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猫と春。⑦

――猫がひとのことばを話すなんてそんな、マンガやアニメじゃあるまいし。
 たまーに「うまい」とか言っているように聞こえる鳴き声の猫は動画とかで見るけれど。
 缶ビールはまだ開けていないので、入ったアルコールは夕食の時に和泉と一缶を分け合ってグラスに注いだビールの分くらいだ。アルコールのせいでなければ……。
「……疲れてるんだな、おれ」
 日々の業務に加えて和泉の新人教育もしている分、疲れているのだ。幻聴は疲れのせいと思うしかない。
「はー? ふっざけんなよ、和泉さんとべろちゅーまでしておいて!」
「べろちゅーしたのおれからじゃねえし! いってっ!」
 飛んできた猫パンチはとても痛い。どうやら夢や幻聴ではないようだった。
 真崎秋斗と自ら名乗った黒猫は、和泉が愛し亡くした真崎秋斗本人らしい。
「なんで猫なの。人間じゃなくて?」
「人間に転生できるまでまだまだポイントが足りねえんだ。でも、猫に変身するくらいには貯め込んである」
「何それ、あの世ってポイントシステムあんの? どゆこと……?」
 あの世と言われると、寺社仏閣にある地獄絵図のようなおどろおどろしい世界が思い浮かぶだけに、ポイントシステムが導入されているのかと感心してしまう春田だ。現世と同じようにシステム化しているらしい……それは今置いといて。
「秋斗はなんで、こっちに来てるの?」
 猫の姿になってまであの世から戻って来たのはどうしてだろう。やり残したことや未練、そういった思いが強いと成仏できなくて地縛霊になってしまう話もあったりするから。
「そりゃ、和泉さんの生存確認に決まってんじゃん」
「…………」
 今までの和泉の発言や様子からして生きること、引いてはこの世への執着が薄いように春田も思うフシはあったが、まさかあの世に渡った恋人に心配させるレベルだったとは。
「てか、生存確認って、ホイホイあの世から来れるもんなの? あの世から見守ってるとかじゃなくて?」
 亡くなった家族が空から見守っているとか草葉の陰とか、そうやってこの世の人間をどこかから見守っているのではなかったのか。
「冥府から現世見れるの裁判官とかそっち関係者だけだし、閲覧制限もある。死んでたかだか三年ぽっちのヒラがおいそれと見れるかっての」
 やっぱりなんだか、想像していたあの世とは違うみたいだ。だったら秋斗はあの世でどうやって和泉の生存確認をしようと思ったんだろう。愛する男が生きているかもわからないから、心配して黒猫の姿になってまで舞い戻ってくるほどに。
「あっちじゃ現世の人間からの気持ちが花びらになって降ってくるんだよ。淋しいも哀しいも、嬉しかったも楽しかったも気持ちは全部花びらになるんだ」
 そして、気持ちを映した花びらを受け取れば誰からの気持ちなのかもわかる。必ず月命日に降ってくる花びらのなかには和泉からの想いもあったのだが、一年ほど前から途絶えてしまったらしい。
 花びらは現世からの贈りものだから、現世に存在しなくなれば当然降ってこなくなる。
「へえ……そういうことなんだ」
「そういうことなんだよ。……まあ、和泉さんの生存確認もだけど、こっち来たのは普通に仕事」
「あの世に行っても仕事してるの……? ええ……、死んでも働かなきゃなんだ」
 死んでからも労働って、人間って永遠に仕事漬けじゃん。それって日本のあの世特有?
