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【BOJ-SSS1】Black shadow and Jet black darkness



「人様めがけていきなり『剃刀』放って来るとは。悪いが身だしなみには気を遣う方だ。特に、逢瀬の前にはな。お前さんのお陰で逃がしちまったらどうしてくれる?」
「面白い冗談だな。ハハハ、そいつが何だか解るとは」
「笑えねぇよ。すぐ帰るから待っててハニー、 書き置きする間も無かったぜ」
「アッハハ、そっちか。それで?愛しの君を放ったらかして、どこの誰か見当もつかない奴の悲鳴に駆け付ける?何処の正義の味方だ?駆け付けてもらって悪いが、ちと遅かったな」
「何度か仕事への悲鳴は聞いてたけどな。命の危機だけ明白な人間の悲鳴なんざ、久しぶりに聞いたぜ」

 声で人を特定できぬほど歪んだ悲鳴。聞いているこちらさえも不安に駆られる程裏返ったそれは、彼の言う通り本物の危機に本能が発する危険信号だ。それこそ死に物狂い、助けを呼び、助けを乞う。随分昔に耳にタコができる程聞いたが、ここ数年は耳にしたことは無い。最近聞いたとすれば、『解りきった最期』に漏れる、静かに掠れた悲鳴とも呼べない絶望の一句くらいだ。追い掛け、追い詰め、絶妙な距離で恐怖を煽る方法は染み付いているが、今なら言える。悪趣味だ。帰って来て日は浅いが、こんな者がのさばっているようではやはり、彼の知る昔程夜の治安は良く無いらしい。

「…さっきの悲鳴」
「うん?」
「拳圧で内臓を挽き肉にできちまう、可愛らしいハニーバニーの白くて長い、敏感なお耳にも届いたかもな」

 また沈黙。本人が聞いたら蒼白な顔で「キモい」と連発しながらぶん殴られそうだ。ハニーが『女』とは一度も言っていない。まぁ、悲鳴が届いていたら奴の職場はこの近くだ。この時間まで店に顔を出さないと言う事は、彼が揶揄して『ヘル』と呼ぶ地下階の編集室に籠っているのだろう。奴ならば彼より遥かに早く駆けつけたろうし、影の男は有無を言わせずあの馬鹿力で愉快な壁画にされていたと思う。

 とうに冷たくなった男も、助かったかもしれない。
 彼の店を訪れるのは、いわゆる裏稼業ばかりでは無い。そう言う連中には呑んだら呑んだ分、食ったら食った分、きっちりと払わせる。高層ビルもひしめくオフィス街に一軒、一見場違いにも思える昼夜で名の変わる小さな店。店を開いて間も無いが、ランチタイムに顔を出したり、仕事帰りに一杯引っ掛けて行く奴もいる。その中の一人、開店した時からの常連。昨夜も安酒をあおりに来て、明日は残業だと疲れた声で管を巻く男に、ツケにしておくから仕事帰りにまた来いと一杯、出してやった。

「ああ、ジョイ。死ぬならせめてツケを払ってからにして欲しかったぜ。…それで?俺の掃き溜めみたいなジョークの解るイカしたイカれた死神さんよ。お前さんの命にマッカラン一杯の値打ちはあるのかい?」

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