猫と春。⑧
春田の目の前に立った男は、さわやかな笑顔の後に真剣な目つきをして迫ってきた。
迫力に圧された春田は一歩後ずさってしまう。
しばらく足が遠のいていたおかかおむすび専門キッチンカーのオーナー、六道菊之助がエプロン姿で車から出て来たかと思ったら、ずんずん春田に近づいてきたのだった。
「――春田、創一さん」
「!」
自分から名前を言ったことはないのにどうしてわかったんだ……。多分、和泉に関係する人物だから、警察などそういう関連の人間なら調べたら、簡単に素性もわかってしまうのだろうが。
そんなことをぐるぐる考える春田の上着の胸元を、六道菊之助の指が差した。
上着に付けているネームプレートをそのままにしてオフィスから出てきていたので、名前が知られたのだと春田は気付いた。
それにしてもキッチンカーから出て来てまで何の用事なんだろう。もしかして和泉を探すことへの協力をしなかったから、その方面の恨みか――春田にしてみたら和泉は守るべき部下であり、それ以上に個人として大切になりつつある存在だ。
六道菊之助がどんなに強かろうが、和泉のことは傷つけさせたくない。
「な、なんか、おれに用ですか」
さわやかながら顔立ちのはっきりしたイケメンの迫力に負けじと春田は声を張る。
すると六道菊之助は、エプロンのポケットから手のひらサイズの何かを取り出してみせる。
ほとんど白に近い、ペールピンクのリボンがかかった、艶のある赤い包み紙の真四角の箱。見た目はバレンタインデーのギフトのようだ。
「春田さん、俺……あなたに一目惚れしました。付き合ってください」
笑顔のさわやかさに、とろけそうな甘さが溢れる。これは行列をつくっている女性客らが一撃でハートを射抜かれてしまうやつだ。春田も一瞬、うっかりときめいた程に。
男性に告白されるパターン三回めにして、一目惚れとはっきり言われるとは……じゃなくて。
「あの、なんでおれなんですか……?」
女性人気がすごいのに、何なら彼女選び放題なのに、どうしてこっちに来た。
牧凌太のような性指向なら女性に興味を持たないのはわかるのだが、ステキな笑顔で神対応しているではないか。
「春田さんと出会った時に、この人だってビビッと来たんです」
直感や天啓というものだ。恋とはそういう側面もあるのだと、いつぞやわんだほうで武川部長が管を巻いていたのを春田は思いだした。しかし、そうは言われましても。
胸の奥から浮かんできたのは和泉の顔だった。誰かを好きになるのに時間は関係ない……和泉のことが好きだ、多分。
こんなさわやかイケメンの愛の告白を断ってしまったら、行列の女性客たちから天空不動産にクレームが来る可能性はなんとなくあるかも知れないけれど、それでも背に腹は代えられない。
「――にゃーん!」
「春田さん!」
春田と六道菊之助の間を、黒い影が横切った。反射で顔を背けて戻せば、目の前に広い背中が立ちはだかっている。
「和泉さん……!」
「にゃああ!」
和泉の名前を口にすると、「オレもいるぞ」と黒猫も足元で力強く鳴いた。
「き……六道、春田さんに近づくな。この人は無関係だ」
庇うように前に立った和泉が低く唸る。対峙する相手、六道菊之助に向けられる厳しい声音。
やはり彼らは互いを見知っていた。それなら六道菊之助もただのキッチンカーオーナーではなく、本当に警察関係者なのだろう。
「無関係? もう春田さんを巻き込んでること、アンタがいちばんわかってるくせに」
そして六道菊之助もまた、はっきりと怒気をはらんだ言葉を和泉にぶつけた。
「ちゃんと守れないなら、警察辞めた人間がしゃしゃり出ないでください。迷惑なんだよ」
「っ……!」
迷惑。かなり辛辣な一言だと春田は感じた。さわやかイケメンがどんな顔をしてその言葉を和泉へぶつけたものか気になるところだが、雰囲気がまあまあ険悪で二人の様子を覗くのも恐い。
「にゃあ」
黒猫はするする肩に上ってきて、耳打ちしてきた。
「……菊はオレの同期だ。そんな悪い奴じゃねえ」
ちょっとばかし真面目が過ぎるだけだから気にすんな。と黒猫は苦笑を交えるものの、同期なら六道菊之助も和泉の生徒ではないか……思いっきりバチバチしているのに?
