中編
素敵な夜というには今日は天候が悪く、遠くの空では時折白い閃光が煌めいた。
黒に白い光は映えるし、素敵だと思えないことも無いだろう。
だがその音自体は荒々しく醜いものだ。
私が受け入れるのは閃光のみである。
私はベッドに座り込んだ男の隣に座り込んだ。
対面にあるソファに座ってもいいのだが、ベッドと距離があるから話しにくい。
それに彼と顔を合わせて長時間話すことは避けたかった。
私の心に残った少しの良心からか、警報が鳴り響いていたからか、私は心をそわそわとさせる元凶の言葉を黙って待つことにした。
セルウィン家は色がない。
白いシーツに白い布団、白い枕に白い脚。
白いソファに白いテーブル、白い時計に白いカップ。
混沌の時代、闇から逃げた父は屋敷に存在する黒い物を全て取り去った。
真っ白な無機質な空間が作り上げられたのだ。
バーティのストローブロンドの髪と私の漆黒のような黒髪だけが異質だった。
レジーが生きているのだと告げれば、バーティはきっとこの屋敷から去るのだろう。
レジーを連れて。
「聞きたいことは幾つかあるが、まず君がウィゼンガモットの一員となったことを祝福すべきかな?」
やっぱり彼はバーテミウス・クラウチ・ジュニアであった。
優等生で賢く綺麗な少年だった。
貴族は遠回しな会話を楽しむものだ。
私はそう教えられてきたし、そのように振る舞ってきた。
だから彼の社交辞令にも微笑まなければいけないのだ。
「ええ、そうなの。卒業してから一月でウィゼンガモットの中級書記官になったのよ。誰かさんなら、上級書記官だって、名誉ある大臣付きの次官にだってなれたのかもしれないのに、残念だわ。」
誰かさんなんて白々しい言葉を使うことを許して欲しい。
私はあなたが羨ましいし、妬ましかった。
勿論、レジーに対しても劣等感を持っていた。
私がどんなに努力しても2人程の成果を手にすることは出来ない。
聖28一族にも優劣が存在する。
闇のブラック、光のクラウチ。
中途半端なセルウィンは可もなく不可もなく、中の上程度の評価を得ていた。
だからこそ、私は2人の持つブランドに嫉妬し妬ましく思う事も多々あった。
本来ならバーティが首席になるはずだったのに。
バーティはホグワーツ開校以来初の12フクロウO判定を遂げた秀才だ。
その気になればイモリ試験だって最高成績をとることが出来ただろうに、とても惜しいことをして未来を潰したのだ。
私はスリザリンでの立場は5番目だ。
バーク家の嫡男が彼等に次いで優秀な成績を修めていたし、元監督生のエミリア・グリーングラスも拮抗した成績を残していた。
私は良くも悪くもスリザリン内では5番目だった。
バーティやレジーと共に行動するからか、目立ってはいたがそこそこ優秀程度の認識しか持たれていない。
そして2人が消えてから勉強だけに励んだ結果、学年一の首席となってしまったのだ。
だが私の年だけ首席のスコアが過去の首席に比べると低かったのだ。
スリザリン生からはバーティが居れば、レギュラスが居ればとたらればを零された。
首席として褒められることもなければ、認められることも無かった。
そして私もまたこの結果を認めることも喜ぶことも出来なかった。
「誰かさん、ね。きっとその誰かさんは勉強しか能のない最低で最悪で下劣な奴だったんだろうな。君は真っ直ぐ正しさを選んだ。君は首席なんだろう?」
卑下し、嫌悪し、憎悪を抱き、過去に縋るように私に投げる言葉は彼自身に突きつけられたナイフなのだ。
彼は自分の運命を呪っているのだ。
私は彼にかける慰めの言葉を見つけることが出来なかった。
私は彼の宙を掴もうと忙しなく動く左手を掴んだ。
彼は驚いたように動きを止めた。
彼の熱が伝わる。
彼が今ここに居る、やっと帰ってきてくれたのだと安堵した。
私は真正面に置かれたホグワーツ城の絵画を見つめながら、嫌味を零した。
「よくご存知で。はっきり言いましょう、私は首席になったけど、それは上が消えたから。繰り上げで首席に選ばれたに過ぎないわ。」
「それでも君の努力は報われた。」
