なんでもない特別な日【いずはる】
夕方、数十分ばかり外出して帰って来た和泉の手には、若草色のリボンがかけられた白い箱。
ぱっと見、あまり大きくないサイズのケーキかなと春田は思った。今夜は大人数でパーティでもないので、ふたりで食べるには充分そうな感じがする。
和泉がうやうやしくリボンを解いて、そっと蓋を開けた。
「わ……!」
ケーキだ。色とりどりのフルーツが宝石みたいにきらめいたフルーツタルト。
いちご、さくらんぼ、ぶどう、オレンジ、グリーンキウイ、ブルーベリー、洋梨……どこから切っても全部味わえるように絶妙な飾り付けになっている。
「春田さんの誕生日祝いとお伝えしたら、ものすごく素敵なケーキにしてくれましたね……黒澤さん」
「えっ?」
フルーツのカッティングも一流パティシエばりの美しさ。和泉が口にした名前に春田は目をまるくする。
「え、おれ、一昨日わんだほうでぶちょーにもお祝いしてもらったけど、ケーキのこと聞いてないっすよ?」
「今日まで内緒と約束していたので……驚きました?」
「もう……びっくりっすよ。こんなきれいなの見たことないもん……」
見た目が本当に美しすぎて食べたら食品サンプルでした、なんてオチもありそう。そのくらいにきらきらしていて、色鮮やかで宝石みたいだ。
「幸さん、ありがとう……こういうサプライズだったら、めっちゃ嬉しい!」
「どういたしまして。黒澤さんに会ったら伝えてあげてください」
「はいっ」
宝石みたいなきらめきが心を高揚させてくれるだけではなく、あたたかくしてくれる。
ケーキにかけてくれた一つ一つの手間暇に、どれだけの気持ちがこもっているのか。食べてしまうのが勿体なく思えるけれど、ちゃんと食べてしまうのが最大限の感謝。
そして、食べてみてわかることもある。フルーツの下にはチーズケーキが潜んでいた。
フルーツタルトと言えばアーモンドクリームやカスタードクリームなので、その味に気付いた和泉がいたく感動している。
「こういうのをさりげなくできるのがプロと言うか大人ですね……黒澤さんは」
「ぶちょーはホントかっこいいし優しいしで、ああいう大人になれたらいいなって……少しくらいなれてればいいな」
またひとつ歳を重ねて、なりたい大人だったり、自分の姿に近づけているか。もしかしたら死ぬまで模索しているかもしれない。
目指す理想とは違っているにしても、毎日を生きているだけで儲けものとでも思おうか。
隣に誰がいるか想像してみてもはっきり思い浮かばなかった若かりし日。今は隣に好きなひとがいる。
「創一も優しくて、かっこよくて、可愛い俺のヒーローですよ」
あなたがいてくれるから俺は今生きている。好きなひとは恥ずかしげもなくそう言った。
「……可愛いは、いらないよーな……?」
「いえ、創一は可愛いですよ。愛すべき存在ですから」
そのくちびるから『可愛い』と言われることには一年経っても慣れない。とてもとてもくすぐったい。
可愛いの一言に含まれる感情が膨大で、時々受け止めきれないと感じることもある。向けられてくる愛に溺れてしまう。
穏やかなのに時々激しい、まるで海の波みたいだ。
「幸さんだって、可愛いとこあるし……すごく、かっこいいよ」
のぞかせてくる一面一面が知っている顔でも、初めて魅せてくれる姿でも。知っていくごとに好きになる。
この胸をドキドキさせて、なかなか落ち着かせてくれない愛しいひと。そして、安心をもたらしてくれる優しいひと。
すっと細まる眸に艶が滲んだ。顔が近くなる。
「創一、誕生日おめでとう……俺と一緒にいてくれて、ありがとう」
甘い低音が紡ぎ出したハッピーバースデーのフレーズが鼓膜をふるわせる。ふたりの間にまたひとつ、嬉しい思い出が生まれた夜を祝ってキスをする。
