なんでもない特別な日【いずはる】
――目が覚めて、和泉が無防備な寝顔をしていることに春田は安心した。
たまに悪夢でも見ているのか、眉間のしわがすごいことになっているのを知っているからだ。
和泉を起こさないようにベッドを降り、寝室からリビングへ向かう。今日は家で過ごすと決めているから、スウェットのまま着替えなくたって構わない。そのために買い物も多めにしておいた。
今朝は何を食べようか……いつもより一時間ほど遅く起きたが、のんびり用意したっていい。
昨晩、結局飲み残してしまったミルク入りの濃いめのコーヒーはシンクに流して、カップを洗い、いつも飲んでいる濃さでコーヒーを淹れた。
コーヒーの濃さも夜更かしも無理をするものではない。ちょうどいい加減は人それぞれ。恋をするペースも同じ。
ふたりの片方だけに合わせると歪んでいってしまうのは経験しているから、和泉とはお互いの持つペースでゆっくり歩んでいる。若くも無ければそれほど老いてもいない絶妙な年頃にあって、和泉が危険な目に遭っていないか不安も心配もありつつ、言いたいことは隠さない。
作り置きの惣菜もいくつかあるので、主食やメインは和泉が起きてからでもいいやと春田はコーヒーをすする。
平日のまんなか、学校や会社に行く人たちが行き交う道を今日は歩かなくてもいい。
好きなひととのんびり過ごせる、ありふれたようで贅沢な休日。テレビをつけず、コーヒーを飲みつつ、ゆったりとした時間に目を閉じた。
三十分程して和泉ものっそり起きてきた。すっかり落ちた前髪に目元が隠れてしまった姿に、天空不動産にいた頃の彼を思い出す。
出会った頃はこうして一緒にいるなんて少しも想像できていなかったから、人生は不思議だ。
「幸さん、おはよ。コーヒー飲みます?」
「はい……おはようございます、創一」
声はまだまだ眠たそうだった。疲れているならもう少し寝ていてくれても良かったのに。寝ぐせでいつもよりうねっている髪に手を伸ばしてみると、和泉はおとなしくされるがまま。口元が嬉しそうに緩んでいる。
「幸さん、髪くるくるしてるの可愛いね」
「あんまり乾かさないで寝てしまったので、後で整えます……」
「今日くらいこのままでもいいよ。のんびりする日なんだから」
かっこつけない感じで全然構わない。弱いところもかっこいいところも見てきてるから――春田は髪から頬へと指先を移す。
少しぼんやりしている双眸に自分の眸も映して、そのまま顔を近づける。鼻先が触れ合って、くちびるの表面に吐息を受けて……背中と腰に腕が回される。くちびるを優しく座れる感触が甘いしびれを誘った。
キスだけでは物足りない気はするけれど、和泉を独占できるという意味でそればかりになのも違うような。濃厚な楽しみはもう少し後に取っておくとして、一日の始まりはやっぱり朝ごはん。
チーズトーストを頬張った和泉がなんとも言えない表情をした。
張り込み中は即エネルギーになる菓子パンを口にすることが多いので、塩気があって好物のチーズもというところで噛みしめていた。
春田はゆで卵をつぶしてフィリングにした卵サンドにかぶりつく。おうちでつくる卵サンドは具の量も味付けも自分好みにカスタマイズできる良さがある。たっぷりのマヨネーズにアクセントとしてあらびきブラックペッパー。軽くトーストした食パンとの相性も良い。
サラダミックスに作り置きしている蒸し鶏を加えて各々好きなドレッシングをかける。それとコーンスープにコーヒー。
トーストを食べ終わった和泉は、卵サンドにも手を伸ばす。たくさん食べてくれれば春田としても嬉しい。
和泉の身体と心が健やかであることは自分だけではなく、彼が喪った恋人も願ってくれているはずだから。
「……幸さん、おべんとついてる」
もぐもぐしている口の端にフィリングが少しくっついている。春田はそれを指先で拭って舐めた。
和泉が照れたふうな目つきをしつつも何も言わないので、春田も何も言わないで置いた。