努力では無い、やることが無かっただけだ。
何かをしていないと、何かを考えていないと当たり前だった日常を思い出してしまうから。
私は忘れるよりも、未来を、もしもを望んで選んだ。
次こそは大切なものを失わない為に。
大切なものを守れるようにと。
私は権力という大きなカードに手を伸ばした。
「君に聞きたいことがある。ああ、そう不貞腐れるなよ。綺麗な顔が台無しだ。」
優しく諭すような声音で話す彼の声は耳にすっと入ってくる。
優しい手つきで顔にかかった髪を耳にかけられ、少しくすぐったい。
彼のスキンシップは今に始まったことではなはい、出会った頃から多かったと記憶している。
「君はどうして俺を助けたんだい?」
理由なんて無い。
以前の私なら、彼らとの時間を過ごし続けた私なら言えただろう。
でも今の私には言うことが出来ないし、理由なんてもう忘れてしまった。
「知らない、強いて言うならレジーが悲しむと思ったから。ただの気まぐれだよ。」
「レジーは死んだんだよ?魔法省も死喰い人であるレギュラス・ブラックは死んだと報じた。それは事実だ。あのお方に怖気付き背いたアイツは死ん「生きてるよ」…は?」
バーティは意味がわからないと目を大きく見開いて固まってしまった。
口を動かして言葉を紡ごうとするが声になることは無かった。
どこぞのお姫様は声を失った。
愛する者のために。
勿論バーティはお姫様でもなければ悲劇のヒロインでもない。
バーティが声を失ったのはちょっとばかり衝撃が大きかったからに過ぎないのだ。
それにどちらかと言えば彼は王子様寄りだ。
レジーの死を受け容れているといった風に話す彼に我慢が出来なかった。
口調はなんとも思ってないぞと主張しているようだが、仮面はボロボロと崩れ去っているのだ。
感情を表に出さなくとも、顔を見れば分かる。
法廷では顔をほとんど近くで見なかったからか、こうして横で話す彼の顔をふと見てしまった。
彼は酷い隈を携えて無理矢理な笑みを浮かべて強ばった顔で真正面を見つめていた。
言うつもりは勿論あったが、彼から情報を先に引き出すため最後に言うつもりだった。
だがそれが出来なくなった。
レジーの生死は魔法界において一つの大きな問題だった。
魔法省は事実確認が出来ていないにも関わらず、彼が死んだと報じた。
勿論死喰い人達に確認はとっている。
だがレジーが死んだ場面を見ている者は誰もいないのに。
魔法省は判断を間違えた。
「…レジーは生きているのか?」
私はこくりと頷いた。
ようやく絞り出した言葉が再確認だった。
相当なショックが彼を襲ったに違いない。
バーティは一度私を見つめてから顔を逸らした。
焦点の合わない瞳は何も移していない。
過去を、見ているのだろう。
レジーとバーティが恋人であったこと、共に死喰い人となったこと、沢山の人を傷つけたこと、ヴォルデモート卿のこと、レジーが死んだと知った日のこと、私と口付けを交わしたこと。
彼の唇は震え、声にならない声を飲み込むようにきゅっと唇を噛み締めた。
「彼がなぜ生きているのか、話す前にあなたの事を教えて貰える?バーティ」
私は諭すように彼にできる限り優しい口調で話した。
彼はじっと私の瞳を見つめ、暫くしてから首を縦に振った。
「さて、何から話そうか?質問形式でいこう。君が気になることを質問し、俺がそれに答える。必要であれば補足もする。どうだい?」
穏やかに、動揺を隠して紳士的に振る舞う彼はやはり私のよく見知っているバーティだった。
彼の闇を知っているからか、これが仮面に見えてならない。
だが今は、彼のこの他人行儀で紳士的態度が有難かった。
「わかった、それでお願い。じゃあまずは、貴方は死喰い人で、ロングボトム夫妻を拷問したの?」
質問内容は重いのに、まるで勉強で分からない部分を尋ねる生徒のような質問の仕方だった。
「ああ。俺は死喰い人であり、ロングボトム夫妻を磔の呪文で拷問した。」
「そう」
「…君は何も思わないのか?俺が拷問をしたことについて。」
彼は悪びれる素振りもなく不思議そうに笑った。
何も思わないかって?
