優しすぎた世界
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「……誰?」
小さく唇が動き、短い言葉が紡ぎ出された。
女は俺の被せた学ランをそのままにそう言った。
俺もまた、女の手首を掴んだまま答えた。
今掴んでいるこの手を離してしまったら、目の前のこの女が幻のように消えてしまうような気がして。
我ながら空想的な事を考えているな、と嘲る余裕もあった。
そんな事を考えてしまうのは、女の容姿があまりにも浮き世離れしている程に綺麗だからと、『蘭』が関係しているのだと思う。
「俺は森村天真。お前は?」
俺が名前を名乗った瞬間に女は少し警戒を緩めたような気がした。
そして一瞬驚いたような表情を浮かべたような感じがしたのは、俺の思い違いだったのだろうか。
女は相変わらずの上目使いのままで言った。
「冬摩樹」
「樹、な。…お前ずぶ濡れじゃないか。何だって雨の中、唄なんて歌ってたんだよ?」
俺の言葉に樹は少し小首を傾げてから困ったような表情を浮かべた。
不安げな瞳でさえ、とても美しかった。
「歌いたかったの──ただ…それだけ」
俺の目を真っ直ぐに見て、樹はきっぱりと言った。
迷いなく、それが真実なのだと。
理由などないのだと。
「あぁ、そう。あんまりお薦めはしないけどな」
「どうして?」
「どうしてって…風邪引くだろうし、風邪引いたら心配するやつがいるだろう?」
「……かな」
掴み所の無いやつだと思った。
聞いてきたのかと思ったら、素っ気なく返してくる。
生半可に可愛らしい顔をしているものだから、そのギャップに戸惑わずにはいられなかった。
「父親とか母親とか心配するだろ?」
俺の言葉に表情を変えずに抑揚のない声で樹は返してきた。
翡翠の瞳は確かに俺を見ている筈なのに、何処か遠くを見据えているような気がする。
歳だって同じくらいのはずなのに、樹はひどく大人びていて、とても醒めた目をしていた。
「父も母ももういないから」