「せめて交番勤務のままなら、いつも菓子パンということもないのに……」
「幸さん優秀なおまわりさんなんでしょ? おれだって幸さんと毎日ごはん一緒に食べたいけど」
張り込み先をわざわざ教える警察官はいないし、そこに差し入れを持っていくのも迷惑に違いない。
公安警察官が忙しいのはそれだけ世の中が犯罪に脅かされていると言うこと。平和に過ごせる社会のために日夜頑張ってくれている、滅私奉公という言葉が相応しいくらいに。
「幸さんが頑張ってるから、おれも幸さんのこと待ってるよ」
はっきり約束するわけではない。でも、和泉が警察官という時点で覚悟はしている。良いことも悪いことも待っていると。
「……やっぱり俺、警察辞めていいですか」
大きなため息をつきながら肩を落としてしまった和泉が、とてもせつない声を出す。
「不動産業でヘマばかりやってしまいましたけど、今ならそれなりに出来そうな気がするんですよね……」
書類作成なら警察でもやっているし、防犯関連で地域にも詳しい。なんなら地域活動を手伝うのも全然あり。
警察官としてもベテランの域だ。早期退職して第二の人生を楽しんでいる同期の話も聞いている。年々回復が遅くなっている体力や傷と相談しながら、公安警察官をやっていくのにも限界はある。
「それに、創一と居られる時間も、もっと欲しい……」
大型犬の耳がぺしょっと元気なく垂れる様子が、和泉に重なって見えてしまった。心も擦り減るものだと六道に言われたのを思い出させる。
一緒にいる時間をもう少し、と思うのは春田も同じだ。和泉が甘えているだけなのか、本気で警察官を辞めたがっているのかは訊かないでおいて。
「幸さんひとりくらいなら、養う余裕あるつもりだけど?」
正社員として給料はもらえているし、物価高など闘わなければいけないところはあるものの、和泉ひとりくらいなら養っていける甲斐性がないわけではない。
言うと和泉は苦笑いを浮かべてみせた。さっきの言葉も冗談ではないだろうし、この表情だって。終わらないジレンマとの闘いにどう折り合いをつけていくのかもまた人生。
「創一は本当に、俺を甘やかすのが上手だ……」
「そういうつもりもないけど、幸さんにはいっぱい甘えてほしいなー?」
今まで抱いて来た悲しみや憎しみの分……いや、それ以上に幸せでいてほしい。それが何かの特別じゃなくて、こうして一緒に朝ごはんを食べると言ったごく普通のことでいいから。
「出会ってからずっと甘えっぱなしで、まだ甘えろって?」
「甘えられる時に甘えた方がいいよ、幸さん。このトシになるとなかなかそうもいかないんだからさ」
子どものように手放しで褒められたり、甘えたり。年を重ねれば何が出来ても当たり前だし、人に頼ることにも迷ったりする――だから、そういうひとが傍に居てくれるありがたみも沁みるものだ。
「でも、今日は創一の誕生日祝いなんだから、創一が甘える方なんじゃ」
「おれの誕生日祝いで幸さんのこと独り占めしてるから、別にいいの!」
終わりそうにないやりとりにお互い笑ってしまった。どっちがどっちに甘えてもいい、という話にとりあえず落ち着けて、少し遅めの朝ごはんを食べ終えた。
■
午前中は洗濯をした。ベッド周りのものや、和泉が持って帰って来た数日分の着替えをまとめて。
泊まりがけの仕事だった、その数日分だけインナーやソックスが揺れている。爪先や踵が薄くなっているのを見つけたので、新しいソックスを買っておこうと考える。ネクタイも違う柄があってもいいかもしれない。ネクタイで犯人に怪しまれて逃げられたら和泉が困るだろう。
洗濯物をリビングに干しながらそんなことを思っていると、スーツのしわ取りをしていた和泉がじっと見てるのにも気付けない。
「……創一」
名前を呼ばれて、和泉がすぐ近くにいることに春田は気付いた。
恋人になって物理的にも精神的にもずっと近くなった。近いどころか肉体的につながったりもしているのに、くたびれた感はあれど顔の造作のいい年上の男に近づかれると照れてしまうことがある。