思わない訳がない。
禁じられた呪文を使ったことを咎めたい、責めたい、もう二度と使わないと約束して欲しい。
だが私には約束させるだけの資格すらないのだ。
私達はあくまで友人であり、彼の決定を覆すことの出来る立場は持っていない。
「最低だとは思うけど、私が辞めさせることは出来ない。出来ないことはやらないよ。」
「へぇ、そう。」
「次の質問。貴方はどうして死喰い人になったの?」
レジーなら理由がわかりやすいが、バーティの場合は複雑な感情の末選んだ選択だと思う。
彼の家庭内での立場、彼の学校での立場、彼の恋人の立場が関係しているのだろう。
彼は何も言わなかった。
顎に手を当て考えているようだ。
「俺は初めはレジーが闇に進むなら俺も進むべきだと思っていたんだ。」
ゆっくりと話す彼はいつもの彼らしくない。
「レジーと共にあの御方のもとへ赴き、闇の印を刻印された。あの御方は、命令を遂行すると、俺の頭を撫でて、くれた。初めて、認めて貰えて嬉しかっ、たんだ。」
かつての家族に与えられなかったものを求めてしまったんだろう。
たとえその言葉が偽りだとしても、虚構に身を委ねてしまうのは心地よかったのだろう。
ヴォルデモートは彼の心をコントロールし、都合の良い夢を見せ従わせたのだ。
私は絶対にヴォルデモートを許さない。
拳を握りしめ、感情を吐き出す彼は生まれたての子鹿のように震えていた。
嬉しそうな顔をして涙を零し、嗚咽混じりに話す彼は愛らしい。
同情なのかもしれないが、彼をどうにかしてあげたいという感情が湧き上がって来た。
私は彼に抱きついた。
反動でベッドに倒れた彼は私の方を見ようとはしなかった。
「でも、レジーが死んだって聞かされたあの日俺はどうしたらいいか分からなかさった。なんであの御方に逆らったんだって、怒りが、込み上げてきた。レジーが居ない世界に価値がないと思った。知ったのがロングボトムを拷問した任務の帰りだった。俺は初めて、気づいたんだよ。狂ってるんだって。レジーの死によって、俺は闇が、あの御方が怖くなった。それで…」
彼が吐露する感情は熱を持っていた。
レジーに向ける感情は熱すぎて私には受け止めきれなかった。
彼にとってレジーは特別な存在で、私達3人ではなくバーティとレジーで世界を構成されていたのだ。
私に感情向けて欲しいと思ったことは無いが、少し寂しいと感じてしまった。
「恐怖心を抱いても、俺はあの御方の手足となり世界を支配するためのサポートを行わなくてはならない。例え大切な君達に手をかけたとしても、俺は…いや違うんだ。大切な君達の涙を見たい訳では無い。でも、でも…」
まだまだ大人になったばかりのバーティには背負いきれなかった。
悲痛な叫びを聞く度に綻びは大きくなっていき、彼の精神が壊れてしまいそうだった。
糸を使って修繕しても、すぐに糸は解けてしまうかもしれない。
完璧に治す事が出来ないところまで来てしまっていたようだ、
仕方の無い事という言葉で片付ける事は出来ないが、それでも彼に救いがあったって良いだろう。
彼がキュッと体を縮こませたのでゆっくりと背中をさすってやった。
彼の熱が、鼓動が彼の体から伝わってくる。
こんな状況で私は恥ずかしさを感じてしまった。
真剣な話をしているのに、こんな僅かな触れ合い程度で昼間の口付けを思い出してしまった。
いけない、私達は友人なのだから。
大切な友人、分かり合える友人。
「なぁ、本当になんで、俺を助けたんだ?」
私達は目を合わせることなく強く抱き締め合った。
助けたいから助けた。
彼の疑問は最もだろうが、私は答えを持ち合わせていなかった。
「分からない、でもバーティの事が大切だから。バーティとレジーが大好きだから。」
夜、ベッドに男女が2人、
この意味を知らないほど無垢ではない。
でも今だけは、私達は少女であり少年なのだ。
私達は大切な友であり、同寮生であり、仲間だった。
秘密を共有した関係だった。
何時だったか。
私達には明確な線引きがされていたのだ。
私達と2人の関係はただの友人…なのだ。
『もうすぐスラグホーン先生主催のクリスマスパーティがありますね。』
『ああ、そうだな。レティは誰と行くか決めたかい?』
懐かしい記憶の蓋を開けてみると、記憶の中ではレジーはいつも彼を見ていた気がする。
バーティもレジーを見つめながら私を見ずに話した。
2人の熱っぽい視線は浮かれた恋人のそれである。
いつからだろう、私が自分を見て欲しいのだと寂しさを自覚したのは。