好きなひとを独り占めする、贅沢な一日の終わりには濃密に愛を交わした。
肌のあちこちに浮かんだ痕に照れると、上書きするように口づけられる。次に肌を重ねる時にまで残ってはいないだろうけど、愛し合った記憶は残るから。
■
日が明けて、もう正午に差し掛かる頃――着替えの入ったトートバッグを肩にかけた和泉を、春田は玄関先で見送る。
和泉が今度、いつ帰って来るかははっきりしていないけれど、すごく遠いわけでもない。
行ってらっしゃいのキスにしては長くて濃いのを交わしたあと、名残惜しさをはっきり映したまなざしに捉えられる。
「なるべく早めに帰れるようにするから……待っててください」
そんなまなざしとは裏腹に、和泉の声は幸せそうに響く。帰る家が、待っているひとがいる喜びと奇跡を噛みしめるかのように。
「うん。幸さん、行ってらっしゃい」
好きなひとがいる喜びと、その背中を見送る時の淋しさやせつなさ。春田はそれらをぐっと飲み込んだ。
和泉には伝わっているだろうが、敢えて言わない。そんなわがままみたいなことを口にしたら、和泉は今度こそ本気で警察官を辞めてしまう。
ドアノブに手をかけた和泉が急に振り向いた。すっと近づいてきたかと思えば、触れるだけのキス。
「俺も、創一に会えないのは淋しいです……」
飲み込んだ淋しさを吸い取って、代わりに吐き出してくれた。春田は思わずたくましい肩に抱きつく。
「……待ってるから。ちゃんと帰ってきてね、幸さん」
背中を抱いた手は、ぽんぽんと優しく応えた。
「はい。……あと、来年の誕生日は当日にやりましょう? 創一が生まれた日だし……今回だって、本当は当日にお祝いしたかった」
「…………うん」
言葉が、気持ちが、あたたかく心を満たしてくれる。約束は、和泉が生きようとしている何よりの証。
どんな贈りものにも負けない価値を持つ愛情が、ふたりの笑みを明るくさせた。
ぱっと見、あまり大きくないサイズのケーキかなと春田は思った。今夜は大人数でパーティでもないので、ふたりで食べるには充分そうな感じがする。
和泉がうやうやしくリボンを解いて、そっと蓋を開けた。
「わ……!」
ケーキだ。色とりどりのフルーツが宝石みたいにきらめいたフルーツタルト。
いちご、さくらんぼ、ぶどう、オレンジ、グリーンキウイ、ブルーベリー、洋梨……どこから切っても全部味わえるように絶妙な飾り付けになっている。
「春田さんの誕生日祝いとお伝えしたら、ものすごく素敵なケーキにしてくれましたね……黒澤さん」
「えっ?」
フルーツのカッティングも一流パティシエばりの美しさ。和泉が口にした名前に春田は目をまるくする。
「え、おれ、一昨日わんだほうでぶちょーにもお祝いしてもらったけど、ケーキのこと聞いてないっすよ?」
「今日まで内緒と約束していたので……驚きました?」
「もう……びっくりっすよ。こんなきれいなの見たことないもん……」
見た目が本当に美しすぎて食べたら食品サンプルでした、なんてオチもありそう。そのくらいにきらきらしていて、色鮮やかで宝石みたいだ。
「幸さん、ありがとう……こういうサプライズだったら、めっちゃ嬉しい!」
「どういたしまして。黒澤さんに会ったら伝えてあげてください」
「はいっ」
宝石みたいなきらめきが心を高揚させてくれるだけではなく、あたたかくしてくれる。
ケーキにかけてくれた一つ一つの手間暇に、どれだけの気持ちがこもっているのか。食べてしまうのが勿体なく思えるけれど、ちゃんと食べてしまうのが最大限の感謝。
そして、食べてみてわかることもある。フルーツの下にはチーズケーキが潜んでいた。
フルーツタルトと言えばアーモンドクリームやカスタードクリームなので、その味に気付いた和泉がいたく感動している。