ふと漂う色っぽさ、まなざしに滲む優しさやひとかけらの淋しさ、少し薄めのくちびる。
最初に和泉に感じていたドキドキは『危なっかしい』と心配する方だったのに、気が付けばときめいてドキドキするようになった。
その高鳴りが和泉に気付かれそうで、なんとなく目を逸らしてしまう。
「創一、……キスしてもいいですか」
耳に直接吹き込んでくるのはずるい。許可なんて取らなくてもしてくれたらいいのに。耳が燃えてる。
小さく頷いてみせると、厚みのある手のひらに頬を撫でられた。細められる眸から溢れ出す甘さ、目尻に緩く笑いじわが描かれる。
味わわされる全部が甘いと感じられて、脈動が速くなる。目の端でふわっとワイシャツの袖が揺れた。
春田は和泉の首に腕を絡める。押し付け合うくちびるが濡れた音を響かせた。お互いへの食欲を増幅させる音に体温も上がってくる。
「…………幸さん、ベッド行く?」
日が高い時間に恥じらいも覚えつつ、春田は和泉に訊ねてみる。一緒に過ごすならリビングでもベッドルームでもいい。どんなことをしてもいい。
「あ……いや、……夕方に少し出なきゃいけないので、続きは夜に……」
「仕事?」
「私用です。……今日にとお願いしていることがあって」
どんな用事なのか和泉は言わなかったが、嬉しそうに見つめてくる。多分、良いことなのだろう。
「楽しみにしていいやつ?」
「もちろん。楽しみにしててください」
ちゅっ、と短いキスをしてくれた和泉の声が弾むよう。心に抱く大きな期待感が伝わるようで、春田の顔も自然と緩んだ――好きなひとの、晴れやかな表情が大好きだ。
洗濯物が揺らめいて、淡く香るフレッシュグリーンの柔軟剤。
恋が始まるきっかけのひとつが血のにおいとぬめった感触だったと思うと、和泉とは想いだけでなく信頼もちゃんと深めて来られた気がする。
みずみずしいまではいかなくても、ふたりの恋はゆっくり、確実に進んでいるから。
たまに悪夢でも見ているのか、眉間のしわがすごいことになっているのを知っているからだ。
和泉を起こさないようにベッドを降り、寝室からリビングへ向かう。今日は家で過ごすと決めているから、スウェットのまま着替えなくたって構わない。そのために買い物も多めにしておいた。
今朝は何を食べようか……いつもより一時間ほど遅く起きたが、のんびり用意したっていい。
昨晩、結局飲み残してしまったミルク入りの濃いめのコーヒーはシンクに流して、カップを洗い、いつも飲んでいる濃さでコーヒーを淹れた。
コーヒーの濃さも夜更かしも無理をするものではない。ちょうどいい加減は人それぞれ。恋をするペースも同じ。
ふたりの片方だけに合わせると歪んでいってしまうのは経験しているから、和泉とはお互いの持つペースでゆっくり歩んでいる。若くも無ければそれほど老いてもいない絶妙な年頃にあって、和泉が危険な目に遭っていないか不安も心配もありつつ、言いたいことは隠さない。
作り置きの惣菜もいくつかあるので、主食やメインは和泉が起きてからでもいいやと春田はコーヒーをすする。
平日のまんなか、学校や会社に行く人たちが行き交う道を今日は歩かなくてもいい。
好きなひととのんびり過ごせる、ありふれたようで贅沢な休日。テレビをつけず、コーヒーを飲みつつ、ゆったりとした時間に目を閉じた。
三十分程して和泉ものっそり起きてきた。すっかり落ちた前髪に目元が隠れてしまった姿に、天空不動産にいた頃の彼を思い出す。
出会った頃はこうして一緒にいるなんて少しも想像できていなかったから、人生は不思議だ。
「幸さん、おはよ。コーヒー飲みます?」
「はい……おはようございます、創一」
声はまだまだ眠たそうだった。疲れているならもう少し寝ていてくれても良かったのに。寝ぐせでいつもよりうねっている髪に手を伸ばしてみると、和泉はおとなしくされるがまま。口元が嬉しそうに緩んでいる。
