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【BOJ-SSS1】Black shadow and Jet black darkness


 ジェノバの裏社会の住人。恐らくその全員が、その言葉に聞き覚えがある。その一言を吐いた瞬間、彼の姿は消え去る。正式には彼の居る場所、ビルの谷間、路地裏の入口。その場だけが、篁の身に着けている、また生まれ持ったどの黒よりも濃い、深淵の闇に飲まれる。せせら笑う響きの中、その文句に敢えて込めた最上級の不機嫌。そして『同族』だった忌避感。全て、彼の軽蔑するそれを愛する真性の馬鹿に贈る。

「まさか、と言わせてくれないか?」
「まさか?はは、ま・さ・か。『スパイドル・ソー』の口からそんな弱音が聞けるとはな。…まぁ、黙って聞け、『若造』」

 歳上、歳下、同年。そんなものはこの場に一切関係無い。ここではっきりさせるべきは『格』。留守も長かったが、彼は更に大きな土産を手に舞い戻った。この国ですら切り離せない黒い社会と、彼の愛する静寂の闇を湛える貴き時間。昼は記者が駆けずり回るこの『庭』も、夜の帳が降りれば未だかつて、彼が支配した、支配する国全土に至る『狩場』の一部と化す。

 七年前。宵闇も、夜空の月をも喰い潰す顎を持った黒い狼がジェノバの闇を駆けた。その爪は数え切れぬ人を引き裂きジェノバを恐怖と混乱に陥れた。その正体は、それよりもまだ以前、闇に紛れ、闇と一体、闇と化し、誰にも姿を見せる事無く、この国の暗澹の歴史を負い、渾沌としていた裏社会に秩序と機能を確立させた、覇者。

 篁の脳裏を掠めた記憶に遅れて、その視界も周囲も全て、黒一色に染まった。何色にも侵されない穢れ無き純黒。彼の放つ瘴気だけを孕んだ、狂気へ誘う闇の空間形成術式。その闇は、篁が『仕事』を割り当てられる度、何度も包まれた懐かしく、息苦しいもの。影を這う蜘蛛ごとき黒など一息に飲み込む、暴力的なまでに美しい『真の闇』。前後どころか天地さえも見失う中、甘ったるい猫撫で声が響く。
「俺は「誰」でもあって「誰」でもない。愛しのバンビーノ曰く『どちらさん』。では一体、今の俺は、昔の俺は、これからの俺は、「誰」なのか?」

 結局、「誰」でも在りはしない。彼は今も昔も、そしてきっとこの先も。『誰でも在って誰でも無い』。敢えて、闇の中に佇む『鋸蜘蛛』が辿り着いた答えに応えるとするならば。

「俺はフー。人呼んでキング・オブ・エロス、ジェノバの黒を統べる『闇狼王』」

 W・H・O。彼の綴りは間違い無く広義の「誰」。篁が遅れてやって来た『世界最古の国』の裏社会でちんけな殺しを売る以前から、軍の手にすら余る無頼漢共を従え、永い渾沌の歴史に『裏社会』そのものを築いた、天才的導き手。術式型は無論、狼。毛並、牙、爪、瞳、全てが漆黒の獣は、闇と同一である彼自身の写し身に過ぎない。
「…よもや、こんな所で引退した『老骨』に出くわすとは。ついているのか、いないのか」
「さあ?ツイてるんじゃないか?それから、引退した覚えは無い。できっこ無いだろう?俺が丹精込めて水底まで沈めた闇が、水面で中途半端に陽と戯れるなんざ反吐が出る。放っておける訳がねぇ。棲み分けと共存は別物だ。お前さんの様な畜生以下の虫けらの脳には、刻んでやらんとダメみたいだな。勿論、愉快なお仕置きの後で」

 殺した人間の正しい数すら五百人で打ち止められた『伝説の殺人鬼』。篁の目指す頂、それだけの生命を食えば、きっと心底から嗤い悦べると夢見る境地に至った男。そんな彼は、フーは、自分自身も篁も心底から、嫌悪する。自分と相手は『種類』が違う。漆黒の玉座に鎮座していた彼が、自ら愛する静寂の闇にその爪で引き裂いた理由。解っていても、それはいつしか麻痺し、見失われ、あの夜…白い龍を纏う疾風の拳士が、臆さず拳を交わしてくれなければ、そんな大切な事すら思い出せなかった。
 だから彼は、その『恩人』と同じ陽の下に棲み、一方で永遠に離別できない漆黒の闇との共存を選んだ。だからこそ、その陽の下の友を殺したのが闇の住人ならば、彼は迷い無くその顎を開き、牙を剥く。『闇狼王の黒く澄みたる怒り』の元に。


 闇の中、錆びた血色の外套を纏い、皮を剥ぎ立ての新鮮な獣肉色の髪、眠たそうだがそれ以上、緩やかに垂れた紫水晶の瞳を不愉快極まりないと細めた美丈夫が、ふいと浮かび上がる。敵意を湛えたその右眼が、爛々と七色の光を巡らせ始める。其処だけ枯れ果ててしまった死神の、異形の爪先はしかと篁を指し、嘲笑うように無慈悲な宣告を放つ。

「前言撤回だ。白雪姫の継母が如く、踊り狂え」


 独りでな。



【 Now, how many pairs of burning iron shoes do you need? 】
さ あ 、灼 け た 鉄 靴 は 何 足 必 要 ?

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