『特に決めてないかな。バーティとレジーと参加すればいいかなと思っていたけど。』
『俺は構わないが、そろそろ君も相手を見つけた方がいいぞ。』
『そうですね。レティは美しい容姿をしていますし、そろそろ良い人を見つけてもいい頃です。』
去年も一昨年もずっとスラグホーン先生の茶会やパーティには彼らと参加してきた。
スラグホーン先生も私たちの仲の良さを認められており、3人で参加しても良いとペアの件について触れることは無かった。
それなのに、このタイミングで私にペアを作らせようとするのだ。
善意だとわかっているからこそ、タチが悪い。
『私は…どうしようかな。まあ検討してみるよ。決まらなかったら、2人と参加してもいい?』
『決まらないなら仕方ない。』
『勿論です、貴方は大切な友人ですからね。一人で参加させたりはしませんよ。』
わざとらしい態度でクスリと笑うバーティ、大切な友人であることを強調するレギュラス。
分かってる、善意だって理解してる。
でもそれでも、私は、私は…
私は──
「私は2人を守りたかった。友人だから。」
例え私達の間に壁があったとしてともそれは当たり前の事だ。
恋人と友人に対する態度も向ける感情も全く違う。
その事に対して私がうじうじする意味も理由も存在しない。
私たちは大切な友人なのだ。
「…そっか。ありがとう、レティ」
私はいつから自分に言い聞かせるようになったのだろう。
「気にしないで。」
今夜は冷える。
私達は昔話を交えながら離れていた期間について話した。
次第に口数は少なくなってゆき、私達は熱を分け合うように深い眠りについた。
どうか彼らが幸せになりますように。
私達の願いはそれだけだった。
私は夢を見た。
初めて彼らと出会った時、私は余人でずっと一緒に居られると信じていた。
しかし、大切な従姉妹が恋をして彼等から距離を置くように離れていった。
そしてバーティとレジーが闇に染まり、ホグワーツから去って行った。
そして私は彼等の居た痕跡を上書きするかのように勉学に没頭し、魔法省の役人となれるよう努力した。
その傍ら、従姉妹と話した事があった。
『…2人は退学してしまったのよね?レティ。』
『ええ、そうよ。目的については私は何も知らないわ。でも、2人が消える前の日に、レジーは貴方に伝言を残していたのよ。』
"あなたが何を思っていようと、僕がその考えを拒絶したとしても、大切な友人である事実は一生変わらない。"
『…レジーってとっても優しいのね。私、嫌われてしまったのだとばかり思っていたわ。』
レギュラスらしい友人に向けた言葉だった。
従姉妹、マリア・セルウィンは確かに彼等の友人だった。
真面目で恥ずかしがり屋、オシャレが好きで甘いものよりも辛いものを好んでいたどこにでもいる普通の女の子。
スリザリンにしては優しく、誰に対しても穏やかな少女。
貴族社会の中では浮いているが、彼等にとっても私にとってもマリアは大切な友人だった。
ただレギュラスに恋をしてしまったが故に、彼等の関係を否定する事なく静かに去っていった少女。
その事についてレギュラスもバーティも何も言わなかった。
しかし、時折彼女の方へ心配そうに視線を向けていたので気にしてはいたのだろう。
レジーとバーティが学校から消えてから私と彼女は友人関係に戻った。
『ねぇ、マリア。貴方はレギュラスのどこに惚れたのかしら?』
『え、ええっと…優しいところでしょ?頭が良くてクディッチが得意で、純血主義だけどマグルや半純血を大々的に貶す事は無い。まさに魔法界の王子様よ!!』
貴族らしいスリザリンらしくない魔法界のプリンス。
そんな彼に恋をした女子生徒は彼に告白する間もなく、拒絶される事が多かったが、マリアに対する態度は友人に接するものと何ら変わらなかった。
彼は最後まで友人としてマリアと接してくれた。
『ねぇ、レティ。私、いつかレジーに会えたら言いたい事があるの。ずっと、ずっと好き『ダメダメ。その言葉は彼と再会した時に取っておかなくちゃね。』…そうね。』
いつか会えたら私も言いたい事があった。
勝手に手紙だけ残して消えていった2人を罵倒して、殴り飛ばしたかった。
友人として、2人の理解者として許せなかった。
寂しさも恐ろしさも悲しさも感じたくなかった。
目を開き時計を見やれば午前3時を指していた。
隣で眠るバーティは静かに寝息を立てている。
「…私さ、ずっとバーティとレジーにまた会えたら殴って怒鳴りつけるつもりだったんだよね。」
何も言わない彼に私は話し続ける。
