嘘吐き小説家の葛藤【帝幻】
夜。
帝統はもうそこには居なくて、仕事も終わっていてやることのない幻太郎は、食事もそこそこにお風呂に入ろうと立ち上がる。
まだ浴室を洗っていないので、扉を開けて洗おうとした。
なんだかいつもと空気が違う気がして、ぐるりと見回す。
すると、シャンプーの位置が少しズレていたり、濃い色の長い髪の毛が落ちていたりして、あぁそうか、帝統が使ったのだ、と思い出すと、一気に体温が上がる。
ここで、裸になって、ここにある道具や石鹸類を使って、全身を······洗ったのだと。
ダメだ、まるで変態みたいじゃないか。
本当は、この感情の名前を知っている。
職業柄、語彙には長けている自信もある。
だけれど、気付いてしまったら最後だ。
幸いにも、嘘が得意なのだ。
それは自分に対しても、である。
幻太郎は急いで風呂を洗って、なるべく長居しないようにその日はシャワーだけで済ませた。
夜の街のファストフード店で、今日は何をしようかと思いながらコーラをすする。
帝統は幻太郎の家を後にしてから、おとなしく日雇いバイトをしてその日のご飯代をゲットした。
ハンバーガーをかじり、残った金で今日も賭場に行くか。
そんなことをぼんやり考え、ふと咀嚼が止まる。
幻太郎のサンドイッチの方が100倍うめぇわ、と。
いや、ハンバーガーも美味いけど。
でもあの綺麗な手で、俺だけのために作った、と思うだけで、心臓がムズムズしてくる。
ダメだ、こんな精神状態じゃギャンブル勝てる気がしねぇ。
今日は、ネカフェでゆっくり過ごすのもアリか。
そう思い、立ち上がる。
すると、自分の髪の毛からほのかに香る自分のものでは無い匂いに気付く。
あのシャンプー、すごい匂いが長持ちなんだな···とどうでもいいことを考えた。
さっきから、よぎるのは幻太郎のことばかりだ。
そしてその度に、会いたいと思う。
この感情には覚えがある。
だけれどそれは、男性にむけて感じたことは1度もない。
だけれど気付いてしまうと、もう居ても経ってもいられなくなる。
帝統はそのまま、ネカフェではない方へと歩き出した。
時間はまた、夜の23時頃だ。
もしかしたら寝ているかもしれない。
マンションの下から窓を見て、もし灯りがついていたら。
そうしたら確かめに行こう。
自分の気持ちを。
これは賭けだ。
そう思った。
ほどなくして、幻太郎のマンションへと到着する。
見上げると、灯りは···消えていた。
そりゃそうだ。
賭けは負け。
帝統は回れ右をして、馴染みのネカフェへと向かおうと、左足を出す。
「······だい、す」
まさか、と振り返る。
息を切らしてそこに立っていたのは、見上げた部屋の住人で。
「な、寝てたんじゃ···」
「たまたま、外見たらっ、いて、あの、なんで、帰る···」
息を整えることもせず、途切れ途切れ伝えてくる。
あの夢野幻太郎が、息も絶え絶えになるくらい、走ってきたというのか。
それが、どうしようもなく嬉しくて、あぁ自分の気持ちなんか確かめるまでもない。
「電気消えてたから、帰ろうと思っ···」
「ま、って、ください」
ゆっくりと言い、帝統の服の裾を控え目に掴んだ。
「なんでそんな走ってきたんだよ。別にほっとけばいいだろ?」
そうだ、ほっとけばいい。
夢野幻太郎はそういう人間だし、走って止めに来るなんて、まったくもってらしくない。
それでも、止めに来た。
幻太郎はゆっくり息を整えて、俯いたまま小さい声を絞り出した。
「嫌なんです、もう、」
「俺が?」
「そうですよ、ほんとに。小生が、必死で、消そう消そうと思ってるのに、」
顔をあげた幻太郎の、帝統を真っ直ぐ見る大きな瞳には、涙が滲んでいた。
「いつもあなたは、出ていってくれない···っ」
気が付くと、その綺麗で儚い生き物を、思いっきり抱き締めていた。
「だいす、くるし···」
「いつまでも、お前ん中に居座ってやろーかなと思って」
幻太郎は、グイッと帝統を押して離そうとするが、腕力が違うのかビクともしなかった。
仕方がないのでそのまま。
仕方がないから。
「前世は姫と武士かもしれませんが、今世では違います。ただの男2人が、どうなるというのでありんしょ?」
ふざけた言い方しないと深刻になってしまう。
なるべく冗談で済ませられるように、必死で伝えた。
冗談でなくなったらいけない、と。
「そんなちっせぇことに、こだわるようなやつに見えるのかよ」
見えないから忠告しているんだ。
ただでさえ女尊男卑のこの世の中で、同性愛など蔑まれるだけだ。
自分は良いとしても帝統が好奇の目で見られることは、どうしても耐え難い。
だから自分の気持ちも、ずっと無視し続けてきたというのに。
走ってきてしまった。
会いたいと思ったときに、来てくれたから。
どうしようもなく嬉しくて、柄にも無く全力で、走った。
それが、答えだった。
幻太郎はそこから逃れるのを諦めて、力を抜く。
もうこれ以上の無視は無駄だ。
帝統がこっちを見てしまった以上、こちらがどれだけ無視し続けてもこうやって突き付けられる。
だから、最後の忠告だ。
「帝統を守ることが小生に出来るかどうか、自信はありませんよ」
偏見や、好奇の目から。
本当は守りたかったから、大切だから。
気付いてはいけない感情だったのに。
見上げると、こんなにも近くに帝統の顔があって、思いっきり赤面する。
夜で良かった。
こんな顔見られたくない。
「うるせぇよ。そんなもん期待してねぇ」
「せっかく小生がこんなにも我慢したというのに」
小さくため息をつく。
言うまでもなく照れ隠しだ。
「なんかあったら、そんときは···」
「そのときは···?」
「思いっきり逃げよーぜ」
「···ぅはは」
「笑い方!」
帝統の言葉に、少しだけ、心が軽くなった。
ありがとうとは、意地でも言わないけれど。
おわり
4/4ページ