二ノ巻【戦慄! 桶狭間の遭遇】
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見境なく降る雨の中、竜の右目、片倉小十郎は林を突き抜けていた。
目的は前を走る、派手な色調の牛車。実際運んでいるのは馬であるが。
未だ距離はあれど、こちらは単騎、あちらは重い車を引いている。
いずれ追いつけると踏み集中すれば、耳に届く自然の多重奏。
馬の走る蹄の音、葉に雫が落ちる音、駆け巡る風の音……その風に運ばれて、ほのかな梅の香りがした。
「……隠れてないで出て来やがれ、武田の姫さんよ」
視線は前方を捉えたまま、確信を持ち名を呼ぶ。
なにしろ命のやり取りをした仲だ、特徴のある風を忘れるには早すぎる。
「ふふっ、やはりバレていましたか」
パチンという音の後に、どこからともなく薄赤に輝く花弁が彼の背後に集まっていく。
やがて人の形に形成されると、散った所に色がついていき、青髪に赤の着物を着た女子が現れた。
風と緑に愛されし、甲斐の双子姫。風林の君、武田林音。
目星をつけていた方は、彼だったわけだ。
「性懲りも無くついて来やがって……」
「あら、酷い言われようですね。わたくしと貴方の目的は同じ……あれがもし本物なら、貴方にみすみす取られる訳にはまいりませんから」
苦々しく顔を歪める片倉。馬を操っていなければ、即座に斬りかかっていただろう。
逆に彼の表情など見えていないはずなのに、至極楽しそうに口元を隠して笑むりん姫。
両者の間に、ばちばちと火花が散っている気がした。
「チッ、一時休戦は何処いったんだよ」
「そんなもの、既に終わっておりますわ……――」
ふと、言葉を止める林音。
興味がなくなったわけではない。別に注視すべき事態を、上空から風として感じたからだ。
続いて同じく上を向く片倉。
ただでさえ雨雲と生い茂る木々で薄暗い林が、更に濃くなったことと。
何より、雨音をかき消す程の矢が射られた音から、危険が迫ってきたのだと。
「風壁!」
開いたままだった扇を下から上へ凪ぐ。
言の葉も紡いだことで婆娑羅技に変化し、分厚い風の膜が上空に張られた。
数十本程度ならば、難なく防げたであろう。
「(くっ、矢数が多すぎる! このままではっ――)」
だが、こんな広大でもない雑木林に入り切らない程の人間が放ったような、千をも超える矢雨。
攻撃される可能性を見落としていたわけではない。あまりに予想外であったからこそ、力の配分を間違えたのだ。
「伏せとけ!」
「えっ」
万事休すかと思われた時、片倉小十郎は右腰の刀を抜いた。
乱暴ではあるが指示を出し、余す所なく降ってきたのを切り落としていく。
その見事な刀さばきは、後ろで座ったまま頭を低くしている姫には見えず。
ただ視界に捉えることは出来た。はらはらと地面に落ちていく、数え切れない量の矢羽根を。
「(あの数の矢を、全て斬り伏せたというの……)」
騒々しさはようやく止み、雨音だけとなった。
馬を中心に矢羽根が落ちた綺麗な丸、その外側は足の踏み場もない程の矢が刺さっている。
隣で未だ上を見つつ、息を吐く男の所業に目を細める林音であったが、後方からの音に二人で振り返った。
「ちぇっ、ハズレかー」
脳天に矢が刺さった麻呂が倒れた奥に、十歳くらいの童子が立っている。
弓と矢筒を下げている所から、先程の雨はこの者の仕業だろう。
「(あの童、只者ではありませんね……接敵すれば、面倒な事になりかねません)」
子供だと……と、にわかに信じ難いという声を漏らす小十郎を他所に、現状から起こりうる事態を推察する姫。
自分一人であれば容易だったかもしれないが、言動の割に捨ておけぬものはある。
馬から降り、少し前へ出て、落ち着いている鼻頭に触れた。
「風波静林、春風」
「これは……」
「これで全てとは思っておりませんが、貸しを作るのは性にあいませんので」
幾度目かになる梅色の風が、今度は馬と彼自身に纏わりつく。
何事かと身構えはするものの敵意はなく、むしろ協力的。
「この風が消えるまで、貴方はわたくし以外の誰にも視えません。隙をついて抜けてくださいませ」
「……テメェはどうすんだ」
「こちらに注意が向くよう動きます。あら、まさか心配してくださるのですか?」
春風は自分以外に、他人や動物にも纏えるのが特徴のひとつ。
長く続かないのが欠点だが、それでも充分なくらい。
彼ほどの頭脳があれば、ここから抜ける策など他にも思いつくだろう。
それでも手助けを勝手出たのは、少なからず助けられた恩を感じているから。
一国の姫として、仇で返すようには育てられていない。
余計な一言は多い気がするが。
「ハッ、馬鹿言え。わざわざ死にに行く奴を見送るのは寝覚めがわりぃと思っただけだ」
「ふふっ、こんな所で死ぬつもりなどありませんわ。まだやるべきことは残っておりますもの……それでは」