「でも、もうそんなのどうでもいいの。」
今はこの幸福な時間を大切にしたい。
不安なんて忘れて、今だけを見て歩きたい。
「…ありがとう、帰ってきてくれて。」
一時の幸せだとしても、私は少しでもこの夢が長く続けば良いのにと願わずにはいられなかった。
いつかの天文学の授業で私達は星に願った。
『あ、流れ星!』
『…ほんとだ。今夜は流星群か?』
瞳に星を映し、同年代の少年少女と同じように星を見つめるバーティ。
『また光りましたね。』
星を指さし少年らしい笑顔を見せるレジー。
『すごーい!お願いしなきゃ!』
必死に目を閉じて祈りのポーズで星に願い事を託すマリア。
(私達がずっとずっと一緒にいられますように。)
この願いが叶ったからか、それとも偶然か、私はレジーとバーティとまた会えた。
従姉妹からも直に連絡が来るのだろう。
また4人で月の光を浴びながら流れ星を見る事が出来たらいいのに。
黒に白い光は映えるし、素敵だと思えないことも無いだろう。
だがその音自体は荒々しく醜いものだ。
私が受け入れるのは閃光のみである。
私はベッドに座り込んだ男の隣に座り込んだ。
対面にあるソファに座ってもいいのだが、ベッドと距離があるから話しにくい。
それに彼と顔を合わせて長時間話すことは避けたかった。
私の心に残った少しの良心からか、警報が鳴り響いていたからか、私は心をそわそわとさせる元凶の言葉を黙って待つことにした。
セルウィン家は色がない。
白いシーツに白い布団、白い枕に白い脚。
白いソファに白いテーブル、白い時計に白いカップ。
混沌の時代、闇から逃げた父は屋敷に存在する黒い物を全て取り去った。
真っ白な無機質な空間が作り上げられたのだ。
バーティのストローブロンドの髪と私の漆黒のような黒髪だけが異質だった。
レジーが生きているのだと告げれば、バーティはきっとこの屋敷から去るのだろう。
レジーを連れて。
「聞きたいことは幾つかあるが、まず君がウィゼンガモットの一員となったことを祝福すべきかな?」
やっぱり彼はバーテミウス・クラウチ・ジュニアであった。
優等生で賢く綺麗な少年だった。
貴族は遠回しな会話を楽しむものだ。
私はそう教えられてきたし、そのように振る舞ってきた。
だから彼の社交辞令にも微笑まなければいけないのだ。
「ええ、そうなの。卒業してから一月でウィゼンガモットの中級書記官になったのよ。誰かさんなら、上級書記官だって、名誉ある大臣付きの次官にだってなれたのかもしれないのに、残念だわ。」
誰かさんなんて白々しい言葉を使うことを許して欲しい。
私はあなたが羨ましいし、妬ましかった。
勿論、レジーに対しても劣等感を持っていた。
私がどんなに努力しても2人程の成果を手にすることは出来ない。
聖28一族にも優劣が存在する。
闇のブラック、光のクラウチ。
中途半端なセルウィンは可もなく不可もなく、中の上程度の評価を得ていた。
だからこそ、私は2人の持つブランドに嫉妬し妬ましく思う事も多々あった。
本来ならバーティが首席になるはずだったのに。
バーティはホグワーツ開校以来初の12フクロウO判定を遂げた秀才だ。
その気になればイモリ試験だって最高成績をとることが出来ただろうに、とても惜しいことをして未来を潰したのだ。
私はスリザリンでの立場は5番目だ。
バーク家の嫡男が彼等に次いで優秀な成績を修めていたし、元監督生のエミリア・グリーングラスも拮抗した成績を残していた。
私は良くも悪くもスリザリン内では5番目だった。
バーティやレジーと共に行動するからか、目立ってはいたがそこそこ優秀程度の認識しか持たれていない。
そして2人が消えてから勉強だけに励んだ結果、学年一の首席となってしまったのだ。
だが私の年だけ首席のスコアが過去の首席に比べると低かったのだ。
スリザリン生からはバーティが居れば、レギュラスが居ればとたらればを零された。
首席として褒められることもなければ、認められることも無かった。
そして私もまたこの結果を認めることも喜ぶことも出来なかった。
「誰かさん、ね。きっとその誰かさんは勉強しか能のない最低で最悪で下劣な奴だったんだろうな。君は真っ直ぐ正しさを選んだ。君は首席なんだろう?」
卑下し、嫌悪し、憎悪を抱き、過去に縋るように私に投げる言葉は彼自身に突きつけられたナイフなのだ。
彼は自分の運命を呪っているのだ。
私は彼にかける慰めの言葉を見つけることが出来なかった。
私は彼の宙を掴もうと忙しなく動く左手を掴んだ。