「幸さん、髪くるくるしてるの可愛いね」
「あんまり乾かさないで寝てしまったので、後で整えます……」
「今日くらいこのままでもいいよ。のんびりする日なんだから」
かっこつけない感じで全然構わない。弱いところもかっこいいところも見てきてるから――春田は髪から頬へと指先を移す。
少しぼんやりしている双眸に自分の眸も映して、そのまま顔を近づける。鼻先が触れ合って、くちびるの表面に吐息を受けて……背中と腰に腕が回される。くちびるを優しく座れる感触が甘いしびれを誘った。
キスだけでは物足りない気はするけれど、和泉を独占できるという意味でそればかりになのも違うような。濃厚な楽しみはもう少し後に取っておくとして、一日の始まりはやっぱり朝ごはん。
チーズトーストを頬張った和泉がなんとも言えない表情をした。
張り込み中は即エネルギーになる菓子パンを口にすることが多いので、塩気があって好物のチーズもというところで噛みしめていた。
春田はゆで卵をつぶしてフィリングにした卵サンドにかぶりつく。おうちでつくる卵サンドは具の量も味付けも自分好みにカスタマイズできる良さがある。たっぷりのマヨネーズにアクセントとしてあらびきブラックペッパー。軽くトーストした食パンとの相性も良い。
サラダミックスに作り置きしている蒸し鶏を加えて各々好きなドレッシングをかける。それとコーンスープにコーヒー。
トーストを食べ終わった和泉は、卵サンドにも手を伸ばす。たくさん食べてくれれば春田としても嬉しい。
和泉の身体と心が健やかであることは自分だけではなく、彼が喪った恋人も願ってくれているはずだから。
「……幸さん、おべんとついてる」
もぐもぐしている口の端にフィリングが少しくっついている。春田はそれを指先で拭って舐めた。
和泉が照れたふうな目つきをしつつも何も言わないので、春田も何も言わないで置いた。
「せめて交番勤務のままなら、いつも菓子パンということもないのに……」
「幸さん優秀なおまわりさんなんでしょ? おれだって幸さんと毎日ごはん一緒に食べたいけど」
張り込み先をわざわざ教える警察官はいないし、そこに差し入れを持っていくのも迷惑に違いない。
公安警察官が忙しいのはそれだけ世の中が犯罪に脅かされていると言うこと。平和に過ごせる社会のために日夜頑張ってくれている、滅私奉公という言葉が相応しいくらいに。
「幸さんが頑張ってるから、おれも幸さんのこと待ってるよ」
はっきり約束するわけではない。でも、和泉が警察官という時点で覚悟はしている。良いことも悪いことも待っていると。
「……やっぱり俺、警察辞めていいですか」
大きなため息をつきながら肩を落としてしまった和泉が、とてもせつない声を出す。
「不動産業でヘマばかりやってしまいましたけど、今ならそれなりに出来そうな気がするんですよね……」
書類作成なら警察でもやっているし、防犯関連で地域にも詳しい。なんなら地域活動を手伝うのも全然あり。
警察官としてもベテランの域だ。早期退職して第二の人生を楽しんでいる同期の話も聞いている。年々回復が遅くなっている体力や傷と相談しながら、公安警察官をやっていくのにも限界はある。
「それに、創一と居られる時間も、もっと欲しい……」
大型犬の耳がぺしょっと元気なく垂れる様子が、和泉に重なって見えてしまった。心も擦り減るものだと六道に言われたのを思い出させる。
一緒にいる時間をもう少し、と思うのは春田も同じだ。和泉が甘えているだけなのか、本気で警察官を辞めたがっているのかは訊かないでおいて。
「幸さんひとりくらいなら、養う余裕あるつもりだけど?」
正社員として給料はもらえているし、物価高など闘わなければいけないところはあるものの、和泉ひとりくらいなら養っていける甲斐性がないわけではない。
言うと和泉は苦笑いを浮かべてみせた。さっきの言葉も冗談ではないだろうし、この表情だって。終わらないジレンマとの闘いにどう折り合いをつけていくのかもまた人生。