「警察の領分に一般人が首突っ込まないでください。次、現場に来たら即逮捕して拘置所に送りますんで」
うわ怖え。少し引き気味に黒猫がこぼした。『拘置所に送る』が『地獄に叩き落とす』と変換されて春田にも聞こえていた。
そういうことを言えてしまう、つまりさわやかイケメンもただならぬ人物と確信めいたものがあった。
和泉の陰から、六道菊之助はひょいっと春田の傍へ移動する。手に持っていた赤い包み紙の箱を春田に持たせた。
「罠とかじゃないですから。純然たる春田さんへの気持ちなので、良かったら食べてください」
輝き五割増しの笑顔はとても眩しかった。六道菊之助はくるりと背を向け、足取りも軽やかにキッチンカーへ戻っていってしまった。
春田の手に残された色鮮やかなパッケージに、黒猫がすんすんと小さな鼻を寄せる。
盗聴器を探した時といい、元が警察官だけに立派な警察猫だ。
「……へんな感じはしねえから食っていいぜ。本命チョコのにおいはするけど」
「えっ、一目惚れって冗談じゃないの……」
黒猫と春田がひそひそ言い合っていると、和泉がやや青ざめた顔で振り向いた。
「和泉さん、大丈夫……っ」
六道菊之助からの言葉でダメージを負わされたかもしれない。大丈夫か、と問いかけた春田は突然和泉に抱きしめられた。黒猫は素早く地面に降りる。
和泉の指先も肩もふるえているのに春田は気付いた。コートを羽織った背中に手を回して、幼児をあやすように優しく撫でる。
「…………春田さん、すみません」
耳元でぽつりと、和泉が吐き出した。その低い声が泣いているように思える。
「なにも、悪いことしてないんなら、謝らないで」
これが和泉の求める言葉かはわからない。でも、力の入った指先が答えだろう。
安心できるならこの身体でも言葉でも、いくらでも貸すし、与えたい。
好きになったひとには笑っていてほしい。哀しいなら寄り添いたい。せっかく近くにいるのだから、少しでも心穏やかでいてほしい。
「…………春田さんは、私に甘すぎです」
甘やかされてばかりで、離れたくなくなってしまう。自嘲めかす和泉に、春田は微笑む。
「おれで良かったら、めちゃくちゃ甘やかしちゃいます」
でも仕事はビシバシいきますからね? あと一ヶ月半残っている研修期間は甘くしない。甘やかすのは仕事から離れた時間だけ、と告げてみる。
和泉がゆっくりと顔を上げた。前髪に隠れがちな目の奥に灯る熱が、胸のずっと奥底までも貫いてくるようでドキドキする。
「……にゃああ」
黒猫が呆れた鳴き声をあげた。はっきりしろ、とばかりに。
迫力に圧された春田は一歩後ずさってしまう。
しばらく足が遠のいていたおかかおむすび専門キッチンカーのオーナー、六道菊之助がエプロン姿で車から出て来たかと思ったら、ずんずん春田に近づいてきたのだった。
「――春田、創一さん」
「!」
自分から名前を言ったことはないのにどうしてわかったんだ……。多分、和泉に関係する人物だから、警察などそういう関連の人間なら調べたら、簡単に素性もわかってしまうのだろうが。
そんなことをぐるぐる考える春田の上着の胸元を、六道菊之助の指が差した。
上着に付けているネームプレートをそのままにしてオフィスから出てきていたので、名前が知られたのだと春田は気付いた。
それにしてもキッチンカーから出て来てまで何の用事なんだろう。もしかして和泉を探すことへの協力をしなかったから、その方面の恨みか――春田にしてみたら和泉は守るべき部下であり、それ以上に個人として大切になりつつある存在だ。
六道菊之助がどんなに強かろうが、和泉のことは傷つけさせたくない。
「な、なんか、おれに用ですか」
さわやかながら顔立ちのはっきりしたイケメンの迫力に負けじと春田は声を張る。
すると六道菊之助は、エプロンのポケットから手のひらサイズの何かを取り出してみせる。
ほとんど白に近い、ペールピンクのリボンがかかった、艶のある赤い包み紙の真四角の箱。見た目はバレンタインデーのギフトのようだ。
「春田さん、俺……あなたに一目惚れしました。付き合ってください」
笑顔のさわやかさに、とろけそうな甘さが溢れる。これは行列をつくっている女性客らが一撃でハートを射抜かれてしまうやつだ。春田も一瞬、うっかりときめいた程に。
男性に告白されるパターン三回めにして、一目惚れとはっきり言われるとは……じゃなくて。
「あの、なんでおれなんですか……?」
女性人気がすごいのに、何なら彼女選び放題なのに、どうしてこっちに来た。
牧凌太のような性指向なら女性に興味を持たないのはわかるのだが、ステキな笑顔で神対応しているではないか。