彼は驚いたように動きを止めた。
彼の熱が伝わる。
彼が今ここに居る、やっと帰ってきてくれたのだと安堵した。
私は真正面に置かれたホグワーツ城の絵画を見つめながら、嫌味を零した。
「よくご存知で。はっきり言いましょう、私は首席になったけど、それは上が消えたから。繰り上げで首席に選ばれたに過ぎないわ。」
「それでも君の努力は報われた。」
努力では無い、やることが無かっただけだ。
何かをしていないと、何かを考えていないと当たり前だった日常を思い出してしまうから。
私は忘れるよりも、未来を、もしもを望んで選んだ。
次こそは大切なものを失わない為に。
大切なものを守れるようにと。
私は権力という大きなカードに手を伸ばした。
「君に聞きたいことがある。ああ、そう不貞腐れるなよ。綺麗な顔が台無しだ。」
優しく諭すような声音で話す彼の声は耳にすっと入ってくる。
優しい手つきで顔にかかった髪を耳にかけられ、少しくすぐったい。
彼のスキンシップは今に始まったことではなはい、出会った頃から多かったと記憶している。
「君はどうして俺を助けたんだい?」
理由なんて無い。
以前の私なら、彼らとの時間を過ごし続けた私なら言えただろう。
でも今の私には言うことが出来ないし、理由なんてもう忘れてしまった。
「知らない、強いて言うならレジーが悲しむと思ったから。ただの気まぐれだよ。」
「レジーは死んだんだよ?魔法省も死喰い人であるレギュラス・ブラックは死んだと報じた。それは事実だ。あのお方に怖気付き背いたアイツは死ん「生きてるよ」…は?」
バーティは意味がわからないと目を大きく見開いて固まってしまった。
口を動かして言葉を紡ごうとするが声になることは無かった。
どこぞのお姫様は声を失った。
愛する者のために。
勿論バーティはお姫様でもなければ悲劇のヒロインでもない。
バーティが声を失ったのはちょっとばかり衝撃が大きかったからに過ぎないのだ。
それにどちらかと言えば彼は王子様寄りだ。
レジーの死を受け容れているといった風に話す彼に我慢が出来なかった。
口調はなんとも思ってないぞと主張しているようだが、仮面はボロボロと崩れ去っているのだ。
感情を表に出さなくとも、顔を見れば分かる。
法廷では顔をほとんど近くで見なかったからか、こうして横で話す彼の顔をふと見てしまった。
彼は酷い隈を携えて無理矢理な笑みを浮かべて強ばった顔で真正面を見つめていた。
言うつもりは勿論あったが、彼から情報を先に引き出すため最後に言うつもりだった。
だがそれが出来なくなった。
レジーの生死は魔法界において一つの大きな問題だった。
魔法省は事実確認が出来ていないにも関わらず、彼が死んだと報じた。
勿論死喰い人達に確認はとっている。
だがレジーが死んだ場面を見ている者は誰もいないのに。
魔法省は判断を間違えた。
「…レジーは生きているのか?」
私はこくりと頷いた。
ようやく絞り出した言葉が再確認だった。
相当なショックが彼を襲ったに違いない。
バーティは一度私を見つめてから顔を逸らした。
焦点の合わない瞳は何も移していない。
過去を、見ているのだろう。
レジーとバーティが恋人であったこと、共に死喰い人となったこと、沢山の人を傷つけたこと、ヴォルデモート卿のこと、レジーが死んだと知った日のこと、私と口付けを交わしたこと。
彼の唇は震え、声にならない声を飲み込むようにきゅっと唇を噛み締めた。
「彼がなぜ生きているのか、話す前にあなたの事を教えて貰える?バーティ」
私は諭すように彼にできる限り優しい口調で話した。
彼はじっと私の瞳を見つめ、暫くしてから首を縦に振った。
「さて、何から話そうか?質問形式でいこう。君が気になることを質問し、俺がそれに答える。必要であれば補足もする。どうだい?」
穏やかに、動揺を隠して紳士的に振る舞う彼はやはり私のよく見知っているバーティだった。
彼の闇を知っているからか、これが仮面に見えてならない。
だが今は、彼のこの他人行儀で紳士的態度が有難かった。
「わかった、それでお願い。じゃあまずは、貴方は死喰い人で、ロングボトム夫妻を拷問したの?」
質問内容は重いのに、まるで勉強で分からない部分を尋ねる生徒のような質問の仕方だった。
「ああ。俺は死喰い人であり、ロングボトム夫妻を磔の呪文で拷問した。」
「そう」
「…君は何も思わないのか?俺が拷問をしたことについて。」
彼は悪びれる素振りもなく不思議そうに笑った。
何も思わないかって?
