嘘吐き小説家の葛藤【帝幻】
幻太郎が部屋に戻ると、帝統は先にベッドに潜り込んでいた。
壁の方にぴったりとくっついて、こちらに背中を向けている。
寂しくなったけれど、別にどうこうなりたいわけでもないし、自分の感情に明確な名前をつけたわけでは、まだない。
幻太郎は、徹夜の眠い目を少しこすって欠伸をしながらその隣に背中を見るように寝転がった。
あぁ、そういえばこの男を風呂に入れるのを忘れている。
だけれど、もうそれも面倒で、幻太郎はそのまま瞼を下ろした。
よほど眠かったのか、寝息が聞こえたのはそのすぐ後。
それに気付いた帝統は、早っ!と呟いて小さくため息をついた。
「やっぱり完徹じゃねぇかコイツ···」
その場でモゾモゾと向きを変えると、幻太郎がこちらを向いた状態ですぅすぅ眠っている。
気持ちが落ち着かないままの帝統は、顔を合わせるのがなんだか気まずくて狸寝入りを決め込んでいたのだが。
絶対起きていると気付かれると思ったのに、そんな余裕すらなかったのだろう。
洗濯なんかさせて、少し申し訳ない気持ちになる。
幻太郎の顔をまじまじと見る機会などはそうそうなくて、長い睫毛や綺麗な鼻筋、そして透き通ったような肌を、これでもかと言うくらい観察した。
ぼんやりとした朝焼けの色が肌に溶け込んで、なんだか触れてはいけないような、それでも触れてみたいような、不思議なものが込み上げてくる。
帝統は左手をゆっくりと頬に近付けた。
だけど触ったら壊れてしまいそうで、その手をそっと元に戻す。
壊れてしまいそうなのは幻太郎ではない。
自分と、自分と幻太郎の関係だ。
触った瞬間、すべてが壊れて元に戻らないような気がした。
帝統は、今までだって女性男性問わずギャンブルの末に関係を持つことはあった。
もちろん愛情などがついてくるようなものも経験した。
それを怖いと思ったことは無いし、関係が壊れることなんて想像したこともなかった。
だから、今の自分の感情が少しいつもと違っていて、それがまた怖かった。
帝統は、引っ込めた手を握り締めて、そのまま瞼を下ろした。
幻太郎が目を覚ますと、目の前に帝統の顔があって一瞬驚いた。
だけれど、あぁそういえば隣で寝たな、と思い出して安堵する。
相変わらずのだらしない寝顔に、フフっと笑いが零れた。
この関係が、ずっと続けばいい。
そんな、嘘か本当か自分でもわからないような言葉が浮かぶ。
心臓がぎゅうっと掴まれるような、そんなありきたりな言葉だった。
「······げんたろー」
「おや帝統。おはようございます」
「おまえさぁ、きれいだな」
「······はぁ」
そうしてもう一度、目を閉じた。
「寝言···」
しばらく様子を見ていると、またイビキをかきはじめたので、また幻太郎は笑ってしまう。
寝言で褒められるのも、悪い気はしないな。
男に綺麗なんてなかなか言わないだろうに、わざわざ名指しで。
「だいす、」
そのあとの言葉は紡げなかった。
次に帝統が目を覚ました時には、幻太郎はいなかった。
温もりすら残っていなくて、時間が結構経っていることを知る。
ベッドから降りて部屋を出ると、キッチンで何やら作ってるようで、こちらの物音に気付いた幻太郎は手元を見たまま「臭いのでお風呂入ってください」と告げる。
そういえば昨日はシャワーすら浴びていなかったことに気付くと、お礼を言って浴室を借りる。
お風呂は玄関の近くにある目立たない扉の向こうだった。
入ると浴槽にお湯がはってあって、わざわざ起きて用意してくれたことを知った。
なんでそんなに気が回るんだろうか。
逆の立場だったら、自分はこんなに気が利かないだろうと思う。
身体を洗ってからお湯に浸かると、久しぶりの湯船にじんわりと癒された。
浴室を出ると、タオルと洗濯してくれていた自分の服が綺麗に置いてある。
いたれりつくせりとはこのことだ。
頭をガシガシ拭いて身体も適当に水分をとり、服を掴んだけれど、なにぶん暑い。
服は後でいいか、と下着だけ履いて脱衣所を出る。
そのままリビングダイニングに戻ると、ソファにちょこんと座った幻太郎がこっちをちらりとみた。
「なんで裸なんです。風呂に行くフリして賭場にでも?」
「ちげーよ!暑いから少し涼もうと思っただけだわ!」
そう言いながら幻太郎の横にドスンと座ると、髪の毛から滴る水分と、ほんのり香る幻太郎のシャンプーの匂い。
帝統もそれに気付いたようで、鼻をくんくんさせている。
「もう臭くねーだろ?ほら、幻太郎とおんなし匂い···が······」
そこまで言って急激に恥ずかしくなり、それ以上の言葉は出なくなる。
ただでさえ匂いで少し頭がクラついていた幻太郎は、まさかのそんな帝統の様子を見て、全身が熱くなってきた。
「······そうですね、不本意ですが仕方がないです。次回からは帝統のために犬用シャンプーを常備するとしましょう」
「なんでだよ!」
「嘘ですよ。はい、朝ごはんです。もう昼近いですけど」
机の上に置いてあったのはサンドイッチで、幻太郎ってパンとか食うんだなぁとか、ゆで卵じゃなくて厚焼き玉子が挟んであるなとか、そんなことを考えるようにした。
例えば、俺に食わせるためにその綺麗な手で作ってくれたんだとか、このマヨネーズが指についたときにペロッと舐めるみたいなお行儀の悪い仕草をしたのかもしれないだとか、そういうことはなるべく考えないように。
考えないように。