞬こっち見たからやばそうかなって思ったけど、そうでもなかったっすね」
「まあ……なんども同じミスはできないので……」
 気配が近ければ声も近い。どうしてこんなに距離感がガバガバなんだ。無防備にも程がある。ましてアラフォーなのだからハラスメントを気にするほかにも自らの行動に注意を払ってほしい。ふわっと淡く香るのは何らかのフレグランスか……ドキドキして、春田の顔をまともに見られない。
 心配とは別の方向で心を乱してくる存在が秋斗のほかにも居るなんて露ほども考えられなかった。
 秋斗との恋も秋斗のアプローチから始まって、これが恋愛なのかと自覚が薄いまま付き合い――本当に秋斗を愛していると気付いたのが亡くしてしまった時だった。
 春田創一に恋をしていると自覚してから、意識もどんどん強くなっている。同時に、告白して困らせてしまったらどうしようという迷いも生まれた。『好き』と『言えない』が毎日胸の奥でせめぎ合っている。
「こっち大丈夫そうなら戻りますね? 困ったら遠慮なく声かけてください」
「はい、ありがとうございます……」
 気配が遠ざかっていく。そっと振り返ってみるとデスクに戻る春田の後頭部が見えた。ぴょこぴょこ寝ぐせが揺れている。
 いつか、この気持ちを伝えられる日が来たらと思いながらも、この場所にはいつまでも居られない――そんな予感はあった。だから、実際離れる時を迎えても春田に好きだと伝えられなかった。



 優しい思い出と片想いを忘れられないまま時間だけが過ぎて、また幕を開ける盛夏。
 昼間の暑さを引きずった生ぬるさだけの空気が肌にいやらしくまとわりついてくる夜。仕事終わりに一人で軽く呑んだ後、ふらりと来てしまった先は春田が住んでいるアパートだった。
 天空不動産で働いていた短い間、春田の部屋の隣室に和泉は居を構えていた。あれから一年以上も経ってしまっている。
 訪ねたとしても春田は、自分のことなんて忘れてしまっているかもしれない。そう、意識していたのは自分ひとりだけで、片想いはまさに独り善がりで。もう同じ場所に居られないからと自分勝手に気持ちに蓋をして、何も伝えず春田から離れてしまった。
 臆病とか弱虫とかビビりとか、教え子で同僚の六道菊之助から何度こき下ろされたかわからない。
 左手首の時計を見れば、十一時を指すところ。今宵も熱帯夜だ。このまま春田を訪ねてみようか……まだ窓からは明かりがこぼれている。……こんな夜中に何の用で? 連絡もなく?
(…………連絡先、交換してなかった……っ!)
 スマートフォンをスラックスのポケットから取り出して気付いてしまった。元々、己の事情に巻き込むべきではないと春田には個人の連絡先を伝えていなかった。アパートの部屋が隣同士だったのもある。何かあったらドアを叩けばいいと思っていた。
 警察官と不動産会社の営業職に接点という接点もなく、ブランクを取り戻すために警察の仕事に没頭して、時々春田のことと片想いを思い浮かべてはため息をついて……。その繰り返しを横で見ていた六道はさぞ堪ったものではなかっただろう。だから最近口うるさかったのだと納得もする。
(ここまで来ておいて、どうするんだよ俺……!)
 春田の部屋を訪ねるかどうか、自分自身で決めることだ。春田がまだ住んでいると安心して去るのか、それともまだそこに居てくれているか確かめに行こうか。息を吸えばぬるくよどんだ空気が鼻を通ってくる。
 首筋を流れた汗も緩めたワイシャツの襟に吸い取られる。持て余す熱の行き場を奪う真夏の夜の風が、春田の部屋のドアの前へと和泉の身体を連れていく。おまえの熱の行き着く先を間違えるなとばかりに。
 薄緑色に塗装されたドアには部屋番号だけで表札はない。春田ももう、部屋を引き払っているかもしれない。
 重くなる右腕を持ち上げて、和泉はドアチャイムのボタンを押した。一体夜中に何をしているのだと己への疑問と迷いが頭の中で黒い渦を巻いた。胸の奥から鳴り響くドキドキがやけに耳につく。
 ややあって玄関先の照明が点き、わずかにドアが開いた。その隙間からのぞいた顔に安堵する。名前を呼んでくれたその声にも。もっと近くで春田の顔を見たくて、ドアとの距離を無意識に詰める。
 会いたくて、会いたくて仕方なかった。抱いていた悩みも迷いも吹き飛ばすように、その想いだけが胸を満たす。
 ドキドキして止められない、忘れられなかった気持ち。春田のお陰で苦しかった呼吸が楽になったのに、春田を前にするともどかしさが頭をもたげる。彼が誤解していることを説明しながら、ようやく――ドアの隙間から頬へと伸びてきた春田の右手に左手を重ねた。ぬくもりが皮膚から身体に、心に広がる。
「……本当に、春田さんのことが好きです」
 ずっと伝えたかったこと。ちゃんと声に出して言わなければ始まりも終わりもない。まして、好きなひとの意識をこちらへと向けることもできない。でも、言ってしまった今、どうなってしまうんだろう。
 ドア板一枚の先、全部は開かない距離が自分と春田との現実。粘度を増したような空気が圧し掛かる。それを破る音が春田の側から聞こえた。
 ガチャガチャと、焦った手つきで春田がドアにかけていたチェーンを外して、外へ出てきてくれた。
「……おれも、和泉さんに会いたかった」
 春田は泣きそうに、笑っていた。泣いてるか笑ってるか、どっちだっていい。隔てていたドアが開いた、その事実が和泉を高揚させる。思わず抱きしめる体温は手のひらだけではなく、春田の全身からゆっくりと移ってくる。
 あんなに触れられて意識していたのに、今はただただ愛おしい。きっと一方通行の恋ではなくなったから。
 帯びた熱はまだ、空気中にとけていかない。汗ばんだ首筋に寄る春田の頬と、耳の冷たさ。
 首の血管から胸がドキドキしているのが聞こえてしまう……それでいい、聞こえてくれた方が伝わる。
 この口から出る声から、身体じゅうめぐる鼓動から、「好き」が春田に伝わって意識してくれたら嬉しい。
「好きです…………好きだ、春田さん……!」
 夏の夜の、冷めない空気が見せている夢なら醒めないで。背中に這う指先の感触が、和泉の意識を現へ向けた――夢ではないのだと。
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