思わない訳がない。
禁じられた呪文を使ったことを咎めたい、責めたい、もう二度と使わないと約束して欲しい。
だが私には約束させるだけの資格すらないのだ。
私達はあくまで友人であり、彼の決定を覆すことの出来る立場は持っていない。
「最低だとは思うけど、私が辞めさせることは出来ない。出来ないことはやらないよ。」
「へぇ、そう。」
「次の質問。貴方はどうして死喰い人になったの?」
レジーなら理由がわかりやすいが、バーティの場合は複雑な感情の末選んだ選択だと思う。
彼の家庭内での立場、彼の学校での立場、彼の恋人の立場が関係しているのだろう。
彼は何も言わなかった。
顎に手を当て考えているようだ。
「俺は初めはレジーが闇に進むなら俺も進むべきだと思っていたんだ。」
ゆっくりと話す彼はいつもの彼らしくない。
「レジーと共にあの御方のもとへ赴き、闇の印を刻印された。あの御方は、命令を遂行すると、俺の頭を撫でて、くれた。初めて、認めて貰えて嬉しかっ、たんだ。」
かつての家族に与えられなかったものを求めてしまったんだろう。
たとえその言葉が偽りだとしても、虚構に身を委ねてしまうのは心地よかったのだろう。
ヴォルデモートは彼の心をコントロールし、都合の良い夢を見せ従わせたのだ。
私は絶対にヴォルデモートを許さない。
拳を握りしめ、感情を吐き出す彼は生まれたての子鹿のように震えていた。
嬉しそうな顔をして涙を零し、嗚咽混じりに話す彼は愛らしい。
同情なのかもしれないが、彼をどうにかしてあげたいという感情が湧き上がって来た。
私は彼に抱きついた。
反動でベッドに倒れた彼は私の方を見ようとはしなかった。
「でも、レジーが死んだって聞かされたあの日俺はどうしたらいいか分からなかさった。なんであの御方に逆らったんだって、怒りが、込み上げてきた。レジーが居ない世界に価値がないと思った。知ったのがロングボトムを拷問した任務の帰りだった。俺は初めて、気づいたんだよ。狂ってるんだって。レジーの死によって、俺は闇が、あの御方が怖くなった。それで…」
彼が吐露する感情は熱を持っていた。
レジーに向ける感情は熱すぎて私には受け止めきれなかった。
彼にとってレジーは特別な存在で、私達3人ではなくバーティとレジーで世界を構成されていたのだ。
私に感情向けて欲しいと思ったことは無いが、少し寂しいと感じてしまった。
「恐怖心を抱いても、俺はあの御方の手足となり世界を支配するためのサポートを行わなくてはならない。例え大切な君達に手をかけたとしても、俺は…いや違うんだ。大切な君達の涙を見たい訳では無い。でも、でも…」
まだまだ大人になったばかりのバーティには背負いきれなかった。
悲痛な叫びを聞く度に綻びは大きくなっていき、彼の精神が壊れてしまいそうだった。
糸を使って修繕しても、すぐに糸は解けてしまうかもしれない。
完璧に治す事が出来ないところまで来てしまっていたようだ、
仕方の無い事という言葉で片付ける事は出来ないが、それでも彼に救いがあったって良いだろう。
彼がキュッと体を縮こませたのでゆっくりと背中をさすってやった。
彼の熱が、鼓動が彼の体から伝わってくる。
こんな状況で私は恥ずかしさを感じてしまった。
真剣な話をしているのに、こんな僅かな触れ合い程度で昼間の口付けを思い出してしまった。
いけない、私達は友人なのだから。
大切な友人、分かり合える友人。
「なぁ、本当になんで、俺を助けたんだ?」
私達は目を合わせることなく強く抱き締め合った。
助けたいから助けた。
彼の疑問は最もだろうが、私は答えを持ち合わせていなかった。
「分からない、でもバーティの事が大切だから。バーティとレジーが大好きだから。」
夜、ベッドに男女が2人、
この意味を知らないほど無垢ではない。
でも今だけは、私達は少女であり少年なのだ。
私達は大切な友であり、同寮生であり、仲間だった。
秘密を共有した関係だった。
何時だったか。
私達には明確な線引きがされていたのだ。
私達と2人の関係はただの友人…なのだ。
『もうすぐスラグホーン先生主催のクリスマスパーティがありますね。』
『ああ、そうだな。レティは誰と行くか決めたかい?』
懐かしい記憶の蓋を開けてみると、記憶の中ではレジーはいつも彼を見ていた気がする。
バーティもレジーを見つめながら私を見ずに話した。
2人の熱っぽい視線は浮かれた恋人のそれである。
いつからだろう、私が自分を見て欲しいのだと寂しさを自覚したのは。
『特に決めてないかな。バーティとレジーと参加すればいいかなと思っていたけど。』
『俺は構わないが、そろそろ君も相手を見つけた方がいいぞ。』
『そうですね。レティは美しい容姿をしていますし、そろそろ良い人を見つけてもいい頃です。』
去年も一昨年もずっとスラグホーン先生の茶会やパーティには彼らと参加してきた。
スラグホーン先生も私たちの仲の良さを認められており、3人で参加しても良いとペアの件について触れることは無かった。
