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まずは『友達』から【いずはる】

Side:H

 ――頬にぺたりと、自分ではない素肌の感触を春田は覚える。身体の下で揺れるベッドのスプリング。
 仕事帰りに居酒屋わんだほうに行って、しこたま飲んでそれからどうしたんだっけ。ぐらぐらしている頭で思い出してみても、どうやってこのベッドに辿り着いたか覚えていない。
 記憶は吹っ飛んでいても無事に帰れているのはいつものことだから、あまり気にはしないが。
 しかしながら自分以外は誰もいないベッドで、自分以外の肌に触れるなんてありえない。酔った勢いで行きずりの知らない人を連れ込んで致してしまったか……。結婚式まで挙げた『夫』とはとっくに別れた身なので、相手に連れ合いがいなければ問題は――ある。
 ワンナイトラブが思わぬ事件を巻き起こすこともある。責任は取れるか……少しばかりの預金はあれど、慰謝料に足りるか。
 とりあえずベッドに寝ている誰かと話してみないと始まらない。意を決して、春田は身体を起こした。

「……おはようございます、春田さん」
 あからさまな苦笑がその顔に浮かべられた。知っている顔に安心する一方で、どうしてここにと驚きもやってくる。
「い、和泉さ、なんで」
 同じベッドの上、素肌を晒した姿で和泉が横たわっている。頬に触れていたのは和泉の肩だったようだ。
 和泉は一年前の桜の時期に天空不動産を退職し、それきり連絡を取ることも無かったので、どうして彼がここにいるのかわからない。
「春田さんが泥酔しているから引き取ってほしいと、荒井ちずさんが春田さんのスマホから連絡してくれたんです」
「それでほんとに来ちゃったんすか……」
「頼れる人間が他に居ないようだったので、僭越ながら」
 スマートフォンにはロックをかけていた……と思ったが指紋認証なので気付かず解除してしまったのだろう。和泉の連絡先も消そう消そうとしていたのに、牧とのことですっかり忘れてしまっていた。
 隣家の凄腕家政夫さんは「電波が届くかちょっと怪しい地域まで出張」と朝に出かけて行ったし、母は若い恋人と沖縄旅行中だ。
 ちずが已む無く和泉に連絡した理由はわかった気がする。それはいいとして。

「でも、なんで和泉さん裸なんすか……? 玄関に置いて帰ってくれて良かったのに」
 家主の自分はともかく、和泉まで裸で寝ている理由は何だ……。やはり酔った勢いで致してしまったか。
 春田も牧を『夫』にしていたし、和泉の亡くなった恋人も男性だったから、お互いにしようと思えばできなくもない――やはり、責任とか慰謝料なのでは。
「あのまま置いて帰ったら、春田さんが目覚めない可能性があったので」
「えっ……えーと、目覚めないって、……死んでた、みたいな?」
 和泉が低く吐き出した一言に春田は背中が寒くなった。ゆっくりと和泉が上半身を起こす……引き締まった腹、その下にスラックスのウエスト部分が見えた。
「わんだほうから連れ帰ってきたら、春田さん玄関先で吐いてしまったんです。吐瀉物が喉に詰まって窒息するケースは交番勤務の時によーく見てきたので、救急の世話になる前に処置しました」
 上衣は春田の吐いたものの処理をした時に汚れてしまったので、仕方なく脱いだという。
「……お世話かけました」
「いえ。新橋や歌舞伎町辺りではよくやっていたので」
 挙げられた区域が夜の盛り場として有名なところで納得してしまった。おまわりさんって大変なんだな。
 それならクリーニング代も慰謝料に上乗せしないと……春田は預金残高を思い浮かべた。
「そちらの処理が終わって、帰ろうとはしたんです。でも……あなたに泣きつかれてしまって」
「…………」

 吐いた後の片づけをさせた上に泣きついたとか、四十歳になって一年経ったのに何をしているのか。
 知り合いだけど友達というほど親しい間柄でもない気がする。しかも一年も連絡を取り合っていなかった年上の男に多大なる迷惑をかけてしまった……!
 飲み過ぎて記憶を無くすなんて欠点があるから、牧からも捨てられたのかも知れない。それなのに同じ過ちを繰り返してしまうなんてバカすぎる。
「和泉さん……ごめんなさい!」
 ――だけど、深酒をしてしまう理由は、家に居ても牧は帰ってこない現実を見たくなかったから。
 誰も帰ってこない家は広すぎて、静かで、気が滅入ってしまう。だからわんだほうに足が向く――一人で居る淋しさと牧への気持ちを忘れたいがために。
 好きなのに拒絶されてしまった傷はどうしたら塞がるんだろう。愛する人を永遠に喪ってしまった和泉にもこの気持ちがわかるのなら、昨晩のことは許してほしいとも思うが――。
「…………私は、春田さんが一人になったと聞いて、嬉しかった」
 向けられるまなざしに色香が灯る瞬間を、春田は見た。
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