「創一は本当に、俺を甘やかすのが上手だ……」
「そういうつもりもないけど、幸さんにはいっぱい甘えてほしいなー?」
今まで抱いて来た悲しみや憎しみの分……いや、それ以上に幸せでいてほしい。それが何かの特別じゃなくて、こうして一緒に朝ごはんを食べると言ったごく普通のことでいいから。
「出会ってからずっと甘えっぱなしで、まだ甘えろって?」
「甘えられる時に甘えた方がいいよ、幸さん。このトシになるとなかなかそうもいかないんだからさ」
子どものように手放しで褒められたり、甘えたり。年を重ねれば何が出来ても当たり前だし、人に頼ることにも迷ったりする――だから、そういうひとが傍に居てくれるありがたみも沁みるものだ。
「でも、今日は創一の誕生日祝いなんだから、創一が甘える方なんじゃ」
「おれの誕生日祝いで幸さんのこと独り占めしてるから、別にいいの!」
終わりそうにないやりとりにお互い笑ってしまった。どっちがどっちに甘えてもいい、という話にとりあえず落ち着けて、少し遅めの朝ごはんを食べ終えた。
■
午前中は洗濯をした。ベッド周りのものや、和泉が持って帰って来た数日分の着替えをまとめて。
泊まりがけの仕事だった、その数日分だけインナーやソックスが揺れている。爪先や踵が薄くなっているのを見つけたので、新しいソックスを買っておこうと考える。ネクタイも違う柄があってもいいかもしれない。ネクタイで犯人に怪しまれて逃げられたら和泉が困るだろう。
洗濯物をリビングに干しながらそんなことを思っていると、スーツのしわ取りをしていた和泉がじっと見てるのにも気付けない。
「……創一」
名前を呼ばれて、和泉がすぐ近くにいることに春田は気付いた。
恋人になって物理的にも精神的にもずっと近くなった。近いどころか肉体的につながったりもしているのに、くたびれた感はあれど顔の造作のいい年上の男に近づかれると照れてしまうことがある。
ふと漂う色っぽさ、まなざしに滲む優しさやひとかけらの淋しさ、少し薄めのくちびる。
最初に和泉に感じていたドキドキは『危なっかしい』と心配する方だったのに、気が付けばときめいてドキドキするようになった。
その高鳴りが和泉に気付かれそうで、なんとなく目を逸らしてしまう。
「創一、……キスしてもいいですか」
耳に直接吹き込んでくるのはずるい。許可なんて取らなくてもしてくれたらいいのに。耳が燃えてる。
小さく頷いてみせると、厚みのある手のひらに頬を撫でられた。細められる眸から溢れ出す甘さ、目尻に緩く笑いじわが描かれる。
味わわされる全部が甘いと感じられて、脈動が速くなる。目の端でふわっとワイシャツの袖が揺れた。
春田は和泉の首に腕を絡める。押し付け合うくちびるが濡れた音を響かせた。お互いへの食欲を増幅させる音に体温も上がってくる。
「…………幸さん、ベッド行く?」
日が高い時間に恥じらいも覚えつつ、春田は和泉に訊ねてみる。一緒に過ごすならリビングでもベッドルームでもいい。どんなことをしてもいい。
「あ……いや、……夕方に少し出なきゃいけないので、続きは夜に……」
「仕事?」
「私用です。……今日にとお願いしていることがあって」
どんな用事なのか和泉は言わなかったが、嬉しそうに見つめてくる。多分、良いことなのだろう。
「楽しみにしていいやつ?」
「もちろん。楽しみにしててください」
ちゅっ、と短いキスをしてくれた和泉の声が弾むよう。心に抱く大きな期待感が伝わるようで、春田の顔も自然と緩んだ――好きなひとの、晴れやかな表情が大好きだ。
洗濯物が揺らめいて、淡く香るフレッシュグリーンの柔軟剤。
恋が始まるきっかけのひとつが血のにおいとぬめった感触だったと思うと、和泉とは想いだけでなく信頼もちゃんと深めて来られた気がする。
みずみずしいまではいかなくても、ふたりの恋はゆっくり、確実に進んでいるから。