それなのに、このタイミングで私にペアを作らせようとするのだ。
善意だとわかっているからこそ、タチが悪い。
『私は…どうしようかな。まあ検討してみるよ。決まらなかったら、2人と参加してもいい?』
『決まらないなら仕方ない。』
『勿論です、貴方は大切な友人ですからね。一人で参加させたりはしませんよ。』
わざとらしい態度でクスリと笑うバーティ、大切な友人であることを強調するレギュラス。
分かってる、善意だって理解してる。
でもそれでも、私は、私は…
私は──
「私は2人を守りたかった。友人だから。」
例え私達の間に壁があったとしてともそれは当たり前の事だ。
恋人と友人に対する態度も向ける感情も全く違う。
その事に対して私がうじうじする意味も理由も存在しない。
私たちは大切な友人なのだ。
「…そっか。ありがとう、レティ」
私はいつから自分に言い聞かせるようになったのだろう。
「気にしないで。」
今夜は冷える。
私達は昔話を交えながら離れていた期間について話した。
次第に口数は少なくなってゆき、私達は熱を分け合うように深い眠りについた。
どうか彼らが幸せになりますように。
私達の願いはそれだけだった。
私は夢を見た。
初めて彼らと出会った時、私は余人でずっと一緒に居られると信じていた。
しかし、大切な従姉妹が恋をして彼等から距離を置くように離れていった。
そしてバーティとレジーが闇に染まり、ホグワーツから去って行った。
そして私は彼等の居た痕跡を上書きするかのように勉学に没頭し、魔法省の役人となれるよう努力した。
その傍ら、従姉妹と話した事があった。
『…2人は退学してしまったのよね?レティ。』
『ええ、そうよ。目的については私は何も知らないわ。でも、2人が消える前の日に、レジーは貴方に伝言を残していたのよ。』
"あなたが何を思っていようと、僕がその考えを拒絶したとしても、大切な友人である事実は一生変わらない。"
『…レジーってとっても優しいのね。私、嫌われてしまったのだとばかり思っていたわ。』
レギュラスらしい友人に向けた言葉だった。
従姉妹、マリア・セルウィンは確かに彼等の友人だった。
真面目で恥ずかしがり屋、オシャレが好きで甘いものよりも辛いものを好んでいたどこにでもいる普通の女の子。
スリザリンにしては優しく、誰に対しても穏やかな少女。
貴族社会の中では浮いているが、彼等にとっても私にとってもマリアは大切な友人だった。
ただレギュラスに恋をしてしまったが故に、彼等の関係を否定する事なく静かに去っていった少女。
その事についてレギュラスもバーティも何も言わなかった。
しかし、時折彼女の方へ心配そうに視線を向けていたので気にしてはいたのだろう。
レジーとバーティが学校から消えてから私と彼女は友人関係に戻った。
『ねぇ、マリア。貴方はレギュラスのどこに惚れたのかしら?』
『え、ええっと…優しいところでしょ?頭が良くてクディッチが得意で、純血主義だけどマグルや半純血を大々的に貶す事は無い。まさに魔法界の王子様よ!!』
貴族らしいスリザリンらしくない魔法界のプリンス。
そんな彼に恋をした女子生徒は彼に告白する間もなく、拒絶される事が多かったが、マリアに対する態度は友人に接するものと何ら変わらなかった。
彼は最後まで友人としてマリアと接してくれた。
『ねぇ、レティ。私、いつかレジーに会えたら言いたい事があるの。ずっと、ずっと好き『ダメダメ。その言葉は彼と再会した時に取っておかなくちゃね。』…そうね。』
いつか会えたら私も言いたい事があった。
勝手に手紙だけ残して消えていった2人を罵倒して、殴り飛ばしたかった。
友人として、2人の理解者として許せなかった。
寂しさも恐ろしさも悲しさも感じたくなかった。
目を開き時計を見やれば午前3時を指していた。
隣で眠るバーティは静かに寝息を立てている。
「…私さ、ずっとバーティとレジーにまた会えたら殴って怒鳴りつけるつもりだったんだよね。」
何も言わない彼に私は話し続ける。
「でも、もうそんなのどうでもいいの。」
今はこの幸福な時間を大切にしたい。
不安なんて忘れて、今だけを見て歩きたい。
「…ありがとう、帰ってきてくれて。」
一時の幸せだとしても、私は少しでもこの夢が長く続けば良いのにと願わずにはいられなかった。
いつかの天文学の授業で私達は星に願った。
『あ、流れ星!』
『…ほんとだ。今夜は流星群か?』
瞳に星を映し、同年代の少年少女と同じように星を見つめるバーティ。
『また光りましたね。』
星を指さし少年らしい笑顔を見せるレジー。
『すごーい!お願いしなきゃ!』
必死に目を閉じて祈りのポーズで星に願い事を託すマリア。
(私達がずっとずっと一緒にいられますように。)
この願いが叶ったからか、それとも偶然か、私はレジーとバーティとまた会えた。
従姉妹からも直に連絡が来るのだろう。
また4人で月の光を浴びながら流れ星を見る事が出来たらいいのに。