 なら「ご冥福を……」って何なんだ。祈られても安らぎはないってことなのか。
 訊くと黒猫は首を横に振った。
「そいつは人による。現世での行動をポイント化。善行を積んだ分はプラス、悪行はマイナスで算定される感じ。プラマイゼロとかちょっとだけマイナスなら刑場送りにはならねえし」
 大幅プラス査定なら極楽ルートだぜ。黒いしっぽを揺らめかせながら、猫の口からすらすらあの世の査定システムが説明される。
やっぱり思っていたのとは違うなと春田は小首を傾げた。
 秋斗もあの世に行って面接のような裁判を全部で十回受けたという。
 最初は週に一度の面接を裁判所を七か所巡って七回。それから冥府の裁判所の事務仕事のサポートをするように言われて、死んでちょうど一年経った日の面接時に今いるあの世での職場へ配属されたそうだ。
 配属先は、現世で言うところの警察みたいな部署らしい。
「やってることはこっちの警察とそんな変わらねえよ。上司も同僚も元ポリス多いし」
 あの世の平和(?)も警察官に守られているのか。曰く、冥府の裁判所での事務サポートより勝手がわかるので、秋斗にとったら適材適所なのだろう。
「じゃあ、その、秋斗はあの世の警察の仕事で来たんだ?」
「まあな。オレの仕事は偵察程度だったんだけど――春田のせいで事情が変わった」
「え? おれのせい?」
 円形クッションを前足で踏みつつ、黒猫はこくりと頷く。
 あの世で管理されている膨大な記録のなかに、現世に密に関わるものとして命日が記されたリストがある。
 命日は人間が現世に誕生した時点である程度決められてはいるが、病気や生活習慣などで変動はある。命日がはっきり決まるのはその人間がこの世を去る七日前。
 一番目の裁判所から冥府の各部署へ通達がされ、命日には迷わずあの世へ来られるように警察から迎えの職員が現世へと派遣される。多くの人間はそうして現世からの旅立ちを迎えるものだ。
「オレのとこにも係が来た。春田のとこにもそのうち来るからな」
「それお迎えじゃん。そのうちってまだわかんないじゃん……」
 第一の裁判官からの通達に従って『お迎え』は現世に来るが、時々命日になっても抗おうとする人間は一定数いる。
 未練を持たない人間は珍しくもない。秋斗も和泉への未練はもちろんある。けれど現世にかじりつくための鎖とはならなかった。未練はあれど、既に定められてしまった命日の方が効力は強い。
 死に抗える者は人間を含めて現世には存在しない。生きとし生けるもの全てに等しく訪れるものなのだが。
「強すぎる執着で命日から逃げおおせる奴がいるんだ。その日の裁判名簿に名前はあるのに本人が来てねえと裁判が滞る。執着で命日を逃れた人間を探して、あの世に連れてくのがオレがいる課の仕事だな」
 現世に強すぎる執着を持つとあの世へ向かうべき命――タマシイと呼ばれるものが執着により強固に肉体へと根を張り、命日を過ぎても生き長らえる。心臓を動かす生命の火はとっくに燃え尽きてしまっている状態だから、燃料となるのは現世に根を張る執着そのもの。それはもう人間と呼んでいいものか。いや、本能の外にある我欲へ執着をするからこそ人間とも言える。
 しかしあの世では、裁判官からの召喚に従わなかったと見なされ、下される刑罰もより重くなる。
 死という理を外れようとした、あの世の規律を乱す者をどんな理由であれ、裁判官たちは絶対に許さない――。
「怖い! あの世の裁判官怖すぎる!」
「だからこの世に未練は持っても、執着はするんじゃねえぞ」
 十名の裁判官と直属の上司からの指令で、秋斗は黒猫の姿をとって命日から外れて生きている人間を探っていた。本来なら一年前にその日を迎えていたのに、執着の根が深すぎるあまりに死の運命を無理やり捻じ曲げ、三途の川を目前に迎えの手から逃れたようだ。
「逃げられても大丈夫なもんなの」
「大丈夫じゃねえよ。執着に生かされてるから半分死んでる。崩れてないゾンビみたいなもんだってさ」
 見た目には普通に生きているし、自我や意識はあるようでも、執着で動いているから何をしでかすかわからない。
 執着の矛先にもよるが、それが誰かを傷つけでもしようものならマイナスポイント上乗せで過酷な刑場に送られる可能性が高くなる。