「こういうのをさりげなくできるのがプロと言うか大人ですね……黒澤さんは」
「ぶちょーはホントかっこいいし優しいしで、ああいう大人になれたらいいなって……少しくらいなれてればいいな」
またひとつ歳を重ねて、なりたい大人だったり、自分の姿に近づけているか。もしかしたら死ぬまで模索しているかもしれない。
目指す理想とは違っているにしても、毎日を生きているだけで儲けものとでも思おうか。
隣に誰がいるか想像してみてもはっきり思い浮かばなかった若かりし日。今は隣に好きなひとがいる。
「創一も優しくて、かっこよくて、可愛い俺のヒーローですよ」
あなたがいてくれるから俺は今生きている。好きなひとは恥ずかしげもなくそう言った。
「……可愛いは、いらないよーな……?」
「いえ、創一は可愛いですよ。愛すべき存在ですから」
そのくちびるから『可愛い』と言われることには一年経っても慣れない。とてもとてもくすぐったい。
可愛いの一言に含まれる感情が膨大で、時々受け止めきれないと感じることもある。向けられてくる愛に溺れてしまう。
穏やかなのに時々激しい、まるで海の波みたいだ。
「幸さんだって、可愛いとこあるし……すごく、かっこいいよ」
のぞかせてくる一面一面が知っている顔でも、初めて魅せてくれる姿でも。知っていくごとに好きになる。
この胸をドキドキさせて、なかなか落ち着かせてくれない愛しいひと。そして、安心をもたらしてくれる優しいひと。
すっと細まる眸に艶が滲んだ。顔が近くなる。
「創一、誕生日おめでとう……俺と一緒にいてくれて、ありがとう」
甘い低音が紡ぎ出したハッピーバースデーのフレーズが鼓膜をふるわせる。ふたりの間にまたひとつ、嬉しい思い出が生まれた夜を祝ってキスをする。
好きなひとを独り占めする、贅沢な一日の終わりには濃密に愛を交わした。
肌のあちこちに浮かんだ痕に照れると、上書きするように口づけられる。次に肌を重ねる時にまで残ってはいないだろうけど、愛し合った記憶は残るから。
■
日が明けて、もう正午に差し掛かる頃――着替えの入ったトートバッグを肩にかけた和泉を、春田は玄関先で見送る。
和泉が今度、いつ帰って来るかははっきりしていないけれど、すごく遠いわけでもない。
行ってらっしゃいのキスにしては長くて濃いのを交わしたあと、名残惜しさをはっきり映したまなざしに捉えられる。
「なるべく早めに帰れるようにするから……待っててください」
そんなまなざしとは裏腹に、和泉の声は幸せそうに響く。帰る家が、待っているひとがいる喜びと奇跡を噛みしめるかのように。
「うん。幸さん、行ってらっしゃい」
好きなひとがいる喜びと、その背中を見送る時の淋しさやせつなさ。春田はそれらをぐっと飲み込んだ。
和泉には伝わっているだろうが、敢えて言わない。そんなわがままみたいなことを口にしたら、和泉は今度こそ本気で警察官を辞めてしまう。
ドアノブに手をかけた和泉が急に振り向いた。すっと近づいてきたかと思えば、触れるだけのキス。
「俺も、創一に会えないのは淋しいです……」
飲み込んだ淋しさを吸い取って、代わりに吐き出してくれた。春田は思わずたくましい肩に抱きつく。
「……待ってるから。ちゃんと帰ってきてね、幸さん」
背中を抱いた手は、ぽんぽんと優しく応えた。
「はい。……あと、来年の誕生日は当日にやりましょう? 創一が生まれた日だし……今回だって、本当は当日にお祝いしたかった」
「…………うん」
言葉が、気持ちが、あたたかく心を満たしてくれる。約束は、和泉が生きようとしている何よりの証。
どんな贈りものにも負けない価値を持つ愛情が、ふたりの笑みを明るくさせた。
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