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【BOJ-SSS1】Black shadow and Jet black darkness


Who is a "wolf"? "Spider" is not "Who". "Wolf" dances in the dark night. Well, 'Spider'?

誰が「狼」だ?「蜘蛛」は「誰」ではない。「狼」は闇夜で踊る。では『蜘蛛』よ?



「……悲鳴、か」
 
 ジェノバ公国都市部南東区画。ジェノバ九区の中で近代的発展を遂げた区画のひとつ、オフィス街。東区画の軍施設や研究所と言った国家所有の近代性とはまた一線を画した区画だ。
 
『ジェノバ公国皇位継承者、ジェノバに現る』。
 顔馴染みの編集した雑誌は、ジェノバから遠く汚染海の手前に陣取る国とも言えぬ『諸島』まで届く。今、彼がこのオフィス街の片隅、人目を忍ぶように構えたカフェ兼バーの店内でグラスを磨いているのは急報後に進めていた下準備に、その雑誌と言う『確定』が飛び込んできたからだ。数ヶ月前の事だが、即刻で連れと共に寂れた島から居を移した。そして自身の目でも求めていた情報の確証は得た。彼がクーデター後、亡命していたジェノバの皇太子に過剰反応する理由。それはいずれ語るとして、今現在、彼がジェノバに『舞い戻った』のはそう言ういきさつがあってだった。
 今は、どこにも反応せねばならない程の表立った動きは無い。水面下で着実にコネクションを繋ぎ直すには最適だ。表には島でも営んでいたカフェとバーを構え、裏ではまぁ、彼にとっては日常茶飯事の本職をこなす日々。五年以上留守にしていた祖国の内情も、古馴染みの情報屋が全て流してくれている。どんな些細なことも逃してはいない。故に、思っていた程の苦労は無かった。あったとしても共に居を移した『連れ』を、学校に通わせるかどうかのものだ。こればかりは、例の顔馴染み記者から教育事情に関して詳しく話を聞かねばならない。
 自分も丸くなった。断続的な悲鳴を聞きながら磨き終えたグラスを定位置に伏せた。

「テディ。聞こえたな」
「うん、いってらっしゃい。気をつけてね」

 カウンター脇に住居スペースの二階へ続く階段。上階は真っ暗だ。手を洗い、壁に掛けた濃紅のジャケットを羽織りながら声を掛けると、眠そうな少年の声が降って来た。そろそろ記者が訪れる頃合なのだが、BGMがこんな断末魔ではムードが無い。以前に、ここで動いておかないと軽蔑の上塗りしかされない気がする。もともと住人の少ない区画だ。その分問題も事件も少ない。だから各ビルのセキュリティは人間よりも機械が担う。伝統建築を削いで造られた区画はそんな建物ばかりだ。よって恐らく、この情けない悲鳴が耳に入って動けるのは己のみ。
 心底面倒臭いが、足を運ぶ他無さそうだ。ジャケット脇に掛けた縦長のレザーバッグのファスナーを下ろす。左手を突っ込み引き抜くと、禍々しい刃が先端に装着された手首上まで覆う、ミイラの様な「手」が現れた。角度を合わせ、嵌め込んでいる本来の指より長い可動域を動かす信号装置に異常が無いか確認する。
 それから手首から肘まで五本、垂れたベルトの金具を引き締め留める。最後にその爪先の刃が錆びていない事を確認すると、異形の片腕のまま店を出る。今夜は満月か。雲一つ無い空からやけに明るい光が煌々と降り注ぐ。文字通り空で、でかい顔をしている月を一瞥してから、目測した方向へと足を向けた。


「こんな時間にこんな薄暗い路地でナニしてるんだい、お二人さん?イイコトなら俺も混ぜてくれよ」
「ひっ、ひィ!た、助けてくれェ!」
「おいおい、情けない声出すなって。こんなダミ声を啼かせるのがお好み?その方が御自慢の得物は興奮すると?大層イイ御趣味だな」

 薄暗い、本当に薄暗い路地。月明かりすらも入り込めない、電灯の消えたオフィス街、ビルの谷間。今にも死にそうな悲鳴を上げる男に、細長いシルエットが覆い被さるように壁に手をついている。もう片手には小さい長方形。カードだろうか。トランプにしても名刺にしても、指先に挟まれたそれは随分と小さい。路地の入口、壁に寄り掛かって揶揄する言葉は、顔見知りが聞いたら「どこが丸くなったんだ」と顔を覆いかねない。昔から彼はこの調子なのだ。良くも、悪くも。

「助けてくれ!マスター!」
「うん?マスター?…なんだ、よく見りゃお前さん」

 上擦った声がようやく落ち着いて、聞き覚えのある声が鼓膜を叩く。首を傾げてから、思い出した店の常連の名を口にしようとした。途端、影の腕が静かに動く。カードを手にした腕が薙ぐと、悲鳴も、助けを求める声も、止まった。言わずもがな、息の根も。
 喉首を掻き切られた男が血液を放ちながら地に倒れ込む音。訪れた沈黙の中に緩慢な緊張が走る。

「命知らずのお節介が一匹」

 地を這うように低い声が耳に届いた。手にしたカード、こちらに向き直りながら開かれる指の先で三枚に増えていた。目認した直後に空を切る音がして、上体をずらした彼の頭があった壁に、小気味のいい音を立て五枚に増えたカードが突き刺さった。


「ほう」
「へぇ、手品かい?」

 驚いたような、感心したような影の声。右手で刺さったカードを一枚引き抜く。絵柄で解った。倭の『花札』とか言うカードだ。賭博用でも遊戯用でも無いな。本物の花札はもっと厚いし、指で触れたそれは中央と四辺の厚みが違う。
 これは、『斬る』ための『凶器』だ。
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