神経を逆撫でするような言葉には乗らず、自分も揶揄を返す。
結局相手も乗ってこず、くすくすと微笑みを残して扇を翻した。
一陣の風が吹き、瞬きの間に女子の姿が消える。
「(やるべきこと、か……そんな願いだけで生き残れる世の中じゃねぇだろうに)」
彼女の残した言葉を、遠方で聴こえ始めた喧騒を背景に思い返した。
今は群雄割拠の戦国時代真っ只中。仲間が死ぬ時も、自分が死ぬ時も、いずれ訪れるだろう。
人には誰しも望みがある。
どんなものであろうとも、叶えた上で人生を謳歌できるほど甘くはない。
「……だが、俺も同じか」
自身にも、揺るぎない忠誠と目的がある。
この命を犠牲にしたとしても、踏台にされようとも、主に成し遂げてもらいたい夢を。
誰に対してか分からない嘲笑を浮かべてから、手綱を勢いよく振った。
* * *
「(仕留めるまで追ってくるかと思えば、あっさり引いた。一体、何処の軍なのでしょう……)」
それから暫し経ち、環境音以外は静まり返った林内で。
怪我人が出ない程度に風刃を飛ばし、報復を覚悟しつつ様子見していた林音。
だが少し狼狽えただけで、小童共々いつの間にか撤退。
妙な気味の悪さを感じながらも、やまない雨が顔に当たり、鬱陶しさが募る。
傘を持ってくればよかったと、再三思いつつ走った。
「あれは……独眼竜に、右目?」
やっとひらけた場所へ出たと安堵する束の間、前方に蒼と黄土の人影を見付ける。
片や先程別れたばかりの片倉小十郎、片や家臣と壮絶な戦いを繰り広げていた伊達政宗。
再び戦闘になるかと構えるが、二人の視線は上方を見たまま。
好奇心が勝った姫は、同じく崖を見上げた。
「(なん、ですの……あの方に纏う、風は……)」
雷雨により分厚く覆われた雲が、ある男の上空のみ、歪に渦巻いている。
光の灯らない彼の瞳は、何を画策しているか分からない。
分からないが、畏怖と絶望だけは、嫌というほど抱いてしまった。
「りん姫様! 御無事でありましたか!」
「幸村様……それに、佐助様も」
どう動くべきかと思案していると、蹄の音と共に聞き慣れた男の声。
振り返れば、五体満足の紅き若虎と戻ってきていた忍。
持つ槍に血は無く、首級も無さそうな所を見ると、同じく影武者に当たったらしい。
「尾張の魔王こと、織田信長公とお見受けいたす! 拙者は、真田源次郎幸村! 甲斐国は、武田が家臣なり!」
ならば本物は何処にいるのか。
唯一知っていそうな奥州筆頭に目を向けたくらいに、背後で空気の読めない発言。
思わず頭を抱えてしまいそうだったが、諌めた者が一人。
「……静かにしな、真田幸村」
先刻の激闘からは想像も出来ない静かな声で、独眼竜は零した。
流石に口を閉じた彼の次に、姫様、俺の後ろに、と前に出て手で制す猿飛。
もはや下手な行動は取るべきではない状況だと風も物語っており、無言で後退する。
それからは敵味方問わず、成り行きを見届けるしかできなかった。
織田木瓜の家紋を旗に刻む尾張の長、織田信長。
刺々しい甲冑に身を包み、まさに魔王と呼ばれるに値する風貌。
部下であろう白髪男の大鎌に引っ掛けられた白塗りの殿が、本物の今川義元と見てとれた。
信長は彼の顬に、西洋式武具……またの名を“鉄砲”を突き付ける。
「……まさか」
このあとに起こることなど、戦に関わる者ならば容易に想像できた。
勿論彼女もその一人であり、全身の毛が逆立つ感覚が広がる。
思わず一歩後退してしまったが、皆視線が上だった為気にされなかった。
木々に隠れて様子をうかがっていた、かすが以外は。
各国の武将として有名な猛者は、自然現象よりも強大な力を操れる。
伊達政宗や片倉小十郎は雷、真田幸村は火、猿飛佐助や武田林音は風といったように。
だからといって万能ではない。生身が傷付けば呆気なく死ぬ。
それは魔王だって同じはずだが、政宗は六爪を抜くことを躊躇っていた。
今までどんな強敵と謳われた相手でも、臆することなく倒してきた独眼竜。
しかし、引き金に指を掛けても、彼は“動けない”。
そして無情にも、その時は訪れる。
耳を劈くような発砲音の後、どしゃりと何かが落ちてきた。
橙色の派手な着物に身を包んだ、生きた人間だったもの。
「(今川を……躊躇いもなく、殺した……)」
ちょうど姫と佐助の前方に、腕や脚があらぬ向きに曲がった遺体。
前髪からぽたぽたと水が落ちるのもお構いなしに、それを凝視するしか出来なかった。
「第六天魔王……」
「……織田、信長」
用は済んだと言わんばかりに外套を翻し、踵を返す。
残された者達の心へ、それぞれの激情を刻んで。
――こうして、桶狭間の戦いは幕を閉じた。
次の幕開けは、姫君の一人旅。
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