理想と現実のはざまで
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どくどくとまるで腕に心臓があるように脈打っている。
陣内の隅で私は自分の腕をちらりと一瞥した。
応急処置で傷口を押さえ、止血をしてはいるけれども包帯には赤い血が滲んでいた。
先の戦で仲間の兵を庇ってできた傷。
痛みはあるけれど、でも何よりもその兵の命を救えたことが純粋に嬉しかった。
私の怪我と、彼の命。
どちらが重いかなんて明白だ。
「……」
私の前に腰掛け、私の腕に巻かれている血染めの布を丁寧に外す弁慶さんの沈黙が痛い。
男の人なのに綺麗な顔立ちをしている彼が黙って伏し目がちに作業をしていると睫毛の影が落ちる。
私はそれが好きで、彼がよく薬を調合しているのを見学させてもらっていたけれど、今は訳が違う。
眉根を寄せて露骨に怒りを露にしているわけではない。
無表情。
だからこそ、怖い。
私の恐怖心を煽るには十分すぎる。
「奏多さん」
薄い唇が小さく動いて私の名前を紡ぐ。
その声に思わず肩が強ばるのを感じる。
私の名前を呼びこそしたけれど、弁慶さんの飴色の瞳は私を映してはいない。
視線は変わらず私の腕にある。
喉がからからに渇いて声が上手く出せない。
唇を動かすことさえできない。
応えない私に、弁慶さんはさらに言葉を続けた。
「先日僕が話したことを覚えていますか?」
私は小さく頷いた。
今の私にはそれが精一杯だった。
「決して無茶はしないように、そう言いましたよね」
私はまた頷く。
「そしてあなたは無茶はしないと僕に約束してくれた」
そう、私は彼と約束した。
みんなを守りたいがためにがむしゃらになって先陣をきる私はいつだって傷だらけで。
傷が治る前に次の傷をつくってくるものだから、見かねた弁慶さんが私に約束をさせたのだった。
私は約束を守ったつもりでいた。
だって今日の怪我はいつもより多少酷いかもしれないけれど、腕の怪我だけだったから。
だけど弁慶さんの“無茶をしない”の範囲を私は簡単に越えてしまったようだ。
「酷なことを言うようですが、兵の代わりはまだなんとかなります。でも君のの代わりはどこにもいないんですよ」
軍師としての弁慶さんの言葉。
理解できないわけじゃない。
それでも完全に納得しきれない自分がいるのも確かで。
「この世界にとってだけじゃなく、僕にとっても君の代わりはいないんです」
その言葉に弾かれたように顔を上げれば、伏せられていたはずの弁慶さんの瞳が真っ直ぐに私の瞳を見つめていた。
飴色の瞳はいろんな感情がない交ぜになって、不規則に揺らいでいるように見えた。
彼にそんな顔をさせてしまっているのは、他の誰でもない私だ。
そんな彼に言葉を返したいのに、私の震える喉は声を生み出さない。
「だから、お願いします。無茶をして、僕の前からいなくならないでくださいね」
その言葉に、私は何度も何度も首を縦に振り続けた。
その約束だけは、絶対に違えることはないと。
《頷くことしかできなくて》
あなたがどれほど
私のことを大切に思ってくれているのか
わかったようなつもりになっていた
そんなこと、あるはずないのに──
《終》