「春田さんと出会った時に、この人だってビビッと来たんです」
直感や天啓というものだ。恋とはそういう側面もあるのだと、いつぞやわんだほうで武川部長が管を巻いていたのを春田は思いだした。しかし、そうは言われましても。
胸の奥から浮かんできたのは和泉の顔だった。誰かを好きになるのに時間は関係ない……和泉のことが好きだ、多分。
こんなさわやかイケメンの愛の告白を断ってしまったら、行列の女性客たちから天空不動産にクレームが来る可能性はなんとなくあるかも知れないけれど、それでも背に腹は代えられない。
「――にゃーん!」
「春田さん!」
春田と六道菊之助の間を、黒い影が横切った。反射で顔を背けて戻せば、目の前に広い背中が立ちはだかっている。
「和泉さん……!」
「にゃああ!」
和泉の名前を口にすると、「オレもいるぞ」と黒猫も足元で力強く鳴いた。
「き……六道、春田さんに近づくな。この人は無関係だ」
庇うように前に立った和泉が低く唸る。対峙する相手、六道菊之助に向けられる厳しい声音。
やはり彼らは互いを見知っていた。それなら六道菊之助もただのキッチンカーオーナーではなく、本当に警察関係者なのだろう。
「無関係? もう春田さんを巻き込んでること、アンタがいちばんわかってるくせに」
そして六道菊之助もまた、はっきりと怒気をはらんだ言葉を和泉にぶつけた。
「ちゃんと守れないなら、警察辞めた人間がしゃしゃり出ないでください。迷惑なんだよ」
「っ……!」
迷惑。かなり辛辣な一言だと春田は感じた。さわやかイケメンがどんな顔をしてその言葉を和泉へぶつけたものか気になるところだが、雰囲気がまあまあ険悪で二人の様子を覗くのも恐い。
「にゃあ」
黒猫はするする肩に上ってきて、耳打ちしてきた。
「……菊はオレの同期だ。そんな悪い奴じゃねえ」
ちょっとばかし真面目が過ぎるだけだから気にすんな。と黒猫は苦笑を交えるものの、同期なら六道菊之助も和泉の生徒ではないか……思いっきりバチバチしているのに?
「警察の領分に一般人が首突っ込まないでください。次、現場に来たら即逮捕して拘置所に送りますんで」
うわ怖え。少し引き気味に黒猫がこぼした。『拘置所に送る』が『地獄に叩き落とす』と変換されて春田にも聞こえていた。
そういうことを言えてしまう、つまりさわやかイケメンもただならぬ人物と確信めいたものがあった。
和泉の陰から、六道菊之助はひょいっと春田の傍へ移動する。手に持っていた赤い包み紙の箱を春田に持たせた。
「罠とかじゃないですから。純然たる春田さんへの気持ちなので、良かったら食べてください」
輝き五割増しの笑顔はとても眩しかった。六道菊之助はくるりと背を向け、足取りも軽やかにキッチンカーへ戻っていってしまった。
春田の手に残された色鮮やかなパッケージに、黒猫がすんすんと小さな鼻を寄せる。
盗聴器を探した時といい、元が警察官だけに立派な警察猫だ。
「……へんな感じはしねえから食っていいぜ。本命チョコのにおいはするけど」
「えっ、一目惚れって冗談じゃないの……」
黒猫と春田がひそひそ言い合っていると、和泉がやや青ざめた顔で振り向いた。
「和泉さん、大丈夫……っ」
六道菊之助からの言葉でダメージを負わされたかもしれない。大丈夫か、と問いかけた春田は突然和泉に抱きしめられた。黒猫は素早く地面に降りる。
和泉の指先も肩もふるえているのに春田は気付いた。コートを羽織った背中に手を回して、幼児をあやすように優しく撫でる。
「…………春田さん、すみません」
耳元でぽつりと、和泉が吐き出した。その低い声が泣いているように思える。
「なにも、悪いことしてないんなら、謝らないで」
これが和泉の求める言葉かはわからない。でも、力の入った指先が答えだろう。
安心できるならこの身体でも言葉でも、いくらでも貸すし、与えたい。
好きになったひとには笑っていてほしい。哀しいなら寄り添いたい。せっかく近くにいるのだから、少しでも心穏やかでいてほしい。
「…………春田さんは、私に甘すぎです」
甘やかされてばかりで、離れたくなくなってしまう。自嘲めかす和泉に、春田は微笑む。
「おれで良かったら、めちゃくちゃ甘やかしちゃいます」
でも仕事はビシバシいきますからね? あと一ヶ月半残っている研修期間は甘くしない。甘やかすのは仕事から離れた時間だけ、と告げてみる。
和泉がゆっくりと顔を上げた。前髪に隠れがちな目の奥に灯る熱が、胸のずっと奥底までも貫いてくるようでドキドキする。
「……にゃああ」
黒猫が呆れた鳴き声をあげた。はっきりしろ、とばかりに。