「執着の根さえ断ち切れば連行はできるんだ……ただ、春田がイレギュラーだった」
 話が戻ってきてしまった。秋斗が探っている相手が現世に執着する理由を無くせれば苦しませずに連れて行けたが、春田の存在が事情を変えてしまったという。
「いや、だから、なんでおれのせいなの」
 仕事上のミスにしてもこちらのせいにしないで欲しい。秋斗の直接的なミスでないにしても、少し気分が悪くなる。
 ふんす、と鼻息を出した黒猫は春田に飛びつき、唇に口をぎゅっと押し付けてきた。
「春田が、和泉さんをまともに生かそうとしてるからだよ」
「……ん、んん?」
 和泉をまともに生かそうとしているとは、どういうことだ……。養っているつもりはない。
 黒猫の肉球が頬をぱしぱし叩いてくる。
「自覚はどうでもいいんだよ。春田がやってることが和泉さんにとって良いこと。でも、それで都合が悪くなる人間もいるって話」
 都合が悪くなる人間が誰だか知らないが、それは秋斗が探っている誰かのことだろう。その人物にとって、和泉がまともに生きる方に向かうのは都合が悪いらしい。
「それって、その人にとって和泉さんが元気だとダメってこと?」
「甘い言葉ってやつは、心が弱ってれば弱ってるほど効果的だからな」
 弱気になっている時ほど楽な方に目は向くものだし、甘い言葉に付け込まれる。相手のペースに乗せられて、操られ、心身ともに乗っ取られる。
 和泉がこれまでそういう言葉から逃れていたのは、強く愛する存在を奪った人間への復讐心を持っているから。目的さえ果たせれば死んでも構わない、かたい覚悟と意思で無意識に跳ね除けていたらしい。
 ただでさえ和泉の心を動かすことが難しい状況なのに、そこへ春田創一が現れた。
 それまでの和泉は復讐のために肉体さえ動いていたらいいと、食事も睡眠も最低限だった。
 生きるために体内から出される信号を無視しているも同然だった和泉の生活のなかに春田の存在が少しずつ溶け込み、欲を取り戻すまでになった。
「和泉さんが刺されて帰って来た時、春田が居てくれてほんとに助かった。迎えの姿はなかったけど、もう少し遅かったら緊急連絡いってたな」
「おれもああいうのは一回でいいや……。警察? 公安なら慣れてるかもだけど」
「和泉さん、そういうとこあるからなあ。でも、春田に見つかってから荒事は避けてるな」
 復讐したい相手のアジトを探りには行っているが、自分から攻撃は仕掛けていない。逃げに徹してなるべく生傷はつくらないようにしている――。
「でも、復讐相手のとこには行ってるんだろ……。顔とか知られてないの」
「下っ端は多分知らねえよ。ああいう犯罪グループはメンバーの入れ替わりもしょっちゅうあるんだ」
 それに元公安警察官が簡単にヘマもしない。まるで見て来たかのように黒猫は話す。
 つまり、この猫――秋斗も春田のところへ顔を出す時以外は、あの世の警察の仕事をしているのだ。命日を逃れた人間を追っているのなら、和泉が追う復讐相手とつながっていたりするんだろうか……。
 殺人犯と執着で生き延びている人間だ。和泉にも秋斗にも危険がないようにと春田は心のなかで願う。
「……春田のそういうとこ、オレは嫌いじゃない」
 一瞬、黒猫のからだがほわっと淡い光をまとった。その光はすぐに消えてしまったが、猫は満足そうに舌なめずりする。
「人の思いが良くも悪くも力になるんだ。春田の気持ちは良い方だな」
「その気持ちって、秋斗のポイントになるやつ?」
「うん。良い方に思われるってのもプラスのうちだからな」
 にっと歯を見せる黒猫の顔に重なる、和泉のペンダントのなかの真崎秋斗の笑顔。
 もしも、秋斗がこの世から去る前に出会えていたら、友だちになれていただろうか……そんなこと、考えるまでもない。猫の姿だろうと、友だちになれたのだから。
「ところで春田、和泉さんに好きって言わねえの?」
「っ……!」
 そして、猫と恋の話をするのは前代未聞ではないかと思う春田だった。
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